翌日。
「……と言う訳で、今日は【エル・バタラ】のルール確認をします」
 弟子となったフランベルジュ、珍しく【ノート】に顔を出したリオグランテ、
 そして暇人ハルと【ノート】の屋台骨ファルシオン、更にはノノとクルルまで集まった中、
 フェイルはビシッと巨大蝋板を叩いた。
【エル・バタラ】に関する資料は、商人ギルド【ボナン】に置かれている為、入手は容易。
 ただし、基本的には観戦客用に作られた物のストックなので、量は少ない。
 その為、フェイルが蝋板にまとめると言う形で、解説が行われる事になった。
「先生!」
「はい、リオ。どうぞ」
「ノノちゃんが早くも寝てます!」
「くーすかー」
 ノノは店内の壁にもたれ掛って、健やかな寝息を立てていた。
「……」
 その上では、クルルが丸まっている。
「では、私が奥に連れて行きますので、始めていて下さい」
 そんなファルシオンの申し出もあり、ドタバタしつつもルール確認の会は開催された。
「つーか……あいつ等呼ぶ必要あったのかよ」
「最近店を離れる機会が多くて、ノノとあんまり接してなかったから」
 呆れるハルに苦笑しつつ、フェイルは大きめの蝋板に金属棒を這わせ、説明文を描き始める。
「まず、基本的な所から。大会は、今から半月後。あと二週間ちょっとしかない」
「二週間……」
 これまでのフランベルジュなら、『十分よ』と言う虚勢を吐いたであろう、その期間。
 だが、現実を直視し始めた彼女には、とてつもなく短い時間と言う認識があったらしく、
 呟く声に緊張感が籠っていた。
「大会への参加申請は、開催一週前まで。もう二人とも、エントリーは済ませてる?」
「はい。僕の参加料はスコールズ家が出してくれました」
「私は、まだ。お金ないし……無一文だもの」
 経済面で困窮しまくっている勇者一行は、参加料すら捻出が困難とあって、
 勇者が貴族を味方に付けたのはかなり大きい。
 とは言え、流石に仲間の分も出して、とは言える筈もなく。
「……ま、いざとなったら装備品を質に預ければ良いでしょ」
「貸してくれないっての?」
「借金してる分際で何言ってんの。自分の参加費用くらい、自分でどうにかしなきゃ」
「ぐっ……」
 師弟関係が成立して以降、フェイルとフランベルジュの立場は完全に逆転していた。
 フランベルジュの、それまでの偉ぶった態度は効力をなくし、代わりにフェイルの
 発言力が明らかに増している。
 尤も、それは当たり前の事ではある。
 年齢的にはフランベルジュが一つ上だが、フェイルは被害者であり、勇者一行は加害者。
 まして、借金を拵えている身。
 ようやく、健全な関係性に戻った格好だ。
「それじゃ、申請はちゃんとやっておいてね。あ、申請ついでに、会場の下見にも
 行っておこう。場所は、ここから北西に4kmくらいの所にある、ヴァレロン総合闘技場。
 割と近くにあるから、移動は徒歩でも大丈夫」
「馬車だと、酔いますからねー。フランさんは」
「……ま、否定はしないけど」
 既に闘技場の場所は確認済みらしく、フランベルジュは特に安堵の顔にはならず、
 どこか居心地悪そうに溜息を吐いていた。
 ファルシオンがいない事で、フォローする人間が不在と言う状況になっており、
 それに不安を覚えているように見えたが、フェイルは特に気を使わず、続ける。
「参加者の正式決定は、開催日前日。その日の正午に闘技場に集まって、
 予選の組み合わせ抽選会をやるから、遅れないように注意する事」
「はーい」
 元気のいいリオグランテの返事で、一区切り。
「それじゃ、次は……大会のルール。ここからはハル、お願い」
「は? なんで俺なんだよ」
 突然の進行役の交代宣言に、当事者のハルが眉を潜める。
「僕よりそっちの方が詳しいでしょ? フランに警告したりしてたし」
「まあ、そりゃそうだけどよ……ったく、しゃーねーなー!」
 嫌々……と言う様子は微塵もなく、ハルはのっそのっそと蝋板の前に立った。
「いいか、良く聞けよ小童ども。この大会は相当ハードだぜ」
「ハードなんですかっ」
「おうよ。まずその日程が厄介だ」
 ノリノリで聞くリオグランテとは対照的に、フランベルジュは明らかに
 不機嫌そうな顔でフェイルに視線を向ける。
 だが、フェイルは『ちゃんと聞きなさい』と言わんばかりに、小さく首を左右に振った。
「過密日程で一気に消化するのがエル・バタラの特徴だ。それは今年も変わらねーらしいぜ。
 予選から決勝まで、中一日での進行だ。つまり、休めるのはたった一日だけ。いかに早く
 回復するかが、勝ち抜く秘訣ってこった」
「それじゃ、ケガとかしたら大変ですね」
「おう、良いコト言うじゃねーか勇者。その通り。ただこの大会は、頑丈な防具は
 一切使えねぇ。大会側が用意した革製の防具で統一してっからな。
 まあ、武器も木製限定なんだが、ちっと貰い方間違えると、一発で致命傷だ」
 エル・バタラに多くの参加者が集う理由の一つ。
 それは、公平を期す為、武器と防具を統一している点にある。
 魔術士や武闘家の場合には、杖やナックル、ローブや武闘着も支給されるが、
 いずれも木製、若しくは布製。
 安全性と言う面においては、保障の行き届いたルールとなっている。
 その一方で、愛用している武器・防具を使用できないと言う事もあり、
 本当の意味での技術が求められる大会でもある。
「大会形式は、予選で16人に絞って、そこからトーナメント戦だ。予選は、参加人数
 次第で試合数が変わってくっけど、ま……大体3試合くらいが相場だな」
「一日で3試合やんの? 会場は一ヶ所?」
「予選会場は地下にあんだよ。この大会の為に作られた複合闘技場で、一つの
 広れー空間に12つの試合場があっから、進行は早いぜ」
 元々、ヴァレロン総合闘技場は、古代から行われている公開処刑の場として
 作られた施設。
 制度自体は廃止されていないものの、処刑場は別の場所に作られ、それ以降は
 闘技場として、娯楽に特化した役割を担っている。
 地下の複合闘技場は、その役割のシフトの際に作られた空間だ。
「つー訳で、予選はいっぺんに12試合、まとめて消化する。後は……賞金だな。優勝したら
 10万ユローが手に入る。準優勝で4万、ベスト4だと2万。ベスト8で5000、16……
 つまり、予選突破で1000ユローだ。予選突破しない限りは、賞金は出ねー」
「尚、私達の現在の借金額は、18218ユローです」
 奥から、ファルシオンが戻って来る。
「あれ? もうちょっとなかったっけ?」
「一応、これまでの私達の給仕分は差し引いていますので」
 お給料の額まで勝手に決められていたが、フェイルは敢えて文句は言わず、
 視線を参加者二人の方に向けた。
「……つまり、どちらかがベスト4に入るのが、借金完済の条件って事になるけど」
「厳しいですねー」
 苦笑するリオグランテには、余裕とも諦観とも取れない表情が滲んでいる。
 その顔に、フェイルは微かな変化を感じ取っていた。
 貴族と懇意になり、その貴族のお抱え剣士として、エル・バタラへ向けての特訓を
 行っていると言う、勇者のその身体つきは、若干ではあるが、逞しさが出て来ている。
 身体能力に関しては、特筆すべきものを持っているだけに、その特訓によって
 才能が花開いた場合、本当にベスト4に入るかもしれない――――そう言う期待感はあった。
 一方、フランベルジュの方は――――
「……ベスト4、ね」
 多大な自信を持ち、優勝すら視野に入れていた頃の面影は薄れ、何処か頼りない
 姿で佇んでいる。
 フェイルはそれを、良い傾向だと感じていた。
 自信は必要。
 だがそれは、実力より少し上程度のものが理想。
 過信は毒にしかならないと、自身の経験から悟っていた。
「それじゃ、残り二週間強、めいめいしっかり鍛えて行くって事で、解散。
 リオはこれからまたスコールズ家に行くんだよね?」
「はい。今日は……どんな地獄が待っているんでしょうねえ……」
 珍しく、勇者は悲壮な顔付きになっていた。
 かなりハードな修行らしい。
 とは言え、率先して向かって行くあたり、まだ余裕はある――――
「良いじゃないの。地獄の後に待ってるのは、あの娘の介抱なんでしょ?」
「わーっ! フランさん!」
 勇者は顔を真っ赤にしてあわあわしつつ、薬草店【ノート】を後にした。
「……あの娘って、例の失踪令嬢?」
「そ。勇者は思春期、ってトコ」
 妙な事になっていた。
「さて。そんじゃ俺らもそろそろ行くとすっか。とっとと支度しろよ」
「は? 何の話?」
 笑顔で身支度を促すハルに、フランベルジュが問い――――直ぐにその視線を
 フェイルの方へと移す。
 自然からの脱出で得たもの、かどうかは不明だが、洞察力は上がっていた。
「言ったでしょ。あくまでも、お店が優先。【ノート】の営業中は、僕に代わって
 ハルが面倒見てくれるから」
「嫌よ! なんで私が、こんな場末剣士に指導されなきゃなんないのよ!」
「誰が場末だコラ! 場末なのはこの店だろが!」
 最終的に中傷が飛び火して来たフェイルは、その火の粉を握り潰すかのように、
 前髪をクシャッと掴み――――不敵に笑んだ。
「お。余裕じゃねーか」
「そうやって、僕のお店をバカに出来るのも、あと少しって事」
「そうです。エル・バタラを機に、この薬草店は枯葉から若葉へと生まれ変わります」
 そしてファルシオンもまた、店側の立場で自信を露わにした。
「って訳で、僕はその準備で日中は忙しいから、その間はハルと一緒に
 技術向上に努めるように」
「絶対、嫌」
 師弟の関係、早くも悪化。
「……つーか、ここまで拒絶される俺の立場は何なんだよ」
「心中お察しします」
 傍観する二人の雑談を余所に、睨み合いが始まった。
 そして――――
「なら、ハッキリ言うよ」
 嘆息交じりに口を開いたのは、フェイルだった。
「男だろうと、女だろうと、ポストを得るには誰かしらの加護を受けるか、利用するか
 しないと実現できない。王宮なら尚更。まして、周囲は男しかいない。まさか、
 強くなれば皆が拍手して、『どうぞどうぞ』って上までの階段を無償でエスコート
 してくれる、とか思ってるんじゃないよね?」
 フェイルの質問は、フランベルジュの心臓を抉った。
 女性剣士の地位向上と言う目標は、権威なくしてあり得ない。
 仮に勇者一行として名を馳せても、その手柄は勇者が持って行く。
 その先へ行くには、『偉業を成した勇者一行の一人』と言うステータスを活かし、
 個人に目を向けて貰えるようなポストを得なければならない。
 それは、フランベルジュも十分わかっていた。
「男の手を借りずに、剣士として成り上がるなんてのは、世迷言だよ。
 そんな思い上がり、とっとと捨てるべきだ」
「な……なんでそこまでアンタに決められなきゃならないのよ!」
「だったら、下らない拘りに縛られて、目的を捨てる?」
 フェイルの言葉は、矢継ぎ早だった。
 そして、それは――――かつて自分も通った道だった。
 弓の復権。
 その為に、誇りを一つ一つ、道端へと捨てた。
 そして、その過程で気付いた。
 自分が誇りだと思っていた拘りは、ただの垢だったと。
 それを全て捨て去った後で、ようやく本当の誇りは顔を出すと。
 だからこそ、剣士を師事すると言う選択肢が生まれた。
 尤も、フランベルジュの場合は、順番が逆だったが――――
「……」
 その当人は、フェイルから視線を逸らし、歯軋りしながら虚空を睨む。
 だが、その様子は同時に――――求めていた救いを得たような、安堵感を
 漂わせている。
 ファルシオンだけが、それに気付いていた。
「お前が俺を嫌ってる理由は知らねーけどよ、俺だって嫌がる相手に物事教える程
 人間できちゃいねーぞ。これ以上拒絶すんなら、この話はなしだ、フェイル」
「そうだね。ごめん、ハル。嫌な思いさせて」
 その師の謝罪が、最終的な後押しとなった。
 フランベルジュは唇を噛み、そして――――ハルへと顔を向ける。
「……お、お願い、します」
 そして、懇願した。
 嫌々ながら。
 その肩越しにフェイルと目配せした後、ハルは肩を竦める。
「ったく、仕方ねーな。じゃ、とっとと用意しな。俺の特訓は生半可なモンじゃねーぜ」
 頼られる事が基本大好きな剣士は、笑顔で一足先に店を出た。
 それを、重い足取りでフランベルジュが追う。
 その一部始終を、ファルシオンは無表情で眺めていたが――――感情は言語となって
 口を動かした。
「驚きました。本当に頼らせてしまうなんて」
「そう?」
「フェイルさんなら、フランの男性恐怖症の理由を掴めるかもしれません」
 開店の準備を始めたフェイルに対し、ファルシオンが真顔で告げる。
 いつも真顔と言えば真顔だが。
「……男性恐怖症? 男嫌い、じゃなくて?」
「恐らく。貴方やハルさんが再三指摘している精神面の弱さを帰納的に考えた場合、
 そう推測するのが妥当かと」
 意外と言えば意外。
 だが、ファルシオンの言葉通り、妥当と言えば妥当でもある。
 フェイルは改めて、フランベルジュの男性に対する対応、態度を思い返してみた。
 パーティーを組む勇者リオグランテに対しては、自然に接している。
 だが、それ以外の男性に関しては、反抗的な発言ばかりが目立つ。
 まるで、小さい犬が会う人会う人を威嚇するように。
 では、戦闘面ではどうか。
 明らかに格下の傭兵には、問題なく対応していた。
 だが、同格、格上が相手の場合は、明らかに実力を出し切れていない。
 その全ての敵が、男。
 つまり、男と言う性別に嫌悪を抱いているのではなく、子供や雑魚とは違う
『大人の男性』に対して、過剰な反応を示している、と言う事になる。
 そこから見えてくるのは――――
「子供の頃に、何らかの心的外傷を抱えた……?」
 そう呟きつつ、フェイルはその具体的な対象を絞り込んでいた。
 候補は少なくない。
 父親、親類、先生、師匠……幼少期に接する大人の男は、幾らでもいる。
 剣士であるフランベルジュなら、尚更だ。
「恐らくは」
 ファルシオンも、同意を口にする。
 恐怖症と言うと、通常は過剰に怯えたり、竦んだりするものだと思われがちだが、
 不安や恐れの表現も、人それぞれ異なるもの。
 フランベルジュの場合、それが威嚇となって表現されていた為、フェイルは
 それに気付けなかった。
「でも、どうして今まで黙ってたのに、急に教えてくれたの?」
 少し口惜しい気分を噛みしめつつ、フェイルは眼前の魔術士に疑問を投げる。
「確信がありません。何より、フランにとっては不名誉な事ですから。
 ただ、そんな彼女に師事する事を選ばせた貴方には、話しておいた方が良いと
 思ったんです。後は、お任せします。私にはどうする事も出来ないですから……」
 ファルシオンの顔に、感情は籠らない。
 だが、声には明らかな寂寞感が滲んでいる。
 それに対し、フェイルは――――微かな違和感を覚えていた。
 少しずつ、だが着実に、勇者一行への仲間意識が芽生え始めている。
 しかしそれは、いつもこの魔術士の言動によって引き出されて来た。
 意図的にである事は、間違いない。
 それは果たして、どんな意図なのか――――
「良い天気ですね。これなら、三人くらいは来てくれるかもしれません。お客様」
 ファルシオンは不意に、窓の外に視線を向けた。
 広がる青空に、雲は僅かしか見当たらない。
 その雲も、優しい色を滲ませている。
 フェイルは――――苦笑しつつ、思考を止めた。
「出来れば……五人は来て欲しいな」
「難しいところです」
 薬草店【ノート】は、静かに天の移ろいを見上げる。
 穏やかに。
 そして、呆然と。


 結局その日、訪れた客は四人だった。






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