今更と言えば今更ではあるが――――薬草店【ノート】は、迷走していた。
 この二週間だけをとっても、完全に迷走していた。
 寧ろ、この二週間が殊更に混沌としていた。
 その第一形態の名残である食虫植物は、現在倉庫に湧いている虫をひっそり
 食している。
 第二形態の残滓である2匹の仔犬を描いた絵は、今も惜しげもなく展示されているが、
 誰一人としてそれを数刻眺めた人間はいない。
 第三形態の漏れ残りである枯れた花は、押し花としてノノの家に贈呈された。
 そして、つい先日変化を終えたばかりの第四形態の余剰品として、
 暫く中庭に放置されていた名もなき馬を眺めながら、フェイルは静かに
 胸に手を置いた。
「……ごめんね。君を飼う余裕は、ウチにはないんだ。もし僕が生まれ変わって
 騎士にでもなったら、生まれ変わって戦闘馬になった君にこの足を預けるから」
「ぶるるるるるるるるるるる」
 馬は鼻息荒く首肯――――と言うか自然な動作で首を上下に揺らし、
 馬車屋を営む業者に連れられて行った。
「良くして貰うんだぞー」
「ひひーん」
 こうして、【ノート】から馬は去った。
「……この別れに、要る? 私達」
「黙って見送る。従業員なんだから」
 大して寂しげでもない馬を見送るフェイルの背後にて、フランベルジュと
 ファルシオンの両名は、共に然したる興味もない様子で瞼を半分閉じていた。
「って言うか、私は今後この店では働かないからね? 前も言ったけど、 
 大会を控えた身なんだから」
「わかってるよ。でも、借金返すまでは店の一員でしょ。見送る時は、可能な限り大勢で。
 これは僕の信念だから。ちゃんと従って貰うよ」
「信念、ね……ま、良いけど。それじゃ、私はこれからギルドに直行するから」
 ヒラヒラと手を振るフランベルジュの格好は、普段の軽装とは異なり、
 最初に【ノート】を訪れた際と同じ、薄めの鎧とガントレットを装備している
『戦闘態勢』だった。
「ギルドで訓練するの?」
「ええ。【ウォレス】で訓練場を開放してるみたいだから、そこで」
 この街の二大傭兵ギルドの内、バルムンクのいない方を示す
 その名前に、フェイルは思わず苦笑しそうになった。
「……何?」
「いや、何でも。それより、リオグランテは何処に行ったの?
 まさか、また……?」
「そのまさかです」
 フランベルジュの隣で、ファルシオンが小さく頷く。
 令嬢失踪事件以降、勇者リオグランテは、事ある毎にスコールズ家に
 訪れており、着実にその貴族との繋がりを深めていた。
 このままなら、冒険の終盤辺りでようやく得る事が出来る、と言われている
『経済力豊かな支援者』をこの地で得そうな勢いだ。
「もしかしたら、フランの大会参加を待たずに、路銀を確保できるかもしれませんね」
「そうなったら、そうなったで全然構わないけどね。お金はあるに越した事ないから」
「野宿はしたくないですしね」
 ファルシオンの何気ない一言に、フランベルジュは歯を食いしばって
 不快感を露にしていた。
 とは言え、じゃれ合いの一種。
 そう言う空気も少しずつ把握できる間柄になったフェイルは、特にフォロー
 する事もなく、肩を竦めて自身の店に目を向けた。
 薬草店【ノート】。
 エチェベリア宮廷弓兵団を辞め、この街に戻って来たフェイルが
 殆ど裸一貫で立ち上げた、小さき城。
 王宮と比較する事など出来る筈もない。
 ただ、フェイルにとって目的を達成する為に必要な建物である事は共通していた。
 弓を世界に広める事を目的とした、王宮。
 それとは対照的に――――この店には、とある薬草を招き入れると言う目的がある。
 それは、取り立てて付加価値のある訳でもない、単なる野草。
 エチェベリア国内の様々な場所に生息する、ありふれた草だった。
 だが、12年前に起こった異常気象で、元々寒さに弱かったその野草は、
 あっと言う間に絶滅。
 その後も生える事はなくなり、世界から姿を消した。
 残ったのは、民間療法等を目的に採取され、一般市場に出回った、僅かな量のみ。
 元々、特殊な効能を有している草でもなかった事から、存在が稀有になった後も
 特に価値が上がる事なく、その僅かな残りも、何処に出回わっているのか、
 或いは何処に保管されているのか、全くわからなくなってしまった。
 その野草の名は、【アノルマル】。
 フェイルは、とある理由から、そんな『価値なき稀有な野草』を探している。
 だが、能動的に探索しても、名のある薬草店には絶対にない事もあり、まず見つからない。
 だから、待つ。
 市場の何処かに沈殿しているかもしれないその草が、自分の店に回ってくるのを。
 実績もなく、顧客も少ない小さな薬草店になら、その無価値の薬草が
 届けられるかもしれない。
 それが――――フェイルが薬草店を構える理由。
 フェイルが薬草士として生きる理由だった。
「……どうしたんですか?」
 暫く考え事をしていたフェイルに、ファルシオンが怪訝な目を向ける。
 既に、フランベルジュは姿を消していた。
「何でもない。ところで、フランベルジュは兎も角、リオグランテも
 店を手伝う気、ないのかな」
「手伝われても困る気もしますが」
「まあ、そうだけど……って言うか、もう完全に店側の目線に立ってるよね、ファルシオンは」
 嘆息交じりのフェイルの言葉に、ファルシオンは暫し虚空を眺める。
 そして、その対応に眉を潜める薬草店店主に対し――――
「ファル、と呼んで下さい」
 そんな発案をして来た。
「……へ?」
「他の二人はそう呼んでいるので。一人だけ違うと、妙に違和感があります。
 リオの事もリオ、フランの事もフランと呼んで下さい」
 唐突な呼称の変更要求に、フェイルは潜めていた眉を更に潜め、
 思案顔を作る。
 他人を愛称で呼ぶ――――その行為は、かつて王宮でクトゥネシリカに対して
 半ば強引に行っていた事。
 それだけに、狼狽を生んでいた。
「元々、リオが言い出したんです。愛称で呼び合う事で、連帯感を図ろうと」
「僕と連帯感を図ってどうすんの? 勇者一行に加える気じゃないよね」
「それも面白いかもしれません」
 冗談を言う表情ではないが、ファルシオンはそんな軽口を叩いた。
「ただ、私達勇者一行が今まで旅をしてきて、そしてこれからも旅を続ける中で、
 ここまで一処に留まると言う事は、きっとないと思います。ですから、
 このお店と貴方は、私達にとって既に特別な存在なんです」
 その声は、熱を帯びてはいなかった。
 淡々と、そして冷然と。
 だが、その内容は妙に人間味を帯びた、バランスを欠いた発言だった。
「……わかったよ、ファル。これで良いの?」
「はい」
 ファルシオンは笑わない。
 ただ、風の吹く【ノート】の前で、二つの尻尾を作ったその髪を静かに揺らしていた。
「さて。それでは、中に入りましょう。二人が資金繰りをしているとは言え、
 このお店の経営を健全化するという目標は変わりませんから」
「そうだね。今のままじゃ、確実に潰れるからね……はぁ」
 アニスによって、僅かな期間だがゲテモノ料理屋と化した【ノート】の評判は、
 今や地に落ちていた。
 何度もコロコロ経営方針を変える、末期の店舗。
 レカルテ商店街内でも、そんな評判になってしまっている。
 フェイルの目的と、【ノート】を大手の薬草店にする事は、合致しない。
 ただ、存続しなければ、意味がない事も確か。
 つい先日も、裏の仕事で【ウエスト】から得た報酬を全て、封術士の探索に
 使ってしまった。
 窮地に立たされている状況だが、フェイルには一つの悔恨もない。
 敢えて言うなら、その前の仕事の――――
「……ん?」
 店の扉に、何かが挟まっている事に気付き、フェイルは左目を閉じた。
 刹那――――眩暈に襲われる。
 ここ数日、視界がぼやける事が何度かあったが、それがやや症状を増していた。
 それでも、次の瞬間には『鷹の目』の平常の視界に戻る。
 その視界に収まったのは、羊皮紙。
 それも、かなり高級な羊皮紙が挟まっていた。
 それを確認した瞬間、フェイルは反射的に視線を動かし、上空を見上げる。
 だが、視界に広がるのは青空のみ。
『草』ではなく『紙』、『落ちている』ではなく『挟まっている』時点で、
 その行為が無意味だった事をわかっていながら、思わず出してしまった反射的行為に、
 溜息が落ちる。
 そして、その息で微かに揺れた紙を取り、ファルシオンの目が届かないよう、
 懐へと仕舞った。






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