戦場において、余り機会のない一対一の闘いは、とかくリズムが重要になりがちだ。
 リズムは呼吸であり鼓動。
 その波長が合う相手には、不思議と攻撃のタイミング、防御のタイミング、
 更に付け加えれば奇襲や失策のタイミングすら『合う』。
 この部分は一見、幸運として処理されがちだが、実際には単なる運とは違うもの。
 一言で言い表すなら『相性』だ。
 複数の敵味方が入り乱れて殺し合う戦場では殆ど意味を成さないが、
 一人と一人がぶつかり合う試合は、この相性というのが無視できない要素になる。
 アロンソの木剣は――――リオグランテに致命傷を与えるには及ばなかった。
 ミスは何一つない。
 力の入れ具合、抜き具合、フォーム、バランス、タイミング――――その全てが
 完璧だったのにも拘わらず、後方に吹き飛んだリオグランテは、致命傷どころか
 身体をふらつかせる事すらなく、ムクリと立ち上がった。
「恐らく……今のを見た殆どの人が、あれを『相性』だと思うでしょうね」
 リジルの半ば呆れ気味な色彩を帯びた言葉は、観客席に響く歓声にかき消され、
 殆ど声にはならなかった。
 だから、その傍にいるにも拘わらず、応えは紡がれない。
 とはいえ、戸惑うわけでもなく、静かにそこに佇んでいる。
 そういう隣人に対し、リジルは視線を向ける事なく、次の言葉を紡いだ。
「なんて言ってる僕自身、闘いの事は良くわからないんですけど。
 専門外ですから。研究者は理屈だけは達者なんですよ。よく頭でっかちとか、
 屁理屈をこねるだけの小心者とか言われます。不本意ですが、当たってるんですよね」
 人が最も好む『自虐』も、隣の人物に口を開かせるには至らない。
 リジルは一瞬、自分の今の行動を根本的に見直す必要性すら考えた。
 だが――――それが誤りだと、直ぐに気付く。
 隣人は、呼吸を著しく乱していた。
「あ、すいません。限界……でしたか」
 視線を向けた事でようやく理解し、素早く革袋から折り畳んだ布を取り出す。
 それを広げて行くと――――そこには『蛭』が数匹、微かに蠢いていた。
「……!」
「周囲に人がいる事をお忘れなく」
 リジルの注意を最後まで聞く事なく――――『それ』は閃く。
 すると、布は瞬く間に黒く、そして赤く染まった。
 蛭の体内に吸入されていた血液だ。
 刹那、乱れた呼吸が徐々に落ち着きを取り戻す。
 その変化を確認し、リジルはニッコリと微笑んだ。
「お察しします。女性には酷な『症状』です。でも、それも『貴女』ですから」
「……」
 言葉は発しない。
 首も動かさない。
 だが、『貴女』と呼ばれた女性は、声でも角度でもなく、リジルの言葉を肯定した。
 それも、或いは『リズム』なのかもしれない。
「人間っていう生き物は、理性をやたら尊重しますよね。集団であれば余計に。
 でも、理性は言ってみれば、檻のようなモノなんですよ。檻をありがたがるってのは
 滑稽ですよね。誰だって、檻の中に閉じ込められたくなんてないはずなのに」
「……」
「と、余計な事でしたね。貴女にここに来て貰った理由は、二つあります。
 まずはこれをお父上に。計画が佳境を迎えている所為か、お父上と連絡が取れないんですよ。
 必要な物なので、必ずお渡しして下さい」
「私も、あの人が今何処にいるのかはわからない」
「大丈夫です。彼は『立派な』父親なので、絶対に貴女に会いに行きます。
 その時でも間に合いますから」
 リジルは語気を強めるでもなく、穏やかに告げつつ、同じ革袋から小瓶を取り出し、
 それを隣人に渡した。
 小瓶の中には、種が入っている。
「で、もう一つというのが……さっきの『あの人』なんですけど、わかりました?」
「ええ。勝った方、でしょ?」
「です。あの人はホント厄介みたいで、ちょっと説得は無理みたいなんですよね。
 計画の責任者が『予定と違う』って、結構慌ててるみたいなんですよ。
 僕を頼るくらいだから、よっぽどなんでしょうね。まあ、便利屋みたいな
 思われ方してるからかもしれませんけど」
「……」
「あ、話が逸れちゃってすいません。悪いクセなんですよ。僕、前は大学にいたんですけど、
 あんな場所にいるとどうにも気を使って、雑談をする機会が増えるものだから、
 それで……と、これも余計ですね。率直に言いますと、あの人を『痛めて』下さい」
「殺す……じゃなくて?」
 不意に漏れる、穏やかでない言葉。
 だが、試合に夢中になっている周囲が、それを認識する事はなかった。
「物騒ですね。いや、大会にも権威ってのがあって。参加者が死ぬっていうのは
 御法度なんですよ。それが大会中だろうと、大会前だろうと」
「……具体的には、どうすればいいの」
「すれ違いざまに、足をシュッと。貴女の得意技ですよね?
 普通の暗殺者や処理班に任せると、息の根を止めるか、返り討ちに遭うかの二択なんですよ。
 彼ら、柔軟性がないんで。だから、貴女に声を掛けてみたんです」
「私は……暗殺者じゃない」
「でも、僕の頼みは断れない」
「……」
 リジルは、隣人の呼吸が乱れた事に満足した。
 リズムが狂う。
 即ち――――主導権を得る。
 ここ数年の出来事で、それが如何に重要な事かをリジルは痛感していた。
「暗殺者でないのは承知しています。だから、報酬も支払いません。
 これは命令とか依頼じゃなく、僕からのお願いです。そもそも、殺人でもないですし」
「傷害も立派な犯罪じゃない」
「犯罪は、犯罪であると第三者が認めて、初めて犯罪たり得ます。
 貴女なら、それを回避する事が可能でしょう。その『腕』なら」
 リジルの微笑みには、邪気はない。
 うっすらと、隣人の顔色が変わる。
「貴方は……第三者じゃないの?」
「僕は当事者ですよ。それに、僕の見解では傷害は犯罪じゃない」
 明らかに、常軌を逸した見解。
 しかしリジルは、その持論を何の躊躇いもなく置いた。
「本当の犯罪は、悪意をもって傷付ける行為です。殺人は別ですけどね」
 ゆっくりと席を立つリジルに、戸惑いの声はかからない。
 それに苦笑を浮かべ、生物学の権威はゆっくりとその場を後にした。
 一人、席に座ったままの女性は、放心状態に近い顔色で、アリーナの方に目を向ける。
 そこでは、額を青く締めた少年が、必死の形相で木剣を振り回していた。
 素人目にも、それが有効性を欠いた攻撃だとわかるほどの空回り。
 気負いすぎ、焦りすぎ。
 まるで、自分の心情が伝播しているかのように。
「……バカね」
 誰に対する中傷でもない。
 女性の言葉は、世界に向けて発信された声だった。

 


「バッカねぇ! あーもう! そうじゃないでしょ!?」
 いつの間にか席を立って、熱の入った応援をするフランベルジュを、
 フェイルは半ば驚きながら眺めていた。
「……ああいう性格だったっけ?」
「もう、虚勢は必要ないですから。あの子は、世の中を斜に構えて見る事が
 苦手な性格なんだと思います。そんな世界が嫌だからこそ、抵抗しているんですから」
 ファルシオンの見解は、冷静かつ適格だった。
「……厳しくなってきましたね」
 だから当然、リオグランテの闘いに対しての評価も、シビアなものになる。
 事実、勇者は追い詰められていた。
 致命傷とはならなかったものの、アロンソの攻撃は確実にダメージを与えている。
 肉体的なものではなく、精神的に。
 その証拠に、初撃を食らって以降のリオグランテの全ての攻撃は、力みすぎている。
 ただでさえ気負っている中に、出鼻を挫かれたとあれば、パニックになるのは必然。
 アロンソは闇雲なリオグランテの攻撃を冷静にいなし続けていた。
「このままじゃ、リオの体力が尽きるのは時間の問題……だよね」
「ええ。幾らあの子が無尽蔵なスタミナの持ち主でも、限度はあります」
 周囲の観客は、リオグランテの攻勢に期待感を抱いているが、闘いに関して
 ある程度の知識と経験があれば、誰もが賛同する見解。
 しかし――――フェイルには、引っ掛かっている事実があった。

『ある一人の人物の為ですな。その人物が偉大な功績を残す為に、この大会は用意されたのです』

 クラウの言葉。
 あれがクラウだったのか、それすらも怪しい状況ではあったが、その言葉は
 フェイルの中にずっと実体となって漂い続けている。
 ある人物。
 既にその候補は9人に絞られている。
 勝者の7人と、今闘っている2人。
 では、誰が『偉大な功績』を残すに相応しいのか。
 普通に考えれば、デュランダルだ。
 一回戦第一試合、デュランダルとガラディーンが闘い、デュランダルが勝利したという
 事実は、余りにも意味深長。
 しかも、その組み合わせは彼らが進言したもの。
 ならば『仕組まれた闘い』という見方も自然と成り立つ。
 この大会は、『新たな国家の象徴、剣士デュランダルをお披露目する場』――――
 という仮説を立てれば、あの結果も、クラウの言葉も、全てに合点がいく。
 だが、もう一つ有力な仮説がある。
 それは――――
「……あーっ!」
 不意に、フランベルジュの悲鳴のような声があがり、フェイルは思わず身をビクッと震わせる。
 その叫び声の理由は、目の前にあった。






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