「……ま、一言で言えば『不幸中の幸い』だったな。付け加えるなら『幾重もの』」
 朝日の差し込むヴァレロン・サントラル医院の一室で、白衣に身を包んだその医師は
 嘆息混じりに第一声を発した。
「一つは、かなり効果のある薬草を所持していた事。これは大きかったね。
 初期治療って言うのは、予後に与える影響が殊の外大きい。
 一つは、矢に毒が塗られていなかった事。幾ら薬草と言っても、毒を一瞬で消し去る
 なんて言う事は出来ない。そう言う意味でも幸いだった。
 そして最後の一つ。俺が偶々、この病院に滞在していた事。やっぱりこれが一番だろうな」
 眠そうな目で、カラドボルグ=エーコードは明るく告げる。
 一方――――その眼前で、フェイルとファルシオンは共に、沈黙のまま話を聞いていた。
「結論を言えば、後遺症は残らない。全治……1ヶ月くらいを見ておこうか。
 革鎧の隙間に命中したって言う不運はあったけど、大事な部位に致命的な傷を負わなかっただけ
 マシと思わないとな。傷跡は残るけど、それくらいは我慢して貰う」
「あの子は剣士ですから、身体の傷は覚悟の上です。問題ありません」
 ファルシオンの言葉に、カラドボルグは無精髭を摩りながら頷く。
「まだ熱があるから、今日、明日は様子を見てこの病院で寝かせておこう。
 後は、一週間おきに経過を看る為に来院。機能回復運動の手順を教えておくから、
 それを毎日する事。これで一月後には大体元通り」
 そして、安心感を与えるような柔らかい口調で、諭すように告げた。
 翌日――――何者かの矢によって倒れたフランベルジュは、その後すぐに意識を取り戻し、
 フェイルから受け取っていた薬草を塗布。
 アルマと共に、【メトロ・ノーム】の施療院へと向かった。
 そこで簡易治療を受けた後、ファオ=リレーの案内の元、地上のヴァレロン・サントラル医院
 へと移動。
 そこに偶々、来賓として寝泊していたカラドボルグが本格的に治療を行い、現在に至る。
 フェイルは、アルマの元を訪れたこの日の早朝、その出来事を知った。
 そして今――――憔悴に近い顔で、ファルシオンと共にカラドボルグからの説明を受けている。
「あの……」
「何だい? 疑問に思う事があったら、何でも聞いてくれよ。それが医師の務めだ」
「はい。肩の具合なんですけど、一週間後はどれくらいの状態になりますか?」
 そのフェイルの問いから一秒後、カラドボルグは二つほど小さく頷いた。
「【エル・バタラ】の出場予定者だったのか。それなら、キッパリ諦めて貰うしかない。
 一週間じゃ腕も上がらないね。利き腕じゃないから大丈夫、とは医師の立場では到底言えない」
「……」
 悲痛な宣告。
 フェイルは顔を覆いたい心境で、微かに瞼を落とした。
「それにしても、君とは縁があるね。個人的には、美しい女性とそう言う関係になる方が
 嬉しいんだけど……と、少々不謹慎な冗談だったかな、今のは」
 後頭部を掻き、カラドボルグは窓の方に視線を向ける。
 外では、鳥の囀りが微笑ましい程の音量で旋律を紡いでいた。
「現状で申し上げられるのは、以上。入院費用はちゃんと払ってね。治療代は良いよ。
 君にはお使いを頼んだ借りがあるから、それで相殺」
「そう言う訳には……」
「良いの良いの。君には結構、お世話になってるからね。それじゃ、お大事に」
 半ば強制的に施しを受けたフェイルは、追い出されるように個室を後にした。
 それに、重い足取りでファルシオンが続く。
 その顔は――――普段と変わらない。
 そうする事が、自分に課せられた使命だと言わんばかりに。
 だが、フェイルにはその顔が、怒っているように見えた。
「……ごめん」
「何故、私に謝るんです?」
「僕の所為で、フランが怪我をしたから」
 以前、ファルシオンはフェイルの方針に異を唱えた事があった。
 そして、今回の負傷。
 謝罪する要素は多分にある。
「僕の見通しが甘かった。その所為で、しなくて良い大怪我をさせてしまった上に、
【エル・バタラ】への出場も厳しくなった。折角信頼して貰ってたのに、結果この有様じゃ
 ……謝るしかない」
「謝っても、状況は改善されませんよ」
 頭を下げるフェイルに、ファルシオンは普段通りの口調で告げる。
「それに、私はもう口は挾まないと言いました。ですから、今回の件に関しても、
 敢えて口を出す気はありません。ただ……」
「ただ……何?」
「フランへの宣告は、貴方がして下さい。それは師匠としての務めだと思いますから」
 宣告――――すなわち、【エル・バタラ】出場断念の通達。
 これまでの間、彼女が見せてきた並々ならぬ意欲を知っているフェイルだけに、
 それは余りに残酷な事だと言う事はわかっている。
「当然、僕が言うよ」
 そんな言葉とは裏腹に、フェイルは重い足取りで、フランベルジュのいる病室へと
 つま先を向けた。


 ヴァレロン・サントラル医院は、ヴァレロン内における最高水準の医療施設とあって、
 そのベッドに寝ている病人、怪我人の殆どは、裕福な生活を営む人物。
 そう言う背景もあって、個室も多く作られている。
 そこにフランベルジュが寝る事を許されたのは、ファオの口添えがあったからだ。
『その代わり、私が向こうにいた事は、口外しないようにお願いしますね』
 朝一番、病院を訪れたフェイルとファルシオンに対し、そんな箝口令を口にしつつ、
 カラドボルグの待つ部屋へと案内したグロリア=プライマルの秘書の素性は、推し測り難い。
 だが、その事を気にする余裕は二人にはなく、特に話題に出す事もないまま、
 予め聞いていたその病室へと足を運んだ。
 扉に掲げられている札には、この病室を示す番号が記されている。
「……」
 その札をじっと眺め、フェイルは覚悟を決めた。
「失礼します」
 それでも、喉の奥の方に感じる違和感が、言葉を少し掠れさせる。
 その声が届いたらしく、フランベルジュは上体を起こし、フェイル視線を向けた。
 血に染まったレザーアーマーは外しており、布の服に身を包んだその姿は、
 剣士としてはかなり細い。
 上半身の筋力は最小限に抑え、しなやかさと柔軟性を重視した身体作りをしているので、
 見た目は一般女性と然程変わらない。
 そんなフランベルジュの顔には――――案の定、生気の薄い表情が浮かんでいた。
 左肩には、貴重品の包帯が巻かれており、病人用として用意された
 絹製の服の袖口から、白い布が痛々しく覗いている。
「あら、お見舞いに来てくれたの?」
 それでも、声には張りがある。
 フェイルは、そのチグハグな状況に、微かな不安を覚えた。
「……お見舞いと、謝罪に」
「謝罪?」
「僕のやり方が悪かったばっかりに、そんな怪我をさせてしまって……申し訳ない」
 深く、深く頭を下げる。
 頭が落っこちるくらいに。
 それくらい、フェイルにとって、このフランベルジュの負傷は痛恨だった。
 他人に師事されると言う、予想だにしない出来事。
 しかも、一つとは言え年上の女性。
 フェイルがそれを引き受けた背景には、【エル・バタラ】の賞金で借金を返して貰う
 と言う希望とは全く別の思惑があった。
 思惑と言うよりは、願い。
 かつて、自分が積み上げてきた事を、誰かに表現して欲しいと言う、切なる願い。
 自分が歩んできて、途中で外れてしまった道を、誰かに託したいと言う、切なる想い。
 自分という存在を、少しでも残したいと言う――――小さな『抵抗』。 
 それが、結果として最悪な方向に作用してしまった。
 大会まで、残り一週間。
 通常ならば、この期間に無理をさせるような真似はしない。
 怪我しないよう、最善の注意を払いながら、仕上げに入ると言うのが常道だ。
 だが、フェイルはどうしても勝たせてあげたかった。
 自分の中の『歩み』を背負ってくれたフランベルジュに、納得行く結果を残して欲しかった。
 何より、劇的に戦闘力を上げて行くその姿を、もう少し見ていたかった。
 かつて、自分がそうであったように。
 かつて――――自分が、そう示せていたのかを確認したいが為に。
「止めて」
 そんなフェイルの謝罪を、フランベルジュは拒んだ。
 少しずつ、顔に生気が戻る。
 そこに滲むのは、嫌悪感や憤怒ではなく、焦燥感。
 そして、口惜しさだった。
「私は子供じゃないの。貴方に師事したのも、指導に従ったのも、私の責任。
 当然、怪我したのも私本人の責任よ。それを謝って欲しくなんかない」
「でも……」
「私の判断が、甘かったのよ。アルマさんの結界は魔術専用だって聞いてたのに、
 武器での攻撃を全然警戒してなかった。実戦経験の欠如、って言われても反論できない。
 集中力も散漫。この怪我は自業自得以外の何物でもない。それは自覚してる」
 ファルシオンが見守る中、フランベルジュは右手で左肩を摩った。
「私、出るから。【エル・バタラ】」
「それは……」
「私は私の責任の下に、出場する。文句は言わせない」
 フェイルの不安は、的中した。
 怪我した事への無念と後悔。
 そして、それでも出場を決意した『強さ』。
 それらが同居した声は、やはり不安定だった。
「わかりました。では、申請の取り止めはしないでおきます」
「ファル……?」
 先程の要求とは真逆に発言。
 驚きと共に眉を潜めるフェイルを、ファルシオンは目で制した。
「フェイルさんが作った、【エル・バタラ】用の即効性の高い薬草……あれを使いましょう。そうすれば、
 もしかしたら戦えるだけの体調には持って行けるかもしれません。
 ただし、それでも肩が上がらないようなら、棄権を視野に入れる事。それなら良いでしょう」
 戸惑うフェイルを余所に、ファルシオンは今後の指針を固めていく。
「……口挟まないって言ったのに」
「緊急事態ですので」
 その口調は、珍しく柔らかさを伴っていた。
「ありがと、ファル」
「お礼の気持ちは賞金の一部でお願いします」
 そんな冗談とも本気ともつかない言葉に、一つ微笑み――――ファルシオンは
 再度、フェイルへと目を向けた。
「と言う訳で、師匠。指示をお願い」
「……」
 数秒ほど瞑目した後、フェイルは小さく息を吐く。
「今日、明日はここで安静に。明後日から、負傷した状況でどう戦うかを考えていこう」
「了解」
 その吐息は、フランベルジュの珍しい笑顔によって、何処かへと霧散した。






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