そこに風があるとして、その風を視認できると言う人間は、
 まずこの世には存在しない。
 しかし、誰もが感じる事は出来る。
 流れとはすなわち、そう言うもの。
 この世には、実に様々な流れが存在する。
 風もその中の一つ。
 河のせせらぎも。
 そして、運も。
 巡り合わせというのは、確実にこの世の中に存在する。
 例えば、トーナメントと言う大会形式も、そうだ。
 仮に、参加者の中で二番目に強い人間がいたとして、その大会の全ての
 戦いが順当な結果に終わるとしても、組み合わせによっては
 1回戦で負ける事もあれば、準優勝に輝く事もある。
 優勝する力がない限りは、巡り合わせが大きくモノを言う。
 しかし。
 少なくとも――――フランベルジュにとって、今回の【エル・バタラ】は
 そこにすら辿り着けない大会だった。
 フライ=エンロールは決して弱くはない。
 だが、勝てない相手ではなかった。
 実力の拮抗している相手に負けてしまった事は、例え肩を痛めていると言う
 ハンデがあったとしても、言い訳にはならない。
『組み合わせに恵まれなかったね』
 そんな慰めも通用しない程の、惨敗。
 大会に参加した数多くの有力者に肩を並べるどころか、視界にすら
 入らないような所での脱落。
 それが、フランベルジュ=ルーメイアの現状だった。
「……」
 果たして何時間、そうしていたのだろうか。
 フェイルとフランベルジュを取り囲む景色は、薄暗い闇に包まれている。
 肌寒さが感情を突き、虫の鳴き声が小気味よく響き渡る中、
 二人は自分の居場所を一切変える事なく、そこに居続けた。
 フランベルジュは一言も発しない。
 フェイルも、一言も発しない。
 慰めの言葉や、自分の師としての至らなさも、一切。
 ただ、そこに居た。
 目の届く場所に居続けた。
 そして――――
「……はーっ」
 その、長い長い沈黙を破ったのは、一つの大きな溜息。
 何処か、演技じみたその中には、心の整理がある程度行き届いている事を意味した。
 そして、ゆっくりと振り向く。
 目は、赤く腫れ上がっていた。
 しかし、すすり泣くような声は、フェイルの耳には一切聞こえて来ていなかった。
「いつまでそこに居る気? それとも、また野宿でもしろっての?」
「それも良いかもね」
 フェイルは小さく苦笑し、腰を上げる。
 一抹の安堵を噛み締めて。
「……イヤよ、野宿なんて。ここ、虫も多いし」
「じゃ、帰るか。ファルとリオが心配してるかもしれないし」
「ファルは兎も角、リオは今頃自分の事で頭がいっぱいなんじゃない?
 きっと、予選は突破しただろうから」
 それは、希望的観測と言う語調ではなかった。
 勇者の持つ潜在能力に対する、信頼。
 そして――――嫉妬。
 フェイルはそれを感じ取り、思わず顔をしかめる。
「ありがとう」
 その事に感謝された訳ではないとわかりながら、フェイルは思わず驚いた。
 フランベルジュの顔に、これまで見た事のない笑顔が浮かんでいたから。
「監視してくれてたんでしょ? 私が自棄になって、変な事しないように」
「そんな心配はしてないけどね」
「どうかしら。少なくとも、少し前の私なら、わからなかったかもしれない」
 その正直な告白は真実だと、フランベルジュの視線が語っていた。
 その先にあるのは、今にも夜空になりそうな、中途半端な空。
 剣士は、それを睨み付ける。
「私は勇者一行の一員。だれだって、強いって思うじゃない? だから、
 強く見せたくて、強くなりたくて……ずっと虚勢を張ってたら、いつの間にか
 自分がちっちゃくなってたみたい」
「それでも、挫折から立ち直る力は元から持ってたと思うよ。フランは」
「挫折……なのかしら?」
 フランベルジュの視線が、フェイルへと向く。
 そこには、先程の笑顔とは違う種類の笑顔があった。
「私は、これ以上劇的に強くなる事はないんでしょ? だったら……
 これからもずっと、こう言う結果に終わるんじゃない?」
 つまりは、限界。
 ここが自分の限界だと、フランベルジュは訝しんでいる。
 フェイルもまた――――同じ事を思った過去があった。
 数年前も。
 そして、つい先日も。
 だから、答える事が出来る。
「強くなくても、目的に届く事はあるよ」
 その言葉は、フランベルジュの顔から自嘲の微笑を消した。
「強くなれないなら、強くなくても勝てるような術を身に付ければ良い。
 勝ち続ければ、強いと思われる。周囲から強いと思われれば、それは一種の強さだ。
 それを使えば、女の剣士が騎士団に入る事だって出来るし、もっと上に行ける。
 そう言う生き方だってあるよ」
「それは……でも」
「ほら、ここ見てよ」
 戸惑うフランベルジュに、フェイルは足下を指差す。
 そこには、蟻の通り道があった。
 決して道と呼べるような、平たく長い足場がある訳ではない。
 生い茂る草の上を、蟻は連なって歩いている。
「道に見える所だけが、道じゃない。色んな方法があるよ。時間が掛かろうが、
 迂回しようが、辿り着けばそこは同じ『目標』。強さだけに固執してたら
 目的を履き違えるだけだ」
 フェイルの声は、いつしか熱を帯びていた。
「シリカの無念を晴らしたいんだろう?」
「……え?」
「だったら、簡単に達観なんてするな。彼女はもっと粘ってた。彼女は……
 もっと歯を食いしばってた」
「フェイル、貴方……」
 フランベルジュは、驚いた表情でフェイルを凝視している。
 既に、今日の負けが頭から消えているくらいに。
「……なんてね」
 それが、何に対する言葉なのか。
 フェイル自身も良くわからなかった。
「そろそろ本当に帰ろうよ。寒くなって来た」
「え、ええ」
 そそくさと歩き出すフェイルに、フランベルジュはまだ整理できない様子で
 その後ろを慌てて追った。
「知り合い……だったの? シリカ姉さんと」
「さあね」
「もしかして、姉さんの事……好きだった、とか?」
「さあね」
「答えなさいよ! さっきの言い方だと、そんな感じだったじゃないの!」
 二人の問答が、すっかり暗くなった空の下で忙しなく続く中――――
「……」
 その様子を、遠巻きに眺める女性は、無言のまま佇んでいた。
 闇を、纏って。




 翌日。
 薬草店【ノート】の入り口には、早朝から長蛇の列が生まれていた。
 その殆どは、昨日の予選会の際に何人もの参加者から使用された薬【ナタル】を
 買い求める為に訪れた、屈強な戦士達。
 短時間で高い鎮痛効果を生んだその薬は、参加者の間で大絶賛され、
 噂が噂を呼び、【エル・バタラ】には一切関わっていない傭兵や、
 街の治安を守る為に身体を張る警吏まで、その列に加わっている。
「い、いらっしゃいませー。はいっ、【なたる】はこちらになります!」
「うなー」
 そんな大行列を、【ノート】はフェイル、ファルシオン、ラディアンス、そしてノノ&クルルの
 4組に分かれ、どんどん捌いていった。
「……って言うか、何で私、ここで売り子なんてやってんの?
 寝起きに突然宿屋を襲撃されて、ワケわかんないんだけど」
「今日は受付の仕事ないから手伝う、って言ってたでしょ。三日前に酒場で」
「ううう、全然覚えてない……お酒って怖い」
 頭を抱えながらも、ラディアンスはそれでも器用に接客をこなす。
「はーい。次のお客様、こちらへどうぞー」
「お゛う゛」
「うっわ声怖っ! って顔も怖っ! フェイりゅん、荒くれ! 荒くれが来た!」
「だれ゛があ゛ら゛ぐれ゛だ、バガや゛ろ゛う゛。の゛どや゛ら゛れ゛でる゛だげだごの゛や゛ろ゛う゛」
「きゃーっ! やめて来ないで犯さないでーっ!」
 武器屋『サドン★デス』の店主ウェズ=ブラウンからラディアンスが
 逃げまとう中、順調に会計は進み――――
「最後の一品です! ありがとうございました!」
 かなりの在庫を揃えて挑んだ【ノート】勝負の日は、『完売』と言う
 最高の形で、夕暮れを前に店じまいとなった。
「ありがとう、ノノ。お陰で助かったよ」
「えへへー」
「なうー」
 フェイルに頭を撫でられたノノが、溶けるような顔で目を細める。
 夕日の射す薬草店【ノート】には、これまでにない充実感が漂っていた。
 尚、ラディアンスは戻ってきていないが、言及する者はなし。
「最高の形になりましたね」
「うん。これで心置きなく応援に行ける」
 明日は、【エル・バタラ】本戦の開催日。
 しかし現状では売る物がない。
 つまり、店を閉めても全く問題がない、と言う事だ。
 何しろ、この一日でここ一年間の七割に該当する売り上げを叩き出したのだから。
「フランとリオは宿?」
「リオは、スコールズ家のお屋敷へ行きました。フランは……」
「ここにいるけど?」
 入り口の扉を足で開けながら、フランベルジュはサバサバした顔で入って来た。
 その手には、井戸から組んできたと思しき水の入った桶を抱えている。
「水が切れてたから、気を利かせて運んできてやったのよ。感謝しなさいよ?」
「う、うん。ありがと」
 昨日までと同じようで、どこか違う居丈高な発言。
 ファルシオンは奥に水を運びに行くその背中を、ジト目で眺めていた。
 しかし、直ぐに瞼が上がる。
「良かったです。フランが思ったほど落ち込んでいなくて。あの子の事だから、
 暫く立ち直れないかと思いましたが」
「そだね」
「仲間として、お礼、言っておきます。ありがとうございます」
 淡々としているようで、実際には少しの感情の起伏を見せ、
 ファルシオンはフェイルに頭を下げた。
「どっちかって言うと、詰られる立場のような。僕が師匠になった
 ばっかりに、こんな結果になっちゃったんだし。怪我までさせて……」
「その事を、あの子に一切言わなかったそうですね。言ってましたよ。もし昨日、
『僕の教え方が悪かったばっかりに……』とか、『僕が怪我させなきゃ勝ててたのに』
 とか、そう言う慰め方をされてたら、立ち直れなかったかも、って」
「……」
 フェイルはうなじを掻きながら、そっぽを向いた。
「フランの性格を、良くご存じですね」
「そんなに長くないけど、それなりの時間、一緒にいるからね」
「私の性格はどうですか?」
 不意に訊ねられたフェイルは、思わず後退りしたものの、顎に手を当てて
 思案を練った。
 当初こそ、しっかり者という印象が強かったものの、今はもう少し
 踏み込んだ見解が存在する。
 ファルシオンは、常に視野を広くしている。
 広く、そして遠くを見渡す為に、二歩、三歩先を読み、慎重に事を運ぶ。
 それ故に、何処か臆病。
 本来持っている優しさが、中々明瞭に表面化しない。
 出てきたのは、自分。
 結果――――
「万人受けは、しないよね」
 そんな回答が口をついて出てきた。
「……成程」
 かつてない不機嫌顔――――のように見えたフェイルは、もう一歩後退し、
 再考に入ったものの、結局結論が変わる事はなく。
「あ、あの……今のはなんて言うか、表現が良くなかったと言うか」
「フェイルさんが日頃、私をどう言う目で見ているか、よくわかりました」
「いや、違うってば。今のは……」
 この日、ファルシオンの機嫌が直る事はなかった。




 翌日。
 ヴァレロン総合闘技場の入り口には、昨日【ノート】の前に出来ていた
 行列の何十倍もの長い長い列が出来ていた。
 観客は皆、好奇心と高揚感を煽られ、興奮を抑えきれずにいる。
 ヴァレロンは今、かつてない程の熱気に覆われていた。

 そんな中――――

 闘技場内の地下、既に予選を終えて役目を終えた筈の控え室に、
 その熱気とは対照的な、まるで冷気のような、張り詰めた空気が漂っていた。
「まさか、かの【銀仮面】から、声を掛けられるとは、思いませんでしたな」
 声の主は、クラウ=ソラス。
 だが、その目には、今までにない色が浮かんでいる。
 比喩ではなく、そのままに。
「さて……どう解釈したものか。貴公が勝ち進めば、決勝で私とも相見える
 訳ですが……ここでわざわざ、暗殺じみた事をするつもりでしょうか?」
「暗殺ならば、目の前にいる必要はない」
 銀仮面、デュランダル=カレイラの声は、低く、そして鋭く、空気を抉る。
「それに、貴様を処理するには、少々用意が足りない」
「物騒な物言いですな」
 クラウは笑む事なく、声だけで笑う。
 それは、歓迎の意を示すものだった。
 その言葉に、デュランダルの顔色は――――変わらない。
 何故なら、彼の二つ名は【銀仮面】だから。
 仮面が、形を変える事はない。
「では、どのような用け――――」
 そして、そのまま。
 そのままの表情、そのままの佇まい、そのままの立ち位置で――――
 デュランダルは自身の腕を『消した』。
 同時に、オプスキュリテも消える。
 空気すら、その姿を認知できない。
 音もなく、振動もなく――――漆黒の剣は、眼前のクラウの頭を抉った。
 暫時の後、まるで旋風のような流れと音が、室内に発生する。
 程なくして、意思を失ったクラウの身体が、崩れ落ちる。
 糸を切られた操り人形のように。
 だが、そこに糸はない。
 あるのは――――天井まで吹き上がった、紅く細長い柱。
 それを一瞥するでもなく、デュランダルは愛剣を鞘に収め、踵を返した。
「さて……どれくらい、なのだろうな」
 その呟きは、誰の耳にも届く事なく。
 凍てつくようなその空間が、【エル・バタラ】本戦序章の舞台となった。






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