まだ日付は変わらないとはいえ、もう日が沈みかなりの時間は経っている。
 にも拘わらず、【メトロ・ノーム】の景色はやたら鮮明にフェイルの目に映った。
 梟の目を使っているわけではない。
 そもそも、梟の目を使用した時とは見え方が違う。
 地上の日中ほど明るくはなく、かといって不自由を感じるほどの暗さはない。
 曇りの日の夕刻くらいの視界。
 もし、ここへ来た時にこの景色だったならば、アルマが夜を作り忘れたと
 考えるのが妥当だが、実際には既に一度夜になっている。
 異常事態だ。
「……あれ。おかしいね」
 だが、アルマは慌てた様子は見せず、キョトンとした顔で小首を傾げていた。
「いや、もうちょっと慌ててもいいと思うよ。結構、これって大事件じゃないの?」
「そうかもしれないけど、仕方ないよ。此方のせいじゃないからね」
「責任を問うてる訳じゃないんだけど……ま、いいか」
 毎日暮らしているここの住民がこういう態度なのだから、フェイルが
 どうこう言える問題でもない。
 この手のトラブルは、そこまで珍しくはないのだろう――――
 そう結論付けるしかなかった。
「こんな事は初めてだよ。此方、少しドキドキしてきたかな」
「えっ、初めて? っていうか、驚いてるように見えないんだけど……」
「ビックリしてるよ。仰天だよ」
 科白と表情がイマイチ一致しない。
 ただ、今はアルマの性格に難癖を付ける時でもない。
「このトラブルの原因として考えられるのは?」
 仮に、ビューグラスがこの変容に一枚噛んでいるのであれば、
 その原因を突き止める事には意義がある。
 フェイルの問いに対し、アルマは――――
「此方以外に封術士がいて、その人が悪さをしたのかもしれないね」
 意外にも具体的な回答を提示してきた。
「……どうして意外そうな顔なのかな」
「き、気の所為だよ。それより! この【メトロ・ノーム】の夜って
 具体的にはどういうふうにして作り出してるの? 聞いていい事かどうかわからないけど」
 フェイルは一度、アルマが夜を作り出している瞬間を見ている。
 その時は魔術――――封術を使用していた。
 だが、封術と夜を生み出す事が、フェイルの中では結びつかない。
「封術で『永陽苔』の光を封印するんだよ。その代わりに、日中にやってる各扉の管理を解除するから、
 此方の意識は日中よりハッキリするんだけどね。扉の管理の方が大変だから」
「永陽苔っていうのは、ここに光をもたらしている苔の事……だよね。
 封術って、何時間も光を封印できるの?」
「普通はできないんじゃないかな。永陽苔は魔術の要素も含まれてるから、
 それで可能になってるんだと思うよ」
 アルマの言葉に、フェイルはマロウが話していた内容を克明に思い出す。

『魔術学と生物学、そして薬草学の粋を集めた技術との事だけれど』

 確かに、魔術も絡んでいる。
 ならば、だからこそ封術で管理できるというアルマの説明は筋が通っている。
「って事は、誰かが封術を解いた?」
「そうなるね。此方の封術を解除できるのは、封術士じゃないとムリなんじゃないかな。
 この手の封術はあんまり出回っていないからね」
 つまり、使い手が少ないのなら、解術を知る人間も相当限られてくる。
 封術士についてフェイルは多くを知らないが、特定の封術を使うのなら
 その解除方法となる解術もセットで覚えるのが普通の感覚だ。
 だとすれば、アルマの説明はやはり納得がいくもの。
「行ってみようか。フェイル君がいてくれて助かったよ。此方だけだと
 確認するのも怖くてムリだったかもしれないからね」
「そう言って貰えると、ムリに起こした罪悪感がちょっと消えるね」
「ムリに起こしたんじゃないよ。偶々うたた寝していたのを、
 起こして貰ったんだよ」
 どうしても、この時間には起きている大人の女性でありたいらしい。
 アルマの妙なこだわりに苦笑しつつ、フェイルはアルマを連れ、
 初めてアルマと出会った『石畳の山』へと向かった。
 アルマはいつも、そこで封術を使っている。
 もし悪戯をするのなら、その場所が最有力だ。
 すると――――
「……なんだ?」
 辿りつく前に、いち早くフェイルが異変に気づく。
 石畳の山から、もうもうと煙が立ち込めていた。
 煙の色は、白。
 水分を含んだ物を燃やしている、という事になる。
「匂いがするね」
 アルマの指摘通り、妙にいい香りが漂っている。
 フェイルは訝しがりながら、その煙の立ち上っている所を
 鷹の目で観察してみた。
 
 ――――特に怪しい人影はない。

 気配もなく、人がいる可能性は低い。
 燃えているものは、石畳の山の影になって見えない。
 不気味な状況。
 フェイルは敢えて石畳の山へは近づかず、遠回りをして反対側へ移動し、
 改めて鷹の目で出火元を確認した。
 そこには――――
「……入れ物?」
 金属で作られている容器。
 そこに何が入っているかは、鷹の目であっても遠目からはわからない。
「仕方ないな……」
 近づくのは危険と判断したフェイルは、背中の弓を掴み、矢を一本番える。
「もしかして、ここから入れ物を狙うのかな」
「うん。何かあると危険だし。まあ、矢があった瞬間爆発するかもしれないけど」
「それはビックリするね。でも、この距離で当てられたら、それだけでも
 十分ビックリするよ」
 フェイルの立っている位置から、煙の立ち込める容器までの距離は、
 100mを超えている。
 それを当てるのは――――
「じゃ、射るね」
 ――――フェイルにとって、容易なこと。
 特に力感なく放たれた矢は、きれいな放物線を描き、容器のほぼ中央にヒットした。
「わっ。すごいよっ」
 これまでにないアルマの驚きように、フェイルはなんとなく照れる。
 だが、金属の容器は重いためか、矢が当たっても倒れず。
「もっといい矢を買っておくべきだったかな……」
 そういいながらも、フェイルは矢筒から矢を4本取り出した。
「今度はどうするのかな」
「まあ見ててよ。曲芸に近いけど」
 そうアルマに告げながら、フェイルはやはり力みなく、予備動作も
 スムーズに、4本の矢を次々に射た。
 4本とも、異なる高さの放物線を描き――――
「わっ」
 4本同時に、容器の内側へと直撃。
 矢は鈍い音と共に、煙に吸い込まれるように容器の中へ落ちていく。
 同時に、容器がゆっくりと傾いて、ついには倒れた。
「わっ。わっ」
「そ、そんなに驚かなくても……」
 嬉しそうに目を輝かせるアルマに更に照れつつも、フェイルは鷹の目で
 容器から零れ出た物を確認した。
「……草?」
 それは、緑色の草。
 木の葉とも違う、野草。
「まさか……」
 確認した瞬間、フェイルは走り出す。
「わっ。待ってよ。置いていくのは酷いよ」
「あ、ごめん」
 アルマのペースに合わせ、減速。
 いずれにせよ、大した距離ではないので、程なく近づく事は出来た。
 そして、改めて近距離で眺めたその草は――――
「……薬草だ」
 しかも、かなり多種に亘る薬草の数々。
 それが、容器の中で燃やされていた。
 ただ、燃え難くしているのか、薬草には水がかけられていた。
「ビューグラスさんの仕業……か?」
 薬草という時点で、そういう発想をせざるを得ない。
 だが、余りにも腑に落ちない点が多い。
 こんな場所で薬草を燃やすというのは、奇行にすら見える。
 ただ、状況的にこれが原因で封術が解かれたとしか思えない。
 とはいえ、薬草を燃やして封術が解かれるなど、
 聞いたこともなければ理論的にもあり得ない。
「煙で封術が解かれるってのも、変だよね」
「聞いた事はないかな」
 だとすれば、やはり現象と状況が繋がらない。
「……」
 フェイルはしゃがみ込み、容器の中から零れた薬草に目を向けた。
 見た事のある薬草もあれば、ない薬草もある。
 つまり――――相当珍しい薬草も含まれている、という事。
 フェイルは市場に出回っている薬草は全て覚えている。
 そうでない薬草があるという事は、相当な専門家の仕業である証拠。
 フェイルは、この出来事にビューグラスが絡んでいる事を確信した。
 薬草はまだ燃え切っていない。
 火をかけたのは、ついさっきの事と思われる。
 そうなれば、ますます封術が解けた原因がこの煙にあると
 いう事になるが、それ以上に――――
「ビューグラスさんが近くにいるかもしれない」
 フェイルは立ち上がりながら、アルマに見解を告げた。
 だが、アルマはフェイルの方に目を向けていない。
「……?」
 アルマの視線の先を追うと――――
「誰か、近づいてくるよ」
 その言葉通り、何者かがこちらへと歩いてくる。
 フェイルが鷹の目で確認すると、直ぐにその人物が判明した。
「……どうして……あの人がここに?」
 そう呟かざるを得ない。
 それくらい、まったく頭になかった人物の姿が映ったのだから。
「知ってる人なのかな?」
 問いかけてくるアルマに、フェイルはゆっくり頷く。
 近づいてくるその人物は、少しずつアルマの目にもハッキリと
 姿が確認できるようになってきた。
「あの人は……」
 フェイルは驚きを隠せず、微かに震える声を自覚しながら、アルマへと答えた。
「エチェベリア王宮騎士団【銀朱】の分隊長だった人だ」







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