開会セレモニーが終了した後も、闘技場内の一種異様な雰囲気は
 一向に変わる気配はなく、どよめきのような喧噪が連鎖を続けていた。
 エチェベリアという国家は、武力による支配が行われている国ではない。
 だが、隣国デ・ラ・ペーニャを10日足らずで退けた事が、武に対する矜持を
 国民全体に根付かせた。
 そのガーナッツ戦争において、めざましい戦果を挙げたのが、
 王宮騎士団【銀朱】。
 美しく輝く銀色の甲冑を赤く染め、彼等は戦場を疾走した。
 魔術士という存在は、決して容易な相手ではない。
 脆く、そして弱い肉体を持つ一方で、強力且つ広範囲に亘る攻撃力を
 同居させている彼等は、一度攻勢に回ると、大量の犠牲者を生み出す破壊力を
 有している。
 命を擲って破壊活動に徹した魔術士一人がもたらす脅威は、騎士のそれすら
 大きく上回る。
 それだけに、犠牲者の数を抑える為には、短期決戦が必要不可欠だった。
 それが、10日と掛からずに決着を付けた理由の一つでもある。
 そして、それを可能にしたのが、【銀朱】の機動力と判断力。
 騎士団が集団で行動する場合、その指揮を執るのは当然、師団長などの長。
 ガラディーン=ヴォルスがその役目を担う。
 だが、彼は全権を握る事を拒んだ。
 副師団長のデュランダル=カレイラに、幾つかの決定権を与え、
 指揮系統を事実上二分した。
 通常なら、混乱を招くであろうこの決定は、二人の並外れた判断力と
 柔軟性、そして統治力が最大限に活かされる結果となり、
 デ・ラ・ペーニャの宮廷魔術士を中心とした主力部隊を次々と撃破する事に
 成功した。
 まさに英雄。
 両頭並び立つこの時代を、エチェベリア国民は誇りに思っていた。
 だからこそ、芽生える好奇心。

 純粋な個としての戦闘能力は、どちらが上なのか?

 しかしその疑問は、決して解答を得ないものだと、誰もが確信していた。
 何故なら、彼等は王宮騎士団【銀朱】の師団長と副師団長。 
 両者が直接対決する機会など、ある筈もない。
 或いは、当人達の希望でそのような仕合が組まれるとしても、
 その結果を国家が国民へ伝達する事は、絶対にない。
 剣聖という称号を持つガラディーンの敗北は、決して許されるものではないし、
 国家の未来を担うデュランダルの敗北もまた、国民の不安を煽るだけ。
 どのような結果が待ち受けているにしろ、それを公表する事には
 大きなリスクが付きまとう。
 だから、大半の国民は、その好奇心を満たす事を諦めていた。
 
 ガラディーン=ヴォルス。
 デュランダル=カレイラ。

 この二人が、自分達の目の前で戦うという事を、果たして誰が予想できただろう。
 その現実を、観客の多くは未だに受け入れる事が出来ずにいた。
 誰もが、戸惑っていた。
 浮き足立っていた。
「一回戦があの組み合わせで、今後の試合が成立するのかしら……」
 フランベルジュが思わずそう呟くのも、無理のない話。
 観客の関心が集約された試合が、最初に行われるとなると、
 以降の試合は全て御負けになりかねない。
 そういう雰囲気が、場内に蔓延していた。
「フェイルさんは、どっちが勝つと思いますか?」
「さあ……ね。どっちだろう」
 ファルシオンの何気ない問い掛けに、フェイルは明確な回答を提示できなかった。
 それは、単純な力量比較の問題だけではなく、心情的な問題も絡んでくる。
 二人とも、フェイルにとっては恩人。
 どちらの勝ち負けを予想するのも、気が進まなかった。
「デュランダル=カレイラに一票」
 そんなフェイルの心情を逆撫でするような軽さで、予想が一つ舞い込んでくる。
 思わず振り向いた背後の通路に立っていたのは――――
「……誰?」
 不自然な程に真っ黒な髪の毛と、目が隠れるほどの長い睫毛、更には
 異常に白い肌、そして紫色に変色した唇が特徴的な、男とも女とも
 判断が付かない外見の人物。
 フェイルの知らない人間だった。
 訝しみながら、両側の二人に目線を向けるも、左右に首が振られる。
 勇者一行の知り合い、と言う訳でもないらしい。
「お初にお目にかかります。諜報ギルド【ウエスト】所属、ソーテックという者です。
 この度、薬草店【ノート】の御盛況、おめでとうございます」
 そんな見知らぬ人物は、突然頭を下げ、祝いの言葉を送りつけてきた。
「は、はあ」
「つきましては、我が【ウエスト】より、融資の御案内をさせて頂きたく
 馳せ参じた次第でございます。フェイル=ノート様、御足労願えますでしょうか」
「融資……?」
「今後の事業拡大を視野に入れる場合、どう言った方法があるかという
 御案内でございます。何かを強制する、といった趣旨の事は一切ございません。
 どうぞ御安心下さい」
 その物腰柔らかな口調が却って怪しげだったが――――フェイルは立ち上がり、
 ソーテックと名乗る男に小さく首肯した。
「私も同行しましょうか?」
「いや。説明だけなら、そんなに時間も掛からないと思うし。ですよね?」
「はい。直ぐに終わりますので」
 その言葉にフェイルは二度頷き、ファルシオンを手で制した。
 納得し切っている様子はないものの、ファルシオンも浮かしかけた腰を落とす。
 それを確認したソーテックは、喧噪渦巻く観客席の通路を歩み出した。
「事業拡大だって。凄いじゃない。ちょっと前まで潰れかけてたのに」
「安易に手を広げて失敗したお店、沢山あるんですけどね……」
 そんな声を背中に、フェイルも後を追う。
 そして、沈黙のまま通路を抜け、闘技場の屋内に足を踏み入れたその時――――
「……で、本当は何の用なの?」
 感情を押し殺した声で、フェイルはそう問い掛けた。
 無論、先刻のソーテックの言葉を信じるような事はない。
 融資の話など、わざわざ闘技場でする必要もないのだから。
 フェイルと【ウエスト】の関係を考えれば、手紙で伝える事も出来る。
 だからこそ、緊急性を有した何かがあった、とフェイルは判断し、
 大人しく連行された。
「少々、厄介な問題が発生しました。貴方様にも御確認を頂かなければなりません」
 案の定、ソーテックは特に隠す事もなく、先程の嘘を認めた。
「厄介ごと……ね。具体的な説明は、ここではしてくれないの?」
「それに関しましては、まず現場を御覧頂いてからという事で」
「現場……?」
 そんなフェイルの呟きにソーテックは応えず、歩行を続ける。
 行き先は――――地下。
 観客の声が徐々に小さくなって行く中、階段を下り、明かりの揺れる
 通路を、フェイルは顔をしかめたまま付いていった。
 そして――――
「やあ。久しぶりだネ」
 控え室の前にいたデル=グランラインと合流を果たした。
「……【ウエスト】の支隊長代理が、何でここにいるの?」
「別に不思議じゃないと思うケド。別に支隊長代理程度の身分で、
 外出しちゃいけない決まりもない」
 それでも、諜報ギルドの重役が日中から人の多い場所に
 足を運ぶという事は、余りない。
 他の組織とは異なり、外部との連結が複雑化している諜報ギルドの場合、
 怨みを買う頻度もケタ違い。
 末端の人間ですら、夜間以外は活動しない、若しくは
 ラディアンスのように、他の仕事を行う事でカムフラージュを
 試みる者もいるくらいだ。
「とは言え、ボクがここにいる事は、それなりに意味があるし、
 それなりに特殊な事例であるコトも確かだネ。そういう事情だヨ」
「……」
 フェイルの体内に、緊張が走る。
 それは表面にも現れ、頬に滲んだ汗が、一筋の糸を作った。
「取り敢えず、入ってみてくれないかナ? 見て貰わないコトには、
 何が何だかわからないよネ」
「一体何なのさ……」
 促されたフェイルは、何かしらの罠である事を危惧し、
 衣嚢に手を忍ばせた。
「ボク達がキミを始末するメリットは何もないヨ。今のトコロはネ」
 その仕草を見透かしていたのか――――デルの口からそんな警告が漏れる。
 フェイルは目を研磨するような心持ちで集中し、衣嚢から手を放して
 デルの目の前の扉を開き、控え室の中へと入った。
 そこは先日、予選の抽選会が行われた場所。
 ただ、机や椅子などは既に撤収されており、その時の記憶とは重ならない。
 だが、しかし。
 その食い違いは、単なる『当然の変化』。
 普段の控え室に戻っただけの事。
 で、あるにも拘らず――――この控え室には、他にも一つだけ、
 先日とは異なる点があった。
「……何だ、これ」
 それは、一つの光景。
 一つの事象。
 その異常な状況に、フェイルは思わず目を見開いた。







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