鬱蒼と生い茂った藪を払いのけ、木々の嫌がらせとも言える細い枝の通せんぼを掻い潜り、
 只管前へ、そして前へ。
 日光の届かない、密林と呼んで差支えないその場所は、様々な種類の草が生えている、
【ボスケ大森林】と言う地名で呼ばれている。
 尤も、【ボスケ大森林】と呼ばれる範囲は、とうに超えている。
 現在地は、その遥か奥。
 二つの大きな河川を泳いで渡り、更にやたら蝙蝠の多い洞窟を抜けた先にある、針葉樹と広葉樹が
 混在した雑多な空間だ。
 同時に、薬草学を専攻する研究者や、稀有な薬草を集める冒険者が訪れる、秘密のスポットでもある。
 大きな川に橋はなく、小舟も浮かんでいない上、地図にも載っていないので、
 仮に場所を教えて貰ったとしても、辿り着くのは困難。
 まして、そこには強い毒を持つ蛇や蜘蛛など、様々な有害生物が潜んでいるとなれば、尚更だ。
 そんな所に――――フェイルとフランベルジュはいた。
「……なんで?」
 今更と言う表情を浮かべつつも、フランベルジュは問う。
 その髪の毛は、本来美しい金髪なのだが、今はかなりくすんでいた。
「なんで、私はここにいるの? って言うか、連れて来られたの?」
「無駄口叩いてないで、早く歩く。日が暮れる前にここを抜けないと、
 もっと厄介な連中が出てくるから」
 8本の足を広げ絶命している巨大蜘蛛から、矢の先端を引っこ抜きつつ、フェイルは
 事もなげに告げた。
 そして、特にそれ以上の返答はなく、前進。
 そんな師匠の後を、フランベルジュは半眼のまま追った。


 ――――薬草店【ノート】内で、歪な師弟関係が成立した、その翌日。
『薬草採りに行くから、付いて来て』
 その一言だけをフランベルジュに告げ、フェイルは荷物を背に旅に出た。
【ボスケ大森林】は、レカルテ商店街のある新市街地から、馬車で丸一日掛かる所にある。
 よって、最低でも三〜四日は店を閉めなければならず、これまでフェイルは
 一度しか訪れた事はなかった。
 そんな場所に足を運んだ理由は、一つ。
 そこに目的の草があるからだ。
 裏ルートで入手した『【ボスケ大森林】大図鑑(裏)』によると、ここには強力な毒草が
 数多く存在していると言う。
 ただ、先日仕入れた毒草のような、『裏の仕事』に使用する為の物ではない。
 即効性の高い薬草を作る為の毒草――――それが目的の物だった。
 毒と言うのは基本、人間にとって害となるもの。
 薬草とは正反対の性質を持っている、と言う認識をしている人も多い。
 だが、実際には『毒草』と『薬草』は同じ種類に属する物。
 何故なら、薬草も毒草も、人体に作用する効能を持つ草と言う一点において、
 共通しているからだ。
 そして、その線引きは、先人の独断と偏見によって行われている。
 ただ――――既定の薬草の中には、強力な副作用を持つ物もあるし、毒草の中にも、
 人間の中に入り込んだ悪い成分を消し去ってくれる物もある。
 そして、フェイルが狙っている『インメディアタメンテ』と言う草も、
 やはり毒草と呼ばれる種類のものだった。
 その効能は、人間の体内の血液を瞬時に凝固させると言う、恐ろしいモノ。
 だがそれは同時に、強力かつ即効性の高い止血効果を持つ草、でもある。
 ただし、そのまま使用すれば、死にも繋がりかねない劇薬。
 調合の必要がある。
 その調合に必要な草は、肉屋が運んでくれた仕入れ品の中に含まれている。 
 後は、『インメディアタメンテ』さえあれば、目的の商品が一つ完成を見る事になる。
 ただ、その草はかなり奥まで進まないと、群生していない。
 ある程度の量を確保する必要がある為、その群生地を目指し、今二人は密林を
 這いずり回っている。
「……もしかして……これって……体力づくり? 修行?」
 草で被れた肌を気にしながら、フランベルジュは疲労困憊の顔で訊ねてくる。
 それに対し、フェイルは――――また答えを提示しなかった。
「そろそろ休憩にしよう。ここなら、火も焚けそうだしね」
 代わりに、視界に入って来た、少しだけ開けた場所を指さす。
 一瞬不満を口に出そうとしたフランベルジュも、休憩と言う響きには勝てず、
 素直に安堵の息を漏らした。
 だが――――それも一瞬。
 魔術士のいない二人だけのパーティーが、火を起こすと言うのは、そう簡単な事ではない。
「あーっ! もう! 火っ! 全然点かないじゃない!」
 火口箱の中身、火打石と火打金を何度も打ち鳴らしながら、フランベルジュは吠えた。
 それをフェイルは、笑うでもなく、怒るでもなく、ただじっと眺めている。
 その様子に――――苛々が頂点に達したフランベルジュは、怒りの矛先を向けた。
「黙ってないで、手伝いさないよ!」
「他力本願はダメ。自分でやる」
 だが、フェイルは全く動じない。
 普段なら、困った顔で苦笑でも浮かべる筈の場面だが、その表情からは
 一切の遊びが断たれていた。
「な、なんでよ……そもそも、薬草集めはそっちの都合でしょ? なんで私が……」
「まずアンタは、自分に絶望しなきゃならない」
 そして、淀みなく告げる。
 その有無を言わさない迫力に、フランベルジュは思わず息を呑んだ。
「これは、その一環。だから僕に頼っても意味ないよ」
「やっぱり修行って事じゃないの」
「違うよ。ただの確認」
 そこまで言葉を発したフェイルの顔に、赤い光が付着する。
 夕暮れだ。
「今の自分、そして未来の自分。それを知る事が、今一番アンタに必要な事なんだ」
 その幻想的な光を浴びながら、フランベルジュは眉を潜めた。
「確かに私は、自分の強さがわからないって言ったけど……それが、この薬草採集で
 わかるって言うの?」
「いや。強さを知る為じゃない。自分自身の身の程を知る為だよ」
 フェイルの眼が、赤を帯びる。
 それは――――フランベルジュの目に、人の眼を超えた何かに映った。
「年齢的に考えても、身体能力に関してはまだ伸びる。技術は尚更。当然、今がピークじゃない。
 でも……今その位置にいて、これから先、誰もが羨むような強さを身に付ける事は不可能だって、
 知っておく必要がある」
「なっ……」
 フランベルジュの顔に血が上る――――が、それは夕日の輝きによってかき消される。
 フェイルは静かに続けた。
「目覚ましい進歩を遂げ、世界に名を馳せる有名な剣士からも一目置かれるようになり、
 伝説に残るような人物達と肩を並べて談笑する……そんな夢は、剣士ならきっと、誰もが見る。
 でもそれは、理想であって、現実じゃない。そんな現実はない。まずは夢を見る事を止める。
 それが第一歩」
「……黙って聞いてれば、人を夢見る乙女みたいに。私だって、そこまでおめでたい理想を
 掲げてる訳じゃ――――」
「いいや。アンタはまだ、心の何処か……いや、心の大半で、いつの日か突然、才能が開花して、
 誰もが驚くような成長を遂げる事を期待している筈だ」
 その指摘に、フランベルジュは言葉を止めた。
 それだけの効果があった。
「例えば、何千回、何万回と繰り返す素振りの最中に、突然今までとは全く違う手応えがあって、
 コツを掴んだり。
 例えば、ふとした仕草や何気ない日常の動作から、ビックリするような技を閃いたり。
 例えば……強敵との死闘の最中に、その敵に呼応するように、自分が劇的なレベルアップを果たしたり」
 生い茂る緑が、色を失い、風に揺れる。
 フェイルの目は、そんな周囲の植物のように、そこに在った。
「そんな事を期待してる。違う?」
 まるで、薬草のように。
 まるで――――毒草のように。
 フランベルジュの眉間には、いつしか深い皺が刻まれていた。
「それは幻想だって事を、キッチリと理解する事。そうしないと、何時までも地に足が付かない。
 夢ってのは、見るだけでも価値はあるけど、それはあくまで夢。目的があるなら、夢からは脱却しないと」
「わ、私は……」
 夢と理想。
 夢と目的。
 目的と、理想。
 混合する事は多いが、それらには実際、密接な繋がりがある。
 目的の積み重ねが、理想への階段になる事もあれば、夢への手段となる事もある。
 逆に、夢が生きる目標となる事も多い。
 ただ。
 目的と理想と夢は、同じものではない。
 全て異なる。
 夢と理想も、別の物。
 フランベルジュは、二の句が継げないまま、やがて俯いてしまった。
「さて……そろそろ日も暮れるし、今日はここで寝ようか」
「え? の、野宿するの?」
 どうしても野宿は出来ない事情がある――――以前、ファルシオンがそうフォローしていた事を、
 フェイルはハッキリと覚えていた。
 覚えていた上で、ニッコリ微笑み、首肯した。
 ただし。
 それも、まだ序章に過ぎなかった。


「……で、置いて来たんですか? その密林の中に、フランを」
 三日後の朝。
 この間、ずっと店番を務めていたファルシオンが、欠伸をしながら悠々と帰宅した店主に対し、
 半眼のまま問う。
 フェイルはしれっと首肯し、大きな革袋がカウンターに放り投げた。
 そこには、大量の『インメディアタメンテ』が束になって入っている。
 毒草ではあるが、飲み込んだり、傷に擦り付けない限りは、特に人体への影響はない。
「驚いたな。いや、お前が冷徹剣士の師匠になったって聞いた時点で、相当驚いたけどよ。
 随分とスパルタじゃねーか」
 その革袋を眺める、客――――と言うより冷やかしでやって来たハルの顔には、
 驚きと言うより歓喜の笑みに近い表情が浮かんでいた。
「と言うか、あの子は野宿は……」
「そう言うのも、一度全部洗い流さないと、勝てないよ。彼女は」
 しれっとそう告げるフェイルに、ハルとファルシオンは顔を見合わせ、怪訝な表情を浮かべる。
 そこに、彼等のこれまで描いていたフェイルの人物像はなかったようだ。
 一方、当の本人は、特に務めて自己を律している意識はない。
 ただ、フェイルの人生の中に『師匠』と言う存在は一人しかいないので、その人物の影響は
 少なからず滲み出ていた。
「もしかしたら、幼い頃に野外で辛い体験をしたのかもしれない。両親に棄てられて、
 野原で一晩中、泣いていたのかもしれない。でも、その過去に怯えてる限り、その先はないよ。
 野宿に限定してる訳じゃなくて、あらゆる事に対して」
「確かに、あの女の精神的な脆さは、そう言う所から来てるのかもしれねーな」
 神妙な顔つきのファルシオンの隣で、ハルは両手で後頭部を包むようにしながら、
 冷静に同意した。
「【ウォレス】での件なんて、特にそうだ。オスバルドって奴は、まあ副隊長としちゃ
 平均的な腕の剣士だけどよ、あの女が簡単に後れを取るほど出来る訳じゃねー。
 ってコトは、実力を出し切れてないってこった。つまり、精神的に弱い。脆い。ヘボい」
「……ここぞとばかりに、日頃の恨みを晴らしていませんか?」
 半眼のままでいるファルシオンの指摘を、ハルは優雅に放置した。
「ま、なんにしても、精神修行は必要だろーな。密林からの脱出ってのは、体力的にも
 結構キツいけど、精神的な消耗の方が大きいだろうし、丁度良いんじゃねえの?」
「私はそうは思いません。いきなり厳し過ぎると思います。もし、毒蛇に咬まれたりでもしたら
 どうするんですか?」
 ファルシオンの尤もな非難に対し、フェイルは頬をポリポリと掻きながら、
 明後日の方向に目を向けた。
「一応、一通りの解毒剤は置いて来たから、その辺は大丈夫だと思うけど」
「それでも、女性を一人で取り残すのは、行き過ぎです」
「そうなの? 僕としては、甘過ぎたなって反省してる所なんだけど……あれ? どうかした?」
 フェイルの惚けた発言に対し、二人は再び顔を見合わせ、今度は同時に一歩後退った。
「お前って……実は人をいぢめる事に悦楽を見出すタイプなのか?」
「私の知っているフェイルさんは、そんなフェイルさんではなかった筈です。貴方は……誰ですか?」
 ファルシオンに至っては、指輪を光らせ出した。
「あのねえ。別に苛めてる訳じゃないの! これでも真面目に考えてるんだよ。どうすれば、
 大会までにフランが実力を発揮できるようになるか」
「……まあ、冗談はこのくらいにしておきましょう」
 明らかにそう言う雰囲気ではなかったが、ファルシオンは右手の輝きを消し、
 いつもの無表情で小さく息を吐いた。
「ただ、私としては、幾らフェイルさんが真面目に考えているとしても、問題があると
 判断した行為に対しては、警告を出すつもりです。あの子にもしもの事があってからでは
 遅いですから」
「了解。ただ、今後も事前に鍛錬の内容を明かすつもりはないから、その点は御理解の程、宜しく」
 穏やかに微笑むフェイルに対し、ファルシオンは瞼を更に落とした。
「ま、それも含めての精神修養ってこったな。次に何が起こるかわからない、ってのは、
 不安と緊張に慣れる為の最高の状況だ。今回の放置プレイも、予定調和のない自然環境で
 心を鍛えさせるのが目的なんだろ?」
 ハルの分析は、生意気にも的確だった。
「……なんだよ、その視線は。俺が真っ当な指摘したのがそんなに不満なのか?」
「いや、そう言う訳じゃないけど」
 フェイルの驚愕に満ちた目に不満を一通り垂れた後、ハルはどっかりと客用の椅子に座った。
 居座る気満々と言う、その堂々たる態度は、威厳すら滲ませている。
「暇そうだね」
「ま、暫くはな。だからこんな、寂れた店で一服してんだよ」
「なら、手伝ってよ。やっぱり剣士が一人は必要なんだよね。技術面も鍛えないといけないから」
 自身の店に対する悪態は放置し、フェイルは悠々と懇願する。
 それに対し、意見を述べたのは――――ファルシオンだった。
「あの子が、これ、もとい、これに教わる事を容認するとは思えませんが……」
「もとってねーよ! 全然もとってねーよ! 俺をコレ呼ばわりしといて、全然もとってねー!」
「フランが貴方を師事しているのは、男性の剣士を頼らない為です。本末転倒になるのでは」
 ギャーギャー喚くハルを余所に、ファルシオンはフェイルの目を見ながら告げる。
 当然それは、フェイルも承知していた。
 そして、承知していながら――――
「頼らないのなら、頼らせる。それが僕の役割だからね」
 静かに、そう答えた。

 ――――ちなみに、頭に数多の雑草を引っ付けたフランベルジュが、今にも倒れそうな形相で
 薬草店【ノート】へと帰還を果たしたのは、二日後の夕方だった。 


 ある程度の規模のギルドが存在する街において、夜の酒場は非常に危険な場所だと言える。
 なにしろ、街中のゴロツキが酔っ払いと化す訳で、元より理性もモラルもない野蛮人が
 快楽のみに突き進む様は、一般市民にとっては迷惑以外の何者でもない。
 しかし、こう言った場所がなければ、より生活に密着した場所で迷惑行為が発生する訳で、
 ある意味では不可欠な場所でもある。
「こんばんは」
 そしてそれは――――フェイルのような、一般市民とはちょっと違う種類の人間にとっても、
 別の意味で該当する。
「あらフェイルさん、いらっしゃい」
「いつもの席に、いつものお願いします」
「はーい」
 常連の口振りで、案内係の店員との会話を済ませ、賑やかな店内に目をやる。
 そこは――――アロンソ通りから遠く離れた郊外にある、場末の酒場。
 フランベルジュの半泣きでの抗議を適当に受け流した後、フェイルはそんな場所へと
 足を運んでいた。
 勿論、酒を嗜むと言う目的ではない。
「へーい、こっちこっちー」
 喧騒を切り裂くように、フェイルに声が掛かる。
 それは、陽気な響きを多分に有した、女声だった。
「やー、仕事の後の一杯はホント美味しいったら。この為に生きてるよね、今の私って」
「……出来れば、僕との会話も仕事の範疇に入れて欲しいんだけど」
 裏の仕事を持つ人間であれば、誰しもが持つ情報源。
 それは、情報屋。
 フェイルは、以前から世話になっている……と言うより、世話をしている、と言った方が
 正しいであろう、元【ウエスト】の情報屋に対し、七割ほど瞼を落とした。






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