「あ、戻って来た」
 トリシュの意味不明な戦いに観客が沸く中、フェイルはようやく自分の席に
 腰を落ち着かせ、一息吐く。
 フランベルジュが首尾を訊ねる中、フェイルは適当に話を濁しつつ、
 アリーナの方に目を向けた。
「これからリオの試合です」
 隣から届くファルシオンの声に、一つ頷く。
【エル・バタラ】1回戦、第8試合。
 勇者リオグランテが、ようやくこの晴れ舞台に登場する。
 対戦相手は、アロンソ=カーライル。
 フェイル達は、その人物と面識がある。
 最初は、【メトロ・ノーム】で協力を要請するという形で知り合った。
 後に、傭兵ギルド【ウォレス】の隊長として再会。
 それが縁だったのか、或いは無関係なのか――――大会直前には、
 リオグランテの師匠となって、直接指導を仰いでいた。
 その一端を、フェイルは耳にしている。
 リオグランテは、明らかに変わっていた。
 尤も、それがどの程度の変化なのかはわからない。
 予選での戦いぶりを見る限り、かなりの進歩を見せているものの、
 この本戦を勝ち上がる程の力はまだまだ身に付けてはいない。
 まして、アロンソはかなりの実力者。
 ラディアンスの情報によると、優勝を予想する者こそいないものの、
 決勝進出を推す声は複数あった。
 その戦闘スタイルは、際立った『正統派』。
 元騎士という事で、傭兵とは一線を画した綺麗な戦い方が特徴だ。
 一方のリオグランテは、身体能力に任せた荒削りな戦いが基本。
 それがアロンソによって、どの程度洗練されているのか――――それがもう直ぐ明るみに出る。
「……勝てると思う?」
 ポツリと、フランベルジュが呟く。
 その表情は、絵に描いたような、複雑なものだった。
 それに対し――――
「勝てると信じましょう」
 ファルシオンは、希望的観測を。
「勝機はあると思う」
 フェイルは楽観的観測を、それぞれ唱える。
 当然、本音を言えば、地力で劣るリオグランテの不利は揺るがない。
 それでも、現実を直視している2人がそう答えるだけの期待感を、
 リオグランテは持っていた。
「幸い、手の内を知ってる同士だからね」
 それを補足するように、フェイルは一つの優位点を提示した。
「でも、それは向こうも同じでしょ? ってか、教えてる分、向こうの方が有利なんじゃない?」
「いや。リオに有利だよ」
 尤もなファルシオンの疑問に、フェイルは断言を返した。
「アロンソは、完成された戦士。リオは未完成の勇者。もし、リオがこの数日、
 そして今この時にも成長しているとすれば……」
 観客が沸く。
 本日最後の試合を行う2人が、アリーナに入場してきたからだ。
「手の内を知っている事は、誤った先入観に繋がる」
 それは、淡い期待と冷静な分析を混合した、フェイルの見解。
 果たして、それが現実となるか――――それは、直ぐに判明する。
 まだ陽は沈みきってはいない。
 どれほど長期戦になっても、夜になるまで長引く事はない。
 この試合が明日へ持ち越される事はない。
 彼の運命は、今日決まる。
【エル・バタラ】の予選突破という実績は、一般的には誇れるもの。
 だが、1回戦敗退となれば、勇者を目指す者の実績としては物足りない。
「リオは、どうして勇者になろうとしてるの?」
 なんとなく、そんな疑問を思い浮かべたフェイルは、誰にともなく
 そんな事を呟いた。
 アリーナでは、本日最後の主役となる2人が、並行しながら中央へと歩を進めている。
 当然、目は合せていない。
「リオは……」
 それに答えたのは、ファルシオンだった。
「リオは、記憶がないんです」
「……記憶?」
 予想していない言葉に、フェイルは思わず視線をファルシオンへと向ける。
 相変わらず、感情の見えない横顔。
 そのままで、ファルシオンの少し薄い唇は、再び動き出した。
「4年前、12歳以前の記憶は、全くないそうです」
「あの子、あんまり実のある話しないでしょ? 過去も語らないし。
 そういう事情があるからなのよ。私達がそれを知ったのも、結構最近なんだけどね」
 フランベルジュの補足通り――――フェイルの記憶にあるリオグランテの会話は、
 その殆どが、その場限りのなんて事ない内容だった。
「12歳の時に、頭の中が赤ん坊みたいな状態で、ある村の広場にいるのを
 発見されて、以降はその村の長老の家で暫くお世話になったようです。
 お世話になったというより、人としての育成を一から受けたと言うべきでしょうか。
 幸い、言葉や常識的な日常行動は直ぐに思い出したようです」
 それは確かに幸いではあるが――――ある程度育った人間が、文字通り
『全て』を忘れた状態というのは、想像を絶するような苦しみが伴う。
 そこそこ力のある身体で、赤子のように泣き叫び、暴れ回る姿は、
 本人だけでなく、周囲にとっても恐怖の一言。
 それが、今では多少変わり者の一般人にまで回復している。
 奇跡的と言っても、決して過言ではない。
「運がよかった、では片付けられない事よね。凄い事よ」
 珍しく、フランベルジュが手放しで褒めた相手は、言うまでもなく
 リオグランテ――――ではなく、彼を育てた長老。
 フェイルも思うところがあり、思わず感嘆の息を吐いた。
「それ以外の事は、私達も断片的にしか教えて貰っていません。
 ただ、勇者を目指している理由は知っています」
 本題に突入したその最中、審判が2人から離れ、戦いの時を迎える。
「あの子は……自分を手に入れたいんです」
「自分を?」
「はい。きっと、育ててくれた方々への恩に報いたい、という思いもあるんでしょう。
 自分が勇者になれば、彼等は勇者を育てた優れた人物として、多くの人から
 褒め称えられる。そういう気持ちもあるとは思います。でも、一番は……
 一刻も早く、自己を形成したい。そう言っていました」
 ファルシオンの言葉に、フェイルは思わず生唾を飲む。
 自己形成。
 勇者になる事が、それを達成する――――かどうかは、定かではない。
 ただ、立場が人を作るというのは確か。
 フェイルもそうだった。
 宮廷弓兵団、最年少の弓兵と呼ばれた時代は、周囲の目だけでなく、
 自分自身もそれに抗うべく、何処か斜に構えていた。
 今、【メトロ・ノーム】で管理人をしているアルマにしても、そう。
 立場は確実に、人格形成の一端を担っている。
 ただ、リオグランテのその目的が、フェイルの想像するものと同じとは限らない。
 4年間の記憶しかない少年。
 そんな彼が勇者を求めるのは、或いは――――
「自信が欲しいのよ」
 ボソッと、フランベルジュが呟く。
 それは、フェイルの結論と合致した。
「実績が欲しいのは、私もそう。でも、私の欲しい自信と、あの子の欲しい自信は違う。
 あの子は、自分がこの世界に生きている、他の人達と同じように生きている……
 そんな誰でも持ってる自信が欲しい」
「勇者となって、沢山の人に一目置かれる事で、初めて自分が世界の一員となれる……
 その勇気が湧いてくる気がすると、そう言っていました」
「双方、礼を」
 ファルシオンのその言葉と同時に、これから試合をする2人が目を合せ、頭を下げる。
 中段に構えるリオグランテの表情は険しい。
 普段の彼とは全く違う、戦う男の顔。
 もし、この事実を知らなければ、鷹の目に映るその顔を、フェイルはそう解釈していただろう。
 一つの大会をきっかけに、或いは一人の異性との出会いをきっかけに、
 少年が一皮剥けた――――と。
 だが、今は違う。
 それは、切羽詰まった人間のただ必死な顔。
 例えるなら、崖から転落しそうになり、死に物狂いで足場にしがみついている人間。
 今のリオグランテは、そんな危機感を表に出している。
 大会が始まる寸前までは、決して外には出さなかったが、彼には彼の
 壮絶な戦いがずっと続いていた。
 フェイルは以前、スコールズ家で訓練するリオグランテの『異変』に遭遇した時、
 やや楽観的な観測に終始した。
 それは、誤りだった。
「……マズいね」
 思わず、フェイルはそんな言葉を漏らす。
 それを隣で聞いていたフランベルジュが、怪訝そうに眉をひそめた。
「マズいって、何が?」
「さっき僕が言った優位点は、あくまでも『これまでの』リオだから、あり得る事なんだ。
 危機感をもって、必死になっているリオは……」
「始め!」
 その瞬間、試合開始の合図が審判の口から発せられ――――
「アロンソの想定に収まりかねない」
 同時に、リオグランテが大きな雄叫びと共に、アロンソへと飛び込む!
 奇襲。
 本人にとってはそのつもりはなくとも、明らかに常道とは異なる動き。
 だが、直線的。
 速度はかなりのものだが、それさえ最初から知っていれば、対応は――――
「あっ!」
 フランベルジュが思わず叫ぶ。
 ファルシオンが思わず息を呑む。
 その刹那。
 アロンソの木剣による突きが、突進してくるリオグランテの頭部を捉えた。







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