程なくして、微かな足音がフランベルジュの耳へと届けられる。
 同時に生まれるのは、安堵。
 仮にこれが命を狙うような存在ならば、暗闇に乗じて現れる際に足音など出す筈がない。
「貴女だったんだね」
 案の定、現れたのはアルマだった。
 ランプと杖を両手に、その美しい容姿に影をまとっている。
 思わず肩に力が入っていた事を自覚しつつ、フランベルジュは静かに息を落とした。
「……脅かさないでよ」
「そんなつもりじゃなかったんだけどね。此方は」
 少し意味ありげな物言いをした後、アルマは周囲を見渡すような仕草を見せる。
「どう言う……事? 他に、私を脅す存在がいる、ってんじゃないでしょうね」
「それはわからない、かな。流石に他人の意図までは把握しきれないからね」
 アルマのその言葉は――――フランベルジュの理解の範疇を超えていた。
「えっと……ゴメンなさい。現状が把握できないって言うか……貴女はここに何をしに来たの?」
「侵入者を感知しただけだよ」
 答えは簡素だった。
 フランベルジュは知らなかった事だが――――アルマ=ローランの管理人としての仕事は、
 単に【メトロ・ノーム】に訪れた人間を記録するだけではない。
 無数にある出入り口の封印を行い、且つその封印が解かれた際にそれを察知し、
 問題がある場合はそれに対処すると言う、かなり常人離れした仕事を行っている。
 それを可能にするのが、封術士としての能力だ。
 封術と言うのは基本的に、魔力でその空間への出入りを封鎖すると言う術。
 それは一度施すと、術士の手を離れ、独立する。
 例えば、小さい箱に封術を施すと、それを術士が手放しても、そこには封術が
 掛かったままとなり、解術を使用しない限りは開く事が出来ない。
 効果が持続する期間は、封術のレベルと魔力量に依存する為、永遠ではない。
 その他にも、そこに入り口がある事を幻で隠す【幻覚封術】等があるが、
 根本的な理論は同じ。
 それが、通常の封術だ。
 一方、アルマがこの【メトロ・ノーム】に対して施しているのは、【感知型封術】と呼ばれる
 種類のもの。
 これは、その封術が解術によって解除された際に、術士がその事実を即材に感知できる
 と言う封術だ。
 この類の封術は、常に封術と術士が繋がっている必要がある。
 その為、術士は反永続的に魔力を費やし、感知状態を継続しなければならない。
 これを複数の出入り口に施すとなると、かなりの魔力が拘束される。
 更に、アルマは日中、この【メトロ・ノーム】の灯りを一手に引き受けている。
 極めて膨大な魔力が必要だ。
 これが、封術士と言う存在が希有な理由の一つでもある。
「……何でこの街には、化物じみた人間ばっかりいるのよ」
「化物は酷いよ」
「あ、いや……そう言う意味で言ったんじゃないんだけど。兎に角、これ以上自信を
 喪失させないで貰いたいものよね」
 嘆息しつつ、フランベルジュは辺りに視線を散らしてみた。
 暗闇に包まれている中、視力での判別は不可能。
 かと言って、気配察知能力は決して優れているとは言えないので、周囲に誰か居るかどうかの
 判断は出来ない。
「で、その侵入者って言うのは、私の事じゃないのよね? 無断でここに入ってきたヤツが
 いる、って事なの?」
「そうだね。登録している人には反応しないようになってるから。ちゃんと鍵を渡しているからね」
 つまり――――現在【メトロ・ノーム】には、アルマの管轄外の人間が進入している、
 と言う事になる。
 この地下街の性質上、偶々入り口を発見して、偶々迷い込むと言う事は、あり得ない。
 先の令嬢失踪事件の表向きの顛末をフェイル達が否定している根拠が、そうであるように。
「だったら、探すのを手伝おうかしら。貴女にはお世話になってるし、失言の埋め合わせも
 しておきたいし」
「それはとてもありがたいよ。一人より二人の方が強いからね」
 ニッコリと微笑み、アルマはランプを大きく掲げた。
 同時に、光の量が大幅に増す。
 それまでは通常のランプと同じ光量だったにも拘らず、今は周囲10m程が照らし出されている。
「……これも魔術?」
 そんな問いにコクリと頷き、アルマは歩き出す。
 フランベルジュは慌てて焚木を消し、それに続いた。
「こう言う事って、良くあるものなの?」
「そうでもない、かな。割と珍しいと思うよ。基本的には、鍵がないと入れないからね」
「鍵を持ってる登録者が、一緒に居るって可能性は?」
「それなら、その登録してる人が解除すると思うんだよ。そうすれば、隣に誰がいても
 部外者の侵入って言う風にはならないからね。今回は、そうじゃなかったんだよ」
 雑談をしながら、アルマはどんどん先へと進んで行く。
 目的地を確信しているかのように。
「その侵入者がどの辺に居るか、目星が付いてるの?」
 プルプル、と首が左右へと振られる。
「入ってきた所が何処かはわかるから、まずはその周辺を探すのが、一番効率が良いと思うよ」
「ああ、確かに……でも、これだけ明るいと、近付いてる事が直ぐにバレるんじゃない?」
「バレてくれた方が良いよ。反応があれば、察知し易いからね。ただ、急に襲いかかって
 来られると困るから、此方の傍にいて貰えると助かるかな」
 しれっとそんな事を言うアルマに苦笑しつつ、フランベルジュはその距離を縮めた。
「少し前にも、こうやって二人で歩く機会があったよね」
「そうね。あの時は、結局何もなかったけれど。今回はそう言う訳にもいかなさそうね」
 そこまで呟き、フランベルジュは一つの疑問に行き当たった。
「こう言うトラブルが生じた時は、いつもどうしてるの? 貴女だけで対処できる訳じゃ
 ないでしょう?」
「それは……」
 その答えを紡ぐ刹那。
 アルマの双眸が――――まるで爆発を想起させるように見開かれた。
「……え?」
 それは、フランベルジュの反応速度では追いつかない、一瞬の出来事。
 二人の目前で、こちらは本物の『爆発』が起こる。
 耳をつんざく破裂音と同時に、火花の群れが旋風のように舞い、逃げまとう羽虫の群れのように
 霧散していった。
 そして――――その爆発は、二人を狙って外れた訳ではない。
「な……」
 絶句するフランベルジュを余所に、アルマは杖を地面に突き立てて、結界を綴っていた。
 普通のルーリング作業なら、決して間に合わない状況。
 それを、アルマは最新技術のオートルーリングで可能とした。
「正解だったみたいだね」
 それでも、アルマに焦りの様子は微塵もなく。
 整然と、それでいて程よい緊張感をまとった顔で、爆発の要因を探している。
 無論、魔術以外は考えられない。
 問題は、それを放った相手が何処にいるのか。
「……守られてたのは、私だったって訳ね」
 自嘲しつつも、フランベルジュは直ぐに体制を立て直し、追随するように辺りを探った。
 相変わらず、人の気配はない。
 当然、人影らしきものも見えない。
 ランプの光によって、広範囲に亘って視界が行き届く状況であっても。
 それもその筈。
『敵』が魔術士であるならば、10mは近距離の部類に入る。
「こんな好戦的な連中ばっかりなの? 不法侵入者は」
「法律で進入を禁じてる訳じゃないんだけどね。どっちにしても、滅多にないかな」
「その割に、落ち着いてるみたいだけど」
 心臓が高鳴る自身と比べ、明らかに冷静な隣の女性を、フランベルジュは半眼で視界の端に収める。
 王族から求婚されてもおかしくないその容姿とは、余りにも不釣り合いな状況。
 まるで、違う世界にいるような感覚に陥る程に。
「これも、此方の仕事の一つだからね」
 刹那――――再度、爆発音。
 とは言え、それも二人の周囲に発生している球状の結界によって、しっかり防がれた。
 ただ、今回は先刻より明らかに規模が落ちている。
「二撃目は牽制……向こうも戸惑ってるのかしら?」
「手探り状態なのかな。結界の種類を探っているのかもしれないね」
 そんなアルマの発現を裏付けするかのように、矢継ぎ早に次の音が響く。
 氷が結界に弾かれる衝撃音。
 更に、雷が霧散する際の破裂音も発生した。
「……この結界、凄いのね。全属性制覇?」
「魔術専用だけどね。でも、このままじゃ埒があかないかな」
 雷の後、敵の攻撃は完全に止んだ。
 だが、位置を把握するには至っていない。
 地下街である【メトロ・ノーム】に、地上のような生態系はなく、基本的には
 夜行性の虫なども存在しない上、風が吹く事もない為、夜間は完全な静寂に包まれる。
 それは、フランベルジュがかつて恐怖した夜とも違う、深淵の闇。
 人は、そんな闇に無条件に恐怖を覚える。
 攻撃は未だ再開されず。
 結界は完璧。
 それ等の要素もあって、フランベルジュの意識は、急襲してきた相手よりも
 周囲の環境へと向けられていった。
 身震いするような寒さはない。
 だが、それ以上の、心の奥をカリカリと引っ掻くような、底冷えする感覚。

 それが――――対応を大きく遅らせてしまった。

「……えっ?」
 気付いた時には、既に左肩に矢が突き刺さっていた。
 レザーアーマーの間隙から、徐々に血が滲み出てくる。
 魔術用の結界では、武器による攻撃を防ぐ事は出来ない。
 簡単な理屈。
 余りに、単純な結果だった。
「あっ……」
 アルマが絶句する中、フランベルジュの体勢が大きく崩れて行く。
 腰に掛けた木剣を手にする事も出来ず。
 そのまま、何ら抵抗しないまま、地に伏した。







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