その日の夜。
 閉店時間はとうに過ぎているものの、フェイルはランプの中の炎が揺れる中、
 店内でじっと考え事に興じていた。
「……すー」
 その床には、疲労し過ぎてそのまま寝てしまっている金髪の剣士が横たわっている。
 中々良い具合に垢を捨て去っているようだが――――まだ足りない。
「くぁ……ったく、技術指導なんてガラじゃねぇから、教えるこっちも疲れやがる」
「悪いね。付き合わせて」
「良いって事よ。友達だからな」
 欠伸をかみ殺しつつ、ハルは大人の余裕を込めた笑みを浮かべたが、
 明かりが当たってない場所だった為、フェイルからは見えなかった。
「で、さっきから何考え込んでんだ?」
「せめて二、三ヶ月あれば、多少は形に出来ると思うんだけど、二週間となると、
 やっぱり厳しいと思って……」
「鍛錬のメニューか」
 フェイルは小さく頷き、寝息を立てる一つ年上の女性に目を向ける。
「剣士の立場から見て、どう? 彼女の腕とか、才能とか」
「悪くはねーよ。剣筋のブレのなさは際立ってっしな。ただ、やっぱり精神面がな。
 あと、戦闘スタイルもチグハグっつーか、折角の長所が活かせてねー」
「あ。やっぱり」
 それはフェイルも感じていた事だった。
 フランベルジュの戦い方は、自信があると思しきスピードを前面に出した
 クイックネス・スタイル。
 細かく動き、相手をスピードで翻弄したところで、一突き。
 レイピアの使い手が良く用いる戦闘パターンだ。
 そう言う意味では、細身の剣を使うフランベルジュにとっては、真っ当なスタイルとも言える。
 だが、フランベルジュの動きは早くても直線型。
 実のところ、敏捷性は本人の自信ほど高くはない。
 最大の長所は、別の所にある。
 それは――――バランス。
 剣筋に代表されるように、全体的にブレが少なく、動きにロスが出難い。
 こう言うタイプは、いわゆる『受け』の戦術の方が有効だ。
 攻撃されても、それを上手く回避できるし、その回避の段階で身体が崩れる事なく
 反撃に移れるからだ。
『後の先』と呼ばれる闘い方こそ、フランベルジュには最適な戦術と言うのが、
 ハルとフェイルの共通認識だった。
「けど、あの気性じゃな……」
「そうなんだよね。無理にこう闘え、とも言えないし。幾ら指導する立場でも」
 だからこそ、どのような鍛錬を行うかで悩んでいた。
 今のフランベルジュの戦い方を煮詰めても、二週間で上積みされる強さは
 タカが知れている。
 エル・バタラで勝ち進む為には、思い切った決断が必要だ。
 だがそれは、あくまでも武闘大会を見越しての事。
 その先もある彼女に、ここでいきなり戦闘スタイルを大きく変えると言う
 難題を押し付けるのは、余りにも早計と言う結論に至っている。
「……どうしたものかな」
「随分、真剣に悩んでんだな。師匠なんてガラじゃねーだろうに。
 つーか、良く引き受けたな。こんな面倒事」
 半分は茶化すつもりで放ったであろうハルの言葉に、フェイルは真顔で
 虚空を眺め――――
「一ヶ月前の僕なら、きっと引き受けなかっただろうけどね」
 そう、ポツリと漏らした。
「それは、この冷徹剣士に情が移った、ってコトか?」
「違うよ。そんなんじゃない。もっと自分勝手な理由」
 フェイルは、疲れていた。
 だから、ついつい漏らしてしまった。
 本音を。
「誰かに、伝えたかったのかもしれない。自分がしてきた事。自分が積み重ねてきたモノを」
 まだ、自分が覚えている内に。
 まだ、自分が衰えない内に。
 まだ、自分が――――
「人間、いつ何があるかわからないしね」
 目を擦りながら、フェイルは笑った。
「……確かにな」
 ハルもまた、笑う。
 それを経験して来た証だった。
「ま、それを言い出したら、キリがねーけどな。俺ら傭兵なんて、明日死んでも
 おかしくねー身だ。あんま思い詰めても仕方ねーぞ」
「かもね」
 笑みに苦みを加え、フェイルはフランベルジュから視線を外した。
 そして、目を擦りつつ、再び思案を練る。
 どうすれば、二週間で劇的な成長を遂げさせる事が出来るか。
 それはフェイルが、絶対に出来ない事だとフランベルジュに対して断言した事でもあった。
「重要なのは、予選を勝ち抜く事だ。連戦になるから、体力も付けねーと。
 ま、あの勇者君は大丈夫だけどな」
「リオ、体力はあるからなあ」
「そう言う意味じゃねーんだが……ま、いっか」
 含みを持たせたハルの言葉も、今のフェイルには余りハッキリは届かない。
 それくらい、煮詰まっていた。
「なんにしても、最低でも地下闘技場を勝ち抜かねーコトには、賞金出ねーからな」
「……地下、か」
 その代わりに、一つの言葉に思考の網が掛かる。
「別に、そこをピックアップしなくても良いだろうよ。
 まさか、地下に慣れておいた方が良い、とか言い出すんじゃねーだろな」
「そう言う訳じゃないけど……」
 フェイルの目に、灯が宿る。
 ようやく、一筋の光が見えた――――と言わんばかりに。


 ヴァレロン新市街地の地下にひっそりと存在する、光降り注ぎし地下街。
 地下水路として作られた筈のその広大な空間には、草木や風と言った
 自然の恵みこそないものの、間断なく響く水の流れる音や、微かに混じる
 土の匂いが、何処か安堵感を与えてくれる。
 だが、基本的には人工の空間。
 石畳が広がる床や、10m以上の間隔ながら等しく配置されている柱は、
 どこか神殿を思わせる造りになっている。
 ただ、余りに広大、そして天井も高い為、その空間そのものが建築物の中と言う
 印象は全くない。
 点在する建築物は、地上に建てられている様式と変わらないし、中には
 妙に凝ったレンガ造りの住宅のような建物まである。
 閑散とした中にも、確かに存在する『生活感』。
 それは、この空間――――【メトロ・ノーム】の歴史を象徴するかのように、
 彩りなく漂っていた。
「悪いね、付き合わせて」
 翌日早朝――――まだ日の昇らない時間。
 フェイルは、昨夜ハルに言った言葉をそのままファルシオンにも向けつつ、
 まだ睡眠中のフランベルジュを引きずるようにして、つい先日訪れたばかりの
 地下街を再度訪問した。
 尚、本来は二重の封印が敷かれているこの【メトロ・ノーム】だが、
 一度居住権を得ているフェイルと勇者一行は、地上に幾つか設置されている
 入口から、地下へと入る事が出来る。
 ただし、最初の封印は制約系魔術によって封閉されているので、魔術士による
 解術の行使が必須。
 早朝の祈りの時間を終えたファルシオンが駆り出される事になった。
「それは良いですけど……何故ここを修行の場に?」
「ここって、閉鎖されてる分、空気が薄い気がするんだよね。体力作りには持って来いかなと。
 後、神出鬼没の山賊紛いな連中がいるから、環境的にも面白いと思って」
「シナウト……でしたか。それが、フランを襲う事を想定して?」
【メトロ・ノーム】における保守派。
 人員の増加を良しとせず、『間引き』を行っていると言う過激な存在が、
 ここにはいる。
「うん。それくらいの緊張感があった方が、身になるだろうと」
「危険です。シナウトと言う組織の力量は、あの土賊と呼ばれていた人達より
 格上だと、ハルさんは言っていました。フランの手に負えるとは……」
「だから良いの」
 不敵に、フェイルは後頭部の尻尾を揺らした。
「これからフランには、格上の相手に勝つ為の特訓をして貰う。だから、同格や
 格下を相手にしてても、あんまり意味がないんだ。常に自分より上の相手と
 戦わせて、コツを掴ませる」
「そんな、無謀な……」
「大丈夫よ、ファル」
 いつの間にか目が覚めていたらしく、フランベルジュが突然声を上げた。
「そもそも、勇者一行って、自分達より力が上の相手に臨むのが当たり前じゃない?
 どのサーガを読んでも、格下ばっかり相手にする勇者なんていないでしょう?」
「それとこれとは……」
「勝ちたいの、私は。【エル・バタラ】で」
 寝起きにも拘らず――――フランベルジュの声は、以前の凛としたものに戻っていた。
「勇者一行って言っても、私達は候補に過ぎないのよ? まして、まだ何も成してない。
 親書を届けるって言っても、それを達成したところで、子供がお使いを上手く出来たって
 褒められる程度の評価しか貰えないんだから。今回、この大会って相当注目集めてるんでしょ?
 リオと私が上位に食い込めば、それなりの評価はして貰える筈よ」
 元々は、賞金を稼ぐ事と、腕試しが目的だった【エル・バタラ】への参加。
 それは今も変わらない――――が、そこにはフランベルジュなりの大きな目的と
 狙いがあった。
 勇者一行として、停滞している現状への危機感も。
 その思いに、ファルシオンは――――
「……わかりました。私は今後、口出しはしません。フランの好きにして下さい」
 怒りとも諦めとも、そして信頼とも取れる言葉を発し、話を閉じた。
 表情に感情が出ない彼女の意図を掴むのは、容易ではない。
 それは、それなりに付き合いの長いフランベルジュでも例外ではなく、
 その反応に若干の狼狽を見せる。
 だが――――
「フェイルさん。宜しくお願いします」
 深々と頭を下げる仲間のその姿に、その真意を悟り、安堵の息を漏らした。
「うん。大丈夫……と言い切ったら、そもそもここで鍛錬をする意味がないんだけど、
 そうそう危険に晒される事はない筈だから」
 実際――――フェイルは一定の安全基準を計算できる根拠を持っていた。
 もし、シナウトが本当に危険極まりない存在だったなら、香水店の代表である
 マロウのような人間が、契約の度にここを訪れる筈がない。
 まして、酒場のような施設が成り立つ筈もない。
 そこには確実に、彼等なりの規律が存在する。
 そして、そんなものを用意している時点で、シナウトと言う連中が常識人である事は
 間違いない。
 なら、急襲されて命を落とすと言う事は、まずあり得ない――――と言う算段が成り立つ。
 しかしフェイルは、緊張感を持続させる為、敢えてそれは口にしなかった。
「それじゃ、まずアルマさんの家に行こう。管理人に挨拶くらいはしとかないとね」
 代わりに、行動を促す。
 だが、フェイルのその言葉に、二人の女性は瞬時にジト目を作った。
「……まさか、彼女に会う為に私をダシにしたんじゃ」
「あり得ます。私が思うに、フェイルさんは策士です」
「下らない事言ってないで、とっとと行くよ!」
 と、言う訳で――――アルマ邸に到着。
「……」
 ちょうど朝を迎えたばかりの時間だった為、無口仕様のお出迎えとなった。
 とは言え、表情には歓迎の意が十分に表れている。
 とても嬉しそうだった。
「これから暫く、彼女をこの辺で鍛えるけど、構わないかな?」
 コクコク。
「助かるよ。それじゃ、また今度――――」
 ブルンブルン。
「え? えっと……ゆっくりして行っても良い、のかな?」
 コクコク。
「朝食とか、作ってくれるの?」
 コクコク。
 ほぼフェイル一人で進行した結果、そう言う事になった。
「もはや長年連れ添った夫婦の貫録ね」
「いやいやいや……」
 半分呆れ、半分冷やかしでニヤニヤと笑うフランベルジュと、
 沈黙を守るファルシオンの間に挟まれ、フェイルは頭を抱えていた。


 その後――――相変わらずの微妙な食事に対し、感想に困りながらも
 どうにか事なきを得て、外へと移動。
 見学希望のアルマも交え、特訓の説明が始まった。
「この【メトロ・ノーム】の地図を描いて。夜までに」
 終わった。
 その余りの短く、無茶な説明に対し、フランベルジュは動揺を隠せず、
 目を泳がせた。
「ど、どう言う事? 地図って……え?」
「地図を描く。正確にね。答え合わせしてあんまり酷く間違ってたら、やり直しだから」
 説明を終えたフェイルは、ニッコリとほほ笑んで小さく手を振った。
「ちょっ……何よそれは! なんで強くなる為の特訓で、地図描かなきゃなんないのよ!」
「良いから、描く。とっとと」
 表情も口調も変わらないフェイルのその言葉に、冷徹剣士が思わず怯む。
 そこには、有無を言わせない迫力があった。
「じゃ、僕はこれからお仕事だから。夜までに、しっかりね」
 返事も待たず、フェイルは背中を向けた。
 呆気にとられるフランベルジュに対し――――ファルシオンとアルマは
 交互に顔を見合わせ、そしてフェイルの方へと向かう。
「あの……余りにも乱雑では。そもそも、一日で踏破できる広さではありません」
 アルマもコクコク同意する。
 一方、フェイルは臆面もなく頷いた。
「重要なのは、自分で考えながらやる事。アレをコレだけやっておけ、なんて言っても
 二週間では強くなれないよ。特に彼女の場合は、意識改革が必要なんだから」
「それにしても……」
「もしこれで、『こんなの無意味じゃん』って途中で投げるようなら、別の方法を
 考えるよ。出来れば頑張って欲しいけどね」
 フェイルは――――少し昔の事を思い出した。
 王宮に呼ばれ、そして従事する事が決まった次の日。
 誰に言われるでもなく、王宮をくまなく歩き回り、地図にした。
 自分の全く知らない世界を、少しでも身近にする為に。
 結果として、その過程で何度も怒られたり、蔑まれたりしたものの――――
 その一日だけで、様々なものを得た。
 そして、その事をデュランダルに話した時、思いの外感心された。
『未知の場所を立体的に捉えるのは、重要な能力だ。それは単に経験と言うだけではなく、
 様々な能力の向上に繋がる。見知らぬ場所を歩き回るのは、それだけで体力や精神力、
 想像力を鍛えられる。緊張感の中に身を置く事で、集中力も磨かれる。何より、
 空間把握能力の基礎を学べる。いずれも、闘いの中で役立つものばかりだ』
 その時は、単なる社交辞令だと思っていたが、デュランダルがそんな事を言う
 性格ではないと知り、それが正しいと言う事も同時に知った。
「きっと、いろんな事を一日で学べるから」
 それを踏まえた上での指導。
 フェイルの言葉は、自信に満ちていた。
「じゃ、僕はちょっと寄る所があるから、ここで。アルマさん、また夜に」
 そして、手を振るアルマに背を向け、フェイルとファルシオンが向かったのは――――
「ここは……塔ですか?」
【ウエスト】へと繋がっている巨大な柱の前だった。
「そんな感じ。確か、ここらに封術が掛けられてると思うんだけど……解ける?」
 フェイルの言を受け、ファルシオンは丹念に柱を調べる。
 そして、割と早い段階で、諦観の雰囲気を醸し出した。
「恐らく、第一級幻覚が施されています」
「それって凄いの?」
「一流の魔術士でなければ解除は出来ません」
 断言しつつ――――ファルシオンは再び柱を調べ始めた。
「あ、無理だったら別にいいよ。一旦来た道を戻れば良いだけだし」
「……少し時間を下さい」
 珍しく意固地になっているのか、ファルシオンは首を縦に振らず、
 柱の周囲を何度も回りながら、幻覚の解除を試みる。
 だが――――30分以上経過しても、全く進展がなかった。
「僕が悪かったよ。そんなに難しい事だって思わなかったから……」
「と言う事は、アルマさんは事もなくこれを解除したんですね」
 想像に難くないであろうファルシオンの予想に、フェイルは首肯で答える。
「彼女は何度も行き来してるだろうから、解き方も熟知してるんだよ」
「いえ。この第一級幻覚は、時間の経過と共に、変質する性質があります。
 全ての第一級幻覚がそうと言う訳ではありませんが……これは、解き方が逐一変化する類の
 封術です。かなりの高レベル封術……これを簡単に……」
「封術のスペシャリストは伊達じゃない、か」
「ええ、とてつもない使い手ですね。彼女の代わりが勤まる人間は、
 きっといないのでしょう」
 驚きや呆れ、賞賛――――と言う空気は余りなく、ファルシオンは
 淡々とそう呟く。
 その発言は、アルマ=ローランの代わりの封術士を探してくれ、と言う
 依頼を出しているフェイルにとって、決して明るい材料ではなかった。


 そして――――
「残念だけど、まだだヨ。封術士はそう簡単に見つかる連中じゃないからサ。
 もうチョット待っててネ」
 案の定、回り道の末に【ウエスト】に着いたフェイルを待っていたのは、デルのそんな回答だった。
 とは言え、急かしても意味はない。
 適当に返事し、支隊長室を出たフェイルは、もう一つの目的を果たしに、
 一階へと降りて行く。
 その目的とは――――現在請け負っている、裏の仕事。
 どのタイミングで標的の更新が行われるかはわからないので、
 定期的に確認する必要があった。
「はい、少々お待ち下さい」
 受付の女性に『クワトロ』の名で登録している伝言簿記を取って貰い、
 中身を確認する。
 そこには。


『標的:
 クレウス=ガンソ
 プルガ=シュレール



 カメイン家のライバルとなる貴族の推薦する二人の名前が。
 そして――――


 クラウ=ソラス
 以上三名
 エル・バタラ 本戦一回戦 前日 迄』


 ――――予想だにしない、もう一人の名前が記されていた。






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