【エル・バタラ】開会式まで、あと三日。
 レカルテ商店街の雰囲気も、徐々にその大イベントに向けて、忙しないものに変化してきており、
 何処か浮ついた空気が漂い始めている。
 そして、それは薬草店【ノート】も例外ではない。
「これで、準備は整いましたね」
 満足げに、でも表情はそのままに、ファルシオンは仕上がった店内の様子に
 最終チェックを入れていた。
 既にリニューアルの準備は終えていたが、そこに少し華やかな要素を加え、
 祭典の雰囲気を演出。
 店の一角に作られた、薬草や花の生い茂った長く大きな植木鉢と、それを囲む
 オシャレな柵が、薬草店としての拡張を際立たせている。
 そして、最大の売りである『即効性重視の薬』に関しても、既にその効果は証明され始めていた。
「……驚いた。こんなに効くモノなの? 薬草って」
 ロギ=クーンの矢によって射貫かれたフランベルジュの左肩には、当然ながら今も生々しい
 傷跡は残っている。
 しかし、その包帯の下の傷は、まるで眠りに就いているかのように、自己を主張しない。
 痛みは違和感程度に抑えられていた。
「だからと言って、治ってる訳じゃないからね。この薬は飽くまでも、鎮痛効果に重きを
 置いているからこそ、痛みが和らいでるだけ。治りが極端に早まってる訳じゃない」
「十分よ。これなら、肩も問題なく上がって――――」
 その瞬間、フランベルジュの身体が黄魔術で射貫かれたかのように、痺れて硬直した。
「だから、傷が治ってる訳じゃないんだってば。無理をすれば相応の痛みは出るんだよ」
「先に言いなさいよ……うう」
 とは言え、露骨に真上まで上げなければ、そこまでの激痛は生まれない。
 上段の構えは厳しいが、中段以下ならば十分に可能。
 攻撃のバリエーションも、大きな振り下ろしや極端なすくい上げのようなモーションでなければ、
 ある程度の幅を持たせる事は出来る。
「ただ、問題は防御。相手の振り下ろしに対して、上段で防ぐ事は出来ないから、
 躱すか、頭を下げるかして防がないといけない。臨機応変な行動が求められるよ」
「承知してるっての。大丈夫よ。これなら、思ってた以上にやれそう」
 フランベルジュは現在、退院し、薬草店【ノート】の居間に寝泊まりしている。
 薬草、水の調達など、傷口に必要なケアが最も円滑に出来る環境を考慮しての事だった。
「それじゃ、今日も安静に。間違っても剣は振らないように」
「ええ。前日まではね」
 妙に素直なフランベルジュに一抹の不安を覚えつつも、フェイルは頷き、居間を後にした。
 大会を間近に控え、フランベルジュは明らかに変わった。
 以前のような、常に虚勢を張って、張り詰めていると言う雰囲気は薄らぎ、
 寧ろ余裕すら感じさせる事も少なくない。
 以前のフランベルジュなら、大会を前に負傷した時点で、自暴自棄になっていても
 おかしくはないが、現状ではその前兆すらない。
 戦闘スタイルを変え、手にした自信。
 師匠として迎えたフェイルへの信頼。
 それ等が、一人の剣士をめざましい成長へと導いている。
「正直言って、驚いています」 
 売り場に戻ったフェイルに対して、ファルシオンはその事を切々と語った。
「いや、師匠への信頼って言うのは、ちょっとどうかと思うけど。やらかしちゃったし」 
「それを責めない所が、信頼の証です」
 その声には、何処か嬉しさが含まれているように、フェイルには感じられた。
 既に、ファルシオンの感情表現に対する察知能力は、かなりの水準に達している。
 それくらい、濃密な時間を過ごしてきた証拠だった。
「ただ……気になる事もあります」
「やっぱり、大会への参加は止めさせた方が良い?」
「いえ。フランの事ではありません。リオです」
 そう。
 ここ数日、リオグランテは全く宿へと戻っていない。
 そればかりではない。
 フランベルジュが負傷した事を、スコールズ家を介して知らせても、一切反応がない。
 仲間が大怪我を負ったというのに、見舞いはおろか、手紙すら寄越さない状態が続いている。
「確かに妙だよね……連絡が止められてるのかな?」
 大会まで残り数日。
 より集中して特訓を重ねる為に、外部からの声を完全遮断すると言うのは、
 一応の理屈としては通っている。
 だが、身体を酷使する訓練というものは、一日中行える訳ではない。
 それは、宮廷弓兵団に所属していたフェイルも、熟知している事。
 一流の指導者を迎えていると言うスコールズ家にあって、無茶苦茶な特訓を
 させている筈はなかった。
「その可能性も、ない事はありません。若しくは……」
 刹那。
 ファルシオンの声が、珍しく沈んだ。
「あの子が、変わってしまったか」
 その呟きは、フェイルも危惧している推論の一つ。
 貴族と懇意になり、仲の良い異性が出来て、毎日が充実している一方、贅沢三昧の
 日々が続き、更には優れた指導者によって、自分の才能がドンドン開花していると言う
 状況が推測される中、果たしてリオグランテが、これまでと同じような純粋さを保っているのか。
 或いは――――自分の意思で、仲間の負傷を『それどころじゃない』と判断しているのか。
「……余り想像したくありませんが、純粋な人間ほど、環境に左右され易い傾向はあります。
 そうなっていても、不思議ではありません」
「まだ、そう決めつけるのは早いよ」
「はい。あくまでも推測です」
 そうは言いつつも、ファルシオンの声は優れない。
【エル・バタラ】の開会式になれば、自ずとその答えは出てくるのだが――――
「……ちょっと出て来る。フランの事、任せて良いかな」
「それは構いませんが、どちらへ?」
「運動。最近、あんまり動けてなかったしね」
 フェイルは弓と矢筒を担ぎ、更に大きな革袋を手に取る。
「……普段から装備しておかないと、いざって時に感覚が違って動き辛いからさ」
「そうですか」
 少々ぶっきらぼうな答えに、なんとなくフェイルは苦笑する。
 何処まで見透かされているのか――――
「あ。そう言えば……この前はゴメン。あれは僕が間違ってた」
「……はい?」
 その事が少し癪だった為、敢えて具体的な説明はせず、フェイルは【ノート】の扉を開いた。


 レカルテ商店街のある区域から、東へ向かった先にある【ヴァレロン・サントラル医院】。
 更に、そこから北東に向かって少し歩いた先に、【スコールス家】の屋敷は存在する。
 ヴァレロン新市街地においては、アロンソ通りに次ぐ大きさの道に面している
 その屋敷は、【ヴァレロン・サントラル医院】程ではないものの、正面の門よりも
 かなり高い壁に囲まれており、通りから屋敷内を目視する事は出来ない。
 内部を『調査』するには、この壁の中へ侵入する必要がある。
 ただ、貴族の屋敷が侵入者を易々と招き入れるような警備体制である筈もなく、
 壁の内側には、見張り役、若しくは番犬が配置されている事は想像に難くない。
 まして、現在は日中。
 通りには人が歩いており、その目もある。
 通常なら、そう言った通行人がいない夜間に忍び込むのが常套手段なのだが、
 常に盗賊から狙われる運命の貴族の家では、夜間こそ警備体制を強化する。
 周囲の目を除けば、日中の方が入り込みやすい。
 無論、単純に屋敷内へ入るだけなら、正面の門から堂々と『勇者リオグランテの知り合いです』
 と名乗れば良い。
 リッツとも面識がある以上、無碍にされる事はないだろう。
 ただ――――その場合、常に監視下に置かれ、自由に動く事は出来ない。
 リオグランテの様子を確認するだけならば、それでも問題ないが、フェイルがここを
 訪れた理由は、それだけではなかった。
 先日の、交渉の皮を被った脅迫。
 フェイルはそれに対し、『受ける』とも『断る』とも明言していない。
 一方、カバジェロの方も、『出来れば、敵には回したくない』と返した。
 まだ敵ではない、と言う事。
 そして、この現状こそ、今フェイルが出来る最大の『抵抗』だ。
 ロギと言う、革鎧の隙間を狙い撃てるような、極めて優秀な弓使いがいる以上、
 何処かに幽閉でもしない限り、身を守る事は難しい。
 つまり、いつファルシオンやリオグランテに危険が及んでもおかしくない状況だった。
 だが、その脅迫に屈し、依頼を全面的に受けた場合、それは同時にスティレットの
 配下に加わる事を意味する。
 例え、フリーランスの闇討ち屋という立場であっても、これ程の大物と関わりを持てば、
 周囲はそう見なすだろう。
 そうでなくとも――――仲間に矢を放った相手に、手を貸す事になる。
 いずれも、避けなければならない事態。
 だが、『保留』にすれば、どうなるか。
 敵でも味方でもない状態で、更に『狙撃』を行えば、フェイルとスティレットは
 完全に敵対する事になるだろう。
 それは、シナウトと敵対する上で、猫の手も借りたい状況の彼女等にとって、
 決して得策ではない。
 実際、カバジェロの言葉は、それを裏付けるものだった。
 つまり、現状こそ最良。
 ただ――――保留のままでいれば、いずれはスティレット、或いはカバジェロも
 何らかの決断を下さなければならない。
 それが、『フェイルへの見限り』となれば、彼女等の秘密の一端を知ったフェイルの
 身の安全は保証されない。
 フェイルは、自分で自分の身を守らなければならない。
 それが、このスコールズ家への潜入。
 連中の知りたい情報を握っておく事だ。
『何者かがスコールズ家へ潜入した』と言う情報を、ギルドを通じて流せば、
 カバジェロ達が『それはフェイルの仕業だ』と判断する事は、想像に難くない。
 そうなれば、迂闊に手出しは出来なくなる。
 これが、フェイルがここに来た動機だ。
 後は――――侵入するだけ。
 尤も、それが一番難しいのだが。
「……壁を乗り越えるのは、無理か」
 一周した段階で、フェイルはそう結論付けた。
 そうなってくると、突破口は一つ。
『正面から』『侵入する』。
 それ以外にはない。
 フェイルは、予め持って来ていた革袋から、羊皮紙と羽根ペンを取り出し、
 壁の方を向いて、サラサラっと文章を書き記した。
『屋敷の周囲に、中を伺おうとしている不審人物の姿あり。注意せよ』
 他ならぬ自分自身の事だが、当然それは自分を特定させる為のものではない。
 続いて、袋の中の矢筒から一本の矢を取り出し、折り畳んだ紙を結び付ける。
 矢文だ。
 黒歴史となった感もあるが、以前フランベルジュにシナウトの存在を意識させる為にも
 同じような方法を用いた事があった。
 ただ、今回は壁の向こうへ射る必要がある。
 その上、『人に当てないようにする』事も配慮しなくてはならない。
「さてと……何処が良いかな」
 それを踏まえ、フェイルは壁から離れ、向かいの建物と建物の隙間に入り、
 人目から離れた所で、その矢を放つ。
 矢は放物線を描き、外壁を越え――――屋敷二階の壁へ当たり、鈍い音を放った後、
 下へと落ちて行った。
 そこは、屋敷の玄関の前。
 取り敢えずは、狙い通りの場所だった。
 後は、それを拾って貰うのを待つのみ。
 フェイルは祈るように、その時を待った。


 ――――建物の隙間から門の方を伺う事、30分。
 屋敷内から、数人の警備兵と思しき人物が現れ、周囲へと散って行った。
「ようやく……か」
 心中で小さく安堵の声を発し、首を回す。
 彼等がこれから行うのは、不審人物の洗い出し。
 視認、更には聞き込みを行うだろう。
 そして、聞き込みの際には、こんな解答が返ってくる。
『確かに、壁の周りをウロウロしている人物がいた』と。
 実際、フェイルがそれをやっていたのだから。
 そうなれば、聞き込みに出た警備兵は、更なる調査の為、暫く戻ってこない。
 全員が出払った訳ではないだろうが、かなりの人数が外に出ている為、
 中は手薄になっている筈。
 フェイルは機を見て、堂々と屋敷の門に近づき、監視の目がない事を確認し、
 ひょいっと門を飛び越えた。






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