「見ての通りサ」
 思わず口元を手で覆うフェイルに、デルはその背後から場にそぐわない
 類の声を投げかけた。
 見ての通り――――そう告げた通り、その惨状は見たままだった。
 夥しい量の流血。
 その血は天井まで届き、ドス黒く変色している。
 結構な時間が経過した証だ。
 だが――――その出血した張本人の姿が、ここにはない。
 そこにあるのは、大量の血痕と、そこから生じる鉄臭いにおいのみ。
 果たして、誰がこれだけの惨劇に見舞われたのか、全くわからない状態だった。
「……この手の事件の処理は普通、警吏の仕事なんだケド、
 ちょっと異常な状況だから、先にボク等が動くコトになった。
 明らかに致死量を上回る出血。にも拘らず、ここには誰もいない。
 何者かが、ここで殺され、その死体が運ばれて行った……と、そう考えザルを得ない」
「そういう事になるね」
 そして、その出血の仕方から、どう言った状況で殺されたかも、
 ある程度は予測できる。
 天井に届くまでの噴出は、動脈が切られない限りはあり得ない。
 それも、より天井に高い位置。
 つまりは――――首。
 この被害者が、首を撥ねられて惨殺されたのは、状況からも明らかだった。
「ま、例えばこれが、この大会のスタッフだったり、単なる一般市民だったり、
 そういう類の被害者だったら、ボク達の出る幕はないんだケドさ。
 場所が場所だし、なにより時期が時期。それに……少し気になるコトがある」
「……それって、まさか」
 フェイルもまた、その『気になるコト』に心当たりがあった。
「さっきのセレモニーの事?」
「流石。目敏いネ。そう、セレモニー。あの場に一人だけ、参加していない人物がいた」
 それは、フェイルも『鷹の目』で視認していた。
 あの場にいたのは15名。
 一人だけ、そこにはいなかった。
「クラウ=ソラス……彼の姿が、あそこにはなかった」
「間違いありません。私めも確認致しました」
 ソーテックの言葉に、デルが苦笑を浮かべる。
 フェイルも、その事実を認識していた。
「けど、キミも知ってる通り、あのクラウ氏が首をハねられて殺される……
 なんてコト、想像できるワケないんだヨ。それを実行できる人間が
 この世にいるとも、思えないしサ」
 ヴァレロン随一の実力者であり、その抜け目のなさは誰もが一目置くところ。
 そんな人物が、こんな場所にノコノコやって来て、殺される。
 抵抗した形跡もなく。
 そんな事が、あり得るのか――――
「……」
 だが、フェイルはその想像を『出来た』。
 理由は二つ。
 クラウを狙っている人物に、心当たりがあるから。
 そして、その人物は、この一連の状況を生み出す力を、或いは持っているかもしれないから。
「で、キミにここへ来て貰ったのは、確認をする為なんだヨ。確かキミは
 つい先日まで、クラウ氏を狙っていたハズだよね。もしかして……って
 思ってサ。暗殺者なら、或いはデキないコトもない、かなって」
 その心情を表に出す事なく、フェイルは首を左右に振った。
「それを実行できる力があるなら、そもそも僕はこの街にはいない」
「予想以上の回答、ありがとう」
 自分の過去の事を調査されている事は、承知済み。
 そこまで踏み込んでの自虐に、デルは敬意を示した。
「了解したヨ。犯人はキミじゃない。ま、弓使いがこんな部屋の中で
 あのクラウ氏を仕留めるなんて、想像もデキないコトだしネ」
「それがわかってて、僕をここまで連れてきたのは、心当りを聞く為?」
「賢いネ。僕の見解だと、この犯人は魔術士かな、って思うんだケド」
 それは、フェイルの見解とは大きく異なっていた。
「これだけの出血にも拘らず、廊下には一滴も血痕が見られない。
 そもそも、死体を外に運び出すコト自体、これだけの人が密集している
 闘技場では不可能。目撃者もいない。となれば、ここで死体を処理した、
 と考えるのが妥当なんだヨ」
「魔術、か……」
 例えば、赤魔術で死体を燃やし尽くす。
 鉄製の棺でも用意して、その中で燃やせば、焦げた後も残らない。
 その棺を運び出すくらいは、出来ない事もない。
 尤も、不自然である事は間違いないが。
「魔術士に心当りはあるけど、彼女は僕達とずっと一緒にしたし、そもそも
 クラウ相手にそんな事が出来るとも思えない」
「成程。となると……本戦出場者の魔術士が怪しいのかナ」
 該当者は、二人。
 ヴァール=トイズトイズ。
 クレウス=ガンソ。
 この二人、一回戦第七試合で直接対決を予定している。
「クラウ氏の首を撥ねるだけの実力者となれば、勝った方が怪しいネ。
 ま、そもそもこの血がクラウ氏のモノとは限らないケド」
「仮に……そうだとしたら、この街への影響は?」
 何気ないその質問に、デルの顔付きが変わる。
「計り知れないネ。【ウォレス】は勿論、【ラファイエット】の仕業だと
 騒ぎ立てる。二大ギルドの大戦争勃発サ。内紛に発展して、街の
 秩序は乱れに乱れるだろうネ」
「……」
 仮に、【ウォレス】の代表が殺されたとなれば、それくらいの
 影響は当然、予測される。
 フェイルの身体に、冷たい汗が滲んだ。
「ボクらとしても、もしそうなった場合の事を想定して動かないといけナイ。
 デキれば、被害は最小限に食い止めたい。その為には、初動捜査が第一。
 正しい情報を早く仕入れたい。そこで、キミに一つ、仕事を依頼したい」
「僕はもう、裏の仕事は……」
「裏じゃなくても構わないサ。人捜しだからネ。クラウ=ソラスを捜して欲しい」
 それはつまり、逆算的な方法論だった。
「我々は、クラウ氏が死んだという前提で、これから火消しの準備をする。
 ケド、そうじゃないかもしれない。その確認に人数を割くコトが難しいから、
 キミにお願いしたい。元弓兵なら、目が良いだろうしネ」
「……断ったら?」
「どうもしないヨ。ただ、これは我々ギルド員だけの問題じゃない。
 この街のあらゆる均衡が崩れる可能性を秘めた事件だ。協力して貰えないかナ?」
 そう言われたら、この街の住民である以上、断る事は出来ない。
 何しろ、自分の住んでいる場所。
 薬草店【ノート】がある場所。
 今は、まだそこを維持しなければならない。
 フェイルはゆっくりと頷いた。
「もし彼の姿を視認したら、ボクでもソーテックでも良い。ギルドに直接
 知らせてくれても良い。なるべく早く、報告してクレ。報酬は弾むヨ」
「……わかった」
 まだ頭の整理が出来ていない状態のまま、フェイルはその鉄臭い控え室を
 後にした。
 そして、地下の通路を歩きながら、考える事は――――師匠の事。

「『それ』を討ちに来た」

 その言葉が、狭い頭の中に響き渡る。
 デュランダルの目的と、今回の件は、完全に一致する。
 だが、腑に落ちない点もある。
 何故、このような形になったのか。
 デュランダルの身分で、且つクラウを討つ正当な理由があるならば、
 暗殺じみた真似をする必要はない。
 正々堂々、騎士として討てば良い。
 しかし、事実はそうはなっていない。
 加えて――――

「奴は、【指定有害人種】の一人だ。一筋縄では行かないだろう」

 その発言。
 指定有害人種、という言葉の意味を、フェイルは完全に把握している訳ではない。
 それは、他ならぬ自分自身を指し示す言葉でもあったが、クラウと自分の間に
 接点は見当たらない。
 敢えて、自分がそう定義される特殊な事由を探すとすれば、やはり『目』。
 とは言え、その目が、有害人種という呼称と結びつくとは思えず、
 フェイルの混乱は更に増していた。
 だが、今はその事はどうでも良い。
 問題は――――後半部分。
 デュランダルは、滅多な事ではこんな言葉は口にしない。
 それだけ、彼を手こずらせる存在が皆無という事でもある。
 だからこそ、簡単にクラウを討つ事は、本当に難しいという認識を
 フェイルは持っている。
 あの出血の当事者は、クラウ=ソラスなのか。
 その実行者は、デュランダル=カレイラなのか。
 その答えが見つからないまま、フェイルは気付けば地下から上がり、
 闘技場の観客席一階に通じる通路の出口まで歩を進めていた。
 場内は、今まさに興奮の坩堝と化している。
 第一試合を戦う二人が、丁度現れたところだった。
 その様子を、フェイルは自分の席ではなく、立ち見に群がる人々の
 背中越しに眺めていた。
 この国を代表する二人の剣士の、真剣勝負。
 ある意味、この国の『現在』と『未来』の直接対決。
 そこには、とてつもない重みがある。
 だが、フェイルは――――その重みとは全く違う、別の重みを
 背中に感じながら、対峙する二人を眺めていた。







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