この一ヶ月、【エル・バタラ】を中心にして動いていたのは、
 レカルテ商店街だけではない。
【ヴァレロン総合闘技場】の周囲もまた、この四年に一度の大イベントを前に
 大がかりな改装が行われていた。
 例えば、現存する宿だけでは賄いきれない可能性もある為、周囲の民家を
 民宿として開放するなど、参加者および観光客の拠点を確保。
 辻馬車も、往復回数を通常の8倍に増やし、衛生面も多くのボランティアや
 商人ギルドの人海戦術によって改善。
 そして、酒場や食事処も、普段は使わないテーブルを総動員して、
 来たるべき日に備えている。
「うわあ……見て下さいよ、このメニュー表。新メニューが10コもありますよ」
 勇者リオグランテが思わず涎を垂らす中、その隣に座るフェイルは、
 メニュー表を眺めながらも、意識は別の所へと行っていた。
「……どうかしましたか? さっきから変です、フェイルさん」
 そんな、心ここに在らずの状態をいち早く気付いたファルシオンの指摘によって、
 その場にいる全員の視線がフェイルへと向く。
「あのね……どんなに探しても、10ユロー以下のメニューはないのよ? 諦めなさい」
「フェイル様。ここの会計はわたくしが持ちます。そのように思い詰めないで
 下さいませ」
 それを『貧乏性の苦悶』と受け取ったフランベルジュとリッツが諌める中、
 リオグランテはまるで敵でも睨むような形相でメニューを見ている。
 ここは――――【ヴァレロン総合闘技場】の直ぐ傍にある食事処【ケアプロベッチェ】。
 いわゆる大衆的な店ではなく、真っ白なテーブルクロスが妙な重圧を与えてくる、
 庶民にとっては少し敷居の高い食事処だ。
 特に、昼食をここで摂るとなれば、富裕層であっても贅沢と言えるだろう。
 当然、フェイルは一度も来た事がない。
 それだけに、二人の認識はある意味妥当ではあったが――――
「そう、なんでしょうか? ここへ入る前から、おかしかったような」
 ファルシオンだけは、首を傾げるような仕草で、疑問を挟んでいた。
 一方、話題の張本人であるフェイルはと言うと、そんな各々の発言も
 ロクに聞いてはいない。
 デュランダルとの再会と、会話。
 それが頭の中を支配していた。
 そこにある感情は決して、客懐や児嬉のようなものではない。
 エチェベリア王国の中核と言っても良い【銀朱】のトップ2が、
 この街を訪れる事。
 そして、クラウ=ソラスと自分の共通項。
 それ等がもたらすものは、紛れもなく『負の好奇心』だ。
「……わっ」
 突然、リオグランテの素っ頓狂な声があがる。
 その勇者の隣に座るフェイルは、ふと視線を現実へと戻した。
 そこに映ったのは、一人の青年。
 淡々と歩いて来たその男性は、フェイル達のテーブルの隣に座り、
 店員が来るのを腕組みしながら待ち始めた。
 かなり濃い顔立ちで、サーコートを身にまとい、耳たぶにはピアスをしている。
 それだけなら、標準的な貴族の格好なのだが――――その男はなんと、
 棘付の首輪をつけていた。
 貴族と奴隷、両方の性質を表しているその姿は、異様の一言。
 フェイルの意識を現実へと連れ戻すには、十分過ぎるくらいのインパクトだ。
「なんか、スゴいですね。世の中って色々な人がいるんだなあ……」
「な、なんなのアレ……? 何のつもりなのかしら」
「他人様の外装をとやかく言うものじゃないです」
 コソコソと話す勇者一行を傍目に、奇抜な格好の青年は特に気にも留めず、
 太い眉毛を擦りながら、メニューを吟味していた。
「あの方、何処かで……」
 そんな様子を、リッツが首を傾げながら眺めていた、その最中――――
「あらあ? もしかして薬草屋ちゃん?」
 突然、そんな声が遠くから届く。
 真っ赤な髪。
 真紅のドレス。
 そして、全身から滲ませる、妖艶な色気。
 流通の皇女こと、スティレット=キュピリエだった。
「……」
 当然、その隣には、従者のヴァール=トイズトイズもいる。
 相変わらずの鋭い目付きと、引き締まった口元。
 その氷のような女性に、真っ先に目を向けたのは、彼女を敵視するファルシオンだった。
 だが、以前のような、感情をむき出しにする姿はない。
 普段通りの無表情で、観察するように眺めている。
「ンまあ〜! まさかこんなトコにいるなんて、ビックリ! これって
 何かのお導きってヤツ? 驚いたあ〜♪」
「は、はぁ……」
 フェイルは、この女性が大の苦手だった。
 接客業をしている手前、人格に苦手を作ってはいけないと言う意識はある。
 だが、眼前にいる、まるで世の中を掌握してそれを揉みくちゃにしているかのような
 感性を持つこの女性を他の人間と同一視する事は、到底できそうになかった。
「あらん、そっちはアルテタで見掛けた勇者ちゃんじゃない♪ 元気だったかしら?」
「はい、元気だけが取り柄です!」
 一方、リオグランテには一切の抵抗はないらしく、陽気に返事。
 貴族の娘であるリッツも、恭しく頭を下げる。
 同じテーブルでありながら、そこには驚嘆に値するほどの温度差が生じていた。
「ここに来てるってコトはぁ……勇者ちゃん、【エル・バタラ】に出るのかしら?」
「あ、はい。出ます」
「あらまぁ……だったら、もしかしたらこの子と当たっちゃうかもねえん」
 語尾の辺りをトーンダウンさせつつ、スティレットは視線をヴァールへと向ける。
 つまり――――彼女も参加者の一人、と言う事だ。
「……」
 当の本人は、一切口を開く事なく、虚空の一点をじっと眺めている。
 その実力の程を知る術はないが、明らかに只者ではないと
 この場にいる誰もが確信するだけの雰囲気を纏っていた。
「勇者ちゃん、随分と強くなったんじゃなぁい? 以前より、身体が
 引き締まってるように見えるんだけど♪」
「そ、そうですか? 自分では良くわからないですけど……修行は毎日してるんで」
「やっぱり、勇者やってるだけあって、才能あるのねぇ♪ ヴァール、
 負けちゃうかもねン♪ ダメよん、賞金出るまでに負けちゃ」
「……」
 立場上、肯定も否定も出来ないのか、ヴァールは主の言葉にも沈黙を貫く。
 そんなライバルとなり得る女性を、珍しく沈黙のまま眺めていたフランベルジュが、
 その視線を流通の皇女へと向けた。
「どこまで本気なのかしらね……お金なら、腐る程持ってるでしょう?」
「良いコト教えてあげる、ナマイキ剣士ちゃん♪」
 冷めた目をしていた、そのナマイキ剣士の顔色が――――変わる。
「貨幣の価値は、交換媒体と言うだけじゃないのよン♪ 貴女だって、
 強くなれば、もっと強くなりたいと思うでしょ? それと同じコト。
 お金は使う為の物じゃないの。世界の価値分布の為のものなのよン」
 例えるなら、ステンドグラス。
 光の当たるそれは、カラフルで芸術性に富み、酷く美しい。
 だが、闇に染まったそれは、無機質で毒々しく、そして艶やか。
 スティレットの眼は、その場を呑む込む程の獰猛な輝きを放った。
「……なんて、ねン♪」
 しかし、それも一瞬。
 直ぐに普段の明るい貌に戻り、大げさに笑む。
 それも含め、フランベルジュやファルシオンは、その不気味さに思わず
 冷や汗を垂らした。
「それじゃ、勇者ちゃん。また会いましょうねン。もしこのコと闘うコトになったら
 お手柔らかに♪」
「あ、はい。こちらこそ」
 その空気に呑まれているのか、いないのか。
 或いは、隣の貴族っ子に怯えた姿を見せたくないのか。
 リオグランテは気圧された様子もなく、自然に返事をした。
 その様子を満足気に眺めたスティレットは、振り向く寸前にその視線を
 フェイルへと移動させ、目だけで笑んだ。
「楽しいコトになりそうねン……♪」
 そんな言葉を残し、流通の皇女とその従者は、テーブルから離れて行き、
 今度は隣の席に向かう。
 まだ本日の昼食を決め切れていないらしく、青年は食い入るように
 メニューを睨んでいた。
「ごめんあそばせ、クレウス様。夢中になっているところ申し訳ありませんケド、
 ご挨拶をさせて頂いても宜しいかしらン?」
「……ん、ああ。昼間から随分とケバいねーちゃんがいると思ったら、
 流通の皇女様か」
 そんな青年の言葉が空気を揺らすと同時に――――ヴァールの目から光が消える。
「よしなさい、ヴァール」
 だがそれは、主の一言により、一瞬の現象に留まった。
「お久し振りねン。コンディションは如何かしらン?」
「今の体調なんて、関係ねーだろ。お前等が知りてーのは、当日のオレ様の
 体調だろ?」
「あらン、只の枕詞をそんな真摯に受け取って貰って光栄よン♪
 調子の方が上々みたいねン。テュラム家の居心地はどう?」
「王宮よりはマシだな。メシは美味くねーけど」
「それは残念ねン♪」
 その二人のやり取りを暫し聞いていたフェイル達は、それぞれ異なる感想を胸に、
 隣同士で顔を見合わせる。
 クレウス。
 その名は――――
「思い出しました! あの方は先日、テュラム家が開いていたパーティーで
 招かれていた、宮廷魔術士の方です!」
 そして、そのテュラム家が他の貴族や富豪との権力争いの為に
【エル・バタラ】へと送り込む予定の、魔術士。
 フェイルはそんな補足を心中で唱えつつ、この偶然を喜んだ。
 紛れもなく、標的の一人『クレウス=ガンソ』に該当する人物だ。
 客人である以上、テュラム家に寝泊まりしているのは予想していた事だが、
 昼間ここに訪れて食事をしている事がわかった以上、追尾は容易。
 あの情報屋にでも依頼しておけば、一日の行動は直ぐに把握可能だ。
 プルガに続き、これで二人目の標的の準備が進められる。
 思わず顔も緩むと言うものだが――――
「それにしても、気分悪りーぜ。ねーちゃんよ。人の事をゴミ見るみてーな
 目で見下しやがって。あん?」
 場の雰囲気は、そんなフェイルの感情とは正反対に、険悪な方向へ
 どんどん移行していた。
 眉間に皺を寄せたクレウスが立ち上がり、顔を近付けるその相手は――――
 ヴァール。
 魔術士同士、暫し睨み合う。
 先に沈黙を破ったのは――――ヴァールの方だった。
「お前も、向こうの女と同じで、魔術士の風上にも置けないクズだ。
 オートルーリングで成り上がった、矜持なき外道が」
 そう居丈高に吐き捨て、鼻で笑う。
 その言葉を聞いたファルシオンは、瞬間的に立ち上がろうと両手を
 テーブルについたが――――フェイルが目でそれを制した。
『ここは我慢して』
『そう言う訳にはいきません。オートルーリングへの侮辱は、アウロス=エルガーデン
 への侮辱であり、つまりは魔術士への侮辱なのですから』
『それでも我慢して。お願いだから』
 そう、視線で会話する。
【エル・バタラ】参加者同士が公共の場でいざこざを起こせば、
 問題視される可能性がある。
 仮にここで、一般人を巻き込んで大暴れすれば、被害状況によっては
 参加資格を取り消される可能性すらある。
 そこへファルシオンが介入すれば、フランベルジュやリオグランテまでも
 その懲罰を受けるかもしれない。
 ファルシオンも、その危険は直ぐに理解したのか――――普段は一切
 変えない顔を不服で曇らせながらも、テーブルから手を放した。
「……フン」
 その様子を横目で見ていたヴァールが、嘲笑を浮かべる。
『腰抜けが』。
 そう目で語っていた。
 だが、その目が一瞬で別の方向へと移動する。
 その首筋に、カードが当てられている事に気付いたからだ。
 それを指で挟んでいるクレウスは、掘りの深い顔をクシャッと縮め、
 勝ち誇った顔で懐へと仕舞った。
「その程度の反応で、オレ様にケンカ売るたー、笑わせるな。
 オートルーリングが邪道、とでも言いてーみてーだが、利用できるものを
 利用しねー時点で、お前は遅えーんだよ」
「……っ」
 不覚をとった格好のヴァールが歯軋りをする中、クレウスは優雅な仕草で
 席へと座る。
「つー訳で、オレ様はこれからランチだ。邪魔すんじゃねーぜ」
「ええ、勿論♪ ヴァール、ダメじゃないのン♪」
 その最中。
 それは、突然訪れた。
「――――主に恥をかかせるなんて」
 ゴウッと、そんな暴風の音が聞こえて来そうな、一瞬の気の膨張。
 スティレットの眼が、先程と同じ――――いや、それ以上に闇を帯びる。
「も、申し訳ありません!」
「後で……ね。クレウス様、あと勇者ちゃん達も、お騒がせしてゴメンなさい♪
 お詫びに、ここのお代はぜーんぶあたしが持つから♪」
 その闇も、やはり先程と同様、一瞬で消え失せ、流通の皇女はニッコリと、
 人懐っこい笑みを浮かべた。
 そして、ツカツカと音を立て、退室。
 彼女たちの姿が消えた刹那、至る所から大きな息が漏れた。
 他のテーブルの席にいる客も、或いは店員さえも、緊張感を共有していたらしい。
 それ程の影響力が、スティレットにはある。
「ったく、おっかねー女だな、相変わらず」
 クレウスですら、冷や汗こそ一切滲んでいないものの、食欲をなくしたらしく
 メニューを放り投げていた。
 そんな中。
「……はぁ」
 フェイルは一人、あの『笑み』に嫌な予感を覚え、別の意味で嘆息を漏らしていた。

 それが、果たして的中したのか、全く脈絡のない別の『厄介事』なのか――――

 二日後、薬草店【ノート】に届いた【ウエスト】からの手紙に、
 こんな事実が記されていた。


 プロテクトLv.1の情報なので、そのまま手紙に記載

 調査の結果、お探しの封術士が一名、見つかりました

 現在、テュラム家を拠点としている宮廷魔術士、クレウス=ガンソが該当






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