薬草店【ノート】の裏庭は、最近までフランベルジュの稽古場になっていた。
 とは言え、そこには打ち込み用の丸太や、動く獲物を捉える為の紐でぶら下げた
 杭のような、いかにも修行用と言う補助具はない。
 だから、フランベルジュはそこで毎日、素振りをしていた。
 素振りは、単に『誰でも、何処でも出来る稽古』と言うだけではない。
 どんな達人であっても、その心技体を鍛える上では欠かせない、
 究極の修練。
 実際、デュランダルやガラディーンのような天才でも、毎日毎日、
 飽きもせずに同じ動作を繰り返し行っているのを、フェイルは目撃していた。
 デュランダル曰く――――素振りを毎日やっても飽きない人間だけが
 剣士と言う職業に向いている、との事。
 弓使いのフェイルには、実感できない金言だった。
「……で、話って何?」
 その裏庭へと連れて行かれたフェイルは、一向に目を合わせようとしない
 フランベルジュに対し、努めて穏やかに問う。
 風の入り込まない裏庭で、暫し音のない時間が流れた。
 そして――――
「貴方、王宮のお抱え弓兵だったんでしょ?」
 沈黙を切り裂いたフランベルジュの言葉は、余りに唐突だった。
「……まあ、そうだけど」
「なら、強い筈よね」
 言葉短に、そう断言する。
 実際には、騎士団や宮廷弓兵団のような王宮直属の部隊には、
 ただ血縁だけを理由として加入している人間もいる。
 王族の血筋、貴族の血筋。
 そう言う者の中にも、優れた才を持った人間はいるにはいるが、
 大半は力量不足を極力隠しながら、役職だけを誇る者ばかりだ。
 つまり、王宮にいる人間が、皆強いかと言うと、そうではない。
 とは言え――――フェイルのような庶民の場合は、例外なく才能に溢れた者だけが
 選ばれ、招かれている。
 そこまで考えての発言かどうかはさておき、フランベルジュの粗野な指摘は
 ある意味正解と言えた。
 とは言え、自分で『ああ、僕は強いよ』等と言える性格でもないフェイルは、
 沈黙で応える。
 それを見透かしているのか、いないのか――――
「私と戦って」
 フランベルジュは、命令とも懇願とも付かない口調で、そう告げた。
 フェイルの眉尻が下がる。
 ただ、目付きは逆に鋭さを帯びる。
 困った際の表情の一つだ。
「……僕を倒しても、旗は揚がらないよ?」
 先程、ファルシオンから聞いた内容が、脳裏を過ぎる。
 同時に、【ウォレス】の前で聞いた話も。
 明らかに――――フランベルジュは、追い込まれていた。
「まして、自信の回復にもならない。違う?」
「……何処で聞いたの?」
 フェイルの発言から、自分の今日の行動が筒抜けである事を理解し、 
 フランベルジュは顔をしかめた。
 恥じ入ると言う様子ではない。
 ただ、口惜しさだけが滲んでいる。
「【ウォレス】で噂になってたよ。なんでまた、副隊長なんかを指名したの」
「……居心地が悪かったからよ」
 ふて腐れたような声。
 フェイルは、黙って続きを待った。
「連中、女が剣を持って、自分達と空間を共有しているだけで、不愉快になるみたい。
 だから、その場にいる一番偉い男と戦って……」
「空気を変えたかった、って事?」
 フェイルの問いに、応えは返って来ない。
 それが答えだった。
「今更、そんな事気にしても仕方ないんじゃない? これまでもずっと、
 そう言う経験をしてきたんだよね?」
「ええ。そして、それを変える為に私はここにいるの。だから、無視は出来ない。
 例えそれが、恥をかく事になってもね。でも……正直、わからないのよ」
「わからない?」
 訝しがるフェイルに対し、フランベルジュは徐に剣を抜いた。
「自分がどの程度、弱いのか」
 そして、その細身の剣を眺めながら、吐露する。
 ずっと抱えている、心の膿を。
「……あの副隊長の身のこなしを見た時、正直言って『勝てる、悪くても互角には戦える』
 って思ったのよ。だから挑んだ。虚勢じゃなくて、自分なりに考えて、比較して、
 勝算があるって判断したから、指名したの。それなのに、結果は惨敗。寸止めされる屈辱的大敗。
 もう、自分の腕がどの程度なのかも、わからなくなっているのかもしれない」
 その独白に、フェイルは少し納得した。
 フランベルジュは、決して弱くはない。
 少なくとも、二流三流の傭兵や、役職のないギルド員などよりは遥かに腕は立つ。
 そして、副隊長程度の相手なら、負けるにしても惜敗が妥当――――そう見做していた。
 それだけに、ギルド員の話の内容は、腑に落ちなかった。
 もし、そこに明確な原因が存在するのであれば、【エル・バタラ】に参加する上で
 致命傷になりかねない。
 焦っている理由も、そこにある。
 そこまで考えて、フェイルはようやくフランベルジュの意図を理解した。
 彼女の性格上、『相談に乗って』となる筈もない。
 闘いの中で、診断してくれ――――そう言っているのだと。
「わかった。相手するよ。ただし条件がある」
「何? 負けたら店を手伝えとか?」
「それも悪くないけど、別のお願い。今後、アンタの事を『フラン』って呼ばせて貰う」
 フェイルの発言に、フランベルジュは――――凍った。
「……誤解ないようにね。僕の意思じゃない」
「リオの差し金? あの子、ちょくちょくこんな仕込みしてくるのよね……」
 実際には勇者ではなく魔術士の発案だったが、否定する必要性は特になかったので、
 フェイルは黙っていた。
「構わないけど、あくまでも貴方が勝ったらね。幾らなんでも、弓使いに
 負ける覚悟で臨む気はないから。幾ら王宮お抱えでもね」
「了解。それじゃ、どうぞ」
 フェイルは小さく頷き、しれっと戦闘開始の合図を告げた。
 両者の距離、およそ5m。
 そもそも、それ以前に――――
「何言ってんの? 貴方今、丸腰じゃないの。とっとと弓矢取って来なさいよ」
「やっぱり、わかってないね」
 以前、この場所で告げた言葉を、再びフェイルは同じ相手に向けて発した。
 その声に、フランベルジュは顔色を変える。
 以前、その挑発的、そして上からの言葉に、少なからず不快感を示した女性剣士は、
 その時以上に目を剥いた。
「……何が言いたいの?」
「アンタは、街中や家の中で突然襲われた時、『今武器持ってないから、取って来るまで
 ちょっと待ってて』とでも言うの? 随分と長閑だね」
 それは、露骨な挑発だった。
 そして当然、そこには明確な意図がある。
 フランベルジュは――――激昂した。
「フザけないでよ! 弓のない弓使いなんて、何処に闘う意味があるってのよ!」
「意味はあるよ、多分」
 更に、フェイルの挑発は続く。
 右手人差し指で、ちょいちょいっと招きつつ――――微笑。
「どうせなら、今日一日で墜ちる所まで墜ちちゃえば良い」
「……私は、丸腰の貴方より弱いって言うの?」
「試してみれば良いよ」
 その言葉が、正式な合図となった。
「上等。切り刻んであげる」
 フランベルジュの我慢が限界に達したと同時に、その細い足が跳ねる。
 それでも、フェイルに向けられているのは、峯。
 当然ではあるが、本気で切り刻む気はないと言う事だ。
 フェイルはその接近に対し、全く身動きせず、距離が詰まるのを待った。
 かつて、散々研究し、訓練を重ねた接近戦。
 徒手空拳の技能は一切持ち合わせていないが、身のこなしに関しては、
 一定以上の水準に達していた。
 現在は弓兵からは退いているものの、カバジェロやバルムンクとの闘いの中で、
 その感覚は既に取り戻している。
 体力も、走り込みを怠らなかった事で、ある程度は維持している。
 だからこそ――――フェイルは躊躇した。
『どの辺りまで傷付けられるのか』
 知り合って一月と経たない女性を、どこまで痛めつけても良いものなのか。
 それだけが、気がかりだった。
 剣圧は、徐々に肩口に近付いてくる。
 それでも、フェイルは動かない。
 50cm。
 40cm。
 30cm――――ここでようやく左足を引き、左肩を『閉じた』。
「……!?」
 フェイルの身体が半身になった事で、標的を失った剣が、虚空を裂く。
 だが、重要なのはここから。
 幾らでも挽回の方法はあるし、その空振りを次の動きに利用する事で、相手の虚を突く事だって、ある程度の手練れならば出来る。
 にも拘らず――――フランベルジュは、剣をそのまま地面に叩き付けてしまった。
「っ……!」
 避けられる事を全く想定していなかった事。
 避けられた後の、反応の鈍さ。
 判断力のなさ。
 何より――――精神的脆さ。
 たったこれだけの攻防で、欠点は多数露見した。
 そしてそれは、フランベルジュにも伝わる。
 表情に自嘲が加わった。
 それでも、その目はフェイルに向けられる。
「王宮って所は……弓兵にそんな避け方まで教えるの?」
「いや、自前だよ。場所なんて、大した意味はないから」
 それもまた、挑発。
 ギルドと言う『場所』に負けたフランベルジュの心を抉る。
「う……うるさいっ!」
 その顔は、普段の凛然としたものとは程遠い、まるで駄々を捏ねる
 子供のようだった。
 ここまで――――そう判断し、同時に甘い線引きだと心中で苦笑しつつ、
 フェイルは至近距離で体勢を整えようとしているフランベルジュに対し、
 脚を伸ばした。
「……あっ!」
 足払い。
 それは、例え徒手空拳の習った事がない者でも、大抵は身に付けている基本技。
 殴り掛かったり、飛び掛ったりするより、よほど合理的に相手の戦闘力を奪える。
 闘いにおいて最も重要なのは、倒れない事。
 逆に言えば、倒せばほぼ確実に勝てる。
 地面に横たわった状態で、出来る事と言うのは、かなり少ない。
 腕を振り回したり、剣を投げたりしても、ほぼ無意味。
 一方、転ばした方は、踏んでも良いし、圧し掛かっても良い。
 相手の得物に合わせて、幾らでもやりようがある。
 接近戦において、最も有効な攻撃の一つ。
 フェイルが身に付けていない筈がない。
 そんな足払いのコツは、相手の意識が足にない時を狙う事。
 特に、両足が揃っている場合は、かなりの確率で成功する。
 後は、払い方。
 思い切り蹴る訳ではなく、『そこに置く』が基本。
 足払いは、実は相手の上半身こそが重要で、上半身と下半身のバランスを
 狂わせる事が必須。
 上半身が動いているか、動いているならどの方向に動いているかを
 見定め、踏ん張れないような位置に足を置く。
 それだけで、人間は簡単に倒せる。
 余裕があるなら、上半身を押す事で、更に効果は増す。
 ただ、この場合はその必要はなく、地面に叩き付けた剣を戻そうとする
 動きに合わせ、フェイルは足を払っていた。
「……」
 そして、倒れ込んだフランベルジュを、睨むように見下ろす。
 勝負は――――そこで着いた。
「これで良い? フラン」
「……ええ。これで、吹っ切れた」 
 フェイルが思っていた以上に、フランベルジュは冷静だった。
 先程の形相とはまるで違う、言葉通りにスッキリした表情で、
 仰向けになって地面に横たわっている。
 吹っ切れた――――この言葉の意味を、フェイルは『大会参加の見送り』だと
 思った。
 既にハルからも指摘されているだけに。
 だが、ゆっくり起き上がるフランベルジュに、その選択を窺わせる
 無念さや悲壮感はない。
 本当に、墜ちる所まで墜ちてしまったのか。
 傷つけ過ぎて、誇りが崩壊してしまったのか――――
「フェイル=ノート」
 心中で慌てふためいていたフェイルに、フランベルジュは突然、
 畏まったようにフルネームで呼びかけた。
 そして。
 実際それが畏まっていた事をフェイルが知ったのは、その次の瞬間だった。
「私を、弟子にして」






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