生物の緊急避難と言うのは、敵に背を向けて逃げると言うのが通例。
 それを捻じ曲げたのは、紛れもなく――――接近戦の訓練を繰り返した
 あの王宮での鍛錬の日々。
 暴発的な速度で接近するバルムンクに対し踏み込むと言うのは、言うなれば
 暴走する馬車に正面から飛び込むようなもの。
 それは確実に虚を突いた。
 が、バルムンクに対して超接近戦で有効となる攻撃をフェイルは持っていない。
 選択肢は一つ。
 体当たり――――
「……がっ!」
 鈍い音と、悲鳴にも似た声が【メトロ・ノーム】の一角に響き渡る。
 程なくして、フェイルの身体が、宙を這うように飛んだ。
 バルムンクは――――上段の構えを瞬時に解き、体勢を低くし、半身に構え、
 肩を突き出すようにして立っていた。
 それは、体当たりに対しての完璧な対応。
 より大きな身体での『体当たり』だった。
 バルムンクと言えど、1mを切る程の超接近状態で、巨大な剣である
 デストリュクシオンで有効打を放つのは至難。
 フェイルのカウンターとも言える体当たりは、その狙いがあってこそのもの。
 しかし、バルムンクはそれを読み、瞬時に対応した。
 奇襲は、読まれれば一瞬で悪手。凡策と化す。
 体格差のあるフェイルとバルムンクの正面衝突は、フェイルにとって
 余りにも分が悪すぎた。
 吹き飛ぶフェイルを一瞥し、バルムンクはトドメの一撃を加えるべく、
 下半身に更なる力を加える。
 地面に倒れ込んだフェイルまで一気に接近し、腕の一本、或いはどちらかの肩を砕く。
 そう言う算段を抱いていた――――が。
「くっ……!」
 フェイルは、倒れ込まなかった。
 限界まで崩れた体勢を、それでも一つ一つ、細い糸で繋ぎ合わせるかのように
 バランスを整え、地面を何度も何度も爪先や踵で叩き、泳ぐように空気をかいて、
 そして――――耐えた。
 倒れなかったのには、理由がある。
 当然、バルムンクの追撃にたいする対応をする為と言うのも、一つ。
 そして、もう一つ。
「曲芸の域だな。だが、無意味だろ?」
 再び突進を試みようとするバルムンクに向けて、フェイルは弓を引いた。
 そして、躊躇なく矢を放つ。
 正面からの、工夫なき射撃。
 それは一矢目に放った攻撃と全く同じだった。
 ならば当然、当たらない。
「今更こんな……――――」
 その筈だった。
 少なくとも、バルムンクにとっては。
 油断はない。
 詰めの一歩手前であっても、その矢に意識を集中させ、剣で払う。
 そうするだろう――――そう、フェイルは読んでいた。
 だからこそ、意味があった。
 一矢目にも。
 そして、二矢目にも。
 確実に、意味はあった。
「――――」
 大隊長が声に詰まる。
 まるで時間が止まったように、一瞬身体を竦ませ、思考が停滞する。
 バルムンクの目の前では、想像もしない事態が起こっていた。
 フェイルの放った矢が――――ほんの一瞬、消えた。
 ただそれは、消失した訳ではない。
 何かがそれを遮った。
 上空から落ちてきた、何か。
 それは。
「フザ……けろよテメェ!」
 その答えを、バルムンクは一瞬探した。
 それが脳の硬直、そして身体の硬直を生んだ。
 遮ったが地面に『刺さり』、再び目の前に矢が現れる。
 その時には、矢は既に回避不可の地点まで迫っていた。
「……だラァ!」
 それでも、【ラファイエット】の大隊長を勤める男の身体能力は、
 鋭い反応を可能とする。
 避けられない。
 払えない。
 それでも――――防ぐ。
 バルムンクは、剣の柄頭で、矢を弾いた。
 神業。
 そう呼ばれるに相応しい防御法。
 流石の剣豪も、その成功には安堵を覚える。
 だが――――直ぐにその目は危機感で染まる。
 正面にいるフェイルは、もう次の一射を構えていた。
「その防御の仕方は、一回見た」
 驚くには値しない。
 だから、フェイルは自然な、そして滑らかな予備動作で、矢を放った。
 追撃――――だが、今度は先程のような『天からの奇襲』はない。
 その事実に、バルムンクは一瞬だけ気を緩めた。
 それは、先程の柄頭での防御が布石になっていた。
 全ては繋がっていた。
 そう――――全て。
 満足の行く弓を作り上げ微笑む、育ての親の姿。
 能面のような無表情で、手を差し伸べる騎士の姿。
 大きく手を振り見送る、弓兵達の姿。
 通り過ぎても尚、支え続けてくれた全ての場面が、一列に繋がっていく。
 バルムンクまでの空間を埋めるように。
 ここを撃てと言わんばかりに。
 この一射。
 この一瞬を貫く、その為に――――
「ンだっ……!?」
 バルムンクが目を見開く。
 フェイルの放った矢は――――先程や一矢目より遥かに速かった。
 それでも、平常時ならばバルムンクの反応速度の前には無力の筈だった。
 だが。
 先入観が。
 精神の不安定さが。
 そして、先程までの速度に慣れた目が。
 大隊長を絡め取った。
「……ッ!」
 ――――風が、疾走る。
 這うように大地を払い、そして地平線なきこの世界を通り抜ける。
 矢は。
 バルムンクの。
 ――――右腕を少し抉る程度に掠め、地面に落ちた。
 これだけ積み重ねても尚、直撃は許さない。
 バルムンクは紛れもなく、怪物だった。
「……」
 だが、その怪物は自身の右腕を睨み、険しい顔のまま、微動だにしない。
 フェイルもまた、動かない。
 暫し沈黙が支配し、先にそれを破ったのは――――
「……くく……ははははは!」
 バルムンクの笑い声だった。
「やるじゃねぇか。まさか、あの撃ち上げた矢を奇襲に使うたぁ、な」
 二矢目の、滑り込みながら射た矢。
 それこそが、バルムンクを硬直させた『天からの奇襲』だった。
 射た時点で奇襲である事が、更なる奇襲への布石と言う可能性を
 バルムンクから奪った。
 何より、自分が撃ち上げ、そして再び落ちて来る矢を計算して
 次以降の射撃と重ねると言う攻撃など、想像出来る筈もない。
 実際、これを実現する事は、相当な修練を重ねた射手でも不可能に近い。
 撃ち上げた矢が最高到達点に到達した瞬間を、【鷹の目】で完璧に確認出来る
 フェイルだからこそ、矢が落ちて来る瞬間を秒単位で推算できた。
 仮に少しズレても、落ちて来る矢が敵の気を逸らせる役割を果たせばそれで
 問題はないが、バルムンクが相手となると、それだけでは足りない。
 落ちてきた矢が、放った矢と重なるくらいでないと、隙は作れない。
 そう思ったからこそ、フェイルは無理をして接近戦を試みた。
 バルムンクを誘導し、位置関係をコントロールしやすい接近戦を。
 自分の持ち得る技術を総動員し、頭をフルに稼動させ、この闘いに挑んでいた。
 だが――――
「それでも、掠り傷しか負わせられない」
 その成果は、必ずしも上々ではなかった。
「だが、あの矢に毒が塗ってるとしたら、俺は早急に手当しなきゃなんねぇな」
「塗ってないよ、毒なんて」
 バルムンクの言葉に、フェイルは正直に返す。
 本来なら、沈黙するなり、不敵な笑みでも零すなりするべき場面。
 だが、それは出来なかった。
『弓兵』として闘ったフェイルには。
「それが正しい保証なんて何処にもねぇ以上、俺は撤退せざるを得ねぇ。
 特に最近、遅効性の毒が安価で出回ってっからな。
 本来、テメェはここで仕留めておいた方が、後々良いのかもしれねぇが……
 俺はここで殺しはしねぇし、くたばるワケにもいかねぇ。
 手打ちにさせて貰うぜ」
 バルムンクは、意味深な発言の後、あっさりと撤退を宣言した。
 実際、毒への懸念もない訳ではないのだろうが――――それ以上に、この闘いに
 勝利する必要性を然程感じていないんだろうと、フェイルは邪推していた。
 実際、この闘いにおける双方の目的は、既に達成されている。
 無理に勝敗を決める理は、最早何処にもない。
「でも、治療だったら施療院に行くつもりなんでしょ? 僕としては、それを止める為に
 闘ってたつもりなんだけど」
「生憎、ヤブ医者の世話になる気はねぇよ。ギルドに戻れば医者くらいはいっからな。
 にしても、最後の矢……目で追うのに精一杯の攻撃なんざ、久々だったぜ。
 俺が今まで見てきた射手の中でもピカ一だ、テメェは。次があるなら気をつけねぇとな」
 そう屈託なく言い放ち、【ラファイエット】の大隊長は笑った。
 屈辱感など微塵もないその笑顔と、含みを持たせる言葉に、フェイルは思わず顔をしかめる。
 元々、殺す気はないと明言していた――――にも拘らず、あれだけの殺気を放った事も、
 引っかかる部分ではあった。
 つまり、まだまだ本気とは程遠い――――そして、近い将来、本気のバルムンクと闘う事になる――――
 そう言う懸念が渦を巻き、嘆息を禁じ得ない。
「で、だ。撤退の前に、テメェに一つ質問がある」
 そんな俯き加減のフェイルに、バルムンクが顔を整えて問い掛ける。
「管理人ちゃんは何処に行った? どうも施療院じゃねぇみたいだが」
「……まさか、アロンソ隊が目的なんじゃなくて、アルマさんを追いかけてた?」
「言っただろうが。アロンソはついでだ。令嬢失踪事件なんざ、俺個人は大して関心ねぇんだよ」
 つまり。
 フェイルは、読み違いでこの化物と戦り合ったと言う事だ。
「……なんだかなあ」
 押し寄せてくる脱力感に、大きく息を吐く。
「ま、あくまで個人の心情だ。施療院に管理人ちゃんがいなきゃ、そこでテメェらの
 懸念してた事をしたまでよ」
 それは――――フェイル達の行動が単なる失態ではなく、誘導されていたと言う事を意味する。
 アロンソの行き先としてファルシオンが明言した『施療院』が、実はバルムンクを
 陥れる罠であったなら、フェイル達がここへ駆けつける事はなかった。
 ロッジで最後に見せた敵意には、その確認の意図があった、と言う事だ。
 それを聞かされ、フェイルは改めて、目の前の巨大な筋肉の塊が
 戦闘に特化した存在ではない事を認識した。
「アルマさんは、家に帰ってる最中だよ」
「護衛はつけてんのか?」
 それまでの温和な顔から一変、バルムンクの顔に険が浮かぶ。
 フェイル達と同じ懸念を抱いている――――そう言う表情だ。
「勇者一行の剣士と、ハルって言うアロンソ隊の剣士が」
「ハル? ああ、アイツか。んじゃ、魔術士の奇襲は心配不要だな」
 何故、魔術士限定なのかフェイルにはわからなかったが――――それを聞く空気でもないので、
 フェイルは別件を口にする事にした。
「護衛を付ける事が却って危険になるなんて、知らなかったんだ。
 アルマさんに会う機会があったら、僕が謝ってたって言っといてよ」
「あ? 変な事言ってんなよ。危険が伴うにしても、レディを一人で家に帰すなんてのは
 論外だろうが。何にせよ、その言伝は管理人ちゃんの好感度アップに繋がりかねねぇから、却下だ」
 意味のわからない理由で、バルムンクはダメ出しした。
「じゃ、自分で言うよ」
「待て。そっちのがアップしそうじゃねぇか。俺が言ってやっから、テメェは言うな」
「……別に良いけどさ。それより、治療は良いの?」
「おっと。そうだった」
 バルムンクは、矢の掠めた腕を眺め、苦笑する。
 既にその断面から、ある種の確信を得ている――――そう言う顔で。
「ま、何にしても、俺は暫く療養だ。令嬢事件はテメェらが解決しときな」
「良いの? アロンソ隊と対立してるんでしょ?」
「【ウォレス】の連中はいけ好かねぇが、アロンソの野郎がシナウトの可能性は殆どねぇ。
 連中は保守派だからな。偽紳士野郎とは対極の存在なんだよ」
 それは、バルムンクがアロンソ――――【ウォレス】の隊長より、シナウトの方を
 より敵視している事を意味していた。
 或いは、危険視――――
「その代わり、テメェに二つ言っておくぜ。今後もアロンソと手を組むのは止めとけ。
 偽紳士野郎の傀儡なんて、ロクなもんじゃねぇ」
「……もう一つは?」
「管理人ちゃんに色目使ったら、今度は全力で相手してやっから覚悟しとけ。じゃあな」
 フェイルの返事を待つ事もなく、バルムンクは駆け出した。
 その足取りはやたら軽い。
「……怪我を口実に、アルマさんに看病して貰うつもりなのかな」
 一方、フェイルの方は全身が途方もない疲労感に包まれていた。
 バルムンクに受けたダメージは、額を掠めた突きと、体当たりのみ。
 にも拘らず、あちこちが悲鳴をあげている。
 走り込みは毎日行っているが、それでも全盛期ほどの体力はない。
 そして、体当たりがかなり利いていた。
 肩同士のぶつかり合いとなったが、フェイルの左肩はどんどん腫れあがって来ている。
 明日には、かなり辛い状態になっているだろう。 
 だが、それ以上にフェイルを蝕んでいるのは、気疲れ。
 一つ一つの攻防が命懸けだった。
『試合と殺し合いは、似て非なるものだ。重圧の種類も違う』
 そんな、師の言葉が脳裏を過ぎる。
 それは紛れもない事実だと、ここに来て実感する事が出来た。
 恐らくは、最初で最後の。
「……ま、これで良かったのかもね」
 誰にともなく、フェイルは呟く。
 それは、長年挑み続けた夢への鎮魂歌だった。
 時代遅れと揶揄された武器、弓矢の復権――――その夢は、2年前、王宮内で打ち砕かれた。
 そして、月日は流れ。
 夢の欠片は、フェイルの中で微かに残り続け――――
 その輝きは、バルムンクと言う怪物の目を惹いた。
 そして、 全てをぶつけた。
 親代わりの男の為に、懸命に修練を重ね、工夫を凝らし、闘ってきた日々の終着点。
 弓を愛し、矢を愛し、それを使う仲間達を愛した日々との決別。
 ようやく、本当の意味で夢は潰えた。
「あっちです! あ、いた! フェイルさーん! 援軍連れて来ましたー!」
「……うう」
 そして、数人を引き連れ砂煙を立ち上げる勢いで駆けて来る勇者と、
 その遥か後方で死人のような表情になりながら、それでも一刻も早く駆けつけようと
 走る魔術士の姿を右目で確認しながら、確信する。
 取り敢えず――――それでも、自分に意味はあるのだと。






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