通常ではあり得ない結末に、観客の怒りに火が点いた最中――――
「第三試合、ハイト=トマーシュとケープレル=トゥーレの試合ですが……
 ケープレル=トゥーレ選手が試合場に現れなかった為、ハイト選手の不戦勝となりました!」
 油を注ぐような審判のアナウンスに、更なる怒号が生まれる。
 無理もない事だった。
 ハイトは1回戦も不戦勝。
 この栄誉ある【エル・バタラ】の決勝トーナメントにおいて、二試合連続の
 不戦勝というのは、余りにも不可解だ。
 フェイルはそのアナウンスを聞きながら、以前自分が請け負い、そして断念した
 仕事の事を思い出した。

『君に任せたい依頼がある。それは……「エル・バタラの調整」だ』

 キースリング=カメインによる依頼。
 これは一見、スティレットの言う『勇者計画』に協力するように仕組まれたもの、
 という見方が出来る。
 だが、フェイルはそれに対して否定的だった。
 そもそも『勇者計画』というものが実際に実行されているのなら、王主導である
 事は想像に難くない。
 それを、幾ら富豪とはいえ、一介の町民がわざわざ同じ町民に頼む事は考えられない。
 まして、フェイルはかつて王宮にいたとはいえ、弓兵としては引退している身。
 それなら、王宮から名のある戦士を派遣し、その人物に『調整』をさせた方が
 遥かに確実性は高い。
 ただ――――共通点はある。
 フェイルが狙撃するように指示された面々は、実際に無力化したプルガ=シュレール、
 ヴァールに敗れたクレウス=ガンソ、そして――――不戦敗となったクラウ=ソラス。
 プルガ以外は予選こそ突破したものの、決勝トーナメントの1回戦で消えている面子。
 何者かがフェイルの後を継いで、2人を衰弱状態にした可能性はある。
 キースリングの依頼の目的としては、不戦敗にはせず、ヨロヨロの状態で試合に
 出させる程度に弱らせる事で、前もって勝敗を打ち合わせしておいたと勘ぐられる事を
 防ぐという狙いがあったと思われる為、クラウの不戦敗はそれを否定するものだが――――
 結果としてクラウが自分の意思で『このような衰弱状態で試合に出る意味はない』と
 判断したかもしれない。
 そして今も、フェイルの仕事を継いだ『暗躍者』が、この大会をコントロールしている
 とすれば――――

『あの子達は違うわよん。この大会の参加者全員が演技をしていると思ったら、
 大間違いなのん♪』

 スティレットが言い放ったこの言葉にも矛盾しない。
 寧ろ、演者の方が少ない、或いは一人もいないという可能性もある。
 けれどこの推論は、ファルシオンの発言を否定する事にも繋がる。
 ファルシオンは、この大会に演者が存在すると言っているのだから。
「……ファルは、勇者計画について何処まで知ってるの?」
 フェイルは隣に座る魔術士にそう質問しながら、一つの覚悟を胸に置く。
 それは、隠し通せるのなら、隠し通しておきたかったもの。
 自分の中に存在する――――黒い部分。
 それを晒す事に他ならない。
「誘導係、っていうくらいだから、用意されたシナリオは全部知ってるんだよね?
 その中には、この大会の事も全部含まれてるの?」
「……それは、さっき私が言った事と、流通の皇女が言った事が食い違っている
 事への疑問、もっと言えば不信感、という事ですね?」
 流石に話が早い――――と感心しながら、フェイルは頷いた。
 嘘を吐かれる事は、別に何とも思わない。
 必要なら、嘘は吐くべきだ。
 そうフェイルは考えている。
 けれど、それによって自身や周囲に損害が出る場合は、話は別だ。
 ファルシオンは今日の朝、縁が切れる事を拒否した。
 もし、それが『勇者一行として、この薬草店と店主には今後まだ利用価値がある』
 という計算の中での拒否だとしたら、無視する事はできない。
 これまで少しずつ、丹念に積み重ねて来た信頼関係が、一瞬で崩れかねないほどの
 際どい会話が続く。
「そうですね……もう避けては通れないところに差し掛かっているのかもしれません」
 ポツリと、ファルシオンは呟く。
 周囲のブーイングにかき消されそうな音量だが、それでも芯の通った声で。
「はぐらかしていた訳ではないんです。誘導係という事を話したのも、私の立場では
 精一杯の譲歩でした。本来なら、決して他言は許されない事ですから」
「だろうね。まして、王宮絡みの不正となれば」
 勇者を作り上げる。
 それは、この大会だけでなく、あらゆる場面における出来レースを意味する。
 当然、不正の範疇に入る事ばかりだ。
 この事実が一般人に広がれば、王宮への不信は少なからず生まれる。
 戦犯は命すら落としかねない。
 精一杯の譲歩というファルシオンの言葉は、紛れもなく事実だった。
「でも、そこに留まるのも、全部話すのも、同じだと思うよ」
「そうですね」
 諦観にも似た響き。
 ファルシオンは常に表情を変えないが、それでも声には数多の表情が存在する。
 それは、本来彼女が感情豊かな性格だという現れでもある。
 フェイルは、小さな推論を持っていた。
 実はファルシオンという女性は、本当は今の彼女とは全く違う性格で、この人格は
 演技によって主人格を塗り潰し、ムリヤリ定着させたものなんじゃないか――――と。
「勇者計画について……概要については殆ど知っています。ただし、細部はわかりません。
 例えば、この大会でリオが優勝する事は知っています。でも、誰が勝ち上がって、
 最終的に誰と決勝を闘うのかは知りません」
 やや長いスパンを置いての返答。
 ファルシオンの答えは、フェイルにとって予想できた内容だった。
「勇者計画には、細かい指定はないんです。それがあると、破綻した時に
 修正が難しいので、ある程度の柔軟性を有した作りになっています。例えば、
 この街へ訪れて、リオが【エル・バタラ】に参加する事は必須です。でも、
 誰と1回戦を戦うとか、そういう事は知らされていません」
「大会への参加は、フランが積極的だったよね。あれもファルが唆したの?」 
「唆す、と言われると少し辛いですけど」
「あ……ごめん。促したの?」
 フェイルは配慮の足りなかった自分の発言を慌てて修正する。
 ファルシオンは小さく頷いた。
「最初から全て決まっているので、難しい事ではありません。フランがああいう
 大会で自分を試したい、という事も性格上わかっていますから、折を見て
 その手の大会があったら参加したいですか? と聞いて様子を見て……という流れです」
「すごいね……」
「すごくなんてありませんよ。寧ろ、嫌な女なんです。私」
 少しずつ怒号が減ってきた観客席に向けて少し視線を移し、ファルシオンは
 席の端に両の手を置く。
 少し子供っぽい仕草。
 フェイルは内心驚きつつ、言葉を待った。
「昔の話をします。私の母は、代書人という職業でした。私もそれを手伝うように
 なりました。小さい私が、代書という仕事をしている事に、街の人達は驚いて
 注目するようになりました。その頃から……私は、常に他人の心を意識していました」
「心……」
「最初は文章の中で。代書というのは主に手紙の代筆ですから、その依頼人が
 どんな想いを持っていて、何を伝えたいのかを酌み取らなければなりません。
 言葉を連ねるだけでは、想いまでは伝わらないんです」
 フェイルにとって、ファルシオンの言葉一つ一つは、意外性に富んだものだった。
 代書人という仕事も。
『想い』を汲む事も。
 ファルシオンには余り似合わない、人間臭いものだったから。
「その後、習性とも言える私の意識は、文章を飛び出して生活の中にも
 侵入していきました。自分がした事に対し、それを見た他人はどう思うか。
 自分がこう動けば、他人はこう思い、こう返してくる……と。
 難しいようで、実はそうでもないんです。誘導するという事は」
 実際には、決して簡単な事ではない。
 それでも『難しくない』というファルシオンの言葉は、ある種の自虐を含んでいる。
「魔術士として、一応の才能を認められ、アカデミーで学んでいく中で、
 幼かった私は自慢げに、得意げにそれを多用しました。自分の都合のいいように
 事を運ぶには、どういう振る舞いをすればいいか……そればかりを考えて」
「それは、大変だったんじゃない?」
「いえ。ただ……やっぱり子供特有の浅知恵だったので、結局『他人の顔色を伺う
 嫌な女』という認識が広がり、友達はできませんでした。次第に、口数も少なくなりました」
 思いがけない告白に、フェイルは言葉を言い淀む。
 何を言っても、余り実になる発言にはなりそうになかった。
「私にとって、今の役割はもしかしたら天職なのかもしれません。でも……」
 ファルシオンの顔が、少しだけ陰る。
 俯いたからなのか、表情の微細な変化なのか。
 フェイルにはわからなかった。
「本当は、やりたくなかったんです」
 ただ、わかった事が一つ。
 それは――――ファルシオンは、何もかも、全て自分を押し殺しているという事。
 それでも、こうして勇者一行の一員となった事には理由がある筈。
 しかし、フェイルは聞けなかった。
 聞く事で、これ以上彼女を傷付けるのを恐れた。
「……わかるよ」
 代わりに、覚悟を一つ、胸から下ろす。
 それは、自分の一部を明け渡したファルシオンへの御礼。
「僕も、ずっと嫌な仕事をしてたから」
「薬草屋、嫌だったんですか?」
「いや。僕がやってたのは……暗殺まがいの仕事」
 それは、自己の中での一番の暗部。
 出口のない闇の中で、いつまでも燻り続ける、煙のような思い。
「僕はずっと、それをやって生き長らえて来たんだ。薬草店だけで
 賄えない生活費を稼ぐ為……ってのを大義名分に」
「実際には違うんですか?」
 暗殺まがいの仕事と聞いても、ファルシオンは驚いた様子を見せない。
 それに少し複雑な心境を覚えながら、フェイルは頷いた。
「僕は……」
 そして、告げる。
 誰にも言った事のなかった、心の内を。
「心の何処かで、その仕事に喜びを見出してたのかも知れない」
 偽らざる本音を。
 刹那――――いつの間にか静まり返っていた会場が、三度どよめきを起こす。
 第四試合。
 トリシュ=ラブラドール vs リオグランテ。
 先陣を切って現れたのは――――右手を布で覆い、吊った状態のトリシュだった。







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