ギルドから出たフェイルの視界に、眩さなど微塵もない空が飛び込んでくる。
 暫しその情景を眺めた後、その真下でローブに包まれた女性魔術士の顔色を伺った。
「……いつもと全然変わってないんだけど」
「?」
 そんなフェイルの様子に一瞬首を捻り、ファルシオンは小さく息を落とす。
「あの受付嬢の方、話が長いので、どうも苦手です」
「あー……そう言う事か」
 世迷い言に振り回された自分に呆れつつ、フェイルは少なくなった宣伝紙を片手に、歩を進めた。
 ファルシオンもそれに続く。
 暫し沈黙が続き、周囲の喧噪と足音の不調和な音色が、二人の鼓膜を擽った。
「フェイルさん」
 その最中、唐突にファルシオンが小さい声で呼ぶ。
 フェイルは首を動かす事なく、雰囲気で聞く体制を作った。
「率直な意見を聞かせて下さい。フランは、何処まで勝ち進めると思いますか?」
 それは――――意外な疑問。
 フランベルジュが【エル・バタラ】への関心を口にした時から、その結果に対しての想定は
 一度も行っていなかっただけに、フェイルは驚きを禁じ得ない。
 一歩、張本人は特に感情を揺り動かす事なく、淡々と話を続けた。
「私はもう口を挟まないと言いましたから、今のフランのしている事にどうこう言う気はありません。
 ただ、現状でどれくらい腕を上げたのかは気になります」
「うーん……対戦相手に恵まれるかどうかで、大分変わってくるって言うのが、実状かな」
 トーナメント方式の大会は、得てしてそう言うもの。
 だからこそ、結果への言及はないものだとばかり思っていたフェイルは、若干の好奇心を持って
 ファルシオンの対応を待つ。
「恐らく、予選から厳しい相手に当たると思います」
 結果――――想像以上に的を射た返答が返ってきた。
「あの手の大会は、実績で組み合わせを決めます。興行である以上、強い参加者、有名な参加者が
 予選で姿を消すと言う事態は、絶対に避けたい筈ですから」
「仰る通り」
「と言う事は、勇者一行と言うステータス以外、特にこれと言った実績のないフランは、
 強者と組まれるのが自然の成り行きでしょう」
 つまり――――フランベルジュが本戦へ進出するには、その強者に勝たなくてはならない。
「そう。でも、その強者にも色々いる。手に負えない化物から、只の天才まで」
「只の天才、ですか」
 その表現に興味を示したファルシオンは、解説を求める声色をフェイルへ向ける。
「うん。ただ天才ってだけなら、やりようはある。才能に恵まれただけの人間は、必ず心に綻びがあるから」
「それは……希望的観測では?」
「そうでもないよ。才能って言うのは得てして、足枷になりやすい。いわゆる『天才型』って呼ばれる
 人間って、気まぐれだったりムラがあったりするケースが多いけど、それはある種の自己防衛なんだ。
 そうする事で、周囲からの重圧を受け流してるんだよ。無意識に」
 実際には、フェイルの発言は極論だった。
 そうでない天才も、少なからずいる。
 ただ、多くの天才は、幼少の頃より周りから特別視され、歪んだ環境の中で、心を育んで行く事になる。
 孤立するにしろ、持ち上げられるにしろ、まともな精神を構築する事は困難。
 それなりに根拠はある言葉だ。
「でも、中には天才な上に健全にすくすく育った、死角のない人間もいる。そう言うのと当たったら、
 運が悪かったと思って諦めるしかない」
「参加者の中に、そのレベルの猛者がいる、と言う事ですか」
「僕が知る限りでは、最低一人は。場合によっては三人」
 発言直後、フェイルは余計な発言をしてしまった事に気付き、こっそり後悔した。
 だが、普段ならその痛点を的確に突いてくるファルシオンは、その事に一切興味を示さず、
 話の流れを継続させた。
「その人数なら、よほど運が悪くない限りは、勝機のある闘いに臨める、と言う事ですね」
「うん。ただ……今のままだと、まだ予選突破は難しいって言うのが率直な見解」
「その状況は、あと一週間で覆されるものなのですか?」
 フェイルは立ち止まり、一瞬目を見開いた。
「……どうかしましたか?」
「いや、何でもない」
 そう唱えつつも、フェイルの頬には薄っすらと汗が滲み出る。
 それを親指で弾くと同時に、左目を瞑った。
 残った右目の視界に映ったのは――――二人の男女が並び歩いていると言う、ごくありふれた光景。
 だが、問題はその組み合わせだ。
 香水店【パルファン】主任、マロウ=フローライト。
 貴族【コスタクルタ家】推薦の騎士、プルガ=シュレール。
 異色とも言えるその二人は、仲睦まじく会話をしながら、遥か遠方をフェイル達のいる方向へと
 歩いて来る。
 その周囲に人気はない。
「フランベルジュに必要なのは、この一週間で、男性恐怖症を克服する事。そして……」
 フェイルは会話を再開しながらも、右目への意識を強めた。
 そして、二人の『口』を凝視する。
『どうですか? 久々のヴァレロンは』
『結構色々変わっていますね。時間の流れを嫌でも感じます』
 鷹の目は、唇の動きを一部始終、正確に捉えた。
「自分を倒そうと、殺そうとする強者と、一戦交える事」
 その動きから会話を読み、頭の中で声を再生させる。
 プルガの声は知らないので、架空の声色での再生となってしまうが、特に支障はない。
 裏の仕事を始めて、ずっとやってきた事だからだ。
『中にいると、余りその変化には気付かないものですね。地下に潜る時は、僅かな違いにも
 目が行き届くのですが……』
『地下、か。この私がいない間、【メトロ・ノーム】も変わったのですか?』
『細部は。ですが、大勢に変化はありません。でなければ、私達が存在する意味がありませんもの』
『良かった。あの場所は……あの葬地は、移ろってはいけない。決して、忘れてはいけない事なのです』
『はい。ですから、同じ思想を持つ者がこれだけ集ったのです。私達……』
 一瞬、暴風と錯覚するような風が、フェイルの耳元で唸る。
 だが、実際には只のそよ風に過ぎず、誰の意識に留まる事なく、それは空気に溶けて行った。
「殺気を放つ相手と、ですか。確かに、そう言う相手はこれまで格下ばかりでした。そう言う意味では、
 本当に危機的状況に陥った事はないかもしれません。その感覚が不足している、と?」
「……」
「フェイルさん?」
「あ、うん。そんな感じ。幾ら実戦を積んでも、楽に勝てる相手じゃ意味がない。
 格上に勝つ為には、謙虚な心、致命打を受けない戦術、そして……命を落とすかも、って言う
 危機感が必要なんだ」
 左目を開け、フェイルはそう断言した。
 大会において、人を殺す事は許されない。
 実際、【エル・バタラ】で対戦相手を死に至らしめた場合は、失格処分となる。
 その為に、木製の武器を使用している。
 だが、それなら殺気なんて誰も発しない――――等という甘い世界ではない。
 道楽で参加している者も、中にはいるかもしれないが、多くの人間は、成り上がろう、権威を守ろう、
 未来を、明日を掴もうという、強い目的と信念を抱いている。
 必死だ。
 倫理観ではなく、明確な規則で縛り付けなければならない程に。 
 そんな連中を相手に、命の心配なく挑めば、結果は見えている。
 危機感を抱く事は、命のやり取りが行われている中で、自分もまたその渦中へと飛び込む決意へ繋がる。
 それがなければ、負傷した際、恐怖を感じた際、勝ち目を見失った際、人の心は容易に折れる。
 格上相手にそれでは、勝てる筈もない。
「本当は、もっと安全に、もっと的確な相手を用意できたんだろうけど……」
 そこまで呟いた後、フェイルは近距離まで近付いていたマロウに頭を下げる。
 向こうもほぼ同時に、笑顔で小さく会釈をした。
 そして、通りを挟んですれ違う。
「ちょっと、マズいかもしれないね」
「……そうですか」
 フェイルの真意は、ファルシオンには伝わらない。
 だが、それは何の問題もなかった。
 問題なのは、フェイル自身。
 その心中には、何種類もの冷や汗と、数奇な運命への皮肉めいた笑い声が渦巻いていた。


 その日の夜――――
「……寒」
 地下都市【メトロ・ノーム】の中で、フランベルジュは初めての夜を迎えていた。
 地下なので、野外という表現が適切かどうかは、判断が難しいところ。
 その為、例え焚木で火を起こしていても、これが野宿なのかどうかと言うのは、やはり定義としては
 困難を極める。
 そう言う意味では、問答無用の野宿だった【ボスケ大森林】での一夜よりは、ずっと気分的に楽だった。
 そして、それを自覚すると同時に、フェイルの気遣いに気付く。
 少しずつ厳しくするのではなく、最初に最も辛い体験をさせ、その後に徐々に慣らしていく事で、
 苦手意識は克服しやすくなる。
 重要なのは、その最初の体験を『嫌でもそうせざるを得ない所に追い込む』と言う事。
 逃げ道がなければ、人間は大抵の事には耐えられる。
 一度耐性を作れば、その劣化版の出来事には十分耐えられる。
 ある意味、大事に大事に育てられているとも言えなくもない。
「……ったく」
 その扱いを不服に思い、フランベルジュはその場にいない師を半眼で睨んだ。
 この六日間の【メトロ・ノーム】での生活の意味するところを、フランベルジュは正確に
 把握している訳ではない。
 苦手としている野宿を克服したところで、それが強さに直結するとは到底思えないし、何より大会まで
 一週間という貴重な時間を、ただ特定の場所で生活するだけに費やすと言う事には、恐怖すら覚える。
 それでも、フランベルジュが文句を言う事なく、言われた通りにしているのは、明確な理由がある。
 ファルシオンが止めなかったからだ。
 勇者一行と言う仲間を得たフランベルジュは、その二人に対し、自分なりの見解を持っている。
 リオグランテは、まだまだ精神面は子供。
 しかしその才能は、自分を遥かに凌駕する。
 それを近くで目の当たりにする事で、自分も引っ張られていくような感覚を抱けるのでは、
 と言う期待感を持っていた。
 一方、ファルシオンには――――人として、ある種の尊敬すら抱いている。
 年下でありながら、常に冷静沈着。
 洞察力に優れ、判断が早く、そして的確。
 彼女曰く『私の尊敬する魔術士が、そう言う人らしいので』との事。
 だが、それらの能力を実際に身につけるのは、決して容易ではない。
 自分が目標としている人物に少しでも近付く為、たゆまぬ努力をした結果が、今の彼女。
 女性剣士としての高い目標を持つフランベルジュにとって、ファルシオンはいわばお手本だった。
 決して、それを本人に言う事はないが。
 そんなファルシオンが、このヴァレロン新市街地を訪れ、初めて見せた他者への信頼。
 その相手こそ、フェイルだった。
 実際、フェイルの指示通りに過ごした結果、明らかに以前よりしっくり来る戦闘スタイルが身についた。
 戦闘の中でも虚勢を張っていたフランベルジュは、本来の性格や性質に合わない、攻撃的な戦術を
 半ば強引に自分へ押しつけていた。
 フェイルは、それを見抜いていたのだ。
 薬草店の気弱な店主。
 そして――――元宮廷弓兵。
【アルテタ】で、この【メトロ・ノーム】で、幾度かその異様な肩書きの片鱗を覗かせていた。
 初めは、宮廷で学んだ事を吸収しようと思い、師と仰ぐ事を決めた。
 だが、結果として、本当に師匠と弟子のような関係が、僅かの間で構築された。
 自分の目が節穴だった事に、苦笑を禁じ得ない。
 同時に、強くなる実感を、この年齢になって得られた事への、確かな感謝の念も。
「……柄でもない、けど」
 敢えてそう言葉にしたのは、他の誰でもない、自分自身へ語り掛ける為。
 やはり、まだ夜間の野外への苦手意識は、払拭できていない。
 震えそうになる肌を叱咤激励するように、フランベルジュは愛剣とは異なる木製の剣を、鞘ごと抱いた。
 一つ、二つ、深い呼吸。
 こんな自分が、果たして【エル・バタラ】で何処まで勝ち進めるのか。
 仲間の二人、師と仰いだ男に胸を張れる結果を得られるのか。
 無数の不安が火の粉のように、舞い上がっては消えて行く。
 仄かに、仄かに。
 小さく咲いた橙色が、宙を漂い、漂い――――
「……!」
 薄っすらと、人影を照らし出した。







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