周囲の試合場から、歓喜の雄叫びや悔し泣きの声が上がる中――――
 フェイル、ファルシオン、ハル、そしてクラウの見守る試合場からは、
 次第に音が聞こえなくなって来た。
 その様子を、ファルシオンは無言で、祈るように凝視している。
 一方、フェイルは次第に眉間に皺を寄せて行った。
「貴公なら、どうしますかな?」
 その隣で、視線を動かす事なく、クラウが問う。
 まるで、友人に話しかけるような気軽さで。
「どうするって……何が?」
「足を負傷し、左肩も痛めている。その中での長期戦。実力が拮抗している
 だけに、長引けば不利。この状況を、どう打破しますかな?」
 謎かけとも言うべき問い掛けに、フェイルは若干目を狭めた。
「おいおい大将、弓使いにそんなコト聞いてもよ……」
「一対一で、相手を制する弓手」
 苦笑するハルを無視し、クラウは突き刺すような言葉を
 フェイルへと向けた。
「前例のない、そのような存在に一度、聞いてみたかったのですよ。
 果たしてどのような知識、経験、戦術、感覚を持っているのか」
「……」
 無論、そんな自分のかつて目指した型を、この街で口外した事はない。
 フランベルジュの左肩の事も。
 フェイルの眉間に、更に深い皺が刻まれる。
 そして――――
「半身になって、左半身を前にする」
「正解ですな」
 あっと言う間に答え合わせが行われた。
「守備重視のスタイルである彼女は、後ろ体重になる傾向があります。
 ならば、負担を減らす為、痛めた箇所を前にする方が、長期戦へ対応
 し易いでしょうな」
 そのやり取りに、ハルが思わず口笛を吹く。
「やるじゃねーか。伊達にその若さで師匠なんてやってねーな」
「煩いよ」
 ジト目でハルを睨んだ後、フェイルは小さく息を吐く。
 出来れば、直ぐにでも先程の内容を大声でフランベルジュに伝えたかった。
 だが、出来ない。
 相手にも筒抜け――――という事は、この場合は関係ない。
 左足を痛めている事は、フライも当然わかっているからだ。
 問題は、フランベルジュ自身。
 集中し切っている彼女に指示を与える事は、適切ではない。
 フランベルジュの目の色は、明らかに試合前とは変わっていた。
 最大の弱点である精神的な弱さが、驚くほどの速度で削ぎ落とされている。
 痛々しくも、凛々しいその姿に、フェイルは水を差す事を拒んだ。
「そもそも、この大会にどれ程の意味があるのでしょうな」
 突然、ポツリとクラウが呟く。
 ハルとフェイルは同時に視線をそちらへ向けた。
「実戦において、このように狭い空間の中で一対一の争いを行う機会など
 皆無と行って差し支えないでしょう。模擬戦であっても、常に外部からの
 干渉を意識しなくては意味がない」
「そりゃそーだけどよ。お互い条件は同じなんだし、技術を競い合うって意味じゃ
 別に意味がない訳でもねーだろ?」
「意味はあるよ」
 珍しく、フェイルはハルの意見に肩入れした。
 何より、過去の自分が目指した場所と酷似している、この空間を否定する事は
 出来ない。
「さっき、アンタは『実戦にはこんな局面はない』って事を言ってたけど、
 それは嘘だ。アンタならわかってる筈だ」
「ほう。興味深い事を」
「実戦は、連続性を帯びた一対一で出来ている。瞬間瞬間で刻んだ場合、
 それが多対一だろうと、多対多だろうと、急襲だろうと、同じ事だ。
 必ず一対一の局面は存在する」
 その余りに極端な話に、ハルが顔をしかめる中――――
「見えてる……と言う事ですな。その世界が」
 クラウが、その端正な髭に包まれた口の端を、微かに吊り上げた。
 フェイルが一度も見た事のない表情。
 部下のハルですら、驚きを隠せない。
「やはり他人とは思えなせんな。貴公とは」
「そうでもないよ。僕は目が良いだけだから。アンタの言う『世界』とやらは
 きっと別の話なんじゃない?」
「さて、どうでしょうな」
 その顔のまま、クラウは満足そうに頬を緩めていた。
「つーか……さっきから、何の話してんだ? 一対一の連続とか、
 世界がどーたらこーたら……ワケわかんねーぞ」
「難しい話じゃないよ。ハルの言った事は正しい、ってだけ」
「ンだよ。だったら最初からそう言や良いじゃねーか」
 単純なハルは、とてもわかり易く機嫌を良くした。
 それとは対照的に――――
「……あ」
 不安げな眼差しを、ファルシオンが揺らす。
 それは、拮抗状態の終焉を意味していた。




 フライ=エンロールの戦闘力は、決して低くはない。
 剣の技術は、十分に一流と呼べる水準。
 身体能力も高い部類に入る。
 何より、頭が良く回る。
 戦闘中に戦略を張り巡らすには、ある程度の知識や経験も必要だが、
 何より思考の瞬発力と柔軟さが必要。
 フライはそれを持ち合わせた戦士だった。
 だが、フランベルジュはそう認識するのに、暫し時間を要した。
 バルムンクと言う、国内随一の剣士を前に怯む姿が、邪魔をした。
 その結果――――左足に枷を背負ってしまった。
 加えて、不安を抱えた左肩。
 左半身に偏った痛みは、徐々に身体のバランスを失わせていく。

 フランベルジュは、限界を感じ始めていた。

 フライの繰り出す木剣のキレは、かなりのもの。
 オスバルドやトリシュには届かないが、それでも楽に防げる攻撃は殆どない。
 斬撃は大きく踏み込まず、細かく小さく。
 突きは鋭く、そして正確。
 力で押す訳ではなく、隙間を狙って仕掛ける。
 その隙間と言うのは、革鎧の隙間でもあり、技術の隙間でもあり、
 そして精神的な隙間でもある。
『虚』をつく事に長けた人間。
 それが、フライと言う人物の持つ最大のスキルだった。
 一方――――フランベルジュが自分の武器として誇示していたのは、軽やかさ。
 女性である以上、純粋な力では到底勝負にならない。
 自分と言う人間を客観視した場合、最も長所になり得るのは、
 目も眩むようなスピードだと、そう信じていた。
 だが、世の中はそう甘くない。
 明らかに自分よりも鈍重だと思っていた巨体が、自分より遥かに素早く
 動く様を目の当たりにし、その武器はポッキリと折れた。
 しかし、その武器よりもっと優れた武器が、自分の手の中にはあった。
 それを指摘したのは、フェイル。
 毎日毎日、繰り返し何度も反復した素振りが生み出した、バランス。
 殆どの人間は、左右の腕の筋力が異なる。
 当然、力の入り具合も。
 そうなると、中々真っ直ぐは振り下ろせない。
 傍目にはそう見えても、実は波を打っているものだ。

『剣術の腕まではわからないけど、綺麗だったから』

 フランベルジュは、その言葉を聞いた時、身体を貫くような衝撃を受けた。
 容姿ではなく、技術を褒められた事に、驚きと同時に戸惑いを覚えた。
 何より――――自分自身ですら気付いていない長所を、あの時点で
 見抜いていた青年に、嫉妬すら感じていた。
 だが、同時にこれまでにないような感覚も抱いていた。
 師事したのは、直感が7割を占めていた。
 だが、それだけではない。
 あの言葉と、『匂い』が、フランベルジュの背中を押した。
 綺麗な剣術を目指している訳ではない。
 求めるのはあくまで、女性剣士としての強さ。
 認めさせたい、自分と、自分の大事な人の存在を誇示したい――――
 そう言う欲求。
 フェイルから、それと似た匂いを感じていたのは、確かだった。
「……ふーっ」
 両の手で掴む木剣の柄には、すっかり汗が染み入っている。
 フランベルジュは、限界を感じ始めていた。
 自分のバランスに。
 左右の力が、均等に行き渡らない現実に。
 防御重視のスタイルは、そのバランスこそが生命線。
 それを失えば、あっと言う間に体勢を崩し、不利な状況を生み出す。
 そして、一度後手に回れば、二度と主導権を奪い返せないだろう。
 だから、フランベルジュは覚悟した。
「む……」
 それを即座に感じ取ったのは、注意深い証拠。
 フライは、攻撃の手を止め、後ろへ下がって距離を取った。
 フランベルジュの構えは――――いつの間にか、半身になっていた。
 左足を前に出した、左構え。
 誰に教わるでもなく、そう自分で決断した。
 それは、フェイルが現状における理想と判断した構え。

 そして――――弓使いの標準的な構えだった。

「……左足を痛めている事は、わかっている」
 不意に、フライが言葉を放つ。
 戦闘中の私語は特に禁じられていないが、それを率先して行う者も珍しい。
 だが、フランベルジュは気にも留めず、瞳を深く、深く据える。
「それを敢えて前に出したと言う事は……踏み込む気がないと言う事。
 つまり、防戦一方の展開の中に勝機を見出す。これまでの戦いの中で、
 それが最良と判断した、って事かな?」
「……どうして、男は戦いの最中に喋りたがるのかしらね」
 答える事はなく、しかし無視する事もなく、フランベルジュは集中力を高める。 これまで以上に防戦となる以上、一つのミスが致命傷になりかねない。
 フライに隙が出来るまで攻めさせ、それを全て防ぎ、そして一瞬の隙を突き、
 急所に一撃を放り込む。
 これまでやって来た事を、そのまま出すだけ。
 今のフランベルジュに出来るのは、それだけだ。
 幸いだったのは――――フライの攻めが、中段、下段に集中していた事。
 彼は、フランベルジュの得意な上段の処理を警戒しての事だったが、
 左肩に鈍痛がある状態では、それは負担の軽減に繋がる。
 怪我の功名だった。
「その気の強さは、あの時と変わらないな」
 フライはゆっくりと歩を進める。
 当然、フランベルジュを休ませるのは得策ではない。
 攻防では互角でも、体力、精神力の残量がどちらが上なのかは明白。
 躊躇なく、フライは床を蹴った。

 来る――――

 フランベルジュの視界には、その突進の全像がハッキリと見えていた。
 半身に構えた事で、左右のバランスは最初から崩している。
 でも、それは長所の放棄ではなかった。
「……ふーっ」
 息を一つ吐き、全身が身軽になったイメージを浮かべる。
 体重は後ろに。
 意識は、前に。
 それは、『後の先』における基本だった。
「はあっ!」
 掛け声と共に、フライは直進して――――フランベルジュの前で『消える』。
 これまで散々見せてきた、左右へのステップ。
 左へ飛び、次に右へ。
 稲妻のような動きは、振り幅の大きさから、視界に収め続けるのが難しい。
 死角から死角へ。
 攪乱と合理性を含有したその襲撃は、脅威だった。
 だが――――接点は一つ。
 再接近するまでにどれだけ複雑に動いても、最終的に来る攻撃は、一方向。
 フランベルジュは、ぼんやりと確信していた。
 ここで、フライは必ず――――
「これで終わりだ!」
 これまで見せて来なかった、上段からの『振り下ろし』を仕掛けてくる、と。
 そしてそれは、正しかった。
 フランベルジュの右手の肘が、天井を向き、そして右へと流れる。
 木剣がその方向へと引っ張られ、やがて頭上に、水平に現れる。
「……!」
 攻撃を読まれていた――――そう自覚したフライの顔が歪む。
 だが、時既に遅し。
 その一撃は、吸い込まれるように、フランベルジュの身体ではなく、
 掲げられた木剣へと叩き込まれた。
 フランベルジュは後ろへ乗せていた体重を、更にそっちへと傾ける。
 膝が曲がり、その結果、身体に『弾力』が生まれる。
 フライの一撃は、その弾力に吸収された。
 それでも、渾身の攻撃は、フランベルジュの木剣を押し込む。
 頭上の剣が上から押し込まれれば、そのまま顔面へ自分の剣ごと
 叩き込まれてしまう。
 しかし、ここで半身の構えが生きる。
 肩を開く必要がなく、両手を右へ引っ張るだけで、衝撃を身体の
 外へと逃がせるからだ。
 攻撃をいなせば、フライは隙だらけ。
 頭を狙い、木剣を叩き付ければ、勝負は決まる。
「……!」
 が――――次の瞬間、フランベルジュの顔が歪む。
 ついに、左肩が限界を超えた。
 フライの一撃は、吸収されても尚、左肩へ負荷を与えた。
 左腕が動かないと、交錯した剣を右側へいなせない。

 そうなれば――――

「負け……るものか……っ!」 
 折る勢いで、フランベルジュは歯を食いしばった。
 痛みはそのままに、右手で強引に剣を引っ張る。
 左手は、それでも柄を離さなかった。
 その結果、フランベルジュの木剣は、フライの剣ごと、
 自身の身体の右側へと運ばれた。
 完璧なタイミング。
 完璧な防御。
「う……おっ!」
 標的を捉えられなかったフライは、空振りに近い感覚に苛まれ、
 大きくバランスを崩した。
 そこ残るは、無防備な身体。
 フランベルジュは直ぐに剣をフライの剣から離し、最低限の体勢を整えた。
 最後の攻撃を仕掛ける為の。
 これまでで一番の歓声が、周囲から沸き上がる。
「……っ」
 フライの顔には、敗色が浮かび上がっていた。
 それでも、フランベルジュは一切気を抜かず、集中力を保ったまま、
 敵の頭部へ向けて木剣を――――

「それまでっ!」

 突く寸前。
 審判の制止の声が轟いた。
 壁代わりの魔術士の一人が、砂時計を掲げている。
 既に砂は、下の瓶に全て落ちていた。
 それは、試合時間終了の証。

 時既に――――遅し。

「これより判定に入る! 両者、中央へ!」
 呆然とするフランベルジュ、そしてフライの二人を余所に、審判の凛然とした
 その声は、場内を駆け巡るかのように、いつまでも響き渡っていた。






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