アリーナで盛り上がる【エル・バタラ】本戦を余所に、フェイルはひたすら
 闘技場内を奔走していた。
 しかし、見つからない。
 案外、しれっと観客席に座って観戦しているという可能性も、あの剣聖の性格なら
 あり得ない事ではない――――が、何しろ、あれだけの有名人。
 普通に考えて、それは難しい。
 まして、安静にしておかなければならない身。
 しかも、医師であるカラドボルグの姿もない。
 フェイルの中に焦燥が生まれるのは、当然だった。
 息が切れるのが、いつもより早い。
 動揺は明らか。
 それも、無理のない事。
 フェイルにとって、剣聖ガラディーンの存在は、決して小さくはなかった。
 デュランダルに師事し、厳しくも楽しい時間を過ごした王宮時代。
 そこには、気高き女剣士がいた。
 心優しい盲目の女の子がいた。
 器の大きな宮廷弓兵団隊長がいた。
 気のいい団員達がいた。
 全て、大切な人達。
 そして、ガラディーンもまた、その中の一人。
 この国でも最大級の力を持ちながら、気さくに、そして温かく接してくれた
 誰よりも懐の深い、尊敬すべき人物。
 もし、彼に何かあれば、国民は『剣聖』の有事を心配し、嘆くだろう。
 だがフェイルにとっては、そんな事はどうだっていい。
 ガラディーン=ヴォルスの不在こそが、懸念すべき事項だった。
「……」
 だが、これ程の広さ、これ程の人数の中から、特定の人物を探すのは困難。
 それは、デュランダルを探す際に嫌という程実感した。
 何より、既にこの闘技場にいる可能性は低い。
 騒ぎになっていないのが、何よりの証拠だ。
 となれば――――闘技場の外を探さなければならない。
 最も効率よく、最も高い可能性をもって探す為には――――
「……やるしかない、か」
 意を決し、闘技場の最も高い場所、外壁の縁を睨む。
 そこから、鷹の目を使って闘技場の周囲を見渡す。
 それが一番、そして唯一の可能性と言ってもいい。
 ただし、そこへ上る為の階段は存在しない。
 足場となる段差はあるものの、登る為の物ではなく、只の装飾として
 作られている段差なので、容易には登れない。
 当然、ロープ等を引っかけられるような場所もない。
 方法は一つ。
 自力でよじ登るしかない。
 観客席の最上部へ移動したフェイルは、両手をプラプラさせて
 一旦脱力した後、外壁の内側、積み上げられた乳白色の石壁に手を掛ける。
 基本的には、石を積み重ねて作られた壁なので、美しく形成されてはいるものの、
 近くで見ると継ぎ目は見える。
 その継ぎ目や僅かな石の凹凸に、指先を詰め込んだり掴んだりして、
 強引に身体を――――
「……っ」
 押し上げようとしたものの、上手く行かずに落ちる。
 殆どの観客は、アリーナ側に意識がいっているので、一見奇行にも見える
 フェイルの行動を咎める者はいない。
 そんな中、フェイルはもう一度試すべく、指を石壁の継ぎ目に入れる。
 指――――というより、実際には爪くらいしか入らない。
 それでも、フェイルは登ろうと試みる。
「!」
 不意に、その指が滑り、落下。
 吹き出す汗で、上手く掴みきれなかった。
 幸か不幸か、殆ど登り切れていなかったので、着地の際の衝撃は然程ない。
 だが、このままでは埒があかない。
 しかし、これ以外に方法はない。
 ならば、やるしかない――――
「……何をしているんですか?」
 焦るフェイルに、そんな声が掛かったのは、四度目の試行に失敗した直後だった。
「ファル。ガラディーンさんは……」
「……」
 額や頬に汗を滲ませたファルシオンが、首を左右に振る。
「先程確認しましたが、フランもまだ発見できていません」
「そっか。それじゃ、二人は一旦自分の席に戻って。
 ありがとう。お陰で、ここにはもういないって確信が持てた」
「闘技場の外を探すんですね?」
 フェイルの言動を考慮し、ファルシオンは即座にその行動を理解した。
 既に【メトロ・ノーム】で鷹の目の事は話し、実践もしている。
 そこに結び付けるのは必然だった。
「でも、ここを登るのは、現実的とは……」
「わかってる。でも急がないと、発見できる可能性は減っていくんだ」
 そんなフェイルの答えと表情は、冷静さを欠くものだった。
 ファルシオンは少しの間沈黙し、僅かに首を傾ける。
「意外、というのは失礼ですが、フェイルさんは時折、視界が狭くなりますね」
「それは……」
 決して間違いではない事を察しつつも、フェイルは言葉に詰まる。
 その姿に、ファルシオンの眼差しが深く、けれど柔らかく揺れた。
「【メトロ・ノーム】の時と同じように、私が風を起こして、上空へ飛ばします。
 危険はありますが、この方が現実的でしょう」
「……あ」
 明らかに、ファルシオンが来る前に想起できる手段。
 フェイルは、自分が焦っている事を自覚せざるを得ず、思わず前髪を掻き毟った。
「ありがとう。頼むよ」
「フェイルさん」
 そんな薬草士の青年を、ファルシオンは大きな瞳で見つめる。
 そして――――その両頬を、両手で叩いた。
「……え?」
『叩く』とはいっても、撫でるより少し強い程度の力。
 それでも、フェイルは驚きを隠せなかった。
 ファルシオンという人物像の中に、この行動は一切ない。
「状況は特殊ですが、深刻ではありません。少なくとも、悲観的になる必要はありません。
 焦る気持ちを抑えて下さい」
 それは――――風を起こした後のフェイルを心配しての発言だった。
 外壁の縁は、決して狭くはないが、もし外側に足を踏み外せば、闘技場の最上部から
 地面へと転落してしまう。
 当然、命はない。
 平常心をなくしたままでは、その恐れもある。
 フェイルは驚きで少し柔らかくなったその顔を、自分でも二度、叩いた。
「……ありがとう。もう大丈夫」
 その手が顔から離れる頃には、フェイルの目は鋭さを帯びていた。
 刹那。
 観客から、大きな声があがる。
 2人が同時に振り向くと、アリーナでは派手な魔術合戦が繰り広げられていた。

 


 クレウス=ガンソ。
 優勝と予想する者もいるほど、前評判の高い魔術士だ。
 元々、一対一の武術大会は、魔術士にとっては絶望的といえる程に不利な形式。
 だが、それでも彼が高い評価を得ている理由は、オートルーリングにある。
 魔術を使用する際に必要なルーリングを、短縮、自動化できるこの技術によって、
 魔術の発現が非常に素早く、確実に行えるようになった事が、魔術士の
 一対一の戦いを大きく有利な方向へ導いた。
 宮廷魔術士として活躍するその実績も、十分。
 だからこそ、この戦いは殆どの観客が、圧倒的に彼が有利と見ていた。
 一方――――ヴァール=トイズトイズ。
 女性が勝ち名乗りを受ける事自体、滅多にない本大会において、
 魔術士であるヴァールが勝利する可能性は、余り論じられていない。
 更に、彼女は『アンチ・オートルーリング』。
 オートルーリングを使用する事を拒み、その存在を拒絶している事は
 クレウス自身の口からも語られていた。
 技、格、姿勢、全てにおいて、クレウス有利の見解は揺るぎないものだった。
 その筈だった。
 が――――
「……このアマぁ」
 ここまでの試合展開は、互角。
 寧ろ、疲労しているのはクレウスの方だった。
 頬から滴る汗を親指で弾き、その表情を険しく、より険しく変えていく。
 それを睨むヴァールの顔は、反比例するかのように、次第に凍っていく。
 その周囲には、まるで砂嵐のような結界が張られていた。
【繊塵結界】。
 特に、光状の魔術に対して高い防御効果を持つ結界だ。
 当然、クレウスはそれ以外の魔術で突破を狙う。
 魔術士同士の戦いは、結界を透過させる事ができれば、その時点で決着と
 言ってもいい。
 しかし――――既に赤青黄緑、全ての属性の魔術を使用しているにも拘わらず、
 ヴァールは傷一つ負っていない。
 それでも、クレウスに焦りの色はないが、明らかに怒っていた。
「知らねーぞ……なんだ、その結界は」
 クレウスは苛立ちを隠さず、再び魔術を綴る。
 しかし、出力された【炎の閃爍】はやはり、結界によってかき消された。
「チッ! またか!」
 様々な魔術を試すも、その全てが消える。
 あらゆる魔術に効果のある結界など、この世には殆ど存在しない。
 しかし、その可能性を秘めた結界が今、ここに出現している。 
「……オートルーリング等という、魔術士を堕落させる技術に溺れる者」
 クレウスが眉間に皺を寄せる中、ヴァールは一人、うわ言のように呟いていた。
「スティレット様に無礼な口を利く、救い難き者」
 それは、呪文。
 呪いの文言。
「この私が全て排除する」
 まるで感情の籠らないその声は、誰の耳に届く事もなく、宙に放たれ続ける。
 それは決して合図でもなければ、必要な作業でもない。
 ただの、独り言。
 それが、まるでこの空間を闇に覆い尽くすかのように、延々と紡がれ続ける。
 そんなヴァールの姿を、クレウスは頬を引きつらせながら睨み付けていた。
「見直したぜ。中々、フザけた結界を持ってるじゃねーか。上等。こっちも本気だ。
 その結界を消し飛ばしてやるか」
「無駄だ」
「そうか?」
 クレウスは歯軋りをしながら、口角を上げた。
 同時に――――ルーンを綴る。
 オートルーリングによる編綴なので、僅か2文字。
 そこから自動的に、ルーンが次々に連なっていく。
 25文字にも達したその魔術は、強力な破壊力と持続力を持った赤魔術【炎帝海】。
 使用者の周囲の地面が炎の海と化し、そこから幾度も波が押し寄せるように
 炎の衝撃波が敵目掛けて襲いかかる、上級魔術だ。
 一度綴れば、その攻撃は何度も何度も勝手に続けられる。
 結界を破壊する魔術としては、最適と言えるだろう。
「これでも、その上品な口で無駄と言えっか?」
 当然、自信に満ちた声で言い放つクレウスに対し――――
「無駄だ」
 ヴァールは、至って冷静に、或いは冷酷に、そう繰り返した。
 そしてその意図は、直ぐに判明する。
「いいじゃねーか。なら、勝負だ。お前の結界と、オレ様のこの魔術……」
 言葉の途中で、クレウスが絶句する。
 その目に映るのは、異常な光景だった。
 ヴァールの周囲にあった筈の結界が、いつの間にか、その範囲を広げている。
 そしてそれは、クレウスの周囲にまで及んでいた。
 それだけではない。
 クレウスの編綴した【炎帝海】が、みるみる内に消失していく。
 塵が舞う中、クレウスは悟る。
 この結界の持つ、本来の意味。
 本来の効力を。
「……まさか」
 歯軋りすらできず、震える声で呟くクレウスに、ヴァールは答えない。
 答えすら与えない。
 あの食事処【ケアプロベッチェ】での一幕とは、正反対の結果となった。
「腰抜けが」
 最後に、その時と同じ科白を吐き、ヴァールは結界を消す。
 そして同時に、攻撃魔術を綴った。
 その魔術が何なのか、どういった威力で、どんな範囲で、どのような形状なのか。
 クレウスは、それを分析する事すら、放棄した。
 それは、どんな言葉よりも雄弁な、敗北宣言だった――――





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