麗らかな日差しが風を輝かす中、今日も今日とて薬草店【ノート】に客は来ない。
 ただ、この日に限っては、それはフェイルにとって好都合だった。
「……弟子にして、と? フランが?」
 一通り掃除を終えたファルシオンの顔は――――いつもと変わりなし。
 ただ、明らかに怪訝な響きを有した声は、それなりに乱れた感情を表していた。
「それで、どう返事したんですか?」
「勿論、断ったよ。いきなり弟子とか言われても困る」
「当然でしょう。つい先日まで、悪態に悪態を重ねていた相手に対し、弟子入り志願は
 少々突飛過ぎます。それ以前に、フェイルさんは剣士でもないのに……
 一体何を考えているのでしょう」
 ファルシオンの呆れ口調に、フェイルは心中でひっそり傷付いた。
「ま、まあ、その辺はわからなくもないよ。剣士だからって、剣士の師匠を
 持つ必要はないと思うんだ。剣の技術を学びたいなら兎も角、それ以外の面を
 改善、強化したいって考えた場合、師事する相手を剣士に限定する必要性は……」
「まるで、そう言う師匠を持った経験があるような物言いですね」
 的確なファルシオンの指摘に、フェイルは思わず口を噤んだ。
 実際、弓兵でありながら、剣士を師匠と呼んだ過去があるだけに、
 その理由で断るのは筋違いではある。
 尤も――――それ以前に、年上の女性を弟子に持つと言う事が
 そもそもあり得ない事だった。
「ま、何にしても、師匠なんて柄でも歳でもないよ、僕は」
「それは否定しません」
 特段、否定して欲しい訳ではなかったが、フェイルはまた若干傷付いた。
 そんな最中――――店の扉が開く。
「いらっしゃいま」
「どうも、お世話になります!」
 従業員の挨拶は、従業員の挨拶によってかき消された。
 尤も、後者は今しがた扉を開けた肉屋【アルボンディガ】の従業員。
 自身の肉付きも非常に良く、布の服の上からでも、その隆起具合がはっきりわかる。
「お届け物に参りました! はい、コレ!」
「ど、どうも」
「はっはっは、これも仕事ですから! ではっ!」
 肉屋の従業員は、この上ない笑顔を覗かせ、足早に店を去った。
 生肉を扱う肉屋は、配達の仕事も行っている事が多い。 
 新鮮な肉を各家庭に届ける為、馬車を常備している為、その脚を活かして
 一定の範囲内の届け物を受け付け、それを届けている、と言う訳だ。
【アルボンディガ】はレカルテ商店街内の肉屋で、商人ギルド【ボナン】の登録店舗。
 その為、同じ登録店舗への届け物は、随時受け付けている。
 無論、【ノート】もその配達範囲の一つだ。
「これは……薬草ですか?」
 大量の小瓶が入った巨大な箱を、ファルシオンはまじまじと眺める。
 届け物は、即効性の高い薬草。
 視察前に、既にある程度目星をつけ、纏めて仕入れていた物だ。
「うん。仮に他所の商品と被ってても、品揃えの強化にはなるしね」
「結構な数がありますね。これが全部、即効性に特化した薬草なんですか?」
「いや。それ以外の物も幾つか。その方が安く仕入れられるしね」
 実際には――――その届け物の中には、毒草も含まれていた。
 寧ろ先にこちらを見繕い、その後に慌てて薬草の注文も追加した格好。
 その為、実際には毒草の方が多かったりするが――――ファルシオンに
 薬草と毒草の区別が付く筈もなく、小瓶に詰められた草はそのまま
 倉庫へと運ばれて行った。
「ところで、リオは今日もスコールズ家に行ってるの?」
「はい。大会までは向こうで荒行に励むみたいです。指導者も彼らが用意してくれたとか」
「それなら、フランもあっちで修行してくれば良いのにね」
「嫌よ」
 倉庫から出た瞬間、フェイルとファルシオンの視界に女性剣士が現れた。
「……心臓に悪い登場の仕方は控えて下さい」
「全然そうは見えないけどね。相変わらず」
 ファルシオンの冷たい視線を一笑し、フランベルジュはその隣の店主に目を移す。
 そして、睨むように、或いは――――懇願するように、じっと眺めていた。
「そんな目で見ても、結論は変わらないよ」
「こっちも同じ。何を言われようが、結論は変わらない。貴方を師事すると決めたんだから」
 店内にて、奇妙な睨み合いが続く。
「険悪な雰囲気を出されると、営業の邪魔です。止めて下さい」
「……それ、僕の科白だよね。普通に考えて」
 すっかり経営側の立場になったファルシオンは、本来その立場にいる筈の
 フェイルの声を無視し、素描に入る。
 豊富過ぎる空き時間を利用し、店内を【エル・バタラ】仕様に改装する際の
 構成や内装を思案する為だ。
「相変わらずの凝り性ね」
 苦笑しながら暫くその様子を眺めていたフランベルジュは、
 鞘に収めた剣をカウンターに置き、先程とは違う目をフェイルへと向けた。
「この剣は、貴方に預けておく。【ウォレス】で鍛錬するのが嫌になって
 逃げたと思われるのは癪だから」
 それはつまり――――フェイルが首を縦に振るまで、自分の武器で
 闘う事を自ら禁じる、と言う決意表明だった。
 だが、それは余り意味がないと言う事に、フランベルジュは気付いていない。
【エル・バタラ】は大会規定の武器があり、基本的には殺傷力の低い木製の物を
 使用する為、自分の得物を預けたところで、大会に参加する上での支障はない。
 それが果たして、計算なのか、単に知らないだけなのか。
 フェイルは一瞬、困った顔でファルシオンに判断を仰いだ――――が、
 素描に集中していて、見てすらいない。
「……一度、大会のルールちゃんと確認しといた方が良いよ」
 結局、自己判断で後者と見做し、半眼を返した。
 だが――――
「そんなの、とっくに何度も見返してるっての。私は別に、大会の参加を掛けて
 この剣を差し出してる訳じゃないの」
 実際には、その両方でもなく。
 フランベルジュは、それ以上の大きなものを差し出していた。
「この剣は、私の従姉の形見みたいな物なのよ」
「……形見?」
 それまで素描に集中していた筈のファルシオンが、思わず顔を上げる。
 一応耳には入れていたらしい。
「ま、形見って言っても、剣士を引退したってだけで、死んだ訳じゃないんだけどね。
 貴女やリオにも言ってなかったけど、この剣って、その従姉から譲って貰った物なのよ」
「『剣士としての』形見、ですか」
「そ。彼女は王宮騎士団【銀朱】の一員だったの」
 王宮騎士団――――その言葉に、フェイルの眉間が微かに狭まる。
 そして、一人の女性が脳裏に移った。
 銀朱の元女性剣士。
 心当たりは、一人しかいない。
「その従姉は、とても優れた剣士だったの。でも、男社会の騎士団の中では
 出世が許されなかった。それだけじゃない。無理矢理な理由で辞めさせられたのよ。
 私が剣の世界に女性の居場所を作りたいのは、そう言う悲劇をなくす為。
 だから、その初心を忘れない為に、この剣を使ってるの」
 フランベルジュの独白は、更に『その一人』の顔を近くに呼び寄せた。
「……その従姉さんって、髪の色はフランと同じ?」
「いえ。私のこの髪は母譲りだから。父方の従姉なのよ、彼女」
「あー、一応、名前とか聞いても良い?」
「別に良いけど。クトゥネシリカ=リングレンよ。もしかしたら、王宮で
 噂くらいは聞いた事あるかもね」
「……ふーん」
 それどころではなかった。
 世界は狭い――――そんなありふれた言葉が、フェイルの頭の上から落ちてくる。
 なんとも因果な巡り合わせだった。
「で、その従姉さんは、今何してるの?」
「妹さんと二人で、パン屋をやってるけど。妹さん、目が見えないのよ。
 でも、パンを捏ねる分にはそれでも出来るから、彼女が生地を捏ねて、シリカ姉さんが
 焼いて、接客もしてるんだって。一度食べさせて貰いに行きたいんだけど」
 中々時間がね、と結び、フランベルジュは珍しく穏やかに笑った。
 一方、フェイルは様々な感情を織り交ぜた、複雑な顔で俯く。
 実際には、もう一つ踏み込んだ質問をしたかったが――――それは出来なかった。
「そう言う訳で、その剣は私にとって何より大切な物。それを預かる事が
 どれだけ重い事か、しっかり受け止めた上で、私を弟子にするかどうかを決めて頂戴」
「もし断れば、フェイルさんは女性の大事な物を奪い取った、と言う事になります」
 フランベルジュの言に、ファルシオンがしれっと乗る。
 完全なる脅迫だった。
「いや、仮にそれで上手く行ったとして、そんな脅しに屈した人間を
 素直に師事できるの?」
「……それもそうね」
 あっさりと納得し、フランベルジュは剣を収めた。
 そんな仲間の姿に、ファルシオンは首を傾げる。
「つい後押ししてしまいましたが、私は反対です。どうして剣士でもない人を
 師事する必要があるんです?」
 ある意味、当然の疑問。
 それに対し――――答えは明瞭だった。
「男社会になってる剣士の世界とケンカするってのに、男の剣士を師事しても仕方ないでしょう?
 かと言って、私より強い女性剣士なんて、この辺では見かけないし。だからよ」
「とても納得しました」
「いやいや……」
 アッサリと引くファルシオンに、フェイルは思わず首を振る。
 実際、その条件で言えば、元宮廷弓兵団のフェイルに白羽の矢が立ったのは、
 余り不自然な話ではない。
 実際に自分でその実力を試した事で、それはより説得力を増してはいる。
 とは言え――――
「どう考えても、師弟関係が成り立つ間柄じゃないでしょ。こっちは年下だよ?
 今までも散々罵ってきてるし。そんな相手の指導を素直に聞ける?」
「身を切る思いで」
「その時点でおかしいよね!」
 悲鳴にも似たフェイルの叫びが、未だ客の気配すらしない薬草店【ノート】の 
 室内にやたら切実に響き渡る。
 暫しの沈黙の後、口を開いたのは――――フランベルジュだった。
「……貴方は、私に『何もわかってない』って言ったでしょう?」
 その声は、それまでより重く、そして強い。
 フェイルは頬に滲んだ汗を、指で弾いた。
「言ったような記憶は……ある」
「私なりの結論。それが、貴方を師匠にする事。間違ってはいないと思うけど」
 その結論は、確かに一理あるものではあった。
 この先、フランベルジュが剣士として上り詰めるには、王宮の存在は外せない。
 その王宮に所属していたフェイルに指導を仰ぐのは、単に技術や強さを求める
 と言うだけの事に留まらない。
 決して、間違ってはいなかった。
「助言を仰ぐ、って選択肢は?」
「それはないですね。最近まで王宮にいた事に一切触れていなかった人が、
 詳しい事を話す筈はありません。それこそ、師弟関係くらいにならなければ」
 何だかんだ言いつつ、ファルシオンはフランベルジュの味方をしていた。
 かけがえのない仲間……かどうかは兎も角、一種の絆は感じ取れる。
 そして、フェイルもまた――――友人の顔を思い浮かべ、大きく溜息を吐いた。
 これは、ある種の呪い。
 クトゥネシリカが熱望した、デュランダルへの師事が結局叶わなかった事に起因する、
 因果応報とも言える運命。
 そう思う事にした。
「……言っとくけど、僕は人に物を教える程、何かを極めた訳じゃない」
「ええ。それは知ってる。その上で、お願いしてるの」
「脅迫してるとしか思えないけど……」
「懇願も、突き詰めれば脅迫の一種よ」
 そんな、不意に真理を付いたフランベルジュの言葉に、思わず苦笑してしまった
 フェイルの負け。
「大会までの限定。店に影響が出ない程度。極力こっちの言う事に従う。師匠と呼ばない。
 これで良いなら……引き受けるよ」
 何より、そこに『縁』を感じてしまっていた時点で、この結論は決まっていたのかもしれない――――
 そんな自己分析しつつ、フェイルは不敵に笑む女性剣士の顔に、別の女性の顔を見ていた。






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