大番狂わせに観客席が湧く中、フェイルはというと。
「……っと」
 ファルシオンの生み出した風によって、空中へと舞い――――
 どうにか闘技場外壁の縁へと着地に成功した。
 安堵の息を吐きつつ、下で待つファルシオンに親指を立て、無事をアピール。
 無表情ながら、明らかに胸を撫で下ろしているファルシオンに感謝をしながら、
 左目を閉じ、闘技場外部の景色に目を向ける。
 この闘技場の周辺には、それほど複雑に入り組んだ道はない。
 人捜しをする上では、比較的やりやすい環境といえる。
 とはいえ、その範囲は余りに広大。
 俯瞰で見るとはいえ、建物などの死角になっている部分は当然、見る事はできない。
 それでも、フェイルは外壁の頂上を歩きながら、注意深く観察を続ける。
 ファルシオンのお陰で、焦りはかなり消えていた。
 しかし、完全とはいえない。
 焦る理由は、単にガラディーンが行方不明になったから――――というだけではないからだ。
 その『可能性』を、フェイルは極度に恐れていた。
 尤も、それは杞憂に終わる可能性が高いという思いもある。
 だから、極力それを思い浮かべる事はせず、事実のみに目を向ける。
 闘技場の周囲は、観戦客目当ての出店や露天商が数多く構えており、
 それに群がる人々が多く闊歩している為、その全てを確認しながら歩くというのは、
 相当神経を磨り減らす。
 だが、それだけ集中していても、見つからない。
 円形闘技場の外壁の半分まで歩いた時点で、ガラディーンらしき人物も、
 カラドボルグらしき人物も、発見する事はできなかった。
 いよいよ、手詰まりの可能性が濃厚になって来る中、それでもフェイルは歩き続ける。
 探し続ける。
 その右目に、希望を宿して。
 視界は時折ぼやけ、稀に滲むようになり、その都度極度の疲労感に襲われる。
 もう、何度も経験している感覚。
 それは――――フェイルがこの街に薬草店を構えてから、ずっと起こっている事。
 ここ最近は、その頻度がかなり増して来た。
 だが、それは覚悟している事。
『真実を知った』フェイルにとっては、予想の範疇だった。
 だから、願いは一つ。
「……頼む。もう少し、もってくれ」
 誰もいないその場で、思わず呟いたその懇願は、やはり誰にも聞かれる事はなく、
 風に乗って霧散する。
 意味はない。
 意図もない。
 ただ、そう願うだけ。
 それはやはり――――届く事はなかった。
 一周し、ファルシオンの待つ真上に再び戻ってきたものの、収穫はなし。
 結局、ガラディーンを見つける事はできなかった。
「……」
 思わず膝に手を置き、項垂れる。

「落ち込む事はありませんな」

 それは――――余りにも唐突だった。
 そして、余りにも不適当な声だった。
 音もなく。
 気配もなく。

 フェイルの直ぐ背後。
 そこに音も気配も、そして生気すらなく、クラウ=ソラスは在た。

 まるで背後霊であるかの如く。
 その背に、鎌のような形の得物を背負って。
「……!」
 一瞬の状況判断。
 フェイルは、瞬間的にその場から跳び、クラウから距離を取る。
 足場である外壁の頂上は、人が5人は並べる幅。
 それでも、反射的に動けば、そこから落ちるリスクはある。
 だが、フェイルは迷いなく、その行動を選択した。
 そうさせる何かが、クラウにはあった。
 だが――――その表情は、危機感など感じさせる事は一切ないほど、
 穏やかそのもの。
 フェイルの脳裏に、闘技場内の一室で見た血溜まりが浮かぶ。
 彼も、探している人物の一人。
 だが、発見した事の達成感など、ここで生まれる筈もなく――――
 険しい顔で睨む。
「どうしてここに……なんて聞くのも躊躇うくらい、不躾だよね」
「流石は、私が認めた人間。この状況でそれだけの冷静さを保てる者は
 限られますからな。やはり貴公は素晴らしい」
 場違いな褒め言葉に、フェイルは更に顔を歪ませる。
「目的は? そもそも、アンタはもう直ぐ試合あるでしょ。こんなトコにいていいの?」
「無論、構いませんな。既に参加する意義はありませんので」
「……どうして?」
「組織都合、といったところですな。敢えて潰し合う必要はないもので。
 さて、それよりも……目的という事でしたな。お答えしましょう」
 クラウはまるで、そこが草原の中心であるかのように、ドッカリと腰を下ろし、
 小さく破顔する。
 不意に、下の方から大きな声援が湧いた。
 次の試合が始まるようだ。
「確か、次はラファイエットの大隊長の出番でしたか。中々の人気者ですな」
「今はそんな話を……」
「この試合は、彼が勝利します」
 特に何の脈絡もなく、クラウが断言する。
「妥当だと思うけど」
「次はハイト=トマーシュ。彼の対戦相手は私なので、不戦勝ですな。
 その次はケープレル=トゥーレという人物が勝利します。
 更に、その次の試合はトリシュ=ラブラドールが二回戦へ勝ち進みます」
 その断言口調は変わらないまま――――次々と勝者の名前が告げられていった。
「……それは、予想?」
「そう思いますかな?」
 疑問に疑問を返され、フェイルは奥歯を噛み締める。
 だが、ここでそれを非難する事に意味はない。
 いずれにしても、主導権はクラウにある。
 武器を持たないフェイルに、この場で抵抗する術は何一つないのだから。
「予想じゃない、って事だよね。その物言いは」
「当然、そうなりますな。そもそも、私は勝者を予想するほど、この大会に
 関心を示した覚えもありませぬ故」
 ならば、答えは一つ。
 つまり――――
「この大会は、勝者が決まっている大会……そう言いたいの?」
 その言葉をフェイルが告げ終えるのと同時に、突風が闘技場に吹き付ける。
 フェイルは思わず身を屈め、どうにかバランスを保った。
 それに微かな安堵を覚えたのも、束の間――――
「……!?」
 一瞬だけズレた視界を戻したその先に、人の姿がない。
 あるのは、城壁頂上の足場のみ。
 フェイルの身体から、冷たい汗が噴き出る。
 クラウ=ソラスは――――
「御名答」
 フェイルの真後ろから、再び声を発した。
 フェイルは振り向かない。
 振り向けない。
 そこには、恐怖があった。
 久しく味わっていなかった、凍てつくような恐怖。
 心臓が高鳴る。
 呼吸が乱れる。
 その一方で、神経は凄まじく鋭敏になっている。
 風の感触がわかる程に。
「随分と、豪華な顔ぶれになったものですが、それには訳がある」
 声は、新たな言葉を紡ぐ。
 フェイルは振り向くことなく、それを聞き続けた。
 振り向かせない恐怖が、そこには在った。
「ある一人の人物の為ですな。その人物が偉大な功績を残す為に、この大会は用意されたのです。
 いや、元々あった大会ですので、舞台に選ばれたと言うべきでしょうな」
 声すら出せない。
 口の中が異様に乾いていくのを感じながら、鋭敏になった聴覚で、話の続きが吸収されていく。
「私は、予定調和を好まない。だから貴公と初めて会った夜は、実に有意義でした。
 あの時の事は、未だに覚えております。あれはいい夜だった」
 それは決して、感情豊かとは言い難い声。
 しかし確かに、クラウのその声は何処か、揺れていた。
「これは、その時のお礼と思って頂いて構いませんが……確か貴公には、
 もう一つ借りがありましたな。愚弟の事で」
 或いは、風が運んだ声だったのか――――
「では、もう一つ。この街では今、6つの勢力が複雑に絡み合っております。
 そして極めて近い未来、その絡み合った糸が解れ、堰き止めてられていた水が
 突然、濁流となって襲いかかってくるでしょう。貴公には是非とも、逃れて頂きたい。
 これは忠告というより、お願いですな」
 その言葉を最後に、声は止み、フェイルがゆっくりと振り向いたその先には
 やはり人の姿はなく、今度は背後にも、別の足場にもクラウの影も形も見当たらなかった。
「……」
 フェイルは、額を拭う。
 その手に、汗は一滴も付着していない。
 血の気だけでなく、汗まで一気に引いてしまった。
 何故、クラウがこんな場所にいたのか。
 そして、何処へ消えてしまったのか。
 そもそも、ここにクラウが存在したのか――――
「フェイルさん! どうでしたか?」
 痺れを切らしたように、珍しく声を張って聞いてくるファルシオンに、
 フェイルは視線を向ける。
「今、ここに……」 
 だが、そこまで出かかったその言葉を最後まで紡ぐ事はなく。
「……いや。いなかったよ」
 それだけを伝え、下りる方法を考えていなかった事を思い出し、後頭部をポリポリと掻いた。

 


 四試合目を数える、【エル・バタラ】決勝、一回戦。
 その中で、最も力の差を感じさせる試合となったのが、この第四試合となった。
「ち……畜生……」
 アドゥリスの顔が、鮮血に染まっていく。
 既に、その下半身は動かない。
 衝撃により、一時的に麻痺している。
 バルムンクの容赦のない一撃によって。
「何故、参加した?」
 木剣を肩に担ぎながら、バルムンクは哀れな元部下を睨む。
 そこに、同情の色は全くない。
「テメェなんぞが勝ち残れる大会じゃねえ。わかってるだろ?
 わざわざ負け戦に挑むように教えたつもりはねぇぞ?」
「うるせぇ! テメーにそんなコト言われる筋合いはねーんだよ!
 クソが! クソがクソがクソが! どいつもコイツもクソばっかだ!
 この世はクソだらけだ!」
 そんな状態でも、アドゥリスは吠える。
 無様に吠え続ける。
 その姿に、バルムンクは――――
「……下らねぇ演技しやがって」
 担いだ木剣を一閃。
 頭にそれを受けたアドゥリスは、次の瞬間、言葉を失った。
「ま、人のコトは言えたもんじゃねぇが……せいぜい、亡霊のゴキゲンでも取ってな。
 今のテメェには、それがお似合いだ。アドゥリス」
 既に意識のない敗者を見る目に、感情が宿る。
 やはり、同情ではない。
 単なる憐れみだった。

【エル・バタラ】決勝一回戦、第四試合。
 勝者、バルムンク=キュピリエ。






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