「おう、こんなトコにいたのか」
 不意に、ハルの声が背後から聞こえて来たものの、
 フェイルの視線はアリーナの方角から動かない。
 それを特に責めるでもなく、ハルはフェイルの隣にいた
 太めの観客を押しのけ、その場を確保した。
 アリーナと観客席を仕切る壁は、人間の身長の倍ほどの高さ。
 その為、観客席一階からでも、アリーナを見下ろす形になり、
 比較的ハッキリと観戦する事が出来る。
 それは、通路出入り口付近でも例外ではない。
「にしても……まさか、いきなりこの二人が一回戦たぁな。
 ま、あの連中としちゃ、この大会を意地でも伝説の大会にしたいんだろな」
 意味深にそう呟くハルに、フェイルはやはり視線を動かさず、
 意識だけを向けた。
「……ハルは、何を知ってるの?」
「大したコトじゃねーよ。所詮は末端だからな。せいぜい、この大会は
 特別な地位にいる誰かさんの為に開かれる大会、ってコトくれーだな」
「特別な地位……貴族のお遊び、って訳でもなさそうだね」
 それに関しては、既に周知の事実となっている。
 貴族達が自分等の地位を誇示する為に、有力な候補を立て、優勝、或いは
 上位進出を狙っている。
 その中で実際に本戦まで勝ち進んだのは、エスピンドラ=クロウズ、
 クレウス=ガンソの二人。
 また、スコールズ家と縁のあるアロンソ、そしてリオグランテも、
 その中に含まれるといっても良い。
 そうなると、4人に1人が貴族の息が掛かった参加者、という事になる。
 それでも――――ハルの物言いは、明らかにそれを示唆するものではなかった。
「ま、簡単に言や、王子様だ」
「アルベロア王子の……?」
「殿下が次の国王ってのは、完全に既定路線なんだが、如何せん、求心力がねー。
 そもそも、今の平和な世の中じゃ、それを発揮しろって方が無理難題だーな。
 ってんで、この大会を盛り上げるだけ盛り上げて、決勝に顔を出して
 大衆の心を掴む演説バシーっとかます。ま、それ一つじゃ大した効果はなくても、
 各地域でそれをやりゃ、ある程度の拍は付くってこった」
 つまり――――各地方において、存在感を発揮する為に、これらの催しを
 利用する、という事。
 それ自体は、特に珍しい手法でもない。
 王家や領主などが良く使う手だ。
「その為にわざわざ、おや……」
「ん?」
「……お山の大将を派遣したんだろうよ。普通じゃあり得ねーだろ?
 王宮騎士団のトップ2が、王宮以外の武闘大会に出るなんざ。
 その所為で、折角騎士を呼んだ貴族連中の面目は丸潰れだぜ。いい気味だけどな」
 そのハルの意見は一応、筋は通っていた。
 だが――――フェイルは知っている。
 デュランダルがここを訪れたのは、それだけが目的ではない事を。
 それだけに、鵜呑みには出来ない。
「ま、何はともあれ、見てみようぜ。この国の頂点を決める試合を」
「……」
 そう促されるまでもなく、フェイルはその視線をずっと、アリーナの二人に
 固定していた。
 既に審判も配置され、後は合図を待つのみ。
 あれだけざわめいていた観客も、次第にその一挙手一投足を見逃すまいと、
 固唾を呑んで見守っている。

 ――――ガラディーン=ヴォルス。
 王宮騎士団【銀朱】師団長。
 そして、エチェベリア唯一の称号、剣聖の所持者。
 しかし、その称号に反し、彼の持つ得物は剣とは限らない。
 武を極めたガラディーンは、槍であれ、斧であれ、どんな武具でも使いこなす。
 ただ、今手にしている武器は、木製の剣。
 それが、自身の最も得意とする武器なのか、対戦相手に合わせたのかは、定かではない。
 既に老齢といわれる一歩手前の年齢に差し掛かっているにも拘わらず、
 その身体能力は未だ健在。
 頭脳、技術に関しては、最早一種の概念。
 彼の存在が、兵学の基礎から応用に至るまで、あらゆる点で進化を促した――――
 とさえ言われている。
 その獅子奮迅の活躍は、先のガーナッツ戦争に限らず、デ・ラ・ペーニャ以外の
 隣国の侵略、或いは王宮内における内紛の収束など、一般市民の目に見える所、
 見えない所を問わず、至る所で発揮された。
 エチェベリアの『不屈』の象徴。
 その歴史に、敗北という文字はない。

 ――――デュランダル=カレイラ。
 王宮騎士団【銀朱】副師団長。
 銀仮面という異名は、戦闘中に限らず、日常生活の中でも
 一切表情を変えない事に由来する。
 だが、それだけではない。
 彼が銀朱の象徴的存在である、という証でもある。
 ガーナッツ戦争時、魔術士の一軍を相手に、身に降りかかる数多の魔術を
 全て回避しながら切り込んで行った姿は、疾風の如し。
 その敏捷性は、鎧を身につけても尚、かなりの水準を維持する。
 しかし、彼は鎧を余り好まない。
 魔術が戦術の一つとして組み込まれる現代の戦争において、
 鎧は必ずしも有効な防具とは限らない、という持論故だ。
 騎士という身分でありながら、鎧を重要視しないその姿勢は、
 様式美を好む旧世代の騎士には余り快く思われていない――――が、
 年下である彼に直接苦言を呈す者はいない。
 誰もが、理解しているからだ。
 次世代、そして長期的にこの国の武を背負うのは、彼であると。
 エチェベリアの『発展』の象徴。
 その未来に、敗北という文字はやはりない。

 だが――――仮に、その文字が刻み込まれる事を許されるとすれば。
 それは、その両者が対決したその時だけ。
 つまり、この試合は、両者が唯一、勝敗の自由を許された戦い。
 束縛、しがらみ、制約を排除し、純粋な力比べを出来る
 最初で最後の機会となる。
「表向きは、な」
 皮肉げに、ハルがそう呟く中、審判の手が上がる。
 所定の位置に、二人が付く。
 得物は共に剣。
 どちらも、腰の鞘に収めた状態だ。
「どっちが勝った方が、国の為、王族の為になるかなんて、誰が
 考えてもわかるこった」
 両者は、目を合せていた。
 体格は、ガラディーンの方が上回っている為、年長者が見下ろす形。
 その顔に、先日フェイルと戯れた時の温和な表情は、微塵もない。
「ま……多分、ある程度は良い勝負を見せて、それから……」
 次の瞬間。
 ハルのそんな予想をかき消すかのように。
「はじ――――っ!?」
 審判の合図の最中、観客全員の視線を集める両者の得物が、
 その眼前で交差し――――弾けた。
 砕け散る、二つの木剣。
 その破片が、フェイルの顔の付近にまで飛び散ってくる。
 何が起こったのか、殆どの観客は把握できず、その状況を
 呆然と眺めていた。
「……前言撤回だ。マジじゃねーか、アイツ等」
 冷めきっていたハルの顔から、冷や汗が滲み出る。
 フェイルも同じ心境だった。
 絶対的な視力を持つと自負しているフェイルの右目ですら、
 二人の開始直後の動きは、明瞭には見えなかった。
 開始の合図、『はじめ』の『は』を審判が言い放った瞬間、
 二人は同時に鞘から剣を抜いた。
 腰の回転で鞘から抜き放ち、同時に腕へとその力を伝達し、
 木剣を巻くように打つ。
 全く同じ動作が、全く同じ速度で生じた結果、二つの剣は
 丁度中央で衝突し、そして砕けた。
 だが、その一連の動作は、しっかりと見えた訳ではない。
『これしかない』という状況だから、脳内で補正できるだけの事。
 同じ攻撃を正面で仕掛けられたら、対処どころか認識する事すら出来ず、
 命を失う――――そんな一瞬の出来事だった。
「あ……ぶ……武器が……」
 両者の剣身を失った木剣を見比べ、審判は明らかに戸惑っていた。
「可能なら、新しい剣を用意して貰えるかね? 同条件ならば問題もなかろう」
 それを見かねたガラディーンが、デュランダルから視線を逸らす事なく
 助け船を出す。
 審判は瞬時に頷き、四方の隅に配置してあるスタッフに合図を送る。
 直ぐに代わりの剣が用意され、二人の手に渡った。
 その間、観客席からはどよめきが轟き続ける。
 まるで、雷雲のように。
「こりゃ、長引くかもな」
 呆れ気味に告げるハルの言葉通り。
 暫時の後に再開されたこの至宝とも言うべき戦いは、
 観衆の期待を満たすかのように、長期戦となった。







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