――――あなたは、だれ?

「えっと……フェイル=ノート、です」

 ――――どうして、こんなところで寝転がっているの?

「それは……草の匂いが好き、だからかな」

 ――――あなた、変わってるのね。

「そ、そうかな?」

 ――――ええ。変わってる。その背中の、何?

「これはね、弓っていうんだ。遠い所からでも敵を倒せる武器なんだけど……知らない?」

 ――――名前は聞いたことがあるけど、見るのは初めて。触ってもいい?

「うん、いいよ。でもその細いのは気を付けてね。指切っちゃうかも……」

 ――――あ。

「あーっ! だから気を付けてって言ったのに!」

 ――――だって、言うのが遅いから。

「触るのが早過ぎなんだよ! あーどうしよ、血が出てる!」

 ――――大丈夫。

「大丈夫じゃないってば! 結構深く切れてるよ! 布が……」

 ――――わたしの家には、薬草があるから。

「薬草? でも薬草じゃ簡単にケガは治らないでしょ?」

 ――――ふふっ。

「?」

 ――――あなたは知らないのね。本物の薬草を。

「いや……知ってるよ。使った事だってあるもん」

 ――――いらっしゃい。弓を触らせてくれたお礼に、見せてあげる。

「何を?」

 ――――本物の薬草を。あなたが知らない、魔法みたいな、ね。

 

 

 


 ――――フェイル! なんで私の作ったオヤツを食べないの?

「いや、だってそれ柔らかい泥を固めの泥で包んだだけの丸い物体じゃないか!」

 ――――言い訳なんて聞きたくない! 食べなさい!

「言い訳じゃない! なんで僕がそんなの食べなきゃいけないんだ!」

 ――――食べないなら、こうよ!

「う、うわっ! ちょっと! 何を……モゴモゴ」

 ――――さあ、美味しいって言いなさい! 言うの!

「ムググググ……ムグッ」

 ――――あれ? フェイル? フェイル? フェイルーーーーっ!?

 

 

 


 ――――どうして?

「どうしても、行かなくちゃいけないんだ」

 ――――どうして?

「僕は、この弓と矢を必要だって知らしめなきゃいけないから」

 ――――どうして?

「それが僕の使命だからだよ」

 ――――そう。じゃ、勝手にすれば?

「うん。アニス、元気でね」

 ――――知らない。フェイルなんて知らない。応援もしてあげない。

「……じゃあね」

 ――――知らない……

 

 

 

 ――――おかえり、フェイル

 

 

 


 フェイルにとって、全てが忘れられない想い出。
 幼い頃の出来事でありながら、鮮明に思い出せる数少ない記憶。
 特に、最初の出会いの場面は印象深かった。
 指から血を流しているにも拘わらず、少女はそれはもう愉快そうに微笑んだ。
 その笑顔を忘れられなかったのは、朗らかさとか、柔らかさとはまるで違う、
 子供とは縁遠い色彩を帯びた笑顔だったから。
 当然、この時点ではその事に気づいてはいなかった。
 ただ漠然と、記憶の中に染みついていた。
 暫くして、一度ヴァレロンを離れた時、フェイルはふとその笑顔を思い出した事があった。
 それは――――王城の隠し部屋で、自分の記録を見た時。

『フェイル=ノートを指定有害人種の一群に加えるか否かの判断は極めて難しい。
 慎重な経過観察を重ね、検討をする必要があると――――』

 そこには、沢山の記載があった。

『フェイル=ノートの血統を繙くと、シュロスベリー家に辿りつく。
 彼がこの家の正統な家族である事が疑いようがなく、それは単に家族ぐるみの
 付き合いという意味合いのものではない――――』

 意味のわかる記載、わからない記載。
 理解可能な記載、不能な記載。

『シュロスベリー家といえば、長らく進行中の〈花葬計画〉の中心人物
 ビューグラス=シュロスベリーを外して語る事はできない。
 それはフェイル=ノートの血統においても同様である――――』

 頭がぐるぐると回る。
 だが、その中の一文を読んだ際に、フェイルの中はアニスの笑顔で染まった。
 
『指定有害人種、アニス=シュロスベリーもまた同様である。
 彼女が治癒不能の重度の症状を抱えている以上、フェイル=ノートもまた――――』

 

 ――――指定有害人種。

 

 ――――重度の症状。

 

 ――――治癒不能。 

 
 

 そして、アニスに関する文章を締め括る最後の一文は、こう記載されていた。

『死を免れないアニス=シュロスベリーに対し、フェイル=ノートは
 未だ揺蕩う最中にあると結論付ける』 

 


 ――――死。

 


 既にフェイルは、幼い頃のアニスの笑顔をある程度は理解していた。
 あれは、心の中に制御できないナニカがある人間の笑顔。
 それが『重度の症状』によるものなのか、『治癒不能』という現実が
 もたらす産物なのか、『死』という運命の呪いなのかは、わからない。
 わからないが――――フェイルにとって、アニスの笑顔は想い出から未来へと変わるのに
 そう時間はかからなかった。

 幼なじみが死に瀕しているかもしれない。
 症状というからには、何かしらの病である可能性が高い。
 治癒不能の病。
 そして待っているのは――――逃れられない死。
 だとすれば、どうすべきか?
 夢破れた自分はどうすべきなのか?
 フェイルは自分でも驚くほど、抵抗なく選択した。
 例えそれが、目標を見失った自分への免罪符だとしても。
 そんな感情は何処かへ閉まって、目の届く所に置かなければいい。
 大事なのは、未来と現在。
 未来を繋いで、新しい現在を切り拓くこと。
 すなわち――――死への抵抗。
 全てを過去にする死を受け入れるのは、まだ早い。
 フェイルはその日、決心した。
 夢からの撤退。
 そして、アニスの救済。

『ほら! これが本物の薬草! 血、止まったでしょ!?』

 幼き日々の貴い想い出は、何があろうと壊れない。
 けれど、未来はひどく脆弱で、とても簡単に壊れてしまう。
 ならば、守る。
 過去と未来が繋がらなければ、現在は輝かない。
 アニスは死なせない。
 彼女の現在を輝かせるために、彼女の未来を守る。
 フェイルは、そう決心して王宮を離れた。

 


 例え――――いずれ訪れる未来が、輝いた現在でなかったとしても。









chapter 6.


- the end of the beginning -








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