クラウ=ソラス。
 その名を知らない傭兵は、少なくともヴァレロンには皆無と思われる。
 なにしろ、傭兵ギルド最大手の【ウォレス】の代表取締役。
 ただ、彼が単純にギルドの運営者としての存在だったならば、
 これ程の知名度を得る事はなかっただろう。
 ギルドと言うのは、同業者組合であり、同時に互助組合でもある。
 その職業が社会において、一定水準以上の地位を確保する為、協力して
 秩序と規律を徹底し、全体としての需要を安定させる事が、その存在理由だ。
 ただ、傭兵の場合、その存在は必要不可欠なものかと言うと、実はそうとは限らない。
 傭兵の商売道具は、自分自身。
 その身体に宿した戦闘技術、得物、腕っぷしを総合した『強さ』こそが、
 唯一無二の自我と言っても過言ではない。
 そんな連中が、他人と協力し、傭兵と言う職業を盛り上げて行こうとする姿は、
 余り想像できないし、事実、傭兵には一匹狼気質の人間が多い。
 個人それぞれが事業者として成り立つ仕事ではある。
 ――――もし、世の中が争いだらけならば。
 だが、世の中は概ね平和で出来ている。
 紛争、闘争、抗争、内争――――そう言ったものは、常日頃様々な場所で
 起こっているが、その数は規模は、決して大きくはない。
 仮に世界的な大戦争が勃発しているのなら話は別だが、現在は至って平穏。
 そう言う時代に、傭兵として糧を得て行く為には、血生臭い剣を握って
 雄叫びを上げていれば良い、と言う理屈は通用しない。
 傭兵ギルドが存在している理由は、そこにある。
 平和な時代であっても、傭兵は自分達の為に、傭兵の需要を生み出さなくてはならない。
 では、平穏時における傭兵の役割とは?
 武力で自国の脅威を退けるのは、騎士の役割。
 街レベルの騒動なら、官憲がどうにかする。
 傭兵の出番が来るのは、その下――――私的な理由で武力が必要な場合だ。
 例えば、隊商の長距離移動の際の護衛。
 また、暗殺して欲しい相手がいると言う、何処かのお金持ち。
 そう言った連中の存在が、傭兵の需要を生む。
 ただ、個人の傭兵がその依頼主と繋がるまでには、様々な障害がある。
 依頼主の立場で言えば、信用できる傭兵でなければ任せられないし、
 傭兵の立場で言えば、ちゃんと報酬を支払ってくれる保証が欲しい。
 そう言った障害を極力取っ払って、傭兵が円滑に社会の中で生きて行けるように
 しているのが、傭兵ギルドだ。
 その為、傭兵ギルドの代表者と言うのは、単に強ければ良いと言う訳ではない。
 運営して行く為には、諜報ギルドをはじめ、その地域に存在する様々な団体、組織と
 手を取り合っていく必要があるし、場合によっては売り込みもしなくてはならない。
 傭兵ギルドとしての格を保ちつつ、依頼が途絶えないよう、また減らないよう、
 常に未来を想定しながら、必要とされる理由を作って行く。
 通常、傭兵になろう等と考える人間には最も縁遠い、商人的気質を持ち合わせなくては
 ならないと言う訳だ。
 しかも、長として、下で働く傭兵達にも嘗められてはいけない。
 その為には、ギルドでも一目置かれるくらいの強さを持ち合わせる必要もある。
 必然的に――――傭兵ギルドの代表者には、超人的な性能を求められる。
 とは言え、実際には、そんな人間はそうそういるものではない。
 だから、敢えて『隔離する』と言う方法を採るケースが多い。
 事実、【ラファイエット】の代表者は、表舞台には全く出てこない、
 謎多き人物。
 実際の能力がどの程度なのか、と言う事は、ギルド員にも知られていない。
 知られていなければ、少なくとも格が落ちる事はない訳で、
 仮にその人物が『戦闘は一切できないけど、経営はお任せあれ』と言う
 タイプの人間であっても、特に問題はない。
 このギルドのシンボルは、大隊長であり、国内でも有数の実力者と言われる
 バルムンクが務めているので、代表者の存在感がなくても、十分に存続できる。
 国外の殆どの傭兵ギルドも、同じような形態だ。
 だが、【ウォレス】は違う。
 かつて隣国【デ・ラ・ペーニャ】との戦争の際に、また数度に亘る内戦の折に
 夥しい戦果をあげた『天駆ける死神』ことクラウ=ソラスが、代表を務めているからだ。
 その実力は、未だ国内有数。
 それでいて、経営手腕の評価も抜群に高い。
 エチェベリア国内において、二大傭兵ギルドと称されている【ウォレス】と
【ラファイエット】だが、その業績は【ウォレス】が大きくリードしていると言う
 現状も、その事実を物語っている。
 傭兵の戦力的には、双方には差がないだけに、経営者の腕がより顕著に現れた
 例と言えるだろう。
 クラウ=ソラスは、決して暖かい人物ではない。
 寧ろ、『死神』と恐れられる戦場での姿そのままに、ギルド内においても
 畏怖の存在として、ギルド員からは距離を置かれている。
 そしてそれは、彼自身が意図してその雰囲気を作り出している。
 代表と、一傭兵の間に、馴れ合いは必要ない――――と言う姿勢を明確にする為だ。
 加えて、徹底して実力主義を貫いており、力さえあれば、年齢や性別に関係なく
 役職を与え、重要な仕事を任せる。
 また、有用な人材と判断すれば、過去や現在の立場を無視してでも
 自らスカウトする事でも有名だ。
 それら全ての行動は、【ウォレス】の為――――ではなく、自分の我欲の為。
 そして、自分を慕い、集った傭兵達の生活の為。
 手段を選ぶ事はせず、成果、結果によって矜持を形成する男。
 それが、クラウ=ソラスと言う人物だと言われている――――


「……」
 そんな、姦しいが腕は確かな情報屋から仕入れた情報を、頭の中で回想しながら、
 フェイルは眼前でハーブティーを上品に飲むクラウの姿を、じっと眺めていた。
 薬草店【ノート】の規模を考えれば、この地位の人間が自ら足を運ぶと言うのは、
 異例の事態。
 例えば、香水店【パルファン】との契約の際にも、その不成立を告げる為に
 訪れたのは、顔見知りのマロウではなく、主任だった。
 ギルドの代表が訪問すると言うのは、異常中の異常。
 お茶を運んで来たファルシオンも、未だに落ち着かない様子だ。
 だが、フェイルには心当たりがある為、彼女ほど驚いてはいない。
 驚いてはいないが――――動揺はしていた。
 このタイミングでの来訪となると、『標的』になっている事をクラウが
 把握している可能性は、決して低くはない。
 だが、諜報ギルド【ウエスト】を通しての告知である以上、その情報が
 フェイル以外に漏れると言うのは、考え難い。
 幾ら権力者とは言え、そう簡単に情報が漏洩するような事があり得るとなれば、
 諜報ギルドの存在意義自体が疑われる。
 ただ――――フェイルは、知っている。
【ウエスト】内に、余所の間者が存在する事実を。
 何を隠そう、その件において、このクラウ=ソラスとの対面を果たす事となったのだから、
 思い出さない訳にもいかない。
 その際には、ビューグラスが間者を送り込んでいた。
 つまり、別の組織、別の誰かが同じように送り込んでいる可能性も
 十分に考えられる、と言う事だ。
 その一人がクラウであっても、何ら不思議はない。
 無論、それが明るみに出れば、ギルド間の信頼は崩壊する。
 だが――――明るみに出さなければ、それで済む問題でもある。
 クラウには、それをするだけの力がある。
 フェイルの額には、冷や汗が滲んでいた。
「そう堅くならないで頂きたいですな。何も、怒鳴り込みに来た訳ではないのですから」
「では、どのような用件でしょうか?」
 ここは、闇の支配する街路ではない。
 光で満たされた、薬草店の一室。
 フェイルは敬語を使い、返答を待つ。
「ええ。今日は、お詫びに参った次第です」
 その返答は――――予想外のものだった。
「お詫び……ですか?」
「そう、お詫びです。先日、ここで大暴れした傭兵は、私の身内でしてね。
 申し訳ない。私の教育が至らないばっかりに、御迷惑を掛けてしまいました」
 腰を上げ、深々と一礼。
 傭兵ギルドの代表者であり、国内屈指の実力者でもある人間の謝罪に、
 フェイルは思わずファルシオンと目を合わせ、同時に首を捻った。
「えっと……大暴れした傭兵とは、一体」
「先日、ここへ図体ばかり膨らませた未熟者が現れ、粗相をしでかした事は
 私の耳に入っています。しかも、二人共々」
 図体のでかい、二人の傭兵――――そこでようやく、フェイルは心当たりを探し当てた。
 バモケノ=ソラス。
 ヨカーイ=ソラス。
 それぞれ、ハルとフランベルジュを相手に大立ち回りを演じた二人は、
 確かにそう名乗っていた。
「え……? まさか、身内って言うのは、ギルドと言う意味じゃなくて……」
「お恥ずかしい限りですが、私の愚弟でしてね」
 フェイルは一瞬、メトロ・ノームでもチラッと見かけた化物と妖怪を、
 目の前の『男爵』とでも言うべき風貌の男性を照らし合わせ、余りの不一致ぶりに
 吐きそうになった。
「血は繋がっていませんが」
「そうですよね。そうに決まっています」
「耳に馴染む言葉ですな」
 若干心苦しそうに、クラウは苦笑した。
「その節は、かなり甚大な被害をもたらしたにも拘らず、今の今までお詫びすら
 怠り、何より今日も本人等を連れてくる事も叶わず、申し訳ない。
 彼奴等を連れてくる事は、この私の独断で棄却した故に」
「いえ、それで正解だと思います」
 キッパリ断言したフェイルに対し、クラウは再び苦笑を浮かべた。
「宜しければ、示談と言う事で処理して頂けないかと」
「それは問題ありませんよ。と言うか、忘れてましたし。今の今まで」
「助かります。では、これをお納め下さい」
 あくまで事務的に、いやらしさを見せない仕草で、クラウが懐から取り出したのは――――
 やけに立派な箱。
 フェイルはそれを受け取り、その中身を確認した。
「……な」
 そこには、予想通りの物が、予想を遥かに上回る量だけ入っていた。
 瞬時に、フェイルの顔が――――曇る。
「それで足りますかな?」
「明らかに多いですね」
 それはクラウも承知の上で渡した額なのだろうが、フェイルの返答に浮ついた響きは
 微塵もない。
 その姿に、今度はクラウの顔が曇った。
「ふむ……余計な警戒心を煽り立ててしまいましたか」
 蓄えた髭を親指でなぞり、薄い笑みを浮かべる。
 紳士仕様は変わらないが、雰囲気は僅かに変化した。
 傭兵ギルドの代表取締役ではなく、死神として名を馳せたその素顔が垣間見える。
「では、御自身の納得する額の金貨を、お納め下さい。それで如何ですかな?」
「必要ないよ」
 フェイルは――――敬語を止めた。
 同時に、ファルシオンが息を呑む。
 二人の関係性を把握していないファルシオンにとって、その行為は『キレた店主の暴走』
 としか映らないのだから、当然の事だ。
「ですが、『あの時』とは状況が異なります。今回は、こちらに非がある。
 これを理由に、貴方をどうこう……とは致しませんが?」
「これを理由に、はね。でも、僕がお金を受け取ったと言う事実は残る。
 そのお金が、どう言う意味のものかなんて、伏せようと思えば簡単に伏せられる
 相手とのやり取りとして、ね」
 フェイルは、薄く笑んだ。
 その笑みは、クラウのものとは全く性質が異なる。
 クラウは――――髭を擦り、笑みを消した。
「……面白い」
 その瞬間、部屋の温度が急激に落ちたかのような錯覚を、フェイルとファルシオンは
 同時に感じた。
 反射的に、ファルシオンは右手を上げる。
 魔術士の臨戦態勢としては不完全だが、それでも一種の『構え』。
 傭兵ギルドの代表者相手にする姿勢ではない。
 そのくらい、場の雰囲気は一変していた。
「楽しみにしていますよ。貴方の生き様を」
「やっぱり、筒抜けなんだね。困ったもんだ」
「世の中、得てしてそう言うものです。貴方も然り。私も然り。隠したい事は、
 本来隠すべきではない」
「……?」
 意味不明なクラウの発言に眉を潜め、フェイルはゆっくりと立ち上がった。
 そして、それに続き、クラウも立ち上がる。
「さて。少し気合を入れるとしましょうか。私『まで』一泡吹かせられて
 しまっては、示しが付きませんからな」
「……本当、何でも知ってるんだね。羨ましいくらいに」
「職業病ですよ。寧ろ、憐れんで欲しいくらいですな。では――――また」
 クラウはフェイルを撫でるように一瞥し、ファルシオンには目もくれず、
 ごく普通の速度で居間を後にした。
 その場に残ったのは――――殺気ではない、別の種類の空気の残り香。
 ある意味、殺気の方がよほど上品と思える程、そこは穢れていた。
「……っ」
 扉が閉まって暫くした後、ファルシオンが大きく息を吐く。
 その場に倒れ込みそうなくらい、膝を折って。
「どうして――――」
「あ、いや。彼とは……」
「受け取らなかったんですか。あれだけの金貨があれば……
 フェイルさん、直ぐに追いかけて施しを受けて下さい。早く」
「えー……そっち?」
 敢えてなのか、それとも素なのか。
 判断に迷うファルシオンの反応に脱力しつつ、フェイルは今後訪れる
 厄介極まりない場面を想定し、大きく息を吐いた。





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