「あんたは――――確か土賊……の頭だったか」
 窓から覗く夜の風景に、以前酒場で見かけたバンダナの男が薄っすらと入り込んで来る。
 同時に、入り込んでくる感情は――――焦り。
 気配を察知できなかった事。
 背後を取られた事。
 いずれも、弓兵士としては致命的な失態だ。
 それは、薬草士となった今であっても、変わらない。
 フェイルは改めて、自分が今、平常心ではない事を自覚した。
「身構える必要はねぇよ。別にココでテメーを取って喰うつもりはねぇしな。
 けど……わかるよな?」
 土賊の頭、アドゥリスの右手が、挑発的な指使いを見せる。
 表へ出ろ。
 出なければ――――この家がどうなるか、わかっているな?
 目の色が、そう訴えていた。
「……わかった。悪いけど、ファルは先に帰ってて。僕は彼と少し話をしてくる」
「私も行きます」
 しかし、その意図を察しつつも、ファルシオンは敢えて反論を述べる。
 その意図するところも、フェイルは瞬時に察していた。
『反応を見ろ』
 刹那、フェイルの視線だけが、アドゥリスへ向く。
 その表情に――――変化はない。
 つまり、第三者が介入する事に、然程神経質にはなっていない、と言う事。
 これから起こる出来事は、極度の危機的状況を孕んではいない、と言う事。
 直情的なその性格を、酒場で目撃していたフェイルとファルシオンは、瞬時に
 その認識を共有した。
「……いや、大丈夫だよ。それじゃアルマさん、また今度」
「本当に大丈夫なのかな」
 アルマは――――その質問をアドゥリスへと向けた。
 珍しく、怒気を含んだ顔。
 その目は、まるで磨いた水晶玉のようだった。
「ま、この野郎が暴れたりしなけりゃな」
「そう言う事らしいよ」
 フェイルは戯けた仕草で苦笑し、まだ眉毛を釣り上げたままのアルマを窘めた。
 不穏な空気は、変わる事はなかったが。


 ランプの光が、時折音を立てて揺れる中、二つの足音は重なる事なく、不協和音となって
 石畳の地面を叩き続ける。
 そんな状態が、かれこれ1時間以上は続いていた。
 その間、会話は一切交わされない。
 それはフェイルにとって、意外な展開だった。 
 フェイルとアドゥリスの接点――――それは、先日の酒場での騒動以外にはない。
 ただし、直接的なコンタクトに限定した場合は、だ。
 ハルの話によれば、この土賊の長は、元々バルムンクの片腕として働いていた傭兵。
 そのバルムンクと戦り合ったフェイルに対し、突っかかってくる可能性は十分にある。
 実際、フェイルは当初、そう言う用途だと踏んでいた。
 だが、それなら、仮にファルシオンが付いて来ると言った際に、多かれ少なかれ不快感を示すだろう。
 冷静沈着な人物なら兎も角、激情家であれば、それなりの反応は示す筈。
 にも拘らず、アドゥリスは平然としていた。
 そして、この長時間の沈黙。
 明らかに、あの酒場で見せた顔とは異なる振る舞いだ。
「こっちだ。とっとと歩きな」
 久々に発した声は、異質さを感じさせるほど、落ち着いたものだった。
 明らかに、何かがおかしい。
 フェイルの警戒心は、最大にまで高まっていた。
 その状態のまま、暫く歩き――――
「ここだ」
 そう告げられたその場所は――――それまでの風景と大差のない、石畳があるだけの
 何の特徴もない場所だった。
 周囲には、建築物もない。
 傍に巨大な柱がそびえ立っているのみ。
 ただ、その柱も、この【メトロ・ノーム】に無数に存在する柱の中の一本に過ぎない。
 模様も太さも高さも、然したる違いはない。
 以前、アルマと共に中へと潜ったあの大柱とは違い、大人の肩幅より少しだけ太い程度で
 統一されている。
 しかし。
 この柱こそが、目的地だった。
「……ここに入れるんだ」
「察しが良いじゃねぇか。大した仕掛けでもねぇけど、外見だけじゃわからねぇだろ?」
 アドゥリスは、相変わらず落ち着いた語調で、その柱を無造作に蹴る。
 すると――――蹴られた部分が、僅かに動いた。
 左側はめり込み、右側は突起している。
 丁度人が一人通れるだけの高さ、幅の『回転式の隠し扉』だった。
「目印でもあるの? この場所を特定できるような」
「それを教えちまったら、目隠しもしねぇでここに来た意味がねぇだろ」
 何度も隠し扉を蹴飛ばしながら、アドゥリスは気怠げに吐き捨てた。
 その後、暫く踏みつけるような蹴りを続け――――扉は完全に横向きとなり、
 その左右に空間を作った。
 人間も横向きにならないと入れない、細い入り口。
「付いてきな」
 そこへ、まずアドゥリスが進入する。
 暫時の逡巡の後、弓を手に掛け、フェイルもそれに続いた。
 狭い柱の内部は、空洞になっており、その中央には縄梯子が吊されている。
 上部は閉じられているが、下部はランプの炎も届かない程に空洞が続いていた。
 アドゥリスは入り口を戻す事なく、さっさと梯子を伝って下へと降りて行く。
 ランプを片手に持ったまま。
 フェイルは一瞬、自分がその役目を任されているのかとも思ったが、
 特に行儀良くする義理もないので、そのまま降りて行く事にした。
【メトロ・ノーム】と言う地下街にある、更なる地下。
 その空間は、更なる寒気を生み出すかのように、底冷えしていた。
「……そろそろ、教えてくれても良いんじゃない? 僕をここに連れてきた理由」
 体勢的に、妙な襲撃を受ける心配もない状況もあって、フェイルはそんな質問をぶつけてみる。
 実際、目的地は直ぐ傍なのだから、ここ等で聞いていた方が、その後の進行を考えた場合、
 アドゥリス側にも都合が良いだろう、と言う算段もあった。
 案の定、答えは直ぐに返って来る。
「ま、一言で言やぁ、テメーに会いたいってヤツがいるからだ」
「……それって」
 つまり、橋渡し。
 悪し様に言えば、使い走り。
 仮にも、賊の頭を張っている人物のする事ではない。
 その発言は、フェイルの中の一つの仮説を、より確かなものとした。
「土賊には、別の顔がある、って事?」
「……着いたぜ」
 そんな問いには答えず、アドゥリスは床に足を付け、ランプを持たない方の手を伸ばし、
 何かを掴んだ。
 そこは――――扉。
 地下室がある、と言う事だ。
 目的地はそこらしい。
 不意に、灯りが消える。
 アドゥリスがランプの炎を消した、と言う事だ。
 仮にこれが、何らかの合図だとしても、フェイルにとって、暗闇は苦にはならない。
 沈黙のまま梯子を下り、アドゥリスの背を追って、その扉を潜った。
 その場所は、深淵の闇に包まれていた。
 例え顔をくっつけても、その目の前にある筈の肌の色が認識できないくらい、深い、深い黒。
 灯りもなければ、陽光や月明かりの入り込む余地もない。
 誰もが、そう確信するような暗所。
 しかし――――右目を閉じたフェイルは、そこに存在する微かな光を感知する事が出来た。
 梟の目。
 それは、どんな微細な光源であっても、必ず捉え、逃がさない。
 その光が、視界を闇から解き放つ。
 とは言え。
 通常、夜間に梟の目を使用した際と比べると、圧倒的に光の量は少ない。
 両目を開けている際の夜間の光景と、余り差がない程に。
 その為、室内に人がいる事、その人数が自分とアドゥリスを除いて二人である事は確認できても、
 それが誰なのかまでは中々把握できない。
 フェイルは衣嚢に手を忍ばせ、そして直ぐに取り出し、手を広げた。
「連れて来たぜ」
 狭い室内に、アドゥリスの低い声が響く。
 その反響の余韻がまだ残る中――――そこへ声を被せる人物がいた。
「御足労頂き、恐縮の至りだ。フェイル=ノート」
 その声は。
 例え姿を完全に視認できなくても、直ぐに補正できる程、鮮明に記憶の中に残っていた。
「……カバジェロ=トマーシュ」
「フルネームで覚えて頂けているとは。些か驚いた」
「鮮烈だったからね」
 それは、まだ昔と言うには、近過ぎる記憶。
 フェイルの脳裏には、【アルテタ】で過ごした数日間――――特に町を離れる前日の
 出来事が、克明に写し出されている。
 時間にしてみれば、ほんの僅か。
 一瞬の攻防と称しても、差し支えない。
 それでも、その戦いは、確かに鮮烈だった。
 例えるなら、火花。
 剣と剣が衝突した際に、ほんの一時だけ、強烈な輝きと熱を放つ、儚い光。
 敵対した筈の相手だが、フェイルにとっては、憎しみなど微塵もない人物だ。
「で、僕に何の用? わざわざこんな所に、人を使って呼び出したくらいだ。
 真っ当な用件じゃないよね?」
「無論。貴殿に頼みたい事があっての事だ。手間は取らせぬよ」
「……聞くよ。依頼ならね」
 フェイルの左目に、微かな表情の動きが映る。
 ただ、それがどんな感情表現かまでは、わからない。
 それ程に、この部屋の闇の濃度は濃い。
「そう解釈して貰って結構。ただし、依頼内容を話す前に、我々の事について話しておく
 必要がある」
「それを聞いたら、もう断れない……って言うヤツ?」
「いや。話を聞いて貰う為の準備に過ぎない」
 カバジェロの声は、闇に潜る事なく、以前のまま、騎士然としたまま、凛としていた。
「まずは、自分の仲間を紹介する。貴殿を案内したのは、アドゥリス=クライドール。
 そして、ここにいるもう一人が、ロギ=クーン。弓使いだ」
「ロギ……そうか、あの時の」
 初めて明らかになったその名前も、フェイルにとっては印象的な人物のものだった。
 はっきりと姿が見えない以上、断定は出来ないが――――確信めいたものはある。
 アドゥリスが酒場で暴れた際、フェイルの放った矢と正面衝突を行って見せた、あの人物。
 その弓使いがここにいるのは、アドゥリスとの関係上、自然と言える。
 寧ろ、カバジェロだけが明らかに浮いていた。
 しかしそれは、同時に別の事実を示唆している。
「自分がここにいる事で、ある程度の予想は付いているだろうが……彼等土賊は、
 スティレット様の私兵団の一員だ。自分と同じようにな」
「成程ね……」
 それは、フェイルが先刻から抱いていた違和感を消し去るには十分な内容だった。
 賊としての顔と、スティレットの私兵としての顔。
 今のアドゥリスは、明らかに後者だ。
「彼等は、この【メトロ・ノーム】内では、蛮行を繰り返す賊として活動している。
 しかし、それはあくまでも仮の姿。そうする事で、本来の目的を悟られないように
 敵の目を欺いているに過ぎない」
「……何だって?」
 思わず聞き返す一方で、フェイルは納得もしていた。
 あの酒場での一幕は、少々誇張的だった。
 まるで、自分達が賊である事をアピールしているかのような暴れ方だったからだ。
 一応、『令嬢を匿っているかもしれない場所を探る』と言う体裁は整えていたが、
 それにしては、真面目に探している素振りもなかった。
 演技と言われれば、そうだったかもしれない――――と、そう思う程に。
「そして、その目的と言うのが、今回の依頼に関わってくる」
「……流通の皇女が絡んでる、って事か」
「御名答。あの方は、この【メトロ・ノーム】を……買い取ろうとしている」
 刹那、室内の何処かに罅が入ったかのような錯覚が生まれる程、空気が一変した。
 それは、単に一つの領地を買い占めると言う意味合いとは、明らかに異なる。
 この、農作物など一切育たない、一般人には一切知らされていない地下街を丸ごと
 買い取ると言う事は、当然ながら、そこには通常の土地売買とは異なる用途が
 発生するのだから。
「ここに娯楽施設でも作るつもりなの? あの人は」
「用途までは、我々も完全に報されている訳ではない。あの方が欲している。それだけで
 我々にとっては十分だ」
「……で、それと僕への依頼が、どう繋がるの?」
 生唾を飲み込みたい心境で、フェイルが問う。
 その答えは、意外にも――――
「スティレット様の邪魔をする勢力……『シナウト』を殲滅する。その協力を要請したい。君に」
 カバジェロの隣に座る、ロギ=クーンの口から発せられた。






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