闇夜を照らす明かりは、果たして有限か、それとも無限か。
 星空はいつも、人を哲学へと誘う。
 フェイルは、有限と考えていた。
 特に根拠はないが、その方が夢があって良いと、そう思っていた。
 限りある物は、いずれ手が届く。
 尤も、それが実証されるのは、果たしていつの時代になるのか――――
 それは誰にもわからない。
 エチェベリアは、医学や兵学は発達しているが、天文学には余り明るくない。
 それでも、何時か何処かの国で、誰かがそれを実現する。
 そうやって、世界は形成られてきたのだから。
 そんな、天と未来へと思いを馳せながら、足を運ぶのは――――懺悔室。
【ノート】の扉に挟まっていた紙には、『依頼をしたい』と言う旨の内容、
 待ち合わせの時間、そしてその場所となる『教会』の名称が記してあった。
 アランテス教会ヴァレロン支部。
 フェイルが定期的に訪れる、最寄の教会だ。
 更に、場所には追記があり、『懺悔室』と言う指定まであった。
 それが一体、何を意味するのか――――結局、移動の間に考えは纏まらず、
 気付けば教会の前に着いていた。
 二つノックを行い、返事を待つ。
 すると――――
「お待ちしていました、フェイルさん。鍵は開いていますよ」
 フェイルの返事を待たず、その扉の先にいる若き司祭は、来訪者を特定した。
 重厚な扉に手を掛け、フェイルはその中へと足を踏み入れる。
 ハイトは、祭壇の前で待っていた。
 普段の顔とも、【メトロ・ノーム】で見せた顔とも違う、何処か冷然とした表情で。
「まさか、とは思いますけど、貴方が……」
「いえ。私はただ場所を提供しているに過ぎません。どうぞ、奥へ」
 促されるまま、フェイルは礼拝堂を抜け、入った事のない空間へ足を運んだ。
 壁に数多くの照明の炎が設置されている為、臙脂色の絨毯が、汚れ一つなく伸びている事が、
 夜であっても瞬時にわかる。
 懺悔室――――そう呼ばれた場所は、まるで最高級の応接室のように、美しかった。
「こちらです」
 ハイトの案内に従い、視線を向ける。
 そして、その先にいる人物を見た瞬間、思わず感情を顔に出してしまった。
「……!」
 見開いた双眸に映るのは、かつて自分が狙撃した『標的』。
 キースリング=カメインと言う名の宝石商だった。
 ヴァレロンでも屈指の富豪だけあり、その服装、装飾品全てが一級品。
 特に、絹でこしらえたと思われる滑らかな上着と、胸元に光る巨大な宝玉は
 眼識のないフェイルでも、一目で特別な品である事がわかる。
 ただ、驚くべき点は、そこではない。
 殺しはしなかった為、生きている事自体は驚愕には値しないが、
 かつて仕留めた相手が目の前にいると言う状況は、歓迎出来ないどころか
 混乱すら生み出す。
 失態とも言える感情の露呈は、それが原因だった。
「さあ、早くこちらへ。呼んだのはこちらだ。客人である君が
 何時までも立っていては、こちらが非常識な人間と思われてしまう」
 宝石商に良く見られる、ふくよかな体型のその中年男性は、威圧感を
 多分に含ませた物言いで、フェイルを促した。
 標的として、仕留めた相手。
 当然――――それはキースリング側も把握している、と判断せざるを得ない。
 そうなれば、警戒すべきはやはり『復讐』。
 だが、この室内、或いは室外、更には教会の周囲に到るまで、
 キースリングとハイト以外の人の気配はない。
 フェイルも気付けないほどの達人がいる可能性は否定できないが、
 暗殺技能取得の際に、デュランダルに散々鍛えられたその察知能力は、
 この結論が真実である事をフェイルに確信させていた。
 それだけに、意図が読めない。
 そもそも、フェイルはビューグラスの依頼で彼を狙った。
 ならば、キールリングの恨みはビューグラスに向くのが筋。 
 しかも、命に別状がなく、後遺症もないような状況で、果たして実行犯たる
 狙撃者を恨んでいるものか――――
「安心したまえ。こちらに君を恨んだり、殺意を抱いたりと言う感情はない。
 君を呼んだのは、その腕を買っての事だ」
「……」
 決して、素直には受け取れない発言ではあったが、そう発言された以上、
 警戒ばかりしていても埒が明かない。
 フェイルは、懺悔室の中央に置かれている机のキースリングの対面側に
 腰掛けた。
 ハイトはその二人から等距離の位置で、静かに佇んでいる。
 このハイトの存在も、警戒しなくてはならない一つ。
 もし、この場でフェイルが襲われる事があるのなら、気配を消す達人か、
 司祭であると同時に――――魔術士でもあるハイト。
 これまで、その朗らかな笑顔ばかりを見てきたフェイルにとって、
 そんな相手に猜疑の目を向けるのは、決して本意ではない。
 だが、今のフェイルにはそれをする必要があった。
 何しろ、丸腰。
 契約の際、フェイルは基本、武器を持ち歩かない。
 ビューグラスから、半ば専属に近い形で依頼を受けるようになってからは、
 その必要性は更に無くなっていた。
 弓矢は、短剣のように、隠す事の出来る武器ではない。
 凶器を所持している事が相手にわかるのは、失礼に当たる。
 そう言う配慮もあるにはあったが、この場合はそれを加味してでも、
 弓を背負うべきだった――――そんな後悔が、フェイルの脳裏を過ぎる。
【メトロ・ノーム】で、バルムンクを相手に満足いく戦いを出来たフェイルは、
 何処か気が緩んでいる自分を自覚していた。
 それが、悪い方向に出てしまった。
「では、御用件を窺います」
 だが、過ぎた事を何時までも悔いる事に、利はない。
 重要なのは、この場面を乗り切る事。
 フェイルは視線を狭め、眼前のキースリングを目で射抜いた。
「……大した精神力だ。恐らく、心の中はパニック状態だったろう。
 建て直しが非常に早い。優秀であると同時に、臨機応変に対応できる証だ」
 そんな寸評で始まったキースリングの口は、忙しなく動く。
「覚えているかね。その手から放たれた矢が、このうなじを掠めた瞬間を。
 残念ながら、こちらは覚えていない。一瞬で意識を持っていかれたのだから」
「……」
 返答に困り、フェイルは沈黙を守る。
 それでも、狼狽や焦りは見せない。
 もう、失態は許されなかった。
「余計な事は話さない、か。狙撃者はそうでなくてはな。では、冗話は
 この程度にして、早速本題に入ろう」
 ハイトが見守る中、数多の揺れる炎が、キースリングの影を僅かに傾ける。
 そして――――止まった。
「君に任せたい依頼がある。それは……『エル・バタラの調整』だ」
「……調整?」
 眉を潜めるフェイルに、キースリングは小さく首肯する。
「具体的に言おう。これから指定する人間を、指定した期間に『衰弱状態』に
 して欲しい。ただし、殺したり、完全な戦闘不能状態にしてはならない。
 あくまでも、衰弱の範疇だ」
「……」
 その説明で、フェイルは依頼内容と、その背景にある目的を理解した。
 特定の人物を上位進出させる為に、その対戦相手となるであろう
 相手を事前に衰弱させ、勝利を容易なものとする――――
 これ以外には考えられなかった。
 特定の人間を敗北させる為なら、出場できない身体にした方が確実だからだ。
 そして、その目的は――――
「わかりました。ただし、質問があります」
 決して口には出さない。
 それがフェイルの、裏の仕事を受ける際の礼儀だ。
「無論、構わない。聞こう」
「ありがとうございます。まず……この依頼は、エチェベリア国の中でも
 屈指の規模を誇る武闘大会、エル・バタラの権威を失墜させる可能性があります。
 大会後、僕が無事でいられる可能性はない」
 質問と言っておきながら、フェイルはまず断定口調でそれを語った。
 実際、それは確実であり、質問はここからだ。
「この点をどうお考えですか?」
 その問いに――――キースリングではなく、ハイトが一瞬口元を緩めた。
 だが、言葉は発しない。
 一方、答えるべき立場の人間は、逆に口元を引き締めた。
「……依頼を達成した後、こちらが君を始末する、と言いたいのかね」
「当然でしょう。僕が依頼内容を誰かに話せば、世紀の不祥事が明るみに出ます。
 僕一人殺す事より、僕を生かしたままの方が、よほど大きなリスクを背負う事になる。
 尤も、僕がこの場で断ったとしても、同じ事が言えますが」
「随分と、こちらを買ってくれているのだな。君は凄腕の狙撃者だ。そう簡単に
 始末する事など、出来ないと思うが……」
「弓引く者が、周囲にどう思われているか。それは僕が誰より理解しています」
 たかが狙撃手、接近戦に秀でた傭兵を雇えば、始末するくらい訳はない――――
 それが、弓使いに対する、大筋の評価だ。
 フェイルは――――フェイルだからこそ、それを正しく把握している。
 その言は、キースリングの眉間に皺を生み出した。
「これは困ったな。つまり、この依頼を受けるにしろ、受けないにしろ、君は
 こちらから命を狙われると言う事になる。これでは話が進まない」
「いえ。結論はもう出ていますよ、キースリングさん」
 ここで、初めてハイトが口を挟んだ。
 それは同時に、交渉終了の合図でもあった。
「この場で敢えて宣言する必要のない事を、彼は宣言しました。
 つまり、その目論見を実行しても無意味ですよ、と言う警告と言う事です。
 仕事仲間に対しての」
 ハイトの視線が、フェイルへと移る。
 その解釈は、概ね正解だった。
「僕が聞きたかったのは、どう考えているかと言う点ですから。
 その内容次第で断る、と言う事はありません。受けさせて頂くつもりです」
「……そうか。ならば、宜しくお願いする。報酬は5万ユロー。全て成功報酬だ。
 他の質問はあるかね?」
「連絡に使う伝言簿記は、どのギルドを利用していますか?」
「【ウエスト】だ。そこに『クワトロ』と言う名で登録している」
「わかりました。何かあれば、そこに」
 契約は成立。
 フェイルは席を立ち、深々と一礼した。
 伝言簿記と言うのは、接触をしないで何かを伝えたい相手に対し、
 伝言内容を完全に保護した状態で伝える為の手段。
 諜報ギルドが行っているサービスの一環だ。
 キースリングの指示を待たずにフェイルがその利用を示唆したのは、
 情報管理を徹底すると言う姿勢を見せる為。
 逆に言えば、情報を漏洩、拡散する方法を知っている――――と言う、脅迫。
 少しでも怪しい素振りを見せれば、この契約内容、つまりエル・バタラと言う
 由緒正しき大会で重大な規律違反を行うと言う事を白日の下に晒す、と言う
 駆け引きだ。
 自身の命を守る為に、どうしても必要な事だった。
「了解した。必ず成功させてくれ。君の標的となる人物の情報は、
 伝言簿記に随時更新して行く。くれぐれも、外部に漏れる事のないよう」
「はい。承知しました」
 少なからず、自身の思うようには行かなかった事もあってか、
 キースリングの表情は晴れない。
 その所為もあってか、和気藹々とした雰囲気はなく、足早に懺悔室を後にした。
「……ここって、良く使うんですか?」
 残ったフェイルは、ハイトへと視線を向ける。
 その顔には、昼間とは質の違う、温和な笑みが浮かんでいた。
「ええ。神への懺悔を行うここでは、決して嘘は吐けません。
 交渉の場としては、これ以上ない場所だと思いませんか?」
「確かに」
 思わずフェイルも破顔する。
 司祭と言う立場の人間としては、かなり際どい冗句だった。
「それにしても、縁が続きますね。私達は」
「その度に、違う顔を見せて貰っていますよ」
「それは、こちらも同じです」
 向き合うその目に、鋭さはない。
 ただ、睨み合うでもなく、眺め合う。
 その深層を。
「では、そろそろお暇します」
「ええ。また教会で会いましょう。神の御許に、祝福のあらん事を」
 司祭の科白を唱えるハイトとその教会に背を向け、フェイルの夜は更けていく。
 帰り道、頭に浮かぶのは、以前【ウエスト】のデルが吐いていた言葉。
『最近君、結構話題になってるよ』
 キースリングがフェイルの事を知ったのも、その『話題』が流れた結果である事は
 明白だった。
 明らかに、目立ち過ぎている。
 それも、薬草店の主人としてではなく、狙撃者としての自分が。
 その事実は、決して良い方向ではなかった。
 嘆息しつつ、天を仰ぎ、数刻前の交渉を反芻する。
 ある意味、尻拭いだった。
 以前――――ビューグラスの依頼によって、フェイルはキースリングの2週間を奪った。
 その間、何があったのかは、容易に想像できる。
 かなり重要な会議や商談があった事は間違いなく、それに参加できなかった事で
 信用の失墜、若しくは契約不履行などの大打撃が生まれた筈だった。
 実際、キースリング率いるカメイン宝石商会の業績は、やや落ち込んでいると言う
 噂も流れている。
 今回の一軒は、その回復の為の手段と言う可能性が高い。
、カメイン家が誰か腕に覚えのある人物を立て、エル・バタラでの上位進出を目論んでいる。
 この有名な武闘大会で好成績を残した戦士を支えたとなれば、大きな名声を得る
 事に繋がるだろう。
 カメイン家は、スコールズ家の寵愛を受けている為、街中での一定の地位は確約されている。
 だが、それは同時に『スコールズ家の御膝下』を越えはしない、と言う事も意味している。
 もし、彼らに野心があるのなら、今回のエル・バタラは一つのきっかけになるだろう。
 その為に、対戦相手に万全とは程遠い状態にしろ――――そう言う依頼だと、
 フェイルは結論付けていた。
「……さて。どうしたものかな」
 そこまで考え、嘆く。
 その対戦相手が、フランベルジュやリオグランテになる可能性があるからだ。
 今回の裏のお仕事を成功させ、報酬を得れば、あっと言う間に損失分は補填できる。
 だが、その為に彼等を奇襲し、弱らせると言う行為を、フェイルは善しとはしない。
『このお店と貴方は、私達にとって既に特別な存在なんです』
 ファルシオンは、そう言った。
 フェイルもまた、少なからずそんな感情を抱き始めている。
 お世辞にも優秀とは言い難い、未熟な面々。
 だからこそ、感じるものがある。
 それは、王宮を出る時に感じたものと同じ、とても尊いもの。
 フェイルは決意していた。
 もし、運悪く標的が二人の内、どちらかになった場合は――――
 裏の仕事の廃業も視野に入れなくてはならない、と。
 それが、『仲間』を得たフェイルの下した結論だった。






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