貴族が構える家の特徴は多数あるが、その最たるものは、顕示欲。
 それは、スコールズ家の屋敷にも色濃く出ている。
 二階建て横断型の幅広い建築物は、見る者に圧迫感を与え、臙脂色の屋根は青空とのコントラストで
 より目立って見える。
 更には、機能性や有用性など皆無に等しい、無意味な彫像や前衛芸術品が、やたらと長いスパンの
 前庭に点在している様は、ある種の地獄絵図だった。
 とは言え、侵入者となったフェイルにとって、物陰の多いこの前庭は寧ろありがたい。
 慎重に気配を察知しながら、屋敷の壁を伝い、内部へ入り込めそうな場所を探す。
 流石にエントランスに直接、と言うのは不可能。
 厨房以外の裏口や、開いている窓を探すしかない。
 だが、貴族の屋敷らしく、窓には滅多にないガラスが使用されており、
 すんなり中へ入れる窓口は見当たらない。
 幾ら広大で、物陰も多いとは言え、前庭に長時間いるのは余りに危険。
 悠長に探す余裕もない。
 見取り図のような物があれば、それを参考に出来たのだが、公共の施設でもない
 屋敷の図面など、入手しようもない。
 身を屈めながら壁に背を付けて移動するフェイルは、次第に焦りの色を濃くしていた。
 その刹那――――
「俺達も出た方が良いのか?」
「そうだな……サボってると思われるのは、余り得策とは言えんだろう」
 屋敷の角に差し掛かった所で、その向こうから声が聞こえてきた。
 二人。
 会話の内容から、警備兵である事がわかる。
 このままでは、あと10秒もしない内に、鉢合わせとなる事は明白。
 フェイルの身体から、一気に冷たい汗が吹き出した。
 同時に――――この侵入の無謀さを自覚する。
 何故、こんな分の悪い、それでいて無計画な方法を選んだのか。
 言うまでもない。
 焦っているからだ。
 フェイルはいつも、焦燥感に苛まれている。
 何故なら、これまで目的として、目標として掲げてきた全ての事が、
 自分ではなく、別の誰かの為だったからだ。
 弓矢の存在価値を見直して貰う。
 御前試合で勝利を飾る。
 裏の仕事を完璧にこなす。
 薬草屋を存続させる。
 そして、この侵入。
 全ては――――自分以外の処に、その起源がある。
 だからこそ、落ち着かない。
 落ち着くべき場所が、自らの中にない。
 そこに在るのは、浮遊感。
 募るのは、焦りと不安。
 本来、弓兵士や薬草士が決して持ち合わせてはいけない、毒素のような感情。
 そんな自分に、思わず苦笑しそうになる。
 何をやっても中途半端。
 そんな自分に、救いの手など差し伸べられる筈もない。
 例えば、直ぐ傍にある、幾つもの枠で仕切られた窓が突然開き、
 そこから何者かが手を伸ばして、引き入れてくれる――――そんな甘い現実は、ここにはない。
 ないなら。
 ないのであれば、自分で切り抜けるしかない。
(そう肝に銘じて、自分から野に下りたんじゃないか……!)
 瞬間、フェイルの左手が、窓の下枠を掴む。
 続いて右手。
 それと同時に、両の足を全力で地面から弾ませ、跳ぶ。
 着地点は、その窓の下枠。
 大した高さではないので、ここまでは難しくない。
 難しいのは、ここからだ。
 足音は次第に、角に近付いてくる。
 後、6歩もすれば、その角から姿を現す。
 5歩。
 4歩。
 3歩。
 2歩。
 1歩――――
「にしても、わざわざ矢文で不審者を報せるって、怪しいよな」
「ま、正面から現れて『不審人物がいます!』っつっても、取り合って貰えないと思ったんだろ。
 意味深な方が動こうって気にもなるからな。実際、動いちゃってるし」
「これで何もなかったら、いい笑い者だけどな」
「良いじゃねぇか。どうせ暇なんだし」
 雑談を交わしながら、警備兵は角を曲がり、平然と歩いて行く。
 フェイルは――――その真上を跳んでいた。
 窓の横枠を蹴り、丁度角から二人が出てくる瞬間を狙って、彼等の現れた方へと跳躍。
 そして、角に身体が差し掛かかろうとするその刹那、壁側にある左手を伸ばし、
 手首を曲げ、角の奥側に掌を貼り付ける。
 そのまま、その手を身体の方へ引き寄せるように力を込める。
 結果――――フェイルの身体は屋敷の壁の角を沿うような形で、空中で方向を変えて
 角の奥側へと姿を消して行った。
 更に、脚をめいいっぱい伸ばしたまま、着地――――と同時に膝を柔らかく曲げる。
 そして、そのまま身体ごと倒れ込み、転がるようにして衝撃を分散させ、
 着地によって生じる音を最小限になるよう殺した。
 それでも、耳の良い人間なら、物音がした事に気付く。
 緊張の一瞬――――
「……」
 角の向こうからの反応は、何もなかった。
 思わず漏れる安堵の息を噛み殺し、フェイルはゆっくりと立ち上がる。
 身軽さはそれなりに自信があったものの、この回避方法が成功したのは、
 偶然に近い。
「……ん?」
 そんな、心臓に悪い状況を脱したフェイルに待っていた次の舞台は、屋敷の東側。
 屋敷の壁と外壁の間には、かなりの幅があるものの、流石にここには彫刻等の
 人工物は存在しない。
 代わりに、鬱蒼と生い茂った木々が何本も立っていた。
 枝には精悍な顔の鳥が、涼しげな様子で留まっている。
 その木を登り、二階の窓から侵入――――そんなシナリオが頭に浮かぶものの、
 木と屋敷は密接していない為、仮に二階の窓が開いていても、それは不可能。
 うなじをポリポリと掻きつつ、慎重に先へと歩を進める。
 すると――――
「まだまだだ!」
 奥の方、屋敷の裏側に当たる方向から、大きな声が聞こえて来た。
 思わず最寄りの木の陰に隠れ、様子を伺う。
 姿を現す様子は――――ない。
「木剣に振り回されている。それでは折角の身体能力も、魅力半減だ。
 腰を落とせ! 足の親指を意識しろ! 肘から先ではなく、全身で剣を振れ!」
 聞こえてくるのは、明らかに剣の指導。
 そして、その声は――――フェイルの耳に触れた事のある声だった。
(アロンソ……か?)
 ただ、彼の大声を聞いた事がない為、確証は持てない。
 もし、アロンソがこのスコールズ家で指導をしているのであれば、
 シナウトとスコールズ家の間に繋がりがあると言う説は、かなり信憑性を増す。
 だが、その後彼の声は聞こえて来なくなり、気配も消えた。
 フェイルは心は大慌て、身体は冷静な状態で歩を進め、再び角に差し掛かった所で、
 少しだけ顔を出し、その奥をこっそり覗いた。
 そこには――――
「ぜぇ……ぜぇ……」
 全身を激しく上下させ、息を切らしているリオグランテの姿があった。
 周囲には、木の枝からぶら下げられた棒や、人の大きさの木製人形など、
 訓練用の道具が幾つもある。
 この裏庭が、リオグランテの訓練場と言う事らしい。
 他の人間の気配はない。
 フェイルは声をかけようと、身体を乗り出した――――
「うあーっ!」
 が、突然のリオグランテの奇声に、思わず足を止める。
 更に、木剣を叩き付け、前髪を鷲掴みにして、天を仰いだ。
「……はぁ」
 そこで、鎮火。
 嘆息を漏らしたリオグランテは、木剣を拾い上げ、無造作にそれを振った。
「……」
 フェイルは、その所作に思わず息を呑む。
 何気ない動作。
 だが、それだけでも、リオグランテの現状を知るには十分だった、
 明らかに強くなっている。
 それも、根本的な技術の飛躍的な向上。
 以前の、ただ得物を振り回すだけの手振りとは明らかに違う、全身が連動した所作。
 先刻の指導者の言葉とは裏腹に、リオグランテは確実にそれを手にしていた。
「……このままじゃダメだ……このままじゃ……」
 だが、そんな喜ばしい事実を否定するかのように、リオグランテはそんな言葉を
 ブツブツと繰り返しながら、屋敷の中へと入って行った。
 裏口と思しき扉が開き――――そのまま閉じる事なく、外気を中へと送り込んでいる。
 閉め忘れたらしい。
 それも、現在のリオグランテの余裕のなさを示した行動だったが、今のフェイルにとっては
 好都合。
 急いでその裏口へと向かい、気配を探りながら中へと入る。
 だが、その一方で、注意力はやや散漫になっていた。

『あの子が、変わってしまったか』

 ファルシオンの言葉が、脳裏を過ぎる。
 貴族と懇意にしている所為なのか、【エル・バタラ】へのプレッシャーからなのか、
 指導者やリッツとの関係性によるものなのか、他に理由があるのか――――
 いずれにせよ、その言葉は現実味を帯びてきた。
 尤も、多感な年代という事もあり、変わる事自体は不自然な事ではない。
 悲観するには、時期尚早だ。
「……?」
 不意に、話し声が聞こえてくる。
 フェイルはリオグランテの事を一時頭から消し、現実に目を向けた。
 裏口と思しき入り口から数段の階段を上った先には、左右に伸びる長い長い廊下がある。
 流石に貴族の屋敷らしく、足下には赤絨毯が敷かれているが、絵画や彫刻、骨董品のような
 美術品は一切ない。
 あれだけ前庭で誇示していた事を考えると、不自然とさえ言える。
 そんな廊下に漏れ聞こえてくる声は、直ぐ傍の扉を隔てた先から聞こえてきた。
「では、アロンソ殿は今、勇者殿を指導なさっているのですか?」
「ああ。素晴らしい素質の持ち主だ。日に日に上達するその姿を見ているだけで、
 気分が高揚してしまう。その所為で、つい要求が高くなってしまうよ」
 扉を隔てているものの、その声は、紛れもなくアロンソのもの。
 これで、裏は取れた。
 誰かと会話しているようだが、その相手は定かではない。
 尤も、その事に気を掛ける必要はない。
 既に目的は果たしたのだから、一刻も早くここを離れるべき――――だった。
「年食った証拠だな。オレ様はまだ、指導者の立場で語るなんてコトは到底できねーぜ」
 が、その声を聞いてしまった以上、動く事は叶わない。
 あの、食事処【ケアプロベッチェ】で出くわした男の声。
 標的の一人――――クレウス=ガンソ。
(何で……!?)
 テュラム家で世話になっている筈の人物が、ライバルのスコールズ家にいる。
 そのあり得ない状況に、フェイルの頭には軽い混乱が生まれた。
 更に、追い打ちを掛けるように、会話は続く。
「相変わらず、血気盛んですね。クレウス殿は」
「そっちが上品過ぎるんだよ。王都被れし過ぎじゃねーのか? プルガちゃんよ」
 プルガ。
 プルガ=シュレール。
(……!)
 彼もまた、標的の一人。
 3人の標的の中の2人が一堂に会している。
 その事実は、廊下で立ち聞きしていると言う極めて危険な状況をフェイルに一瞬忘れさせる程、
 衝撃的だった。
 偶然でこの集いはあり得ない。
 プルガもまた、スコールズ家と勢力争いを繰り広げている貴族、コスタクルタ家の推薦で
 この地を訪れた騎士なのだから。
 だが、その理由は早々に判明する。
「余りそう挑発的になるな、クレウス。我々がこうして一堂に会するなど、久々の事じゃないか。
 僕は蚊帳の外になってしまったが、な」
「ケッ、相談もなしに出て行った野郎が今更黄昏れてんじゃねーよ」
 これは――――同期の集いだった。
 元騎士のアロンソ。
 宮廷魔術士のクレウス。
 騎士のプルガ。
 いずれも王宮の兵達。
 その関係性は、成立して然るべきだった。
「それにしても、運命とは数奇なものですね。王宮で鎬を削った私達が、今度は武闘大会で
 腕を競う事になるんですから」
「ああ。この機会に一度序列を決めてみるのも悪くないかもな。尤も、魔術士の
 クレウスには、少々厳しい条件かもしれないが……」
「そっちこそ挑発してんじゃねーか。お?」
 言葉だけを拾えば、剣呑な雰囲気を想像してしまう程のやり取り。
 しかし、争うような物音や口調は一切ない。
 それが同期と言うものなのだろう――――等と苦笑するような余裕は、フェイルにはなかった。
「ま、お前等が地下の件で仲良くしてる間、オレ様は以前より遥かに強くなったぜ。
 最新の技術も導入したしな。お前等に後れを取る要素は何一つねーな」
「オートルーリングですか。確かにあれは驚異です」
 会話が継続される中、更に一つ引っかかりを覚える情報が追加された。
(地下の件……【メトロ・ノーム】か)
 それはつまり――――
「もう帰るのか?」
 刹那、思考を遮断する言葉がアロンソから発せられる。
「ええ。一応我々は敵同士ですから。仲良くするのはここまでと言う事で」
「オレ様は最初から来る気はなかったんだがな。このチビがどうしても、って言うから
 付いてきてやっただけだ。この家に長居する気はねーんだよ」
 プルガ、クレウスが席を立つ。
 すなわち――――廊下へ出ると言う事。
 このままならば当然、鉢合わせだ。
 身の安全を確保するなら、急いで屋敷を出る必要がある。
「……」
 フェイルは弾けるようにその場を離れ、裏口を通って外へと出る。
 そして、目指すのは――――少し離れた場所に立っている、木の上。
 逃げると言う選択肢は、一切なかった。
 この状況を見過ごす手はない。
 標的の内のどちらかを仕留める、またとない好機。
 既に、契約としては破綻している依頼だが、一度失敗して間もない状況で
 そこに甘えて破棄するとなれば、最早狙撃手としての価値を失う。
 そう言う強迫観念も、フェイルの行動を後押ししていた。
 一心不乱に枝を掴み、幹を蹴り、上へと登る。
 その振動と物音で、我が物顔で留まっていた鳥が驚きと共に飛び立って行くが、
 罪悪感など微塵もない。
 そして、外壁とほぼ同じ高さまで登った段階で、最寄りの枝の根元に足を置き、
 裏口付近に【鷹の目】を向けた。
 プルガ=シュレール。
 クレウス=ガンソ。
 二人が並んで、外へと出てくる。
 無防備。
 狙撃するには、最高の状況だ。
 だが――――
(……どっちを?)
 矢を取り、番え、弓を構えるフェイルの照準は、二人の間を彷徨い続ける。
 二人を同時に狙うのは不可能。
 いずれも、王宮が認める強者だ。
 一人目に命中した時点で、警戒心は最大値まで跳ね上がり、どれほど鋭い矢を放っても
 回避される事になるだろう。
 それどころか、見張り塔からバルムンクを狙撃した時のように、居場所を特定される
 恐れも十分にある。
 射たら、即逃走。
 それ以外に、生き残れる道はない。
 問題は――――どっちを狙うかだ。
 狙いやすいのは、クレウス。
 プルガは身体が小さく、身軽。
 避けられる可能性は、クレウスの方が低い。
 しかも、プルガの方は、ある程度居場所を特定できている。
 ここで狙うのなら、クレウスだ。
 
『いつか、そう言う日が来るのなら、それはとっても嬉しい事だよ』 

(……っ)
 頭を振る。
 呼吸を整える。
 そして再度、照準を合わせる。


『約束だよ』




           トク。




                             トク。




   トク。




                  トク。




 鼓動が、揺蕩う。
 ゆらゆらと。
 ゆらゆらと。
 漂うように、胸を叩く。

 ――――クレウスを。

 ここで狙撃し、大会へ参加できない状態にすれば、高い確率でそのまま王都へ帰って行く。
 アルマの代わりを依頼する機会は失われてしまう。
 元々、宮廷魔術士が、このヴァレロン新市街地へ足を運んでいる事自体、異例。
 もう、二度と訪れない。
(どっちだ……)
 鷹の目が泳ぐ。
 不器用に。
 もがくように。
 そうしている間にも、二人の標的は歩を進め、照準から外れて行く。
「……!」
 瞬きを忘れた右目が、不意にその視界を乱した。
 濃い霧に覆われたような、曖昧な世界が広がる。
 その現象は――――初めてではない。
 幾度となく訪れた、終焉の合図。
 時間がない。
 が、選べない。
(……それでも)
 歯が軋む。
 呼吸が止まる。
 刹那、逡巡は飽和を越えた。
(……選ぶしか――――)
 それに連動するように、弦がしなり、弓が力を貯める。
 火花のように。
 閃光の如く。
 だがそれは、同時に――――無限にも似た万劫の刻。
 額から落ちる汗が、睫毛を濡らす。
 その水滴が、弾けるように霧散し、ごく小さな爆発を起こした。
(――――ないんだ!)
 瞬間。
 先程空へ飛び立った鳥が、太陽を包むように、大きく迂回し――――


 一片の羽根を、地上へと落とした。






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