【ヴァレロン総合闘技場】の特色は、主に三つ。
 一つは、地下闘技場。
 通常、地下のそう言った施設は、死刑囚同士を争わせたり、
 猛獣と人間を闘わせたりする場合に使用するが、この闘技場は
 娯楽の為に作られており、地下特有の陰暗さは余りない。
 照明は過剰な程に完備されているし、カビ臭い匂いもない。
 数多くの戦士が集結する場として、不足は全くない空間だ。
 一つは、その立地場所。
 通常、闘技場のような血生臭い施設は、住宅地は勿論、商業地からも遠く
 離れた場所に建設するものだが、【ヴァレロン総合闘技場】は
 ヴァレロン新市街地内に建てられている。
 レカルテ商店街やアロンソ通りからは数kmほど離れており、
 郊外と言えば郊外だが、その直ぐ傍には商人ギルド【ボナン】の
 本部がある等、孤立している感はない。
 これは、市民や街中の宿を利用する観光客の足を意識したもので、
 結果としてそれは功を奏し、闘技場で行われる催しは非常に客の入りが良い。
 そして――――もう一つは、規模。
 地上の闘技場は、実に2万人を超える収容を可能としており、
 中央部のアリーナは直径40mと言う広大さを誇っている。
 だが、それ以上に目を見張るのは、そのアリーナではなく、その外壁。
 大理石で作られた円形の壁は、飾り円柱とアーチを織り交ぜた美しい
 造りになっており、まるでその建築物自体が芸術品であるかのように
 優雅な佇まいを見せている。
 気高く、美しく、それでいて間口は広く。
 それが、【エル・バタラ】の会場、【ヴァレロン総合闘技場】だ。
「わー、スゴい! こんな広いトコ、初めて見ましたよ!」
「この闘技場には、お父様もたくさん出資していますのよ♪」
 まるで遠足気分のリオグランテとリッツが勝手に走り回る中、
 フェイルはこっそりと場内の死角となる箇所を探していた。
 裏のお仕事の期日は『【エル・バタラ】本戦一回戦前日 迄』となっている。
 つまり、予選当日もまだ期間内だ。
 誰も、人気のある、しかも大人数が集うこの場所で狙われるとは思わない。
 それに加え、予選の最中と言う事で、自身の闘いや有力参加者の方に
 意識が集中している。
 場合によっては、予選当日にこの場で標的に弓引く可能性も出て来るだろう。
 だが――――それを可能とするような都合の良いスポットは流石になく、
 フェイルはこっそり溜息を吐いた。
「何? まさかアンタが緊張してるの? 参加もしないクセに」
 そんな様子を勘違いしたフランベルジュが、楽しげに笑う。
 余程、新たな戦闘スタイルに手応えを感じているのか――――ここ数日の
 切羽詰まった感は一切なくなり、精神的な余裕が見受けられた。
「素直と言うか、バカ正直と言うか……」
「え? 何?」
「何でもないよ」
 今度はまた危機感の欠如に頭を悩ませる事になりそうだ、と心中で独りごち、
 フェイルはもう一度嘆息した。
「では、フラン。そろそろ参加の申請をしに行きましょう。
 リオは既に済ませているので、後は貴女だけです。お金、持ってきましたか?」
「はいはい。子供じゃないんだから、一人で出来るって言うのに」
 まるで保護者のようなファルシオンに連れ添われながら、フランベルジュは
 受付へと向かった。
 一方、リオとリッツも気付けば不在。
 二人で何処かを見学に行ったらしい。
「……さて」
 いつの間にか孤立した格好のフェイルは、一人寂しく場内を散歩する事にした。
 当然、狙撃スポットの探索も兼ねているが、それだけが目的と言う訳でもない。
 まるで、引き寄せられるかのように――――円形闘技場の観客席に足を運び、
 アリーナに目を向ける。
「規模は、この10分の1くらいだったかな」
 そして、そんな事を心の中で呟きながら、かつて自分が闘った場所を回想した。
 大人数に見られる中での戦闘と言うのは、余り気持ちの良いものではない。
 根っからの戦闘好きならば、それは寧ろ快感になると言うが、フェイルには
 その気持ちは全くわからなかった。
 だが――――魂を焦がした、灼熱の時間は、今も尚、目に、身体に焼き付いて
 離れようとはしない。
 月並な表現だな、と前置きした上で、フェイルはその瞬間を自分の中の
『黄金時代』と解釈していた。
 輝ける時。
 それは、その時には自覚しないもの。
 輝きを発しているのは、他ならぬ自分自身なのだから――――
「……思い出すな。もう二年以上も前になるのか」
 続く回想。
 だがそれは、自分自身の内なる声ではなかった。
 思わず肩を震わせ、フェイルは恐る恐る視線を左隣へと向ける。
「尤も、あの時はここではなく、向こうにいたのだがな、お前は」
「な……」
 絶句。
 それ以外、表現のしようがなかった。
 驚愕を超える感情が出現する場合、得てしてそうなってしまう。
 そんなフェイルの対応に満足したのか。
『銀仮面』の異名を持つその男――――デュランダル=カレイラは、
 無表情でありながら、口元を薄く緩めていた。
 トレードマークのオプスキュリテも、普段身に着けている
 王宮騎士団の団服もなく、まるで一般市民のような、ラフな格好。
 周囲には部下の姿もなく、単独で行動している所為か、この青年が
 国内最強の剣士である事に気付く者は、他にいない。
 フェイルは暫く目を疑い、そして今度は目を擦り、そして最終的には引きつらせた。
「……ったく、趣味悪いな。元弟子を驚かせて喜ぶなんて、鬼畜だよ、鬼畜」
「そう言うな。先に驚かされたのはこっちだ。まさか、お前がここにいるとは、
 夢にも思わなかった」
 ジト目を作りつつも、フェイルは昂揚を禁じ得ず、右手を強く握る。
 全く、考えもしない再会だった。
 二度と会う事もない――――そう思っていた人物だけに、余計に。
 そして、全く変わっていない元師匠の声と姿に、フェイルは心をかき乱されていた。
「それこそ、こっちの科白だよ。何で【銀朱】の副師団長がこんなトコにいんの」
「下見だ。最悪の場合を想定してのな」
「……?」
 要領を得ない回答に、訝しい表情が自然と浮かぶ。
 それは、意識する事なく現れた、過去の自分の良くしていた顔。
 懐かしい。
 そんな場違いな感情が芽生える程、フェイルは混乱していた。
「少々、面倒な仕事を抱えていてな。状況によっては、私は10日後、この下で
 自分の物ではない剣を握っていなくてはならない」
「はい……?」
「そう難しい表現ではなかったと思うがな。王宮を離れて知能が衰えたのか?」
「そうじゃなくて! 何で【銀朱】の副師団長が【エル・バタラ】なんかに
 出るんだよ! 地位も名誉も金も腐るほど持ってるだろ?」
「単純な答えだ。それ等が目的ではない」
 そんな事は、フェイルも直ぐに理解できる事だった。
 普段の、ならば。
 だが、今のフェイルは洞察力も判断力も著しく低下している。
 余りに突然の『奇襲』によって。
 その襲撃者となったデュランダルは、周囲を一瞥し、人気がない事を
 確認した上で、小さく咳払いを一つした。
「クラウ=ソラスを知っているな」
「今度はいきなり何……知ってるけどさ」
「『それ』を討ちに来た」
 本当に、単純な回答。
 それが、あっさりと副師団長の口から洩れる。
 勅命である筈のその内容を他言すると言う事は、重罪に値する筈なのに。
「……」
 そんな、異質な事が立て続けに起こる中、フェイルはようやく、
 状況を整理するだけの余白を心の中に得た。
 同時に、そう仕向けたのは他ならぬ眼前の男である事も理解する。
 その結果、普段勇者一行に対し、偉そうに自論や考察を述べる自分を、
 急激に恥じたい衝動に駆られた。
「どうした?」
「いや、何も。つまり、僕に協力を要請したい、って事だよね。
 じゃなきゃ、貴方がこんな事を人に言う筈がない」
「ようやく覚めたか。その通りだ」
 再び満足げに、デュランダルは口元を緩める。
 笑顔と呼ぶには、余りにも微細な動き。
 それでも、それを見ただけで、フェイルは少し心が弾んだ。
「お前が奴を標的にしている事は、知っている」
「……」
「断れ。依頼主には、こちらから圧力をかける」
 まるで、フェイルの仕事を軽んじているかのような物言い。
 だが――――フェイルは、その事ではなく、別の事に引っ掛かりを覚えていた。
「幾らなんでも、漏れ過ぎてる」
 ポツリと、そんな言葉が漏れる。
 それを聞いたデュランダルは、アリーナから視線を外し、フェイルの方に向けた。
「恐らく、お前の想像通りだ。お前の依頼主は、ごく一部の層にのみ限定だが、
 情報を自ら漏洩している」
「……それしか、考えられない」
 あの契約の場にいたのは、フェイルとハイト、そして依頼主のキースリング。
 普通なら、ハイトが漏らしていると考えるのが自然だが、仲介人とも言うべき
 彼がそれをすれば、確実に粛清される。
 まして、表向きは司祭。
 あらゆる面で、リスクが大き過ぎる上、メリットがない。
 ならば、残りは一択。
 では、キースリングにどんなメリットがある――――?
「構図としては、自分の関係者を勝たせる為、有力者、若しくは『自分の関係者より
 勝たせたくない相手』をお前に狙撃させる、と言った所か。表向きの理由は」 
「最小限の情報しかないのに、良くそこまで導き出せるもんだね」
 心底呆れつつ、フェイルは『裏の理由』を探った。
 自らの依頼を妨害どころか潰しかねない暴露の理由。
 それは、『自作自演』以外はあり得ない。
 つまり――――『何者かが、【エル・バタラ】参加者の命を狙っている』と言う
 情報を流す事こそが、目的だったと言う事。
 自分が立てた参加者にも『狙われた』と証言させれば、誰の仕業かはわからない。
 では何故、そんな事をする必要があるのか――――
「……保身、か」
 フェイルの呟きに、デュランダルは静かに頷いた。
 何者かが、参加者を襲撃している――――その状況を作っておけば、
 仮に自分の立てた参加者が敗れた場合でも、『実は昨日、噂の襲撃者に襲われ、
 負傷していた』と発表する事で、言い訳が立つ。
 そうなれば、万が一他の貴族、富豪の立てた相手に負けても、不慮の事故で
 済ませられる為、カメイン家の名に傷が付く事はない。
「良く考えたら……仮に僕の狙撃が成功して、標的が戦闘不能状態になったとしたら、
 棄権するにしろ、その体調で試合に出るにしろ、観客は単なる選手の自己管理の
 問題だって判断する。それじゃ、名誉には結び付かない」
 つまり――――意味がない。
 それに今の今まで気付けずにいた事に、フェイルは思わず自嘲の笑みを浮かべた。
 そして、自覚する。
『焦っていた』自分に。
 ビューグラスの依頼を失敗し、半ば見捨てられた状態になってしまった事を
 ずっと気に病んでいる自分に。
「つまり、お前はその依頼主に義理立てする理由はない」
 そこまで見越していたのか――――デュランダルは、まるでフェイルの隣で
 ずっとその行動を追っていた相棒であるかのように、そんな言葉を紡いだ。
 圧倒的な、安心感。
 デュランダルといると、フェイルはそんな心境になっている自分を
 嫌でも自覚する。
 自分の事を誰よりも理解している人間が傍にいると言う事は、他の何にも
 代え難い、一種の悦楽だ。
 だが。
 それでも。
「断るよ。仕事だからね」
 フェイルは、迷いなくそう告げた。
 二年以上の歳月が、そんなフェイルを形成っていた。
「……成程。大人になった、と言う事か」
 それを瞬時に察し、デュランダルはそれ以上の要請を控える。
 その引き際が、フェイルの心を再びかき乱した。
「なら、私とお前は敵同士、と言う事になるな。どちらが、あの獲物を先に
 仕留めるか。尤も、そう簡単な相手ではないが、な」
「僕にとっては、どっちも最悪の相手だけどね……」
 そこまで軽口を言い放った時点で、フェイルは眉を潜める。
「……師匠でも、難しい相手って事? あのクラウ=ソラスは」
 確かに、実力者。
 ヴァレロンでも指折りの。
 だが、それでも――――フェイルの記憶の中にいる【銀朱】の副師団長を
 もってすれば、バルムンクと同格の強さならば、仕留める事はそう
 難しくない、と言う認識だった。
 だが、当の本人は、改めてそれを否定する為の所作を首で行う。
「奴は、【指定有害人種】の一人だ。一筋縄では行かないだろう」
「指定……」
 指定有害人種。
 決して一般的でない、その言葉の意味こそわからないが――――
 フェイルは、【指定有害人種】と言う言葉の存在は知っていた。
 何故なら。
 何故なら――――それは、かつて王宮の隠し部屋で見た、
『フェイル=ノート』に関する資料の中に出て来た言葉だからだ。
「その……指定有害人種って言うのは、クラウ=ソラスだけなの?」
 声が、微かに波打つ。
 それに対し、デュランダルは暫し沈黙し――――
「この地域一帯の中に、四人の【指定有害人種】の存在が確認されている」
 そう答えた。
 それが意味する事。
 それの意味する事。
 フェイルは、二つの【目】でそれを睨んだ。
「さて……少し話が長くなってしまったな。私はもう行く。
 来週にはガラディーン様もここへ到着する予定だ。見掛けたら粗相のないように
 きちんと挨拶をするんだぞ」
「剣聖殿まで来るの? って言うか、王宮大丈夫なの、それ」
「……通常では、あり得ない事だな」
 明確な答えは避け、デュランダルは手も降らず、フェイルに背を向けた。
 王宮騎士団【銀朱】師団長と副師団長が、同時に王宮を空ける。
 確かに、あり得ない事だった。
 つまり――――そんなあり得ない事態が起こっている、若しくはこれから
 起ころうとしている、と言う事になる。
「何してんのよ、こんな所で」
「フェイルさん、迷子にならないで下さい。その歳で」
 今度は振り返るまでもなくわかる、二つの女声。
 フェイルは表情に困りながら、ゆっくりと振り向いた。






  前へ                                                             次へ