侵入者の存在が明らかになった【メトロ・ノーム】の雰囲気は、それまでと
 特に変わる事なく、地下街でありながら閉塞感のない、開拓地のような空気を
 そのまま醸し出している。
 しかし――――その管理人であるアルマ=ローランの顔は、これまでになく沈んでいた。
「……此方、一体どうお詫びすれば良いかわからないよ」
 家の中で膝を抱え、丸くなっているその姿は、天敵を外郭で退ける被甲類の動物に似ている。
 夜になってその家を訪れたフェイルとファルシオンは、そんなアルマの様子を
 暫し困惑の眼差しで眺めていた。
「いやいや、アルマさんは悪くないよ。僕の見通しが甘かったんだ」
「そうです。この人が師匠なんて呼ばれて良い気になっていたのが悪因なのですから、
 貴女が気に病む事はありません」
「反論する余地もない……」
 背に弓と矢筒を背負ったフェイルも、同じように沈む。
 アルマ邸は、周囲の闇以上に、辛気臭い雰囲気に包まれてしまった。
「とは言え、別に後遺症が残るような大惨事ではありません。必要以上に気に病まれても
 フランは鬱陶しがるだけです。気にしないで下さい」
「でも、此方のお手伝いをしたばっかりに……」
「あの子が自分で選択した事ですから」
 そう言い切るファルシオンの声には、一見突き放すような、それでいて何処か誇らしいような、
 微妙な含みを持たせた響きが含まれていた。
「ただ、私としては、仲間を傷付けた人間を放置する訳には行きません。今日ここを
 訪れたのは、その心当たりを訪ねる為です」
「それは……あの矢を放った相手の、って事かな?」
「そうです。目星は付くでしょうか」
 アルマはまだ引きずっている顔で、それでも思案巡らし始めた。
「正直、わからない……かな」
「それを聞いて、安心しました」
 微笑むでもなく、ファルシオンはそんな事を告げる。
 アルマは驚いた顔で、俯いた顔を上げた。
「ある程度の状況は、フランから聞いています。二人がほぼ並んでいた状態で襲撃されたとの
 事ですが、もし貴女が『自分を狙った矢が偶々フランに当たったかもしれない、それなら
 犯人は自分に怨みを持っている人間かもしれない』と答えたのだとしたら、私は貴女に
 何らかの疑いを持たなければなりませんでした」
「?」
 更に戸惑うアルマの視線が、フェイルへと向く。
 そこには、呆れ気味な顔があった。
「つまり……言い難いけど、今のファルの問いには、アルマさんが共犯かどうかを
 確かめるって意図があったんだ」
「え?」
「一から説明すると――――」
 あの夜、アルマとフランベルジュは、並んで歩いていた。
 単に急襲されたと言う事実だけなら、どちらを狙ったのかは、わからない。
 状況だけで言えば、まだ地下に潜って日が浅いフランベルジュより、アルマを狙った襲撃
 と見なす方が自然かもしれない。
 だから、『アルマを狙った矢が、偶々フランベルジュに当たった』と言う解釈も成り立つ。
 その場合、犯人は『アルマに怨みを持つ人物、またはアルマの存在が邪魔な人物』となる。
 しかし――――この仮定は成り立たない。
 アルマは、広範囲まで見渡せるランプを持っていた。
 その為、例え遠距離から襲撃したと思しき犯人にも、『二人いる』という事は視認できる。
 にも拘らず、フランベルジュを射貫いた時点で、その犯人は去っている。
 もし、アルマを狙っていたのなら、フランベルジュを倒した時点では、まだ目的を
 達成していないのだから、攻撃の手を緩める筈がない。
 二人は全く異なる格好をしているのだから、見分けが付かない筈もない。
 仮に、遠すぎて見分けが付かなかったとしても、それなら『二人とも射貫く』と言う選択を
 実行するのが、襲撃者としては自然だ。
 よって、犯人は『フランベルジュを狙っていた』、若しくは全く別の意図があるかの
 どちらかと言う事になる。
 少なくとも、絶対にアルマを狙った襲撃ではない。
 もし、アルマが『此方を狙ったのかも知れない』と発言した場合、それは嘘になる。
 嘘を吐いていると言う事は、犯人を庇う、若しくは共犯である、と言う状況証拠が成り立つ。
 ファルシオンは、それを試した――――という事だ。
「ったく……だから絶対それはない、って言ったでしょ。わざわざ汚れ役になる事ないのに」
 フェイルの呆れは、ファルシオンに向けてのもの。
 一方、その本人はアルマへ向けて、深々と頭を下げた。
「何度も家に招いて頂いた恩人に対して、このような真似をしてしまい、申し訳ありません」
「そうだったんだ。頭を上げてよ。全然気にしてないからね」
 アルマは一切嫌悪感を見せず、ファルシオンを赦した。
 その様子を傍で見ていたフェイルは、思わず感心せずにはいられなかった。
 当然、それはアルマに対してもそうだが――――ファルシオンに対してもだ。
 彼女がこうする事で、アルマの中の罪悪感が、僅かでも薄れてくれれば良い。
 この一連の流れには、そう言う意図もあったからだ。
 人間、自分が加害者だと自覚すれば、当然ながら負い目を感じ、落ち込む。
 だが、そこに被害者の要素が加わると、感情面で多少の相殺が起こる。
 アルマは、嫌な事をされたからと言って、自分の行いを棚に上げるような性格ではない
 と言う事は、ファルシオンも十分承知している。
 それでも、多少は救われる筈――――ここへ来る前、フェイルにそう説明していた。
 実に面倒臭くて、そして優しい行動。
 フェイルは心中で二人に喝采を送った。
「で、ここからが本題なんだけど……」
 同時に、それは切り替えの為の合図。
 フェイルの目に、光が宿る。
「昨日の夜に現れた侵入者って言うのは、もう見つかったの?」
「まだだよ。今、マスターが有志を募って探して貰ってる最中なんだよ」
「仮に、その侵入者がここから出て行ったら、アルマさんはそれを感知できる?」
「一度破られた結界から出入りされると、できないよ。今日の朝には張り直したけどね」
 つまり――――昨日の内に出て行ったか、今も潜んでいるか、のどちらかと言う事になる。
「一つ、心当たりがあります」
 ファルシオンが、ピシッと指を立てる。
「フランに矢を放った犯人ですが、以前アロンソ隊の傭兵を襲った、シナウトと言う連中の
 可能性が高い……」
「ないよ」
 出鼻を挫かれ、指が折れる。
 その指先が、力なくフェイルに向けられた。
「……根拠を聞きます」
「あの時は、矢に毒が塗られてた。今回は違う。手口が異なる以上、同列では語れない」
「論破されてしまいましたか……」
 完全に折れた指で、ファルシオンは頬を掻いた。
「ついでに言えば、毒も塗ってない上に追撃もしなかった時点で、殺す気は勿論、
 必要以上に痛めつける気もない事がわかる」
「だったら、どう言う理由でフランベルジュさんは撃たれたんだろうね」
 首を捻るアルマと同時に、ファルシオンも思案に耽る。
 殺す気はなく、怨恨と言う線も薄い。
 ならば――――
「……間引き、か」
 フェイルの言葉に、ファルシオンがいち早く反応を示す。
 この【メトロ・ノーム】に変化をもたらす人間を、排除すると言う動き。
 それなら、今回の襲撃の水準と合致する。
 だが。
「それだと、シナウトと言う人達が動いた事になります。先程のフェイルさんの見解と矛盾します」
「そうだね。それに、穏健派に属する人達が、無断で進入して、警告もなく、しかも管理人の
 アルマさんがいる中で襲ってくるのは考え難い」
 結論は出ない。
 フェイルは頭を抱え、ファルシオンは瞑目した。
 アルマも困った顔で俯く。
 三人とも、平常心ではなかった。
 自分の失策で、弟子を傷付けてしまった事実。
 仲間が襲われた事実。
 自分を手伝ったが為に、負傷してしまった事実。
 それ等が、どうしても頭の隅で焦りを生んでいた。
 しかし――――世の中、わからないもので。
「……あ、そうか」
 その事実が、フェイルに一つの重要事項を思い起こさせた。
「どうしたの?」
「あの夜、フランがこの【メトロ・ノーム】にいる事を知ってたのは、
 僕とファルくらいしかいない。つまり、意図的に彼女を狙える人間は……いない」
 アルマのキョトンとした目の中で、フェイルは眉間に皺を寄せていた。
「こっ、こんな簡単な事に気付かないなんて……」
「残念な事になってしまってますね、今の私達は」
 同罪のファルシオンも、肩を落とす。
「えっと……ってコトは、此方もフランベルジュさんも狙われてない、っていうコトで良いのかな?」
「そう言う事になるね。だとすれば、考えられるのは……」
「見せしめ、ですね」
 半眼でファルシオンが出した結論に、フェイルも小さく頷いた。
「【メトロ・ノーム】の住人が負傷した。それを、管理人のアルマさんが見ていた。
 当然、その事実は他の住人に直ぐに広まる。目的はそれしか考えられない」
「だとしたら、犯人となり得るのは……」
 ファルシオンが、今まさに答えを口にしようとした刹那。
「そう言うこった。気付くのが遅ぇな」
 窓の外側から、吐き捨てるような声。
 瞬間、フェイルの目が鋭を帯びる。
 射貫くように向けられた視線の先には、通常通りの風景を枠の中に閉じ込めた窓と、
 周囲を覆う壁しかない。
 だが、その壁の向こうにいる人物は、声で直ぐに特定できた。
「お前は――――」







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