目に見えて、日の角度が変わったとわかる、そんな長時間の試合が終わり――――
 観客席には、ただならぬ緊張感が漂っていた。
 決して、その一部始終を理解できるという戦いではない。
 大半の観客は、アリーナで戦っていた二人が何をしていたのかすら
 把握できないまま、ただ漫然と眺めてた。
 それでも、その試合が、二度と見る事の出来ない、凄まじいものである
 という事は、誰もが実感していた。
 自身が歴史の証人となった事も。
 剣聖ガラディーンの敗北という、これまで誰も目撃する事のなかった事象が
 自分の目の前で起こった事に、『これを見てしまって良いのか?』という
 困惑すら浮かべている。
 それ程に、この結末は壮絶だった。
 勝利したデュランダルの身体には、幾つかの傷が刻まれたが、いずれも
 今後の戦いに支障を来すものではない。
 つまりは――――圧勝。
 一撃で仕留めた最後の攻撃に至っては、誰も見えなかったが、誰もが
 そこに確信を得た。
 あの瞬間こそ、歴史が変わった――――歴史が塗り替えられた瞬間だと。
 ただ、余りに圧倒されると、人は歓喜に酔えない。
 まるで恐怖にも似た感情が生まれる。
 まさに今、観客の殆どは、そんな心境だった。
「……」
 そんな中で、数少ない別の感情をもってその一幕を見届けたフェイルは、
 ハルに視線を向ける。
 ハルは、驚くでもなく、圧倒されるでもなく――――何処か悲しげに、
 或いは寂しげに、アリーナの光景を眺めていた。
 ガラディーンの元に、数人のスタッフが駆けよるその姿を。
 その様子に、周囲の空気も更に張り詰めたものになる。
 フェイルも、徐々に動悸が激しくなるのを自覚した。
 もし。
 もしも、このまま二度と立ち上がる事がない、という事態になれば。
 それは、歴史の変動どころか、国民にとって、エチェベリアにとって
 最悪の日となる。
 そんな事になれば、場合によっては、デ・ラ・ペーニャをはじめとした周囲の国が
 侵略を企てる可能性すらあるだろう。
 銀朱の師団長、そして剣聖がいなければ、この地を奪える――――
 そう思われてしまう程、ガラディーンの存在は巨大だ。
 それだけに、その存在を失うという事は、この国にとって
 大きな、大きな損失となる。
「……あ」
 そんな多くの懸念は、ゆっくりと立ち上がる歴戦の覇者の姿によって
 一気にかき消された。
 観客は皆、一様に安堵の息を吐く。
 まだ出血の続く頭部を、スタッフの用意したリンネルの布地で抑えながら、
 ガラディーンはゆっくりとデュランダルへ歩み寄る。
 そして――――その右手を掴み、やや強引に観衆へ向けて掲げた。
 彼こそが、これからのエチェベリアを背負う国内最高の騎士である、と。
 剣聖がそれを、公式に認めた瞬間だった。
「う……うおおおおおおおおおおおおおおおおおーーーーっ!」
「ガラディーン様! デュランダル様!」
「王宮騎士団、万歳! 銀朱、万歳!」
 地鳴りのような歓声と、引き裂くような拍手。
 それは竜巻のように、闘技場内を渦巻き、いつまでも鳴り響き続けた。

 


「……で、第二試合の予定が大幅にずれ込んだ、と」
 あれから、一時間後。
 未だに興奮が覚めやらぬ闘技場では、余りに雰囲気が異様な事もあり、
 暫しの冷却期間が宛がわれている。
 そんな中、フェイルはハルと共に、救護室を訪れ、ガラディーンの
 治療を行っていた。
 通常、関係者以外は立ち入り禁止の救護室だが、薬草士である事、
 何よりガラディーンの知人である事が加味され、入室を許されていた。
「ったく……こんな怪我してて、良く立ち上がれるもんですね。
 逆に呆れますよ」
 実際――――ガラディーンの負傷は深刻だった。
 頭部の裂傷。
 それも、かなりの深さ。
 素早い処置が出来る医師、そしてフェイルの持っていた血止め用の薬が
 なければ、最悪の事態に発展していた恐れもあった。
「おいおい。この方は王宮騎士団の師団長様だよ? なんて口の利き方してんのさ」
【エル・バタラ】の専属医師として、救護室で治療を行っていたカラドボルグが
 呆れ気味に諫める中――――ガラディーンは頭部に巻かれた新鮮な布を
 気にしながら、高らかに笑っていた。
「この子は昔からこうだ。今更畏まった物言いをされた方が気味が悪い」
「へえ……意外ですね。そういうタイプには見えませんけど」
 そう漏らすカラドボルグも、言葉使いほど畏まってはいない。
 剣聖のいる風景としては、やや緩い空気が流れていた。
「それにしても、大した腕だな。もっと腫れ上がると思っていたが」
「その辺の床屋医師と一緒にしないで下さいね。こう見えても、『ナンバー11』
 の一員なんですから。最年少の」
「つまり、世界でも指折りの医師……という事だ。だから、心配するなフェイル。
 このくらいの怪我で、どうもなりはせん」
 ガラディーンの微笑は、フェイルの沈黙を生んだ。
「確かに、相当心配だったんだろうね。ここに駆けつけてきた
 君の顔は、あの金髪の女性が負傷した時と同じくらい、切羽詰まってたし」
「ほう。某の事がそこまで心配だったか。その女性というのは、恋人なのか?
 なら一度紹介して欲しいものだ。お前がどんな女性を選ぶのか、興味がある」
「全っ然違います……」
 弄られる事に軽い抵抗を覚えたフェイルは、視線を二人から逸らした。
「ま……俺もそれなりに緊張しましたよ。流石に、国の宝の治療をミスしたと
 なれば、廃業は免れませんからね」
「国の宝、か」
 ガラディーンの声が、不意に愁いを帯びる。
 その瞬間、フェイルとカラドボルグの顔が、真剣味を増した。
 次に発せられる言葉が、特別な意味を持つものだと察して。
「それも、今日でおしまいだな」
 それが何を意味するのか――――フェイルは直ぐに理解した。
 カラドボルグも同様に。
「剣聖の称号の返還、師団長の辞任。手続きだけでも面倒そうだな。はっはっは」
「はっはっは、じゃないですよ。本気で言ってるんですか?」
 予想はしていても、納得はできないフェイルが、責めるように告げる。
 だが、そんな一言がガラディーンの決意を揺るがす事はない、という事も
 わかっていた。
「某の役目は終わった。後は、あの男が全て背負ってくれる。
 そう思うと、これほど楽な事はない。清々しい気分だよ」
 勝ち続け、勝ち続け、勝ち貫いた戦士の、素直な述懐。
 穏やかなその表情が、それを物語っていた。
「お疲れ様、くらい言ってくれても、罰は当たらんぞ? 御両名」
 今度はすっ惚けた顔で、そう促す。
 フェイルとカラドボルグは顔を見合わせ、同時に苦笑した。
「……ご苦労様でした」
「貴方がいたから、この国は栄え続ける事が出来た。感謝しますよ」
 そんな二人の餞の言葉に、ガラディーンは頭部の痛みを感じさせない
 とても柔和な笑顔を見せた。
 それが――――剣聖と呼ばれた男の、最後の意地だった。

 


「良いの? 医師が救護室を空けて」
 部屋を出て、壁により掛かり、大きく深呼吸する中、フェイルの視界に
 扉を閉めるカラドボルグの姿が映る。
 これで都合、四度目の接点。
 何かしら、縁のようなものを感じる頻度ではあった。
「第二試合が始まるまでは、どうせ暇だからね。にしても、驚いたよ。
 君が剣聖と旧知の仲だったなんて。結構親しげだったしさ」
「そっちも、知り合いみたいな感じだったけど?」
 そんなフェイルの指摘返しに、カラドボルグは小さく息を吐く。
「ま……ちょっとね。あの人、あんな偉いのにやたら気さくでさ。
 でも、真面目な話する時は真面目過ぎるくらいちゃんとするし、
 出来た人間ってのは、こういう感じなんだな……っていう」
 何処か、照れ臭げに。
「理想だね。人としての」
 そんな発言を受け、フェイルは思わず頷いていた。
 自分も、年齢を重ねて、あの域に達した時は、ああいう風にありたい。
 そう誰もが思うような人物。
 それが、ガラディーン=ヴォルスだった。
「それじゃ、僕はこれで。ガラディーンさんの事、宜しくお願いします」
「了解。君の薬、助かったよ。こっちで用意してるのよりデキが良い。
 今度、ヴァレロン・サントラル医院に仕入れるよう進言しとく」
 懐かしい話を思い出し、フェイルは苦笑しながら通路を歩み出した。
 その背中を見送り――――
「……残念。剣聖の死となれば、この上ない『高稀なる死』だったのに」
 カラドボルグはそれまでとまるで異なる目付きで、そう独りごちた。

 


 騒然とした闘技場内が、少しずつではあるが、平静さを取り戻す中――――
「あら、お帰り。随分長い用事だったのね」
 ようやく定位置に戻ったフェイルは、そんなフランベルジュの言葉に小さく破顔し、
 自席に腰掛けた。
 それに合わせ、隣に座るファルシオンが視線を向ける。
「剣聖はご無事でしたか?」
 まるで、見てきたかのような物言い。
 フェイルは感心しつつ、首肯した。
「良かったですね」
「うん。良かったよ」
 そんな短いやり取りを交わしながら、アリーナの方に目線を送る。
 まだ、二回戦で戦う二人の姿はそこにはない。
 二回戦の組み合わせは――――
「エスピンドラ=クロウズと、カバジェロ=トマーシュ。フランにとっては
 興味深い組み合わせじゃないですか?」
「そうね……」
 エスピンドラという騎士の戦闘スタイルは、フランベルジュが取り組んできた
 戦い方と、似てる面がある。
 それだけに、予選会でも目を向けた事もあり、気になる存在だ。
 一方のカバジェロは、数日世話になった事がある。
 どちらにも、若干ではあるが他人とは言えない関係性が存在していた。
「あ、出てきた」
 フェイルがそう呟くと同時に、先にカバジェロが、次いでエスピンドラが現れる。
 二人とも、剣を鞘に収めていた。
「……」
 元騎士 対 現役騎士。
 それを知るフェイルは、密かに前者の方に感情を入れ込んでいた。







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