フェイル=ノートが最初にヴァレロン新市街地を訪れたのは、
 10年以上も前に遡る。
 当時、まだ幼かったフェイルの遊び場は、シュロスベリー家。
 薬草学の権威の屋敷ということで、かなりの広さを有した館だ。
 子供にとっては最高の遊び場。
 だがフェイルは当時、何故その屋敷で自分が遊んでいるか、よくわかっていなかった。
 そして成長と共に、考える機会は増える。
 通常、このようなケースで考えられるのは、親類関係という線。
 だが、フェイルの親はフェイルの記憶にはいない。
 育ててくれたのは、とても親類との関係を重視しそうにない、寡黙な職人。
 彼とビューグラスの間に接点は見出せなかった。
 実際、その父親代わりとなってくれた職人の元を離れざるを得なかった際、
 フェイルはビューグラスから職人のことを聞いた記憶がない。
 親類なら、何かしら話をするだろう。
 別の可能性を模索する必要があった。
 だが、何も見つからない。
 結局、たまたま娘のアニスと街外れにある草原で知り合って、
 その家に遊びに行くようになっただけだ――――そう結論付けた。
 
 しかし、その結論は覆される。
 王宮内の書庫にあった、隠し部屋の中で。

 以降、フェイルのビューグラスに対しての意識は大きく変わった。
 王宮を去り、薬草店を営むと決心した時も、ヴァレロンで店を構えることに
 何の疑いもなかった。
 ビューグラスが薬草学の権威であるということも、少しは関係していた。
 ただし、それはあくまでも『少し』だが。
 二度目の来訪、そして居住となったヴァレロンで、フェイルは薬草店を
 営むかたわら、暗殺者まがいの仕事をした。
 だが、決して人は殺さない。
 理由は当然ある。
 倫理観もその一つだろう。
 死を背負うことの恐怖もその一つ。
 ただ、どれも第一ではない。


『……妨害?』

 フェイルはシュロスベリー家の屋敷前に着いた瞬間、思い出す。
 裏の仕事に手を染めることを決意した瞬間を。


『ああ。どうも儂は、あまり財界から歓迎されていないようだ。
 特に貴族の反発が強い。無理もないことだがな。連中からすれば、
 何もないところから積み上げて来た人間は異質な存在だ』
『そういうものですか』
『だから大体の目星はついているが……力業で対抗できる相手でもない。
 契約の延長は、諦めなければならないな』
『それなら、僕がなんとかしましょうか?』
『どういうことだ……?』
『力業でどうこうできる力はないけど、それ以外の方法で黙らせることはできます』
『……お前の申し出はありがたい。だが、黙らせるの意味次第では、儂に大きな
 危機の萌芽が生まれる可能性がある』
『わかってます。殺しはしません。そういうやり方もあります。知ってるでしょう?
 僕には目があります。特別な目が二つ。それを使って、貴方の問題を取り除きます』
『……』
『残したいんですよ』
『……? 何をだ?』
『僕があの場所で生きてきた、意味を』

 
「……」
 それも一瞬。
 頭を振り、今すべきことに目を向ける。
 シュロスベリー家の門には、門番はいなかった。
 すでに日は落ち、周囲は予定調和の暗闇に包まれている。
 だが、それが理由ではない。
 ――――フェイルが感じている寒々しさは。
 門番の不在も、誘因の一つにすぎない。
 フェイルは感じていた。
 この屋敷の、異様な雰囲気を。
 人の気配がない。
 使用人がある程度の数、在住しているはずなのに。
 気配がないはずはないのに。
「……嫌だな」
 ポツリと、フェイルは独り言を漏らす。
 子供の頃、この屋敷はワクワクで満ちていた。
 ここへ来るだけで、楽しい時間が保証された。
 天国のような場所だった。
 今は――――その面影もない。
 庭に植えられている数多の植物に目立った異常があるわけでもないが、
 一部の草が萎れていることをフェイルは見逃さなかった。
 その草は繊細で、一日水をやらないだけで弱ってしまう。
 二日やらないと、萎れてしまう。
 薬草士だからこそ、わかること。
 二日間以上水をやっていない状態ということになる。
 薬草士の権威が住んでいるこの屋敷で。
 あり得ないことだ。
 仮に、その権威が留守中だとしても、使用人が水やりを欠かさないわけがない。
 それに、ここにはアニスも住んでいる。
 幼なじみの少女が、他の家に嫁いだなどという話は聞いていない。
 フェイルは細い息を吐く。
 何かが起こっている。
 この屋敷に。
 子供の頃とは正反対の何かが。
 身の毛もよだつような、何かが。
「躊躇してても仕方ない、か……」
 フェイルは、背負った弓と矢筒に手を添え、屋敷内へと向かった。
 それは、かつての愛用の武器ではない。
 ここへ来る途中の武器屋で購入した、安物の弓矢。
 それなら、例えばナイフを使って果物を切るようなものだと
 自分をムリヤリ納得させた。
 剣士が引退して、ナイフで果物を切っても、誰も『復帰だ』とは思わない。
 尤も――――自分自身への言い訳以外の何物でもないのだが。
 それでも、あえて弓矢を購入して装備しているのには、相応の理由がある。
 単純な嫌な予感、だけではない。
 ビューグラスほどの大物の失踪は、決して単なる留守ではないからだ。
 場合によっては、身構える暇もないまま戦闘を余儀なくされる可能性もある。
 まして――――ガラディーンと同時期に失踪しているとなれば、
 その関連性も考慮し、余計に意識を強く持たなければならない。
 何かがある。
 これから何かが起こる、と。
 そして自分はそこへと飛び込んで行く責務がある。
 決心と決心の折り合い。
 それが、安物の弓矢だった。
「ビューグラスさん! アニス! どこにいるの?」
 屋敷の中に入り、大声で叫ぶ。
「誰かいませんかーっ!」
 何度も。
 何度も。
 けれど、返事はない。
 薄ら寒い空気が漂う屋敷内は、かつて、幾度となくアニスと駆け回った廊下も、
 呆然と見上げた天井も、濃い闇に包まれている。
 明かりがない。
 それは外から見てもすぐに気づく異変だったが、中に入ることで
 より一層実感できるものとなった。
 まるで――――荒廃した館のようだった。
 何処かが痛んでいたり、汚れていたりするわけではない。
 それなのに、フェイルは自分が朽ち果てた家屋に足を運んでいるような錯覚すら覚えた。
 そして、その原因に気付く。

 ――――臭い。

 常に薬草と草花の香りで満ちていたこの屋敷は、その香りだけで
 華やかさを演出していた。
 しかし今は、その香りがまるでない。
 それどころか、微かに奇妙な臭いすら漂っている。
 それが何なのか、フェイルは知っている。
「……っ」
 知っているからこそ、無意識に奥歯を噛み締めてしまう。

 これは――――死臭。

 人間なのか、他の動物なのかまではわからない。
 だが、ハッキリしているのは、この屋敷内で何かの命が潰えていること。
 そしてそれは、フェイルにとって最悪の帰結である可能性を含んでいること。
 フェイルの息が、更に細くなる。
 次の瞬間、これも無意識に駆け出していた。
「ビューグラスさーーーーん! アニーーーーース!」
 いつの間にか、フェイルの顔には冷たい汗が滲んでいた。
 動悸はどんどん速くなっていく。
 それでも、走らなければならない。
 確認しなければならない。
 ここで起こっていること。
 今、この屋敷の中で起こっていることを。
 それが、フェイルに課せられた使命でもあるのだから。
「……!」
 西棟に踏み入れた瞬間、人の気配を察知し、フェイルは立ち止まる。
 奥にはまだ廊下が続いているが、そちらに気配はない。
 今、フェイルの目の前にある扉の向こうに――――誰かがいる。
 フェイルは、うっすらと月明かりによって照らされたその扉の向こうに
 足を踏み入れた記憶があった。
 何度も。
 そう。
 何度となく。
「……アニス」
 幼い頃に出会い、多くの時間を共にした幼なじみの少女。
 今も昔ほどではないが、ちょくちょく顔を合わせている。
 ただ、ヴァレロン新市街地に薬草店【ノート】を構えて以降は、
 昔は幾度も踏み入れたこの部屋には一度も入ったことはなかった。
 それは、思春期特有の気まずさ――――というよりは、単純に昔のように
 遊ぶという発想がなくなってしまったからだ。
 こういう形での、久々の入室となってしまうことに、フェイルは
 大きな抵抗を感じてはいたが、今は私情で躊躇するような状況ではない。
「アニス。いるの? 入るよ」
 鍵はかかっていない。
 フェイルは一つ大きく息を吐いて、アニスの部屋の扉を開けた。
 刹那――――まるで突風が吹いたかのような感覚に襲われ、フェイルは
 思わず仰け反り、一歩後退る。
 だが、実際には風など吹いていない。
 そこから発せられた臭いが、フェイルを惑わせた。
 
 ――――血の臭い。

「……どうして?」
 その声は、この部屋にあった気配の主のもの。
 そして、しかるべきもの。
 何故なら、声の主は――――部屋の主でもあったから。
「アニス……」
 アニスはそこにいた。
 部屋の中に。
 月明かりで照らされた部屋の中に。
 赤、茶、黒。
 三色のみで彩られた、異様な部屋に。
 そして――――その床に、大量の赤を付与して。
「……な、何故だ……何故この私を……貴女を守れるのは……私だけだと……言う……のに」
 アニスの足元には、一人の男が横たわっていた。
 その男は、司祭服を身にまとっているため、身分の特定は容易にできた。
 例え、声が掠れ掠れになっていても。
「ハイト……さん?」
 そして、フェイルは声に聞き覚えがあった。
「私は……貴女の味方だった……貴女を……守りたかった……だけなのに……」
 フェイルの声に気付かないハイト。
 その首からは、大量の血が流れている。
「どうして……」
 ハイトの声に反応しないアニス。
 その指先には、微かに血が付着している。
 余りにも、歪な光景。
 フェイルは動けずにいた。
「どうして」
 アニスは同じ言葉を繰り返す。
 そして、その視線はずっと、フェイルに向けられていた。
 驚愕と、畏怖の眼差し。
 怯えてすらいる。
「だ……誰かいる……のか……?」
 ようやく、ハイトはフェイルがこの部屋に入ったことに気付いた。
 アニスの顔が自分を向いていないことを手がかりにして。
 ただ、振り向く余裕はない。
 それどころか――――この世に留まる余裕すらも。
「誰かは……わからない……が……逃げろ……この女は……この女……は……」
 声が、徐々に力をなくす。
 アランテス教会ヴァレロン支部の司祭が。
【エル・バタラ】のベスト4に残った魔術士の猛者が。
 瑞々しい笑顔で、フェイルと会話をしていた若者が。
 キースリングとの裏取引の場を提供した謎多き人物が。

「……化物……だ……………………」

 今。

 その生涯に幕を下ろした。

 けれど。

 フェイルはそれでも、ハイトに目を向けることはできない。

 目の前のアニスから、目を逸らすことができない。

 顔には、沈痛の表情。

 そう。

 沈痛。

「どうして!」

 沈痛だった。

「どうして!?」

 深い、深い悲嘆。

「どうして……」

 ――――悲しみ、だけだった。

 


「驚いて……いないの?」









is this 『the beginning of the end』 or 『the end of the beginning』?

it's probably impossible to get at the truth.

but,there are more ways to the truth than one.

anywhere but here.

the answer is there under the world.

though, it may be that the truth awaiting us there is not at all the sort of truth we would want.

it's also truth.





"αμαρτια"

#5

the end.










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