エル・バタラを翌日に控えたその日、『それ』は起こった。
 尤も、状況自体は取り立てて大げさにする事でもない。
 とある店に、とある年輩の男性が訪れたと言うだけ。
「ほう……これは中々の良薬だ。日々の疲れが取れるようだな。素晴らしい」
 そして、その男性が店の商品を食い入るように眺め、手にとって称賛し始めた――――
 それだけの事だった。
 ただ、一つだけそこに特異点を見出すとすれば。
「こっちの香草はどうだ? ほう……実に芳醇。ここまで香りで癒やされるとはな。はっはっは」
 高笑いしながら商品を褒めちぎるその男性が、【剣聖】であると言う事。
 薬草店【ノート】を訪れていた客全員が、直立不動でその様子を眺めていた。
「ならばこっちの薬は……ほうほう……む、むむ! 長年痛んでいた古傷が見事に……!」
「いや、だからさ! ワザとらしいにも程があるんだってば!」
 次々と商品を試用し、そしてその度に大げさに絶賛する年輩者に対し、
 フェイルはついに耐えきれなくなり、叫んだ。
 無理もない話ではある。
 なにしろ――――この国における最高の栄誉であり、最強の証でもある【剣聖】の
 称号を持つ男が、店頭で仕込み客のような真似をしているのだから。
 そんな事態の対処法を知る人間など、この世にいる筈もない。
 惨状と呼ばざるを得ない状況だった。
「いや、心遣いは本当に嬉しいし、ありがたい事なんだけどさ……貴方がそれをやると、
 もうなんて言うか、『僕一体誰に謝れば良いの? 国王?』って感じなんで……
 止めて貰えませんか」
「そうか。残念だな。お前が苦労して建てた店を、少しでも盛り立てたかったんだが……」
「その気持ちだけで十分なんで」
「しかし、それでは某の気が」
「ああ、もう! 剣聖は剣聖らしくキリッとしててよ! 貴方、国の象徴!
 示しつかないでしょ各方面に!」
「むう……」
 国内最強の剣聖が、一介の薬草士に説教を受ける。
 かつて、これ程までに衝撃的な場面が、この国の中であっただろうか。
 そんな状況に、普段は一切表情を変えないファルシオンですら、目をパチクリさせていた。
「……もう一度だけ、確認させて下さい。あの方は、かの剣聖ガラディーン=ヴォルス……
 なんです、よね?」
「もう100回くらい肯定したけど……ええ、そうよ。って言うか、アンタも見たでしょ、
 国王の傍にいた、あの凛とした佇まいの剣士を」
 フランベルジュも同様の表情で、もう何度もその問答を繰り返している。 
 リオグランテは早くもサインを貰い、目をキラキラさせて木枠で囲んでいた。
「と、兎に角、もう店の事は良いんで。宿にでも帰って下さいってば」
「折角の再会だと言うのに、つれないヤツだな。そう言う所も師匠そっくりだ。
 あの堅物は飲みに誘っても、一向に先輩の顔を立てようとせん。良いかフェイル、
 何事も張り詰めていてはダメだ。時にはゆとりを持ってだな……」
「帰れーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!」
 ついには、剣聖に対し、強制送還の命を絶叫。
 渋々荷物をまとめ出すガラディーンを、周囲の客はザワザワしながら眺めていた。
「お、おい……ホントにあれ、剣聖か? 日和ってないか? 簡単に勝てそうじゃねーか?」
「あ、ああ。俺、やっちゃおっかな。大会で当たったヤツに先越されたくねーよ」
 そんな声まで聞こえ出す始末。
 フェイルはかつてない事態に、両手で顔を覆った。
 そんな最中――――
「うわーん!」
「ふかーっ!」
 ノノとクルルが道端を走って突進して来る。
 その背後には、黒い霧のようなモノが迫っていた。
「フェイル兄様ーっ! 怖いよーっ!」
「ふにゃーっ!」
 泣き叫ぶノノの直ぐ後ろに迫っているそれは――――
「蜂です! ノノさん、しゃがんで下さい!」
 蜂の大群。
 ファルシオンが魔術を変綴しようと、店を飛び出す。
 だが、ノノは恐怖の余り錯乱しかけており、その声も耳に入っていない。
「ノノ! くそっ……」
 絶対絶命。
 フェイルは間に合わないと悟りつつも、思わず身を乗り出して――――
「……あ」
 結果、その瞬間を目撃した。
 それは、余りに一瞬だった。
 フェイルだからこそ、目に入れられた、まさに瞬動。
 ガラディーンの腰から剣が消え、そして一筋の光が煌めく。
 普通、物体が光に見える事は、決してない。
 フェイルの動体視力なら、尚更。
 しかしながら、それは現実だった。
 まさに、目にも留まらぬ速度。
 ノノの頭越しに放った剣聖の一閃は、その衝撃波だけで、大群だった筈の全ての蜂を、
 その場から『消した』。
「……ふえ」
 ガラディーンの足下で、何が起こったのか理解できていないノノは、
 怯えた眼差しを真上に向ける。
「もう大丈夫だ、お嬢ちゃん。怖いものは某がやっつけた」
 その顔には、大量の蜂の残骸が付着していた。
「ふえええええええええええええええええええええええええええええええええええええん!」
「ふかーーーーーーーーーーーーーーっ! きしゃーーーーーーーーーーーーーーーっ!」
「なっ、何事だ……フェイル、こ、こう言う時はどうすれば良い?」
「顔、洗って来て下さい」
 至極冷静に答えるフェイルとは対照的に、周囲にいた面々はこぞって、
 その見えない剣筋と衝撃に怯え、身を竦めていた。
「ほ、本物だ……圧倒的に本物だ」
「本物にも限度があるだろ……これが剣聖か……」
「つーか……そんなお人に『帰れ』とか言っちゃうこの店の店主、ヤバいヤツなんじゃ……」
 こうして――――薬草店【ノート】は目論見とは全く異なる方向で
 有名になってしまった。


 その日の夜。
「……眠れないの?」
 一人、裏庭で剣を構え、精神統一をしているフランベルジュに、フェイルは
 躊躇なく話しかける。
「こう言う時は、気を使って一人にするものじゃないの?」
「だったら、発見されない場所でやったら?」
「……」
 ジト目の睨み合い。
 先に折れたのは――――フランベルジュの方だった。
「ま、そうよ。高揚状態で、ちょっと寝れそうにないみたい」
 当然、それを鵜呑みにする筈もなく、フェイルは苦笑を禁じ得ない。
 だが、これは心の弱さとは関係ない。
 どんな人間でも、勝負の時を迎える前夜は落ち着かないもの。
 それを正面から受け止めて、最高に限りなく近い体調を作る事が重要だ。
 フェイルはかつて――――それを実行した。
 だが、その時のフェイルとフランベルジュとは、大きく状況が異なる。
「肩……本当に大丈夫?」
「しつこい。私が大丈夫って言ってるのに、他に誰が保証してくれるってのよ」
 少し苛立った口調で、フランベルジュは左肩を回してみせる。
「ここまで来て、これを言い訳にする気なんて、サラサラないのよ。こっちは。
 見てなさい。結果残して、その心配を杞憂にしてみせるから」
 決して、それは自信によるものではない。
 強がりだ。
 その証拠は、彼女が今日引き当てた番号。

【88】

 それは、バルムンクのいる組の番号だった。
 巡り合わせと言えば、そうなのかもしれない。
 もし、バルムンクがあの場に留まり、自身でクジを引いていたら、果たして
 同じような組み分けになったのか。
 そう考え、フェイルは思わず眉間に皺を寄せた。
「……私は絶対にあの男には勝てない?」
 それを見たフランベルジュが、ポツリと問う。
「それは……」
「貴方が剣聖と知り合いなんて、知らなかった。あんなに親しい間柄なんてね」
 そして今度は、脈絡のない事を呟く。
「知らなかったのに、私は貴方を師事した。これって、スゴい事じゃない?
 私の慧眼、もっと信用しても良いと思わない?」
「……確かに」
 良くわからない理由で諭されたフェイルは、ついそう返事してしまった。
「そんな私が勝てる、って言うんだから、少しは信用してよね」
「まあ……」
 そうは言いつつも、フェイルの顔は晴れない。
 実際、そのバルムンクの強さを、フェイルは肌で感じている。
 腕に、足に、頭に、そして――――目に刻んでいる。
 しかも、それは決して、全身全霊を賭けたものではない。
 あの化物の強さは、まだまだあんなものではない。
 そう確信しているからこそ、わかる。
 フランベルジュが、バルムンクに挑む事の、その無謀さを。
「目を覆いたくなるくらい、無謀な事って言いたいのね」
「え?」
 フェイルは思わず、間の抜けた声を上げ、自分が無意識に
 指摘された動作をしていた事を自覚した。
 手をどけると、そこには――――輪郭を失った世界が広がる。
 まるで、インクを滲ませたかのような、曖昧模糊な景色。
 だが、それは次第に、いつも通りの光景へと戻って行く。
「……どうしたの?」
「いや、何でもないよ。それと、別に呆れてもいない。ただ……
 無謀って事は否定しない。あの男は一種の頂点だ。それに勝つって事は、
 大陸随一の剣士って事を意味する。その自覚があるのなら、前言は取り消すよ」
「幾ら私でも、そこまで思い上がってる訳ないでしょう?」
 その言葉に、フェイルは思わず苦笑を浮かべる。
 自信の塊のようでいて、その実、不遜な言葉や態度は虚勢に過ぎないと言う事は、
 ファルシオンの言葉を借りずとも、既に承知済み。
 実際のところ、フランベルジュは決して自分が見えていない訳ではない。
 だが、それでも――――無謀な挑戦である事に変わりはない。
 生半可な気持ちで挑めば、幾ら木製の武器とは言え、只では済まないだろう。
「私はね」
 そんなフェイルの懸念を察したのか、フランベルジュは胸を張り、
 右手に持った細身の剣を掲げ、月にかざす。
 それは、決意を示す者の凛とした姿。
 月明かりを浴びた女性剣士の身体は、しなやかなシルエットを形成り出していた。
「ずっと、強くなりたかったし、強く在りたかった。それは自分の為。
 そして、女性剣士の未来の為。勿論、今もそうなんだけど……」
「だけど?」
「……この大会は、強くなった自分を見せたいと思ってる」
 風が、金色の髪を揺らす。
 月の光に照らされたその金の糸は、艶やかな波を打った。
「私は今、ここにいる。これだけの事をやった結果、この位置にいる。
 これだけの人に力になって貰って……ここにいるって。報告したいのよ」
「誰に?」
 その問いに、フランベルジュは答えなかった。
 ただ、その目は月を見ていた。
 少しだけ、瞼を落として。
 フェイルはその様子に、なんとなく――――かつての自分を見た。
「……バルムンクは、パワーだけが驚異じゃない。寧ろ、もっと怖いのは
 一切無駄のない動きをあの体型でこなす、その頭と器用さかもしれない」 
「え?」
「何処まで再現できるかはわからないけど」
 その姿を重ねたまま、裏庭に落ちている訓練用の木剣を手に取る。
 無論、剣の使い手ではないフェイルに、それを器用に操る術はない。
 だが、接近戦を突き詰めて勉強した事で、それなりの知識はある。
 身のこなしに関しては、まだまだ現役。
 何より――――弓への拘りは、既に捨てていた。
 あの日、撃つ相手を決めたその時から。

 クレウスではなく、プルガを射た、あの瞬間から。

「掛かって来なさい。バルムンクと思って」
「……良いの?」
「こんなでも一応、僕は師匠らしいからね。弟子を指導するのは、当然の事だよ」
 弓を置き、それでも鼻腔を擽り続けた、夢の残り香。
 最後の拠り所であり、唯一の繋がりでもあった、闇の衣。
 本当の意味で、それ等と決別する事になった、この夜――――


 天はいつまでも、黄金の真円を描き続けていた。









 the curtain went up.

this town is wrapped in a false success, and becomes extinct suddenly.

however, few know the truth of the matter.

two plans are carried out and thinned out.

the disorderly plan under which many intrigues crosses.

the tragedy happens on the ground.

hope sleeps underground.

...and the future is ――――



―――― left to a limited life.








"αμαρτια"

#4

the end.





 

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