訓練所内は殺伐とした空気――――など微塵もなく、傭兵達の下品な雑談が
 わんわんと鳴り響いていた。
 そこに、フランベルジュが登場した瞬間、歓声や口笛が響く。
 先日の件は、既にギルド内に知れ渡っているらしく、その殆どは嘲笑や
 冷やかしと言った、罵声より更に人を苛立たせる音だった。
 だが、そんな音も、当ギルド所属の能天気な女性の姿が現れた瞬間、消える。
 中には、露骨に蒼褪めたり、震え始める男もいた。
「……アロンソ隊の筆頭と言うのは、本当みたいですね」
 ポツリと呟いたファルシオンの言葉に、心配や懸念が含まれている事を
 フェイルはなんとなく感じ、返事代わりに右頬を掻く。
 女性傭兵との仕合――――これは、フェイルの描いた予定表にはない、
 想定外の展開。
 ただ、世の中には歓迎すべき想定外と、忌避すべき想定外の二つが存在する。
 この場合は、明らかに前者に該当するものだった。
 フェイルの描いたシナリオでは、今日のギルド巡りにおいて、五つの目標を
 クリアする予定だった。
 一つ目は、【エル・バタラ】の参加申込みを行う事。
 二つ目は、この【ウォレス】で、フランベルジュにオスバルドと再会させ、
 苦手意識を払拭する事。
 三つ目は、ギルド巡りを通して、精神面の問題点の原因が『男性恐怖症』に
 由来するものかどうかを確認し、もしそうなら当人に自覚させる事。
 四つ目は、各ギルドの参加者をチェックし、有力な戦士を偵察する事。
 五つ目は――――ライバル、目標となり得る相手を探す事。
 この内、二つ目は叶わなかったが、三、四、五の三つをここで一気に満たす事が
 出来る可能性が生まれた。
 トリシュ、と名乗った『女性剣士』と闘い、本来の実力をしっかりと発揮できれば、
 精神面の問題が『男性』にある事が明白になる。
 加えて、トリシュは大会参加者。
 戦闘力を確認できる上、同じ女性と言う事で、ライバルにもなり得る。
 ただ――――懸念も、ある。
 そしてその懸念は、二人が戦闘開始の合図として、稽古用の木剣を合わせた直後、
 現実のものとなった。
「いきますよー」
 全く力の籠らない、寧ろ脱力感しか漂っていない掛け声。
 そんな声と同時に、トリシュの左手が握る剣が、振りかざされる。
「てーりゃー」 
 そして、再びフニャフニャな掛け声と共に――――
「……!」
 まるで蛇が這うような、不規則なうねりと共に、その剣は異常な速度で振り下ろされた。
 フランベルジュは反応できない。
 速度にも、動きにも、全く対応できず、呆然とその振り下ろしを『見送った』。
 僅かに届かなかったのは、果たして偶然か、必然か――――
「あっれ。外れちゃいました」
 トリシュは惚けた様子もなく、残念そうにそう言い放つ。
 前者と言う事らしい。
 ただ――――
「今のは……」
「あれが、彼女の脅威そのものだ」
 いつの間にか、フェイルの隣にはアロンソがいた。
「何処までが本当で、何処までが冗談かはわからないが、彼女は戦闘時、
 自分の両腕を自分の意志では動かしていない」
「は……?」
 思わずアロンソの顔に視線を向けるフェイルに対し、返って来たのは溜息だった。
「勝手に動くそうだ。だから、当人にすら、その動きが読めない。当然、
 敵として対峙している人間に読める筈もない。規則性もなければ、
 常道も完全無視。それでいて、速度は一級品……正直、僕でも手に負えない」
 この【ウォレス】においては、クラウ=ソラスに次ぐ実力者と言う呼び声も
 高いアロンソですら、まるで諦観するようにそう断言する――――それが、
 トリシュの持つ脅威。
 この訓練所にいた傭兵を、姿を見せただけで沈黙させたのは、
 そんな彼女の『力』によるものだった。
「でも、だったら何故、彼女は隊長職に就いていないのですか?」
 顔色の悪いアロンソに、ファルシオンが問う。
【ウォレス】は実力主義のギルド。
 当然、トリシュにはその権利がある筈だが――――
「幾ら力があっても、制御の利かない人間には隊長は務まらない。
 と言うか、彼女の場合は、周囲に仲間がいても関係なく剣を振り回すから
 誰も下で働きたくはない」
「……それで、ここの人達もこんなに怯えてるんですか」
「って言うか、そんな危ないのを置いてて大丈夫なの? このギルド……」
 思わずジト目になるファルシオンとフェイルの細くなった視線に――――
 再び構えを取る色々と雑な女性剣士の姿が映る。
 一方、フランベルジュはと言うと、驚愕の表情は浮かべつつも、
 既に間合いを広げ、冷静に対処していた。
「やっぱり、女性が相手だと大丈夫みたいだね」
「ですね。ただ……相手が悪過ぎます。勝手に動く腕が本当だとしたら、
 恐らくファルが最も苦手とする攻撃です」
「うーん。誰でもイヤなんじゃないかな、そんな攻撃」
「あの子は、戦闘に関しては理詰めですから。不確定要素が多いほど苦手なんです」
 ファルシオンのその言葉に呼応するかのように――――トリシュは木剣を
 それはもう乱雑に伸ばし、突いた。
「とい、とい、とい」
 意味不明な掛け声と共に、突きの連弾がフランベルジュを襲う。
 厄介な事に、その速度も、剣筋も、一突きごとに大きく異なる。
 へろへろっとした突きもあれば、鋭敏な突きもあり、しかも予備動作が殆どない。
 とても避けられるものではなく、フランベルジュはあっさりと肩に
 四突き目を受け、倒れてしまった。
「……っ」
 悲鳴すら上げられない。
 それは、痛みの問題ではなく、反射的な声すら攻撃に対し追いついていない証拠。
「よっしゃー。ダウンとったり! トリシュ選手の勝利です! まははー」
 何とも能天気な勝ち名乗り。
 フェイルは、思わず冷や汗を頬に滲ませた。
「もしかして、あの女性……ここの代表やバルムンクより厄介なんじゃ」
 その呟きには、クラウを尊敬していると言うアロンソすら、答える事はなかった。
 が――――
「……それなら、彼女を倒せば、私はそいつらより上かもしれない、ってコトね」
 ただ一人、フランベルジュだけが、そう呟き立ち上がる。 
 無論、それが叶わない事は、誰よりも当の本人が自覚している筈だったが――――
「もう一度、良いかしら?」
「いいですよー。それじゃ、はじめっ。うりゃうりゃうりゃうりゃうりゃうりゃー」
 仕合は続く。
 あくまでも稽古の範囲を出ないその闘いは、決して双方の全力のぶつかり合い
 と言う訳ではなかった。
 しかも、実力差は歴然。
 何度繰り返しても、フランベルジュはトリシュの攻撃に全く対応できず、
 何度も、何度も、何度も床に這い蹲る。
 オスバルド戦では巻き起こったであろう、冷やかしの声も、全く聞こえない。
 この場にいる殆どの傭兵は、トリシュに同じ目に遭わされているのだろう――――
 そうフェイルは推測していた。
 そんな最中にも、フランベルジュの身体に、木剣の一撃が襲い掛かる。
 鎧の上からでも、衝撃が貫通する程の威力。
 成す術もなく、金髪の女性剣士は地に伏した。
「……もう、良いです。終わりにしましょう」
 何処か、やるせない感情を宿したような声で、ファルシオンが提言する。
 実際、そう言う心持ちなのは明白だった。
 仲間が、ボロボロにされている。
 例えそれが稽古の一環であっても、気持ちのいいものである筈がない。
 フェイルも、流石に限界だと感じていた。
 ライバルや目標にはなり得ない相手。
 ただ、現実を知るには十分な、十分すぎる仕合となった。
 当人が望んだ以上、止めるのは憚られたが、既にそんな段階でもない。
「それじゃ、この辺で……」
「まだよ」
 挙手しかけたフェイルを、弱り切った声が制する。
 そして――――フランベルジュは立ち上がった。
 顔には一切、傷は付いていない。
 トリシュの情けである事は明白。
 代わりに、誇りはいたく傷付けられた事も。
 それでも、フランベルジュは、立った。
 立って――――木剣を構えた。
「御免なさい。貴方にとっては……退屈なんでしょうね」
 そして、震える手で、その剣をトリシュの剣に合わせた。
 仕合開始の合図。
「でも、あと少しだけ……付き合って……」 
「あいあい、気の済むまで。いきますよー」
 トリシュは一貫して、そんなお気楽なスタンスを貫いていた。
 それが一層、フランベルジュの悲壮感を際立たせる。
 まるで通用しない剣技。
 弱り切った身体。
 誰が見ても、継続に意味などない。
 ない筈だが――――フェイルは、止めるのを今一度躊躇した。
 決して、笑みなど浮かんではいない。
 だが、フランベルジュは、何処か――――何処か、楽しそうにしていた。
 これまでずっと、自分の実力が出せず、自分の力すらわからなくなっていた剣士。
 今は、ボロボロでも、ヨロヨロでも、それが実感できる。
 それが、たまらなく嬉しい。
 そんな充実感が、顔に出ていた。
 だから――――ファルシオンも、止められずにいた。
 フェイルの隣にいるアロンソも、周囲の傭兵達も、静かに事の成り行きを見守っている。
 ただ単に、一方が一方的に倒されるだけの、仕合とも呼べない作業の繰り返しを。
「えりゃー。うぉりゃー。ちぇい」
 まるで、子供が壁に落書きするかのような所作で、繰り出されるトリシュの剣。
 気付けば、フランベルジュはそれを自身の木剣で受けていた。
 読めている訳でも、計算して防御している訳でもない。
 剣を掲げ、そして寝かせる事で、広範囲の攻撃を防ぐ、いわゆる『受けの姿勢』に
 なっているだけの事。
 だが、不規則に動く相手には、これが最も有効だと、フランベルジュは
 この仕合の中で気付いた――――ように、フェイルには見えた。
 守る事の重要性。
 そして、自分自身の性能。
 それらを、身体で理解し、実行に移すと言う難しい事を、無意識に体現している。
 事実、明らかにこれまでより、今の方がトリシュはやり難そうにしている。
 疲弊し切っている筈のフランベルジュから、中々一本を取れなくなって来た。
 フェイルが理想として掲げていた戦闘スタイルが、いつの間にか――――
 確立されていた。
「……わからないものだよね、人間って」
 誰にともなく呟いたフェイルの声と重なるように、フランベルジュは
 寝かせた剣でトリシュの振り下ろしを防ぐ――――と同時に、自分の剣を
 意図的に沈ませる。
「おろっ」
 思ったような抵抗がなくなり、トリシュは前のめりに身体を崩し、
 バランスを失った。
 そこから、周囲の傭兵達が驚くほど、フランベルジュの動きは滑らかだった。
 沈ませた剣を、弧を描くように回し、瞬時に上段の構えに移る。
 そして、まだ体勢の整わないトリシュの頭めがけ、剣を振り下ろした。
「――――――――!」
 声にならない叫びと共に、打ち下ろされる木製の得物。
 その剣筋は、縦に真っ直ぐ、美しいラインを描き――――

 そして、落ちた。


 夕日が包む橙色の道に、少し長く伸びた影が重なる。
 街路樹に留まっていた名もなき鳥が忙しなく飛び立つ中、
 その影が微かに揺れた。
「今日は、どうもありがとうございました」
 意識なき剣士を背負いつつ、首だけを曲げるフェイルの礼に、
 アロンソは疲労を引きずった様子で、小さく手を掲げる。
「また来てくださいねー。今度はおやつを用意しておけおけおっけー。
 トリシュ、りんごとハチミツが恋をしたのが良いのです」
 一方、結構な時間仕合をしていた筈のトリシュは、全く疲れていなかった。
 ただ、一つだけ。
 左手の甲に、直線状の痣が出来ている。
 もし、フランベルジュにまだ力が残っていたら――――?
 その痣は、そんな期待を持たせるには十分な『証』だった。
 そんな収穫を背に、律儀に見送ってくれた二人と別れ、フェイルは
 ファルシオンと共に、帰宅の途につく。
 結局、ギルド巡りは最初の【ウォレス】で頓挫。
【エル・バタラ】の参加申込みも、後日と言う事になった。
「随分痛めつけられてしまいましたけど……大会は大丈夫なんでしょうか」
「僕を誰だと思ってるの? この程度なら、休ませる必要もないよ。
 特訓しながらでも十分治せる」
 薬草士の矜持。
 既にフェイルの頭の中には、フランベルジュの負傷全てに有効な
 薬草の配合が整理されていた。
 幸いにも、骨は折れていない。
 勝手に動くと言うトリシュの腕が手加減をしたとは考え難いので、
 フランベルジュ自ら、その最悪の事態を回避したと言う事になる。
 だが、裏を返せば、あくまでも致命傷を免れたと言うだけ。
「……まだまだ、ちっぽけな存在なんですね、私達は」
 まるで自分の事のように、無念さを隠さず、ファルシオンがそう漏らした。
 実際、女性の中ではフランベルジュはかなり強い部類に入る。
 そんな彼女が、同じ女性を相手に完敗したと言う事実は、仲間としても
 ショックだったのだろうと、フェイルは素直に解釈した。
「勇者一行として、それなりにイベントをこなし、その中では様々な敵とも
 戦って、結構余裕を持って来れたんですが」
「まあ、決して弱くはないしね。ファルも、フランも。でも……」
 鎧は外してギルドに置かせて貰った為、決して重くはない。
 それでも、ある種の『重さ』を背中に感じつつ、フェイルは立ち止まった。
「いつか、もっと問答無用で、切羽詰まった状況の時に、自分達より確実に
 強くて、強大な敵が立ち塞がる。それは、勇者一行である以上は絶対だよ。
 だから……」
「だから?」
 止まった足が、再び動く。
 先程と変わらない速度で。
「戦いを上手くなるだけじゃなくて、生き続ける事を上手くならなくちゃ、ね」
 それは、フェイルが自分の生きる目的と引き換えに、学んだ事だった。
 それでも生き続ける事に意味はある、と。
 きっとある――――と。
「心に銘じておきます」
 そんな言葉があるかどうかは兎も角、ファルシオンは自身の言葉で、そう答えた。
「……ん」
 それに対し――――と言う訳ではなく、フェイルは思わず声を漏らす。
 原因となったのは、反対側の道を集団で移動中の男達。
 正確には、その中にいる一際小柄な存在。
 身体的特徴、そして騎士と思しきその出で立ちから、一人の名前が浮かび上がる。

 ――――プルガ=シュレール

 標的の一人だ。
「……」
 フェイルはその集団を、こっそりと目で追った。
 暫く真っ直ぐ歩き、そして角を曲がって行く。
 その方向には、【コスタクルタ家】の屋敷がある。
 行き先は、そこで間違いないだろう。
 貴族が、自らが招いた騎士を宿に泊まらせるとは考え難い。
 よって、彼は今後、コスタクルタ家の屋敷に留まると考えて差し支えない。
 居場所は割れた。
 だが、今はまだ時期尚早。
 闇撃ちは、標的が最も油断している瞬間を狙うのが常道であり、本道だ。
「……?」
 ファルシオンが眉を動かす中、フェイルの口元が引き締まる。
【エル・バタラ】開催まで、あと10日。
 少しずつ――――何かが音を立てて蠢いていた。






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