シナウト。
 ハルの口から初めて聞いて以降、幾度となく耳にした言葉。
 それが初めて、フェイルの中で具体的な輪郭を帯びた。
【メトロ・ノーム】における穏健派、保守派を意味するこの組織は、この地下街に
 不穏な要素を入り込ませないよう、間引きを行っていると言う。
 スティレットが買収を狙っているのであれば、この上ない『間引きの対象』となるだろう。
 そう言う意味では、話の辻褄は合っている。
 よって、スティレットとシナウトの対立構造は、ほぼ確実と言って良い。
「シナウトは、この【メトロ・ノーム】を私物化している。あるがままである事を強要している。
 それでは、この地下街の持つ大きな可能性をみすみす捨てるようなものだ」
 ロギは努めて冷静に語る。
 フェイルの記憶の中にある、酒場で対面した弓使いの発した数少ない声と、その声は、一致した。
「……つまり、立ち退きの強要に協力しろ、って言う事?」
「それは些か語弊がある。だが……現状では、その表現が妥当なのかも知れぬな」
 カバジェロの声に、若干の疲労感が伴った。
「現状では、我々はシナウトの正体を計りかねている。特定できている人物はいるが、
 その者は末端の一人に過ぎない。誰が裏で糸を引いているのか……」
「ケッ、そんなのワカりきってるだろーが」
 慎重な発言のカバジェロとは対照的に、アドゥリスは断定するかのようにそう吐き捨てた。
 同じ勢力ながら、見解の統一はなされていないらしい。
「あんなクソみてぇな騒動を起こしといて、スコールズ家が無関係なワケがねぇ。
 黒幕はヤツ等に決まってら」
「あの令嬢失踪事件の事、だよね」
 記憶に新しいその騒動の結末は、フェイルもファルシオンも一切納得の出来ないものだった。
 必ず、何かしらの裏がある。
 それを裏付けるかのような発言に、フェイルの身は自然と前へと向く。
「あれは、シナウトって連中が起こした事件じゃないの?」
「恐らくはそうだ。少なくとも、スティレット様はそう見なしている。
 シナウトがスコールズ家を後援者に据える為に起こした、自作自演だろう」
 その一言で、フェイルは自分達が描いていたシナリオに修正を加えた。
 以前フェイルが描いた推論は、『保守派(シナウト)の一員がリッツを誑かし、
 スコールズ家を身内にするか、手切れ金を搾取するかのいずれかによって資金を調達する』
 と言うものだった。
 ただ、『自作自演』となると、シナリオは少し変わってくる。
 何しろ、リッツ救出の為に動いていた勢力の中で、際立って目立っていたのが、アロンソ隊。
 フェイルの推論が正しければ、シナウトの一員である筈の人物だ。
『自作自演』が真実であれば、自分達で誘拐も当然の駆け落ちを仕向けておきながら、
 自分達で連れ戻すと言う事になる。
 そうする事で、アロンソがスコールズ家から信頼を得る。
 そうなれば――――スコールズ家がアロンソ、引いてはシナウトの後援者になる可能性は、十分ある。
 娘の恩人に出資すると言う構図は、道義的にも何ら破綻はない。
 ここに来て、ようやく『令嬢失踪事件』の真相が見えてきた。
 だが――――
「だとしたら、どうして『スコールズ家が』黒幕になり得る? 彼等は出資者ではあっても、
 シナウトと言う勢力の中心にはなり得ないんじゃないの?」
「意外と鈍ぃな、テメー」
 失笑のような声が、室内に響く。
 少しカチンと来たフェイルは、『スコールズ家黒幕論』の可能性を探った。
 出てくる答えは――――
「……一枚岩じゃない、って事か」
「流石、元宮廷弓兵。発想の転換が早い」
 カバジェロの言葉は、フェイルの推論を支持するものだった。
 一枚岩ではない。
 それはつまり、スコールズ家の事だ。
 王宮同様、貴族の家には良くある構図。
 複数の権力者が発生するケースだ。
 そもそも――――リッツの家に、シナウトの関係者が使用人(リッツを誑かした
 張本人=ウォーレン)として送り込まれている時点で、『シナウトとスコールズ家は
 繋がっている』と考えるのが自然だ。
 通常、貴族や富豪が身元の定かでない人間を使用人として雇う事は、滅多にない。
 敢えて招き入れたと考える方が自然だ。
 だとすれば、失踪事件そのものが、スコールズ家による手引きによって行われた事になる。
 スコールズ家を混乱させる事件を、スコールズ家が起こした。
 それが何を意味するのか。
 スコールズ家が一枚岩ではない、と言う事だ。
「しかし、幾ら有力な説でも、証拠はない。確信がない以上、それを前提として動く訳にはいかない。
 裏を取る必要がある。とは言え、長らくスティレット様の下で動いてきた我々がそれを行うのは
 リスクが大きい。顔が割れている可能性もあるのだから」
「その役回りを、僕にさせる……って事か。どうして僕なの?」
 ようやく、話の全貌が見えてきた事で、フェイルの中に少し余裕が生まれた。
 その尤もな疑問に対し、答えたのは――――
「信頼に値する人物だと、判断したからだ」
 ロギの落ち着いた声だった。
「その腕に関しては、カバジェロも俺も、高い評価を下している。弓使いとしての技量は、
 この大陸の中でも指折りの筈だ。あの時の、矢と矢で交わした会話が全てを物語っている」
 二つの矢が衝突した瞬間の音が、フェイルの脳内に響く。
 それは、弓使いにとって、何にも代え難い福音。
 ロギもまた、同じ感想を抱いている、と言う事だ。
「加えて、裏の世界に精通している点。キースリングから依頼を受けているようだな」
「……随分と、色んな所に触れ回ってるみたいだね」
 既にデュランダルによって、その事実は明るみに出ているので、驚きには値しない。
 ただ、ここまで来ると、確実に標的に対しても筒抜けになっていると言う事で間違いはないと
 面白くない確信を得、フェイルは思わず溜息を漏らした。
「そして何より、貴殿の関係者……勇者が今、スコールズ家と懇意にしている事。
 これが大きな理由となった。その関係性を活かせば、調査する事は難しくないと」
 カバジェロの補足は、フェイルへ依頼する動機としては、十分なもの。
 適任である事は明白だった。
「無論、タダでとは言わない。報酬は十分な額を用意する。交換条件でも良い。
 今、貴殿が標的としている相手の情報と、だ」
 その誘惑は、魅力的なものだった。
 リオグランテやリッツとの繋がりを利用すれば、スコールズ家に踏み込む事は難しくない。
 危険度も少ない。
 それで、大きな成果が得られる。
 幸運とさえ言える事態だ。
「……随分と、騎士らしくない事をしてるんだね」
 しかし――――フェイルは動かない。
 冷たい声を、かつて闘った人物へと向ける。
「全ては『主』の御心のままに。それこそが、騎士としてあるべき姿だ……だったっけ。
 本当に、それが騎士としての模範なの?」
「……自分は、そう確信している」
「だとしたら、意見の相違と言う事になるね」
 フェイルの言葉は、攻撃的だった。
 それが何を意味するのか。
 フェイルを除く三人の雰囲気の変化が、如実に語っていた。
「テメー、バカじゃねぇのか? ここで断ったらどうなるか、想像できねぇのか?」
 その先陣を切り、アドゥリスが語調を変える。
 戻す、と言うのは適切ではない。
 口調こそ荒っぽいが、初対面時の息の荒さとは違う、地に足の着いた脅しだった。
 それでも――――フェイルは動じない。
 余り意味はないが、その視線をロギへと向ける。
「アロンソ隊の一人を狙撃したのは、あんた?」
「……」
 答えは返って来ない。
「ま、そっちは良いけど……フラン……勇者一行の女剣士を狙撃したのも、あんただよね?」
「何故、そう思う?」
 疑問に疑問を返す際の鉄則。
 主導権を握りたがっている。
 つまりは――――優位性を確保していない。
 フェイルは、自分の質問の答えを確信した。
 以前、自分自身が完全否定した、その答えの正解を。
「最初は、手口が違うから、別人かと思った。毒の有無は、弓使いにとっては重要な事だからね。
 でも……違う顔を持ってるのなら、話は別。毒矢と通常の弓矢、両方を用意して
 使い分けていても、不思議はない」
 もし、フランベルジュを仕留める気なら、毒矢で良かった。
 だが、死んで貰っては困る。
 襲われた状況を、フェイルに話して貰う必要がある。
 そうする事で、【メトロ・ノーム】の住人ではないフェイルを、交渉の席へ引っ張り出せる。
 フェイルが令嬢失踪事件以降も、度々【メトロ・ノーム】を訪れている事を知らず、
 フェイルとフランベルジュが仲間である事を知っているからこそ、その行動は意味を持つ。
 簡単な理屈だった。
「仲間を狙撃する人間と、仕事は出来ないね」
「ケッ、そのクソ度胸だけは褒めてやらぁ」
 狭い室内で、一つの殺気が膨張する。
 そう。
 一つ――――だけ。
「アドゥリス」
 それを制する声が、ロギの口から唱えられる。
 好戦的なのは、一人だけだった。
「オレに指図するのかよ?」
「お前を野放しにするのは、『土賊』の中でだけだ」
「……チッ」
 酒場で見せた暴走をフェイルが想像する中、現実は意外にもあっさりと沈静化した。
「これは、あくまでも交渉。交渉は決裂する事もある。相手が納得しない以上、
 我々が無理強いする事は許されない」
 カバジェロの口から、交渉という言葉が放たれる。
 その言葉に、スティレットの姿が透けて見えるような――――そんな印象をフェイルを受けた。
「無駄足を踏ませて済まなかった、フェイル=ノート。用は済んだ故、アドゥリスに送らせよう」
「いいよ。子供じゃないんだし、帰り道くらいは覚えてる」
 フェイルは、ゆっくりと背を向けた。
 それは、一応の信頼の証でもある。
 騎士と言う身分に拘る、好敵手に対しての。
「だが……フェイル=ノート。もし我々が全員、アドゥリスと同様の行動に出た場合、
 貴殿はどうしていた?」
「同じ事をしたまでだよ。以前、あんたと闘った時と」
 そう告げると同時に、フェイルは足下に『落としていた』薬草を拾い上げた。
「ここなら狭いし、効果が出るまではほんの数十秒。それくらいなら、どうにか……ね」
「成程……自分はまた、同じ轍を踏んだと言う訳か」
「まさか。そんなタマじゃないでしょ」
 衣嚢に薬草をしまい、フェイルは肩を竦めた。
「僕をどうこうするつもりは最初からなかったんでしょ? これは交渉じゃないんだから」
「……何故そのような事を?」
「フランを狙撃した時点で、脅迫だからだよ。既にね」
 そして、そう言い残し、部屋を出る。
 やろうと思えば、いつでもフェイルの仲間を襲撃できる人物がいる、その部屋を。
「嬉しい限りだ、フェイル=ノート。やはり貴殿は自分を負かすだけの素材」
 背後から聞こえる声に、暫し耳を傾けて。
「出来れば、敵には回したくないものだ……同じ起源を持つ者として」

 ――――起源

 その行動に、その言葉に、果たして意味があったのか、なかったのか。
 この場で判断する事は早計に感じ、フェイルは思考を胸に沈めた。






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