「貴族のお嬢様は、アルマさんの所に来ていない。登録をしていない。だよね?」
 コクリと頷くアルマを視界の端に納め、フランベルジュは小さく嘆息した。
「そりゃ、そうでしょ。家出なんだから。わざわざ身元が割れかねないような事、
 する訳ないじゃない」
「ところが、ここではそんな事はない。だよね?」
「そうだね。ここは表での身分に関しては、一切問われないからね」
 アルマの回答に、ファルシオンも頷く。
「まして、リッツ嬢に付き添っていたのは、使用人であり、元騎士。リッツ嬢の
 身の安全を第一に考えるなら、敢えて登録をしないと言うイレギュラーな存在に
 なる事に、メリットはありません。そして、自由意志とは言え、暗黙の了解である
 管理制度と言う規律にも似たこの約束事を、元騎士の人間が無視すると言うのも、不自然です」
 つまり――――
「何か理由があって、嘘デタラメを並べ立てた、って言いてーんだな? アロンソ共々」
 それまでずっと壁際で沈黙を守っていたハルが、ここで口を開いた。
 ハルにしてみれば、自分の仲間を非難されている状態。
 面白い筈がない。
 だが――――その顔は、険しさなど微塵もなく、寧ろ揚々としている。
「僕はそう判断した」
「私もです。それに、私達が『カシュカシュ』で聞いた証言とも、明らかに食い違います。
 もし使用人の話が本当なら、リッツ嬢が単独で行動する理由はありません。
 それに、リッツ嬢があの使用人に恋をしていると言うのであれば、情報の出所を明かさない
 と言うのも、行動原則に反していると思います。秘密を共有したがる方が、自然です」
 そんな二人の言に、フランベルジュもようやく納得したのか、小刻みに頷く。
 そして、ハルもまた。
「で、アロンソの仲間であるトコロのこの俺に、真実を聞きたい……そう続くワケだ」
「いや、特には。もう解決したんだし」
「何でだよ! 聞けよ! 俺ならお前らの疑問を解消する真実を知ってるだろ! きっとさ!」
 被せ気味のフェイルの返答に、剣士は憤慨した。
「何故自分の事に対して、観測的表現を使用しているのかはわかりかねますけど、
 アロンソ隊の一員である貴方が、本当の事を話す保障はありませんから」
「要するに、信用ゼロって事よ。当然でしょ?」
 女性二名に冷たい目を向けられ、ハルは口元を下げて遺憾の意を示していた。
「ったく、捻くれた連中だな。ま、確かに話せねー事も多々あるけどよ。基本的には、
 お前らの考えで間違ってねーよ」
「信憑性もなければ、何の進捗もない発言ね」
「うるせーよ! 人が親切で採点してやったんだから、感謝されはしても
 卑下される謂れはねーだろがよ! おいフェイル! お前店員にどう言う教育してんだよ?
 こんな店員がいる店に誰が来んだよ。気の弱いヤツだったら吐くぞ?」
「誰が吐くって!? 人を何だと思ってるのよ!」
「どのツラ下げて言ってんだテメーこの!」
 余りに幼いケンカが始まったので、他の三名は揃って外へと避難した。
【メトロ・ノーム】の夜は、相変わらず暗い。
 余りに暗すぎて、未来さえ見ないほどに。
「改めて言う事でもないのかもしれないけど、不思議な場所だよね、ここ」
 地下水路がある以上、その空間に人が住むと言う発想は、決して突飛ではない。
 だが、普段自分達が生活しているその真下に、もう一つ居住空間があると言う
 事実は、実際に数日間目にし続けても、中々現実味を帯びない。
 フェイルは、そんな日々をまるで夢の中にいたような感覚で振り返っていた。
 そして――――ふと思う。
「アルマさん。管理人にこう言う事を聞くのは野暮なのかもしれないけど……」
「野暮かどうかは、聞いてから考えるよ」
 隣に佇む、独特な雰囲気を持った麗人に、フェイルは軽く頷き、疑問を述べる。
 それは、恐らくはここへ来た誰もが思う事だった。
「何で、管理人なんてやってるの?」
 その問いを受け、ファルシオンもアルマの方へ視線を向ける。
 家の明かりが漏れている為、顔の動きがわかる程度の明度はあったが、
 元々感情を読ませる表情は一切見せない為、そこから意図を読み取る事は出来ない。
 フェイルは疑問を続けた。
「能力があるのは、理解してる。きっと、貴女にしか出来ないんだろうと思う。
 でも、それでも、ずっとこの地下に留まって、人の出入りや夜の訪れを管理するなんて、
 わざわざやる必要はあるのかな、って思って」
 ここは、自由都市。
 誰かに強制されて何かを行う人間はいない。
 フェイルは、アルマ本人に何度もそう聞かされていた。
 つまり、管理人と言う、職かどうかもわからない役割は、彼女の意思。
 アルマの希望で、担っている事になる。
「あるよ」
 それを裏付けるように、絶世の美女はその端整な顔を小さく砕き、首肯した。
「ここは、護らないといけない場所だからね」
「護る……? 誰かが侵略を企てている、と言う事なんですか?」
 今度はファルシオンが問う。
 彼女も彼女なりに、この地下世界に対して思うところがあったのだろう。
「今のところは、そう言う動きはないのかな。でも、これからどうなるかは
 わからないからね。此方はこの【メトロ・ノーム】が故郷なんだよ。
 だから、ここは此方が護りたいと思うんだよ」
 この、青空も雲も、太陽も見えない世界が、アルマ=ローランにとっては
 唯一無二の故郷。
 幼き日々の面影が投影された、懐慕の情景。
 人は誰もが、それを追い続ける。
 フェイルは――――この【メトロ・ノーム】に、何か大きな秘密があるのでは
 ないかと、そう踏んでいた。
 以前、【アルテタ】へ赴いた際、『流通の皇女』スティレットの館は
『宝物庫』と形容されていた。
 同じような事が、この【メトロ・ノーム】にもあり得るのでは、と。
 だが、それをここで追求する事は、フェイルには出来なかった。
 故郷を護る――――それ以上の回答は、この世の誰もが持ち合わせてはいないのだから。
 秘密は、秘密のまま。
 もし必要なら、その時に調べれば良い。
 ファルシオンも同じ思いだったのか、或いは空気を読んだのか、それ以上の
 追求をする事はなかった。
「……もう、行くのかな? 違う空の下に」
 星なき夜空を見上げ、アルマがポツリと呟く。
 それは、フェイルに向けられた言葉だった。
「うん。上に店を構えてるから、行かないと。これでも、店主なんだ」
「殆どお客のいない、暇がお仕事のお店ですけど」
 クスリと笑うでもなく、皮肉めいた口調でもなく、ごく自然なファルシオンの
 補足に、フェイルは思わず人差し指を曲げ、そのおでこに向けて弾いた。
 会心の一撃――――
「……痛いです」
「余計な事は言わなくて良いの」
 そんなやり取りは、数日前まではあり得なかった。
 無論、そんな微細な変化など、知る由もないアルマは―――― 
「仲が良いんだね」
 先程よりは大きい音量で、そう漏らす。
 それに対し、反応を示したのは――――
「正直、良好と認識した事は一度もありません。寧ろ、アルマさんとフェイルさんの方が
 明らかに仲睦まじいんじゃないでしょうか?」
 二つの尻尾を頭に下げた魔術士だった。
「良いのかな。自分の事は良くわからないよ」
「僕としても、どう答えて良いものか」
 アルマの性格は、少ない接点ながらもフェイルの中である程度固まっている。
 だが、自分が他の異性と比べ、優遇されているとか、親しみを込められていると言う
 実感は、比較対象がバルムンクとハルくらいしかいないので、余りない。
 そのバルムンクが『アルマはテメェを気に入ったようだ』と言う発言をした事は
 はっきりと覚えていたものの、アテになるものでもなかった。
「でも、また来て欲しいな。二人にも、あと、中の……金髪の女の人も」
「二人ほど抜けてるけど……ま、良いか」
 取り敢えず、フランベルジュの気遣いはアルマに届いていたらしいと言う
 情報を手に、フェイルはしっかりと頷いた。
「勿論、来るよ。約束を果たしに。腕の良い、封術士……だったっけ。それを連れて来て、
 一日代役を務めて貰うとか、色々方法はある筈だから」
「そうだね。約束は、守って貰えると嬉しいかな。でも、それに拘らなくても
 別に良いよ。気軽に来てくれると、もっと嬉しいかな」
「了解。打ち合わせもかねて、ちょくちょく顔を出すよ」
 そんな二人の会話を――――ファルシオンは暗闇を纏い、静かに聞いていた。
 

 そして、翌日早朝。
「……はぁ。どうして俺、こんなに出会う女出会う女、総じて性格が悪りーんだ。
 一回、腕の良い占い師にでも女運見て貰うしかねーかな……」
 まず、ハルが一足先に、嘆息交じりに出発。
 フェイル達は、それを特に見送るでもなく、アルマ手作りの朝食と対峙していた。
【メトロ・ノーム】には、基本的に肉類や農作物のような食材はない。
 地上の食材を、『配達人』が直接売りに来る。
 アルマの収入源に関しては、フェイルは特に聞く事はしなかったので不明瞭だが、
 何らかの形で資金は所持しているらしく、その配達人から仕入れたと言う鶏胸と野菜を
 中心に、豪華絢爛な見た目の料理がテーブルに並ぶ。
 何種類もの香草と調味料を駆使してソテーにしているらしく、色鮮やかで、香りも豊か。
 かなりの力作だ。
「今日でお別れって訳じゃないけど、まだしっかりおもてなしをしてなかったからね。
 気合を入れて作ってみたよ。上手く出来てると思うんだけど、さっきから
 ずっと睨めっこしたままなのは、やっぱり此方の料理の腕を疑っているから、なのかな」
「そ、そんな事はないのよ。ちょっとホラ、朝にしては重いかなー、とか……
 じゃなくて! ああもう、頂きます!」
 フランベルジュは、色々と逃げ道を模索したものの、結局見つけきれず、
 特攻と言う選択肢を採った。
「……」
 結果、顔が一瞬で蒼褪めた!
「ど、どうして……? 辛いのに、酷く辛いのに、寒気がする……こんなの、
 今まで経験した事がない……これは何なの? 私、死んだの?」
「生きてます。ただ、顔色は生きているのが不思議なくらいです」
「確かに……何かに血を大量に吸われたみたいな顔色だね……」
 ガクガクと震えるフランベルジュと、それを怯えた様子で眺める
 フェイルとファルシオンの三名を眺めながら、アルマは悲しそうに身を縮めていた。
「……美味しくなかったんだね」
「そ、そうじゃないのよ。別に不味い訳じゃなくて、なんて言うか、別の世界と言うか、
 不思議系? じゃなくて、辛味と酸味とが鍔迫り合いしてる最中に、空から
 巨大な氷が降って来た、って言うか」
「……美味しくなかったんだよね」
「そ、それは……」
 フランベルジュは、落ち込むアルマに対して言葉を見つけられず
 口の中の味覚も一向に落ち着きを見せず、かなり焦っていた。
 そんな料理を、何気にフェイルは口に入れる。
「あれ……僕、食べられる。香草が複雑に絡んでて、意外と高等な味付けかも」
「え゛!? どう言う味覚してんのよ! 幾らなんでも無理でしょコレは!? ……あ」
 普通に食事を続けるフェイルの傍らで、アルマは涙を浮かべ、
 フランベルジュに対して拗ねた目を向けていた。
「……酷いよ」
「ああっ、御免なさい! 今のは言葉のアヤって言うか……ファル! こう言う時の
 フォローは貴女の仕事でしょ!? どうにかして!」
「無理です。自分でお願いします」
「私がそういうの苦手なの知ってて言ってるのよね!? ああっ、落ち込まないで!
 私が悪かったから! いっぱい謝るから、許してってばーーーーっ!」
 女性剣士の悲鳴が響く中、ファルシオンがこっそりと口元を緩ませる。
 その稀有な瞬間を、フェイルは最後の一口を頬張りながら、苦笑交じりに眺めていた。


 日の出のない、そんな朝の事。


 ――――それでも眩しく輝く、そんな朝の事。





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