「……何時まで、こんな無意味な試合を見ている?」
 背中越しに掛かった声に、カバジェロ=トマーシュは振り向く事なく、声でのみ応える。
「無意味ではない。『形式美』は、騎士の世界においても極めて重要なものなのだから」
「なら、敢えて言おう。『そんな無意味なものを見る必要はない』」
 容赦のないロギ=クーンの言葉に、カバジェロは思わず苦笑する。
 王宮時代からの付き合い。
 そこに込められた意味は深い。
「時間は無限ではない。まだ多少の余裕があるとは言っても、無駄を許されるほど
 余白が残されている訳でもない。行動を」
「もし、自分の存在に意義があるとすれば」
「……?」
 不意に発せられたカバジェロの言葉に、ロギは思わず眉をひそめる。
「それは恐らく、この瞬間だと自分は理解する」
「全く意味がわからない。何を言っている?」
「これが英雄譚の一場面ならば、そう描写されているのかもしれぬ。そう思ったのでな」
「……時々、君の事がわからなくなるよ。カバジェロ」
 呆れ気味に、ロギは瞑目しながら首を左右に振る。
 そんな仲間の様子を尻目に、カバジェロは何処か嬉しそうに、アリーナの闘いを眺めていた。
 そこにある『自分の存在意義』を。
 あの時の戦いの再現――――否。
 その先に在るものを、目に焼き付けるかのように。

 

 上半身を傾け、深く深く沈み行く――――そんなリオグランテの脚が、
 足へと力を注ぎ、次の瞬間、闘技場の地面が微細な震動を起こす。
 それは推進力を生み出し、アロンソとの距離を一瞬で縮めた。
 狙いは――――アロンソの足。
 だが、そんなリオグランテの低空タックルは、アロンソの素早い脚裁きによって、
 なんなく回避された。
「あれって……アルテタの時の」
「いや。進歩してる」
 フランベルジュの言葉を、フェイルは即座に否定する。
 同時に――――左側に避けたアロンソの顔色が、一瞬で変わった。
 極限まで身を屈めていたリオグランテは、避けたアロンソの『脚』ではなく『左足』を
 左手で掴み、それを支点として、回避したアロンソと同方向へ向かって側転した。
 奇行のように見えるその行動は、奇行に非ず。
 回転は、人間が『動く』、『止まる』という動作を最小限の体重移動で行える移動方法。
 しかも、足を掴む事で、アロンソのバランスを崩していた。
 アロンソが体勢を整えるより速く、リオグランテは一回転し、地面に着地。
 その瞬間には、攻撃態勢に入っていた。
「やああああああっ!」
 右手の木剣で狙うのは――――頭部。
 当たれば一発逆転。
 だが、頭部の攻撃は最も避けやすい。
 一か八かの賭け。
 当たれば勝ち。
 外れれば負け。
 観客が騒然とする中、リオグランテ渾身の一撃は――――空を切った。
「あーっ!」
 フランベルジュが天を仰ぎ、落胆の声を上げる。
 渾身の力を込めていた為、リオグランテは大きく体勢を崩し、地面に倒れ込んだ。
 既に、脚にも力が入っていない。
 限界だった。
 身体に力が入らず、立ち上がる事すらままならない。
 誰もが、アロンソの勝ちを確信した。

 が――――

「……反撃がないね」
 フェイルは一向に動こうとしないアロンソの顔を、『鷹の目』で注視する。
 そこには大量の冷や汗が流れていた。
 苦痛に満ちた顔は、それなのに何処か『安堵』しているように見える。
 不可解だった。
 いや――――冷や汗の原因そのものは、直ぐにわかった。
「もしかして、足首……やった?」
 程なくして、フランベルジュも気付く。
 先程、リオグランテが掴んだ左足。
 回避の途中で不意に掴まれ、無理な体勢のまま固定され、力があらぬ方向にかかり――――
「痛めた、或いは……折れた」
 その証拠に、アロンソの体勢は不自然に右に寄っている。
 体重を預ける事が出来ないほど、左足を痛めた証拠だ。
 仮に骨折だとすれば、形勢は逆転する。
 リオグランテも限界だが、足首の骨折は単なる負傷に留まらない。
 動けない。
 通常なら、激痛でのたうち回るほどの状態なのだから、骨折には至っていないと
 考えるべきだが、捻挫程度なら今頃はトドメを刺しに動いているだろう。
 必死に我慢している、と判断すべきだ。
「リオ! 立って!」
 突如、ファルシオンが大声を上げる。
 予選での応援の際は祈りに徹していたが、ここはいても立ってもいられなくなったのか――――
「立ちなさいよ! チャンスよ! 今しかないんだってば!」
 フランベルジュも、アリーナに飛び込もうという勢いで叫ぶ。
 そんな仲間達の声に支えられるように――――リオグランテは立ち上がった。
「……」
 両者、睨み合う。
 満身創痍の中、動いたのは――――
「審判。棄権を宣言する。僕の負けだ」
 アロンソだった。
 力なく左手を挙げ、口元を緩める。
 それは、リオグランテの勝利を意味していた。
「……どうして?」
 自分の決まり手に気付いているのか、いないのか。
 或いは、アロンソが棄権する行為そのものを意外に思ったのか。
 リオグランテは驚いた顔で、自分を指導した剣士に問い掛けた。
「これ以上痛めると、仕事への復帰が難しくなってくる。
 僕は今の仕事を辞める訳には行かないからさ」
「でも……」
「最後の攻撃。僕が教えたものとはまるで違っていたね。読めなかったよ。
 その点では、君の引き出しが一つ多かった。胸を張って、次の戦いに挑んで欲しい」
 眉の角度はそのままに、アロンソは微笑む。
 次の瞬間――――
「勝者、リオグランテ!」
 第1試合以来の大きな歓声が、場内を包み込んだ。
 この大逆転勝利が、リオグランテの名前を大きく印象づけた事は、言うまでもない。
 それは――――始まりだった。
 ある一人の少年が、勇者への道を駆け上る、そんな英雄譚の。

 

 その日の夜。
 薬草店【ノート】に戻ったリオグランテは、1回戦の勝利に興奮を抑えられず、
 終始楽しそうに戦いを振り返っていた。
 そして、痛めた身体の治療を一通り終え、宿にもスコールズ家にも戻る事なく、
 リビングですやすやと眠りについた。
 フランベルジュも、同じ部屋で眠っている。
 そしてもう一人――――勇者一行の頭脳、ファルシオンは。
「……話とは、なんでしょうか?」
 フェイルの待つ作業室にいた。
 中に蝋燭を立てたランプの光がユラユラと揺れ動く中、フェイルは
 自分が呼び寄せた女性の顔を、座ったままでじっと眺める。
「取り敢えず、座ってよ」
 それは、長話になるという示唆でもある。
 ファルシオンは応じ、フェイルから少し距離を置いた場所に腰掛けた。
「初めてですね。フェイルさんが、この場所に他人を入れるのは」
「そうだね。作業場は一応、仕事場だから。自分以外の人を入れると、
 なんか約束を破ったみたいな気持ちになって、落ち着かないんだ」
 ファルシオンも、長話になるだけではなく、これからの会話が重大な内容を
 含むと予感し、まずは軽い雑談から入る。
 両者の暗黙の了解、意思の疎通は、その域までに達している。
 そこに相性というものがあるとすれば、紛れもなく最高というべき間柄。
 それはフェイルも自覚していた。
 話しやすい。
 話が通りやすい。
 聞きやすい。
 話が入って来やすい。
 それは、人間関係の構築に最も大きな貢献をもたらす要素。
 あの怒濤の出会いから、多少の波はあっても、割かし円滑に関係を深めてこれたのは、
 ファルシオンの存在が大きかった。
 寧ろ、その殆どを掌握していた、とさえ言える。
 そう言えるからこそ――――フェイルはこの日、彼女をここへ呼んだ。
 これからの事も含め、早めに知っておかなければならないから。 
 知っておかなければ、自分の感情が上手く制御できないかもしれないから。
 暫し、中身のない雑談に興じた後――――
「一つ、いや、幾つか。聞きたい事があるんだ」
 核心に触れる前振りを、フェイルは口にした。
「聞きます。何ですか?」
 ファルシオンに拒否する事はできない。
 拒否すれば、全てが肯定となってしまうから。
 フェイルはその応えに一つ頷き、大きく息を吐いて――――何度も推敲した言葉を紡いだ。
「ファルは、どこまで知っているの?」







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