「……立ち上がり、何も仕掛けられないと良いけど」
 緊張感の漂う試合場を眺めつつ、フェイルは思わず心配の言葉を口にした。
 既に三試合目と言う事もあって、フランベルジュの緊張は解けている。
 だがそれは、相手も同じ。
 そうなってくると、戦略、戦術と言った面がより色濃くなってくる。
 実戦経験が不足しているフランベルジュは、対応力がない。
 立ち上がりにそこを突かれると、戸惑う可能性がある。
 それを危惧しての、独り言に等しい呟きだったが――――
「それは無理な注文ですな」
 それに答える声が一つ。
 ハルでも、ファルシオンでもないその声の主は、フェイルにとって
 余り会いたくない人物だった。
「遠目ながら、表情や構え方を見る限り、自分の事で精一杯と言う
 余裕のなさが如実に見て取れるのですから、当然、仕掛けるでしょうな」
 その見解――――と言うより、存在自体が周囲にざわめきを作る。
 傭兵ギルド【ウォレス】代表、クラウ=ソラスが突然現れた事への
 反響は、余りにわかり易かった。
「お? なんで大将がわざわざこんなトコに来るんだ?」
 その【ウォレス】の所属であるハルが、フェイルの隣に陣取った
 クラウに眉を顰める。
 そんな当然の疑問に答えはなく、当の本人は試合場の方に視線を向け続けた。
 既に二人は対峙しており、後は審判の合図を待つのみ。
 そして、フェイルの目から見ても、フランベルジュには警戒心が欠けていた。
「この距離で、わかるんだ」
「それくらいの事は、そこにいる未熟者でもわかるでしょう。無論、貴公にも」
 揶揄されたハルは、それでも感情を動かす事なく、上辺だけふて腐れていた。
 そう言うやり取りが許される間柄と言う事だ。
 一方、フェイルはこの上ない居心地の悪さを感じながら、それでも視線は
 フランベルジュの試合に集中していた。

「始め!」

 高らかな審判の宣言と同時に、対戦相手――――フライ=エンロールが
 高速でしゃがみ込む。
 一瞬の内に敵が視界から消えた事で、フランベルジュは驚愕と混乱を覚え、硬直。
 その隙を見逃す筈もなく――――
「せいやっ!」
 腹の底からの掛け声と共に、フライは木剣を真横に振り抜いた。
 標的は、フランベルジュの左足。
「……!」
 悲鳴にならない無音の声が、その衝撃を物語っていた。
 革製の防具に覆われていない、膝の側面に直撃した木剣は、フライの顔に
 満足の笑みを生み出す。
 が、それも一瞬。
 笑みが消えると同時に、フライはバックステップでフランベルジュとの距離を作った。




「……案の定、ですな」
 嘆息するでも、失望するでもなく、淡々と呟くクラウの言葉に、
 フェイルは心ならずも耳を傾けていた。
「これで、暫く膠着状態になるでしょう。開始と同時に足を狙う周到な
 性格であれば、ここで一気呵成……とはなりませんからな。ジワジワと
 機動力を潰し、確実に仕留める。そう言う性質です」
「用があるのはこの試合? それとも……」
 意図が読めず、フェイルは率直に訊ねる。
 返答は早かった。
「無論、貴公です」
 その瞬間、初めてクラウの目がフェイルに向く。
 そこに感情は見受けられない。
「この予選を戦うに当たり、私は楽しみにしていたのですよ」
「何を?」
「貴公の襲撃を、です」
 やはり表情は変わらない。
 試合場の二人も動かない。
 膠着状況が続く中、フェイルは思わず視線に迷った。
「試合の最中、或いは試合の直前、直後……休憩中の可能性もありますな。
 何時如何なる時であっても、この身が狙われている事を想定しなくてはならない。
 気を抜けば、毒を塗った矢がこの身体を蝕む事になる……そう言う、緊張感に
 包まれた一日を想定しておりましたが」
「……」
 フェイルの目論見は、クラウには筒抜けだった。
 だが、それは覚悟の上でもあった。
 その上で、この一日の中の何処かに生まれる一瞬の隙を突き、正確に射る――――
 今となっては無意味なそのイメージを、数日前までは何度も頭の中で練り込んでいた。
「失望した、かな?」
「落胆はしましたな。久々に、意味のある一日を過ごせるモノと喜び勇んで
 おりました故。中々、上手く行かないものですな」
「悪趣味なオッサンだな、相変わらず」
 苦笑しながら、ハルが割り込んでくる。
「ま、そーでもしなきゃ、退屈で仕方ないってコトか。大変だな、強すぎるってのも」
「強さの問題ではないのですが……」
 その言葉は、まるで嘆息のように、放物線を描いて下へと落ちる。
 フェイルはその様子に、初めてクラウの感情を見た気がした。
「いずれにせよ、残念だと言う事だけはお知らせしたかったのですよ。
 あの男に一泡吹かせたと言う、貴公の生き様を是非堪能したかった」
「……」
 生き様。
 それは本来、『強さ』や『力』と言う言葉が入るべき箇所に置かれた、
 本質そのもの。
 フェイルは小さい戦慄を覚える。
 バルムンクのような、わかり易い圧倒的能力とは真逆の、
 暗澹に包まれた恐怖。
 まるで、全ての真理を悟っているような、底知れない目が、
 フェイルと同じ方向を静かに眺めていた。
「貴公とは、他人と言う気がしません故」
 そのクラウの言葉に、ハルが目を見開く。
 意外、と言う枠を越え、驚愕の表情だった。
「さて……そろそろ動きそうですな」
 興味があるとはとても思い難い口調で、クラウは予言する。
 そしてそれは、まるでそうある事が必然と言わんばかりに――――的中した。




 フランベルジュの左足が、悲鳴を上げる。
 たったの一撃。
 それも、しゃがんでおり、全力と言う訳にはいかない体勢での一撃だったが、
 的確に肉の薄い場所を捉えた事で、ダメージは濃くなった。
 動けるのか。
 動く事で生まれる痛みはどの程度か。
 負傷した場合、常にそう言った不安が頭の中に生まれるもの。
 フランベルジュもまた、その状況に追い込まれていた。
 そして、その不安は考えれば考えるほど、精神力を奪う。
 精神力が低下すれば、集中力が乱れ、反応が遅れる。
 フライの狙いがそこにある事は、フランベルジュにもなんとなくわかっていた。
「……ふーっ」
 小さく息を一つ吐く。
 わかりやすく。
 それは、深呼吸でもなければ、無意識に漏れた弱音でもない。
 誘い。
 少し前までのフランベルジュであれば、選択肢の中にない行動だった。
 先に攻めさせる事で、相手の動きを見ながら、その都度行動パターンを
 構築していく。
 洞察力に優れた人間ならではの戦術。
 元々、その才能に優れている訳ではなかったが、フェイルを師と仰いで以降、
 最も鍛えられた部分でもある。
 その目は、誘いに乗ったフライの突進を鋭く捉えていた。
 直進的な攻撃。
 中段構えのまま。
 考えられるのは――――突き。
 基本的な攻撃の回避方法は、何度も練習してきた。 

『突きの避け方は、剣を使う方法と、身体で避ける方法の二通り。次の
 攻撃に繋がる意味では、前者の方が良い。体勢を崩さなくて良いからね。
 でも、相手もそれは想定してくる。だから……』

 だから――――手首の返しでいなすと同時に、相手の剣と自分の身体の
 間に自分の剣を入れ、その上で薙ぎ払う。
 修行中、フェイルに言われた事を、フランベルジュは忠実に再現した。
「……うっ!」
 流れるようなフランベルジュの防御と攻撃に、フライは思わず声を上げる。
 その一方で、突いた剣を強引に横へと振って、薙ぎ払いに来た剣を叩き、
 同時に回り込む事で、攻撃を回避した。
 その身のこなしに、フランベルジュも息を呑む。
 あの――――酒場での、バルムンクと対峙した際の印象。
 それが、お互いの中で、矮小な先入観となっていた。
「思ったより、やるな」
「そっちもね」
 思わず軽口を叩き合うのは、実力伯仲と言う事を双方が自覚した証。
 勝てる。
 負けるかもしれない。
 その両極が渦を作り、感情を昂ぶらせる。
 フランベルジュの足は、激痛を訴えている。
 だが、それは脳へと届かない。
 神経が伝う道を、集中力が塞いでいる。
 フライの目論見は、ここに来て外れていた。
「……成程」
 それを悟り、その顔から弛緩していた部分が消える。
 同時に、感情も。
 フランベルジュは、得体の知れない気味の悪さを感じた。

 刹那。

 周囲の観客が、思わず声を漏らす。
 それを生んだのは、フライ。
 フランベルジュまでの距離を、5歩で縮めた。
 だが、感嘆を引き出したのは、スピードではない。
 歩幅と移動のプロセス。
 左右に反復しながら、ジグザグの軌道を描き、接近してくる。
 無論、フランベルジュはそんな敵の動きを目の当たりにした事はない。
 未知の攻撃への焦りが、身体を硬直させ――――

『女剣士は嘗められたら終わり』

 そんな言葉を引き連れてくる。
 それを言った女剣士と、戦った時の記憶も。
 まるで読める気配のない、無形の攻撃。
 それに比べれば――――
「どうってことない!」
 言葉に出したと言う自覚もなく、フランベルジュは左右に飛ぶフライに
 自ら突進した。
 そうする事で、距離が詰まり、想定していた攻撃は出来なくなる。
 突っ込んでくる相手に対する有効な防御手段の筆頭だ。
 が――――
「そう来ると思ったよ」
 フライはそれを読んでいたのか、フランベルジュの突進に合わせるように、
 まだ完全に接近していない段階で木剣を突き出した!
「……!」
 直進の最中、避けられる筈もない。
 フランベルジュの身体に、フライの剣が突き進む――――

「おーーーーーーっ!」

 周囲の観衆から、どよめきにも似た歓声が上がった。
 今度は――――フランベルジュが火付け役。
 身体を投げ出すような勢いで開き、回転する事で、突きをいなした。
 躱しきってはいない。
 だが、本来身体の中心を突き抜ける筈の衝撃は、身をよじった事で
 革鎧の胸部にある継ぎ目の紐を引き千切るのみで済んだ。
 そのまま勢い余って転倒するも、受け身を取りながら綺麗に転がり、
 事実上ノーダメージ。
 鮮やかな攻防に、自然と拍手が起こる。
 無論、それにかまける余裕は両者にはない。
 勝負を決する一撃になるとに確信していたフライは、奥歯を噛み締める。
 呼吸の乱れたフランベルジュは、深く息を吸い、肩を揺らす。
 それから――――攻防は更に膠着した。
 構図は同じ。
 先にフライが攻め、フランベルジュは守る。
 フランベルジュの試合を見ていたのか、上段からの振り下ろしは行わず、
 中段、下段からの攻めに徹しているフライ。
 それに苦労しながらも、木剣を素早く操り、時に反撃を見せるフランベルジュ。
 お互いに決め手はなく――――試合は徐々に消耗戦の様相を呈してきた。






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