騎士。
 それは元々、騎馬に跨がって戦場を駆け回る戦士に対して送られる、
 いわば名誉とも言うべき称号だった。
 ただ、馬術自体、ある程度の財力がなければ身に付ける事が出来ない技術という事も
 あり、騎兵はすなわち、貴族、若しくは上流階級のみが就ける職であった事から、
 その称号はすなわち、富裕層に特化した名誉でもあった。
 その後、騎士という称号は形骸化し、必ずしも騎兵である必要はなくなり、
 王家をはじめとした、富裕層の出身の戦士の総称となり――――
 現代における『階級』を示すものとなった。
 近年においては、必ずしも騎士が富裕層の出身であるとも限らない。
 その戦績、素質が認められれば、騎士として宮仕えする事も可能。
 実際、そういう騎士も近年は増加傾向にある。
 だが、そんな時代の流れとも言うべき変遷を、良しとしない風潮も存在する。
 その勢力の中心は、名家の者達。
 彼等にとっては、自分達の居心地の良い場所を、下賤な者達に
 蹂躙されているような心持ちという訳だ。
 では――――彼等にとっての『騎士』とは一体、何なのか。
 今や、武に与する事すら、その言葉の意味には含まれていないのかもしれない。
 その地位を与えられれば、何不自由ない暮らしが出来る。
 その地位に居続ければ、それだけで周囲から持て囃される。
 チヤホヤされる。
 楽しい。
 嬉しい。
 それが、彼等の存在証明だった。
 年々軽々しくなっていく『騎士』という言葉。
 しかし、それを危惧する者も少なくない。
 そして、このアリーナに現れた両名――――エスピンドラ=クロウズと
 カバジェロ=トマーシュの間には、奇しくもそこに共通項があった。
「騎士という存在が、この世に生まれ、早幾年……」
 歩きながら、カバジェロが呟く。
「騎士とは斯くあるべき、自分は斯くあるべき……そんな追求は今や、
 時代遅れなのか」
 或いは、自分自身に。
 或いは――――目の前の背中に。
 カバジェロは、呟き続ける。
「そんな葛藤すらも、この時代には許されないのか。騎士は最早、存在でしか
 ないのか。その答えは……果たして、ここにあるのか」
 二人の道が、分かれる。
 決して遠くない距離ながら。
「……」
 エスピンドラは答えない。
 しかし、応える。
 カバジェロと対峙した瞬間、エスピンドラは全身を張り詰め、
 革鎧が包むその胸に拳を乗せた。
 その顔に、身体に、そして姿勢に、一点の緩みなし。
「これより、一回戦第二試合を開始する。はじめっ!」
 その審判の号令と同時に、エスピンドラはこの上なく美しい所作で
 深々と一礼した。
 同時に、全く同じ角度で、カバジェロも頭を垂れる。
 たかが挨拶。
 たかが儀礼。
 それが――――第一試合で生まれた、余りにも大きな反響と、その反動で
 緩みきった観客席の空気を一変させた。
「では……参る」
 同じ道を歩む者。
 カバジェロの顔は、何処か福音を感じさせた。

 


「さて……と」
 試合が開始して間もなく、フェイルは腰を上げた。
 その動作に、両隣の二人が視線を向ける。
「何? また何処か行くの?」
「ちょっとね。お客さんを開拓しに」
 そんなフェイルの言葉に、フランベルジュは半眼で溜息を吐いた。
「ま、試合より商売の方が大事よね、薬草店の店主としては。
 だったら、なんで戻ってきたのって話だけど」
「私達に心配をかけない為ですよ」
「……ふーん」
 ファルシオンの補足に、フランベルジュの瞼が少し上がる。
 それを苦笑しながら眺めていたフェイルは、ヒラヒラと手を振って
 二人から再度離れた。
 当然――――目的は、顧客開拓ではない。
 他にする事がある。
 それは、デルからの依頼にも直結する事。
 有り体に言えば、人捜しだ。
 観客の視線がアリーナに集中する中、フェイルは観客席の通路を
 どんどん昇り、最も高い位置にまで上がって、闘技場全体を見下ろした。
 そして、左目を瞑る。
 その右目は、一瞬ぼやけ、殆ど何も映さなかったが――――
 徐々に視力を取り戻し、普段より鮮明な景色を映し出す。
 少しだけ息を吐き、フェイルは捜索を始めた。
「……」
 数多の人が犇めく観客席の、一人一人の顔を確認するのは、
 とてつもなく面倒臭い作業。
 精密な分析は必要ないものの、みるみる内に精神力が消耗されて行く。
 その間にも、アリーナでは二人の『騎士』が、熱い戦いを繰り広げていた。
 カバジェロの攻めを、エスピンドラが捌くという、予想通りの展開。
 かつて、カバジェロと一戦を交えたフェイルは、その力量をある程度
 把握している。
 だが、今日のカバジェロは、その時より明らかに強かった。
 何より、生き生きと戦っている。
 今日、この日が訪れる事を待っていたと言わんばかりに。
 そこには、以前メトロ・ノームで見た、深い影をまとった人物はいない。
 やはり、光の当たる場所こそ、彼には相応しい――――そう思いながら、
 休憩を終え、探索を再開する。
 対象は『どちらも』目立つ人間。
 そして、両者とも顔見知り。
 探す上で、さほど不都合はない。
 
「試合の最中、或いは試合の直前、直後……休憩中の可能性もありますな。
 何時如何なる時であっても、この身が狙われている事を想定しなくてはならない。
 気を抜けば、毒を塗った矢がこの身体を蝕む事になる……そう言う、緊張感に
 包まれた一日を想定しておりましたが」
 
 その中の一人は、以前そんな事を言っていた。
 ある意味、この瞬間は、その状況下にあるのかもしれない。
 緊張感が生じる事もない、そういう状態なのかもしれない。
 いずれにせよ、フェイルの心境は複雑だった。
 
「おーーーーーーーーーーーっ!」

 不意に、観客が沸く。
 カバジェロの木剣が、エスピンドラの頬を掠めていた。
 優勝候補にも挙げられ、守備を専門とする男が、微かとは言え流血を許すという事態が
 引き起こしたその盛り上がりは、更に加速する。
 そのうねりのような歓声を、フェイルは不思議な気分で聞いていた。

 かつて――――自分も、そんな声を浴びていた事に。

「……!」
 そんな回想が吉と出たのか。
 微かに、鷹の目が目的の一人を捉える。
 観客席ではなく、闘技場内へ続く通路の入り口。
 既に背を向けているその人物の元へ向けて、フェイルは全力で駆け出した。
 聞きたい事は、沢山ある。
 言いたい事も。
 だが、何より優先すべきは、一つ。
 その一つを胸に、闘技場内へ入り、通路を直走る。

 体力を付けろ。
 下半身を強化しろ。
 それが、強くなる為の条件だ。

 そう言って、誰より走らせた本人の元へ。
 息を切らしながら、フェイルは全力疾走を続けた。
「はっ……はっ……」
 だが、見つからない。
 先程見かけた通路前にも、そこへ至る道にも、その姿はなかった。
 焦る気持ちを抑えながら、引き返す。
 今度は、考えながら。
 あの人なら、この後何処へ向かうのか――――そんな想像をしながら。
 フェイルの身体は、闘技場の外へと向いていた。
 そして――――

「師匠!」

 闘技場、入り口から出て直ぐの道の上に、その人物はいた。
 明らかに通常より巨大な体格の馬と、装飾豊かな馬車を目の前にして。
 当然だった。
 王宮騎士団【銀朱】の副師団長が、歩いて宿へ戻る筈がない。
「……」
 デュランダルは振り返る事なく、立ち止まった。
 その様子に、フェイルは確信する。
 質問できるのは、一つだけ。
 今のデュランダルに、過去と向き合う時間はそのくらいしか
 残されていない事を感じ取った。

 ならば、何を――――?

 クラウの事。
 指定有害人種の事。
 これから起こる事。
 聞くべき事は、山ほどある。
 言いたい事は、幾らでもある。
 フェイルはその中から――――
「ガラディーンさん……命に別状はなかった」
 質問ですらない、そんな報告を選択した。
「剣聖の称号と師団長の地位を返還するって」
 それは決して、いじらしい行為ではない。
 フェイルは、甘える事が出来なかった。
 足を止めたデュランダルの厚意に。
 甘え方を――――知らなかった。
「……お前は、もっと利己的に生きるべきだったな」
 そんなフェイルに、デュランダルは憐れみを向ける。
 表情こそ見えはしなかったが、その声は、フェイルが王宮から
 去る時の声と、全く同じだった。
 そしてそのまま、高級馬車へと乗り込む。
 フェイルは、その姿を眺めながら、以前言われた事を思い出していた。

「ならば見届けろ。これから起こる事、総てを」

 けれど――――去り行く馬車を追い続けるその視界に、
 何かを見出すというのは、余りに困難。
 余りに、酷だった。

 


 再び闘技場内へ入ったフェイルの耳に、大きな歓声が飛び込んでくる。
 それは、第二試合の終了を意味していた。
 その結果を見届ける為、駆け足で観客席へと向かう。
 すると――――その途中、ハルが血相を変えて走ってくる姿が
 目に飛び込んできた。
「どうしたの。何かあったの?」
 そう問い掛けるフェイルにすれ違いざま目もくれず、走り去って行く。
 今まで見た事もないような顔だった。
「……?」
 その後ろ姿を、眉をひそめながら眺めていると――――いきなり立ち止まり、
 反転して再びフェイルの方向へ恐ろしいまでの形相で駆けて来た。
「な、何なんだよ」
「フェイル! 親父……親父を見なかったか!?」
「親父? 親父さんが来てるの? 観光?」
「違ーよ! あーっ、もうアレだ! アレ!」
 ハルは支離滅裂とした物言いで、宙をもがくようにして混乱を露わにしていた。
「兎に角、落ち着いて。どうしたの一体」
「俺の親父がいなくなったんだよ!」
 必死の形相で、叫ぶ。
 その様子に、フェイルは驚く反面、納得もしていた。
 父親の事を大事にしそうな男だと。
「わかった、一緒に探すよ。取り敢えず、外見的特徴を……」
「お前も知ってる人だ!」
「え? でも、ハルの親族と会った事なんて……」
「剣聖なんだよ!」
 喚くように告げられたその言葉を、フェイルは一瞬理解できなかった。
 剣聖。
 その称号を持つ者は、この国に一人だけ――――
「俺の親父の、ガラディーン=ヴォルスがいなくなっちまったんだよ!」
 そう。
 その人だけだった。






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