追いかける事には、慣れていない。
 フェイルは自分の人生を、そう総括していた。
 追い求めてきたものは全て、実体のないもの。
 弓矢への名声。
 勝利。
 そして――――運命への挑戦。
 いずれも、そこにある物ではない。
 何処にあるか、或いはあるのかすらわからない標的へ向けて、
 フェイルは闇雲に矢を放っていた。
 弓兵でありながら、皮肉な人生だ。
 ただ、苦手であっても、この場において言い訳は通じない。
 何を隠そう、その相手は自分自身なのだから。
「クラウ=ソラス!」
 商人ギルド【ボナン】を出た直後、フェイルは大声で叫んだ。
 呼ぶと言うよりは、叫ぶ。
 何処にいるのかを視認する前に、全力で引き留めた。
 結果――――
「……余り往来で大声を出すものではありませんな」
 遥か前方、それでもはっきりと見える背中。
 その足下には、しっかりと影もある。
 クラウ=ソラスは、防具らしい防具も身につけず、茶色の布製の
 服に身を包み、立ち止まっていた。
「幽霊じゃなかったんだね」
「奇異な事を。この世にそんなものはおりませぬ」
「同感だけど、確信したよ」
 僅かに口元を緩めながら、フェイルは『異物』へと近付いた。
「あの、闘技場での一幕があったからね」
「はて。何の事ですかな?」
「……」
 惚けている――――かどうか、後ろ向きのクラウから表情は窺えない。
「僕に忠告をした事、覚えてないの?」
「忠告」
 ようやく、フェイルはクラウの傍まで辿り着いた。
 あの、闘技場の外壁の上では、何も確かめる事が出来なかった存在。
 余りに突然の接近に、心を乱された事も大きかった。
 ただ――――近付いた今、その時の続きという訳にはいかない事に気付く。
 クラウの表情は、演技のような大げさなものではなく、単純に怪訝そうな目を
 フェイルへと向けていた。
「……本当に覚えてない、って事?」
「私が貴公を見かけたのは、予選会場が最後だったと記憶しておりますが」
「だったら、あの時の……」
 深刻な齟齬に、フェイルが眉をしかめた、その時。

「クク」

 不自然な笑みが、クラウから漏れた。
 それは、今までのクラウ――――フェイルが見てきた、バルムンク曰く『偽紳士野郎』
 という表現がピッタリのクラウとは、性質の異なる笑い声。
 フェイルの身体に、電撃が走ったかのように震えが生まれる。
「ノイズ。クク、クカ。ノイズクククカク」
「……クラウ?」
 まるで言葉になっていない声に、フェイルは思わず身構える。
 弓矢のない今、それが如何に無意味かは、誰より本人が理解している。
 だが、追いかけた時点で一定の覚悟は出来ていた。
 とはいえ――――
「ノイズルキュクルルクククキクルノイズ」
 今のクラウは、覚悟で対処できるという状態ではない。
 目は見開かれたまま明後日の方向に向き、声は最早人のものとも言い難い
 音を発しているだけ。
 四肢は伸びきったまま、首はダラリと脱力しきっており、顔の位置が下がっている。
 生理的に到底受け付けない――――そんな不気味さがあった。
「何のつもり……なの?」
「ククキカカキュルルルルルルルルルルルルルルルルルル――――――――ノイズ、消去」
「……?」
 最後にようやく、意味の通る言葉を発し、クラウは突然意識を取り戻した。
 或いは、取り戻した訳ではなく、最初からそこにあったのか。
 まるでこれまでの奇っ怪な様相が全くなかったかのように、
 平然と、寒々しいほど平然とした姿で立っていた。
「な、何なんだよ……どうなってるの?」
「失礼。成程……そういう事でしたか」
「だから、何がそういう事なんだよ」
 鳥肌の立つ身体を奮い立たせるように、フェイルは声を荒げる。
 感情の大半を占めるのは――――不安。
 得体の知れない状況に対する、ではない。 
 漠然とした、形のない暗雲のような不安だった。
「どうやら、一部記憶が欠損しているようですな。優れた自己修復も、脳にまでは及ばない。
 そういう意味では不完全な技術と言わざるを得ません」
「……一体何を言ってる?」
「我々の運命について、ですよ。指定有害人種のお仲間として、貴公も他人事ではありませんぞ?」
「!」
 指定有害人種。
 フェイルはその言葉をこれまでに二度、見聞きしている。
 二度目は、デュランダルから聞いた言葉。
 そして一度目は――――王宮の隠し部屋で見た言葉。
 自分自身を指し示す、言葉。
「我々は試される。近い将来……将来という言葉も不適当ですな。近く、『それ』は起こる故」
「そんな断片的に語られても、僕には何もわからない。何が言いたい?」
「私が貴公に伝えたい事は二つ。一つ目は『濁流から逃れよ』」
 それは、城壁にて一度聞いた言葉の要約だった。
「二つ目は……そうですな。いつか一度、酒を飲み交わしたい。そういう事にしておきましょか」
「は?」
「壊れるなかれ。貴公にはまだ、望みがある故」
 クルリと、クラウは踵を返す。
「ちょっと、まだ話は何も……」
「私はこう見えて、『天駆ける死神』などと呼ばれておりまして」
「……?」
「医者とは相性が宜しくないのですよ。それでは」
 特に急ぐでもなく、クラウは平然とした足取りで、その場を離れていく。
 フェイルはそれを追おうと身を乗り出し――――留まる。
 医者。
 そうクラウは今、告げた。
 当然、フェイルの事ではない。
 振り向き、後ろを確認すると――――そこには、口を真一文字に閉じ
 真剣な顔でクラウの背中を睨む、カラドボルグの姿があった。
 紛れもなく、フェイルにとっては『探し人』だ。
「カラドボルグ……さん?」
「嫌だね、ああいうのは。死に抗うのは人として正しいけど、あれはそういうレベルじゃない。
 死を冒涜している。リジルの趣味には一生付き合えそうにない」
 険しい顔で、吐き捨てるように呟く。
 それは、まるで親の敵を見るような目付きだった。
「……と、失礼。フェイル君だったね。君とはつくづく縁があるみたいだ」
「それはいいんだけど、貴方が闘技場で診ていた筈のガラディーンさんが
 行方不明なんだ。心当り、ない?」
 もうかなり昔の出来事のように、発言しながらフェイルは感じていた。
 ガラディーンの失踪。
 そこから、不可解な出来事が次々に起こり始めた。
 そして、目の前にいるカラドボルグは、真相を知っている可能性が十分にある。
「あー、勿論あるよ。ホラ、何しろ剣聖だろう? いつまでも闘技場の
 医務室に……って訳にはいかなかったから、ちょっと秘密裏に移動して貰ったんだよ」
「今どこに?」
「下。わかるかな?」
 それが何を意味するのか――――今のフェイルには理解できた。
 下、つまりは地下。
【メトロ・ノーム】だ。
「あそこなら、知ってる人は限られるから、療養するには打って付け。
 ま、環境としては微妙だけどね。綺麗な空気とか自然はないから」
「そうだったのか……よかった」
 ようやく、フェイルは安堵の息を吐く事ができた。
 懸念が一つ減るだけでも、かなり心情的には違う。
 自分自身への不安や苛立ちに比べれば、確認が出来ない他人の心配は
 かなり大きな負担だっただけに、思わず顔も綻ぶ。
「あの、一応僕もその『下』の鍵を持ってるんだけど、会いに行っても
 いいのかな? 安心させないといけない人もいるんだ」
「それはダメ。治療に専念させないとね。命に別状はないけど重傷だから」
「だよね……仕方ないか」
 苦笑しながら俯くフェイルに対し、カラドボルグは目配せで
 裏路地へ入るように促す。
 道端に立ったままでは、歩行者の邪魔になるからだ。
 そんな事を気にかける余裕も、フェイルにはなかった。
「君も鍵の持ち主って事は、『選ばれた一人』なんだな」
「まあ、そういう事なのかな? よくわからないけど」
 と言いつつも、フェイルはその選抜について詳しくは知らない。
 単純な紹介制、という訳ではなさそうと思いつつも、突っ込んだ事を
 アルマや他の『住人』には聞いていなかった。
「なら、是非知っておいて欲しい事がある」
 路地の壁に背を預け、腕組みしながらカラドボルグはフェイルに目を向ける。
「こういう職業柄ね、俺はいつも『死』について考えるんだよ。人間は生まれた瞬間から
 死に向かって歩む。万人の終着点は死、って訳だ。なら、死は本来
 どうあるべきか? 生きる事は、死を享受する事なのか、拒絶する事なのか。
 死ぬ事は、生きる事を放棄する事なのか、総括する事なのか」
「……」
 発言そのものは、医師として自然なもの。
 だが、今一つ発言の前後のつながり、必然性を見出せず、フェイルは思わず
 首を傾げた。
「ま、頭の片隅でいいから、考えておいてよ。いつか答えを聞こう」
「覚えてたら」
「それで構わないよ」
 話したい事はそれだけだったのか、カラドボルグは背中を壁から離し、
 手をヒラヒラさせて路地裏から出ていこうとする。
 そして――――わざとらしく自分の後頭部をペタン、と叩き、
 フェイルへと向き直った。
「あ、そうそう。この前言った仕入れの件、正式に受理されたから」
「……へ?」
「君の店、最近やけに評判がいいみたいだから、それが決め手になったのかな。
 すんなり通ったよ。今度正式に君の店に『ヴァレロン・サントラル医院』の使いが
 来ると思うよ。ってか、もう行ってるかも」
 それは。
 つまり――――
「これで君の薬草店は安泰だね。おめでとう」
 勇者一行による器物破損が行われてから長らく、ずっと抱えていた課題。
 損失分の補填と、今後の店の運営。
 それが、解決した瞬間だった。
「……あり……がとう?」
 全く実感のなかったフェイルは、呆然とカラドボルグの背中を見送った。






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