【エル・バタラ】の開催まで一週間に迫ったその日――――フランベルジュは革鎧と木剣を装備し、
 フェイルと共に【メトロ・ノーム】を訪れていた。
 その顔には、ここ数日の自信に満ち溢れた表情ではなく、一種の緊張感が滲んでいる。
 それには、明確な理由があった。
「それじゃ、今日の訓練の説明をするから、しっかり聞いてね」
 アルマ邸の前で、神妙な顔をするフェイルに、フランベルジュはゆっくりと頷く。
「朝にも話したように、この訓練が最後。これまでで一番苦労すると思うけど、覚悟は良い?」
「勿論よ。何でも言って」
 フランベルジュの表情を確認し、フェイルは小さく頷いた。
「残り一週間、この【メトロ・ノーム】で生活をする事。ただし、寝泊まりの際にアルマさんの家や酒場、
 前に行ったロッジなどを使用するのは禁止」
「つまり、野宿って事ね」
 或いは、予感めいたものがあったのか――――フランベルジュは戸惑う事なく、フェイルの意図を汲んだ。
「ん……なんか最後の訓練って言う割には、ヌルくねーか? 初っ端に山ン中に放置したってくらいだし、
 野宿くらい別に大したコトねーだろに」
 それまで静観していたハルが、腕組みしながら指摘する通り、普通の感覚ならば、その内容は決して
 過酷とは言い難いだろう。
 だが、ハルは知らない。
 フランベルジュにとって、野宿がいかに苦痛であるかと言う事を。
 一方、フェイルは理由こそ知らないものの、その苦手意識は知っている。
 だからこそ、敢えてその克服を突きつけてきた。
「これで良いの。出来る?」
「……了解。お店は手伝わないで良いのね?」
「うん。薬草の塗布と服用は、ちゃんと説明したように毎日やってね。あ、一週間って言ったけど、
【エル・バタラ】の前日には帰ってきて。その日一日は、完全休養。何にもしちゃダメ」
「体調整えるのも、立派な訓練の内ってこったな」
 ハルの言葉に一つ頷き、フランベルジュは改めてフェイルに目を向けた。
「質問なんだけど、その六日間は、私は何をしてても良いの?」
「当然、自由に行動して良いよ。ただ、ここを出ない範囲でね。例えば、【ウォレス】に乗り込んで
 例の副隊長や女剣士と闘う……って言うのはダメ」
「あくまでも、ここで、って事ね。食事の調達は?」
「寝泊まりしない分には、酒場を使っても良いよ。宿代をそのままそっちに回せば、問題ないでしょ?」
「ええ。それじゃ、最後の質問」
 フランベルジュの瞼が、微かに落ちる。
 二重がより鮮明になり、その分感情もより表面に映し出された。
「……この六日間で、私は強くなれる?」
 その疑問は、至極当然の事。
 具体的な指示はなく、寧ろ放置される形になるのだから。
 だが――――
「僕は、そのつもりでいるよ」
 フェイルはそう断言し。
「なら、良し。これから六日間、ここで過ごす事にする」
 フランベルジュは、そう決意した。
 そこには、僅か一週間程度の師弟関係でありながら、確かな信頼関係があった。


「強くなれるっつー手応えってのは、中々手に入るモンじゃねーんだよな」
 フランベルジュがアルマ邸を離れて、暫く経った後。
 アルマのおもてなしをなんとか乗り切った(?)ハルは、しみじみと語り出した。
「良く、何かのきっかけで急激に強くなるっつー話、あるよな。実際あんだよ、一応。でもそりゃ、
 ガキの頃とか、剣を握って間もない頃の話だ。それが過ぎれば、まず体験するこたーねえ」
「……」
 それは、フェイルも全く同意見だった。
 いつか、そんな日が、そんな瞬間がやって来るんじゃないか。
 自分が急激に強くなり、まるで別人のように動ける時が来るんじゃないか。
 そんな期待を胸に、日々を生きて、邁進して――――それが夢だと思い知る。
 武器を手にした者なら、誰もが通る道だ。
「ところが、あの冷徹剣士は、ここ数日でその予感を感じ取ったんだろ。そこに導いたお前を信頼するのは
 当然のこったな。可愛いモンじゃねーか」
「その分、責任は感じるよ」
 何処か楽しげに語るハルとは対照的に、フェイルは持参した弓矢をコシコシと磨く。
「本当、人一人の成長を手助けするってのが、こんなに大変だとは思わなかったな」
 思うのは――――先日再会を果たした、自身の師匠。
 そう呼ばれる事を嫌っていた理由が、ここに来てようやく理解できた。
 そして同時に、自分がどれだけ負担になっていたかも。
「で、これからその大変な事の総仕上げになるワケだが……当然、何か用意してるんだろ?
 ここにきて完全放置なんてのは、流石にねーからな」
「……」
 片付けを終えたアルマも合流し、コクコクと同意を示す。
 フェイルは若干むず痒い感覚を覚えつつ、頷いてみせた。
「二人とも知っての通り、ここには『土賊』とか『シナウト』とか、良くわからない勢力がウロウロしてるよね」
「あ? まさかお前、あの冷徹剣士とヤツ等をやり合わせる気か?」
 瞬間、ハルの顔色が変わる。
「それは……チト厳しいと思うぜ。土賊の連中はまだしも、シナウトは接触自体困難だぞ。
 それとも、敢えて不穏な動きをしておびき寄せる気か?」
 以前、ハルの口からその存在が語られた【シナウト】。
 この【メトロ・ノーム】における環境や勢力図を変えたくない穏健派で構成されていると言う勢力に、
 フェイルはその目を向けていた。
「まさか。そんな事をしたら、僕が先に間引かれかねないでしょ」
「まーな。じゃ、どうすんだよ」
「これまで通り、その存在だけを利用させて貰う」
 矢を磨き終えたフェイルは、荒く仕上がった安い紙に、羽ペンでささっと文字を書いた。
「!」 
 その文字に、アルマが驚きの表情を見せる。
『シナウト参上』
 以前、矢文として飛んできた手紙に記されていた文字と、筆跡まで同じだった。
「話聞いて、不自然だとは思ったが……お前の仕業だったのか」
「こう言うのを仕込んでおけば、緊張感の維持に繋がるからね」
 その紙を折り、一つの矢に括り付け、フェイルは小さく微笑む。
「それより、二人に聞きたいんだけど。土賊って言うあの連中、どうしてシナウトの間引きの対象に
 ならないの?」
 土賊――――【メトロ・ノーム】に巣くう盗賊集団。
 盗賊と言う事は当然、略奪行為や秩序の破壊などを行っている筈だ。
 ならばそれは当然、保守派にとって排除の対象となる。
 だが、現状として、そう言った動きは見られない。
 その理由は――――
「ああ。そりゃ簡単だ。あの土賊のリーダーってのは、バルムンクのお気に入りだったからな」
「……元【ラファイエット】の傭兵って事?」
「そうだ。しかも、幹部候補だったって噂だ。ヤツもバルムンクを慕ってて、一時期はいつも
 くっついてたらしい。俺はその頃、この国にはいなかったから、目撃したワケじゃねーがな」
「って事は、バルムンクがシナウトの一員だから、見逃されてる……?」
 フェイルの首を傾げながらの問いに、アルマが首をブルンブルンと左右に振る。
「いや、それはねーな。前も言ったが、シナウトはギルドと対立関係にあっからな。ギルドに所属してて
 対抗勢力にも属してるって構図は、ないとは限らねーけど、大将がそれに該当するってコトは
 まずねーだろ」
「確かに」
「で、ここからは噂話程度の信憑性しかねーが……土賊のリーダーが、ギルドの規律を破ったらしい。
 それが原因で、ギルドから追い出されたんだと。で、今に至る。絵に描いたような転落人生だな」
 フェイルは沈黙のまま、無駄に長いハルの話を聞き続ける。
「とは言え、バルムンクはまだ、あの土賊のリーダーに情を残してるみてーでな。土賊を間引くと
 あの化け物が黙っちゃいねーって思ってんだろう。あくまでも仮説だけどな」
 実際――――酒場【ヴァン】で、土賊のリーダーであるアドゥリスがバルムンクと対峙した際の
 反応と言うのは、その人間関係に当てはまるようなものだった。
 フェイルは一頻り納得し、暫し思案に耽る。
「アドゥリス、って名前だったか。ヤツにしてみれば、寧ろシナウトの標的になりたいくらいかもな。
 今のヤツの立場は、バルムンクの権威と恩恵で生かされてるようなモンだ。あの激情家っぷりを
 見る限り、我慢ならねーってトコだろよ」
「そっか……それなら話は早いかも」
「あん?」
 フェイルは明確な回答をせず、一人納得した。
「お陰で筋道が見えたよ。ありがとう」
「よくわかんねーけど、いいってコトよ。じゃ、俺はそろそろ行くぜ。仕事があっからな」
「え、なんで?」
「傭兵だからだよ! 俺が仕事するのが何で不思議なんだよ!?」
 からかわれたハルは憤怒しつつも、機嫌よさげにアルマ邸を後にした。
 残されたフェイルは、自分の顔をじーっと眺めているアルマに視線を移す。
 思うのは――――先日明らかになった『封術士』の一件。
 代わりになり得る候補者が見つかったのは、朗報だ。
 だが、その相手は自分の標的。
 狙撃前に接触するのは明らかに危険だし、狙撃後は暫く動けない状態。
 毒が抜けて動けるようになった頃には、宮廷へと帰っているだろう。
 現時点で、クレウス=ガンソにアルマの代わりを務めて貰う条件は、一つ。
 フェイルが依頼を断る事だ。
『断れ。依頼主には、こちらから圧力をかける』
 そんな、デュランダルの言葉が頭に蘇る。
 それを実現する事は、難しくはないだろう。
 デュランダルの泊まっている宿を探し、会ってその旨を告げる。
 ラディアンスにでも依頼すれば、直ぐにでも可能な行動だ。
 しかし、それを行えば、フェイルは『裏の仕事』を完全に失う事になるだろう。
 既に一度、依頼を失敗している身。
 連続での未達成は、信用面が命の商売において、致命的だ。
 かつてフェイルは、デュランダルから『暗殺技能』を教わった。
 そのデュランダルは、現在のフェイルの立場を知らない。
 自分の言葉が、その技能を活かせる舞台から引きずり下ろそうとしている事など、知る由もないだろう。
 それだけに、フェイルは悩んでいた。
 アルマとの約束。
 デュランダルへの恩義。
 そして、自分の在り方。
 目的。
 未来――――
「……僕は」
 フェイルは、アルマに向けて声を上げた。
 それは、或いは愚痴だったのかもしれないと、発言と同時に後悔しながら。
「僕は、情けない人間なんだ」
「?」
「夢を持って、目標を立てても、それを一度として達成できた事がない。昔も、今も。
 いつも途中で挫折する。実行力がない。そんな人間が人に何かしてやろうなんて、滑稽だよね」
 突然、そんな話をされたアルマは、対応に困り表情を曇らせていた。
 だが、フェイルは構わずに続ける。
「それでも、そんな僕を頼ってくれたり、必要としれくれる人がいるのなら、
 滑稽だろうと身の程知らずだろうと、それに応える自分でいたいと思うんだ。それが例え……
 白々しい自己表現だろうと、何だろうと」
 何度でも。
 何度だろうと。
 弓兵の放った矢は、例え最初は一直線に突き進んでも、いつかは落ちて行く。
 だが、誰にも刺さる事のなかったその矢は、誰かに拾われ、また同じように下降線を描く。
 フェイルは、そんな弓矢を、誰よりも愛した。
 だから、何度だって、拾い続ける。
 夢の瓦礫を。
 自らの遺灰を。
「だから、もう少し、待って欲しい。今は……そうとしか言えないけど」
「……」
 物言わぬアルマは、静かに、本当に静かに、その右手を自分の前に出して――――
 トン、と、心の上を軽く叩いた。
 暫しの時間が過ぎ、今度はその手をフェイルの胸へと当てる。
「え……」
 驚くフェイルとアルマの間で、鼓動が共有される。
 トク、トク、トク、トク、と。
「……」
 アルマはやはり、物言わない。
 だが、その所作は、実に雄弁だった。
『此方の想いは、そこに預けてるんだよ』
 その解釈を、フェイルは少し躊躇したが――――
「……うん。まだまだ、頑張ってみる」
 僭越ながらも、背中を押して貰う事にした。







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