霧中を切り裂く疾風と化した矢は、寸分の狂いもなく、フェイルの設定した的へと
 一直線に推進して行く。
 だが、それはバルムンクの反射速度を上回るものではない。
「……ほう」
 まるで周囲を舞う羽虫を払うかのような所作で、鞘に収めたデストリュクシオンを
 粗雑に振り回し、矢を弾く。
 高速で飛んでくる矢を剣で防ぐと言う事自体、かなり高難易度な防御方法なのだが、
 バルムンクはそれを苦にもせず、自然な動作で行える。
 それは――――彼の戦闘能力の一端を表すと共に、二人の実力差を如実に示していた。
 だが、フェイルに焦りの色はないし、バルムンクにも優越感は微塵も出ていない。
 それは、どちらにとっても織り込み済みだった。
 それでも、フェイルは足止めを敢行し、バルムンクもそれに応じるように
 この場に留まっている。
 成立している理由は、一つ。
 バルムンクの好奇心だ。
「弓で剣を越える……か。デカイ口叩くだけはあるじゃねぇか。俺のギルドに
 これだけ鋭ぇ射手はいやしねぇ」
「随分と説得力ない事言うね」
 そう答えるフェイルの顔には、屈辱感は全くない。
 実力に開きのある相手と対峙する経験に関しては、かなり豊富だった。
 それ故に、対処法もある程度は確立させている。
 実を結んだ事はなかったが――――それでも、フェイルは一つ息を吐き、
 それを実行に移した。
 格上を敵にした場合、正面衝突で勝てる可能性は皆無。
 当然、策を弄する必要がある。
 だが、その策に定型はない。
 重要なのは、敵の戦力を殺ぐと言う、その一点だ。
 身体的なペナルティを与えられるならば、それが最も有効だが、
 現実としてそれは難しい。
 そうなれば、精神面に特化せざるを得ない。
 油断。
 焦燥。
 呆れ。
 様々な感情の乱れを呼び起こす事で、動きを鈍らせる。
 戦意を鈍らせ、モチベーションを下げる事が出来るなら、尚良し。
 道化を演じてでも、その戦果を勝ち取る――――それくらいの覚悟がなければ
 格上相手には勝てないのが、戦場の鉄則だ。
 だが、それだけでも勝てない。
 その上で更に必要な事は――――虚を突く事。
 敵の裏をかき、予想の範囲を超える。
 これは絶対に必要な事だ。
 そして同時に、それはフェイルの戦闘スタイルそのものでもあった。
「……何ィ?」
 実行に移されたフェイルの行動に、バルムンクは思わず眉を潜める。
 それまで、常に崩さずにいた余裕の構えが、微かに崩れた。
 理由は――――明確。
 フェイルが自身目掛けて走り出したからに他ならない。
 つまり――――接近。
 弓術を謳っていた男が、剣士である自分へ自ら近付いて来る。
 その事実は、当然ながら驚愕を与えるには十分だった。
「チィッ!」
 それでも、バルムンクの身体が硬直したのは一瞬。
 フェイルの接近が不十分な段階で、既に8割方体勢は直る。
 そして、迎撃体制が10割整ったその瞬間――――フェイルは身体を沈めた。
 しゃがんだのではない。
 バルムンクの足元へ向けて、足先を向けて滑り込んでいた。
「……!」
 突然の潜伏――――だが、それでもバルムンクの目はフェイルの沈み行く
 身体を、視界のほぼ中心で捉えていた。
 そして、その目が――――見開かれる。
 フェイルは、地面を滑りながら――――矢を放つ体制をとっていた。
 下半身が使えない、安定もしない、停止状態とは対極の体勢からの『高射』。
 だからこそ、バルムンクは驚きを覚えた。
 弓を持つものにとって、最も重要な事を、なまじ知っていただけに。
 その驚きは、二度目の硬直を生む。
 重なる身体の反射高射に、流石のバルムンクも肉体と精神のバランスを崩し、
 体内における命令系統が乱れ、判断力も鈍った。
 それは即ち――――後手に回る事を意味する。
 フェイルの身体は、既にバルムンクの足元にまで接近していた。
「こ……の小僧……!」
 自身の真下に滑り込んできたフェイルに対し、バルムンクは鞘に収まったままの
 巨大な剣を振り下ろそうと、右腕を隆起させる。
 その腕が稼動する直前、フェイルは地面に躊躇なく肘を叩き付け、
 弓を引き――――矢を放った。
 上半身のみに頼った射撃。
 まして、滑り込みながら。
 威力、速度、精度いずれも通常の6割程度。
 それでも、バルムンクの額に向けて真下から撃ち上げられた矢は、
 正確にその箇所目掛け、風を巻き込むように突き進み――――
「――――……っ」
 そのまま上空へと飛んで行った。
 バルムンクの身体の何処にも接触する事なく。
 外したのではなく、外された。
 バルムンクの身体能力は、完全に虚を突かれ、その身を硬直させても尚、
 至近距離からの矢を回避した。
 皮一枚傷つける事なく。
「……テメェ」
 だが、バルムンクにも余裕はない。
 落胆――――はないまでも、滑り込んだ代償で大きく隙の出来ている
 フェイルに対し、追撃を怠った。
 それは余裕から来るものではない。
 緊張状態にある身体が、稼動に制限を設けていた。
 それを確認しつつ、フェイルは瞬時に立ち上がり、距離を取る。
 そして、そこに留まる事なく、直ぐに足を動かし始めた。
 バルムンクを中心に、円を描くように移動。
 的を絞らせず、敵からの接近を許さない為の動き。
 一対一だからこそ成立するその戦術に対し、先程の攻防で一瞬の興奮状態にあった
 バルムンクの顔に、笑みが浮かんだ。
「成程……成程な。そう言う闘い方か。こいつぁビックリだ。何処の世界にいる?
 弓を握って、接近戦をやろうってバカが……はっはっは!」
 その笑みは、嘲笑や苦笑の類ではない。
 心の底から、歓喜が湧き出るような笑顔。
 まるで頂上から眺める雄大な景色を見た登山家のような笑い顔だった。
「面白ぇ。その弓で俺の剣を越えられるってんなら、越えてみやがれ!」
 言われるまでもない――――心の中でそう返事し、フェイルは弓を引く。
 そして同時に、少なからず覚えている戦慄の収め方を必死で模索していた。
 ――――隙がない。
 どれだけ足を動かして、背中に回ろうと、まるで当たる気がしない。
 バルムンクは、殺気とは全く違う質のものを解き放っていた。
 それは、闘気。
 相手を殺す事を目的とせず、自身の本能、特に好奇心と歓喜を織り交ぜた
 心からの衝動に忠実な形で、精神を集中させている。
 すなわち、自然体。
 だからこそ、野生の動物のような鋭い感覚が備わっている――――ように、
 フェイルの目には映っていた。
 同時に悟る。
 勝負は一瞬。
 一つ手を誤れば、自分の無残な姿がこの地に刻まれる。
 それ程に膨大な危機感が、フェイルの身体にまとわりつくように漂っている。
 身体能力は、バルムンクが遥かに上。
 大柄であっても、フェイルより遥かに俊敏に動ける事は間違いない。
 デストリュクシオンは依然として鞘に収まっているが、もしそれを全力で
 振り下ろされれば、頭が跡形もなく潰れてしまうだろう。
 そんな相手に、弓使いのフェイルが勝算を捻り出すとすれば――――
「!」
 その右目が一瞬、上空に向く。
 それが、合図となった。
「死ぬんじゃねぇぞ!」
 まるで爆発音にも似た、バルムンクの地面を蹴る音が唸り――――
 一瞬にして、フェイルとの距離を縮める。
 直進を避ける為の断続的な横移動も、意味を成さない。
 バルムンクの突進は、正確にフェイルの一瞬先の位置に向かっていた。
 そこへ吸い込まれるように移動するフェイルの身体が、ぶれる。
「――――っ」
 息を噛み切るようにして、フェイルは――――前進した。
 突進してくるバルムンクへ向けて。
 だが、今度はバルムンクの顔色は変わらない。
 それも予想の範疇と言わんばかりに、口の端を釣り上げ、鞘入りの剣を寝かす。
 振り下ろすのではなく、薙ぐ。
 その予備動作に、フェイルは即座に反応した。
 そして――――飛ぶ。
「……おおっ!?」
 思い切り膝を曲げ、跳躍したその身体は、綺麗な直線を描いたバルムンクの
 薙ぎ払いを辛うじてかわした。
 その視界に、必要以上に屈めたバルムンクの脚が映る。
 もし、下に避けていれば、その膝の餌食だっただろう。
「てっきり、また滑り込むと思ったが……やるじゃねぇか」
「私語が多いね。どうにも」
 着地しがてら、フェイルは直ぐにバルムンクと距離を取った。
 が――――それを許す筈もなく、再び地面が砂埃を上げる。
 今度は、突き。
 鞘に収まったままの剣でも、その威力は十分に窺える。
 フェイルはバックステップで対応する――――が、想像以上の伸びで
 迫ってくる鞘の先に、足の運びが間に合わない。
「……つっ!」
 それでも、強引に上体を反り、額に掠る程度で抑える。
 ただ、その掠った箇所は直ぐに痛みを生じ、まるで焦げたかのように 
 皮膚が爛れた。
「大したモンだ。俺の攻撃をここまで回避したヤツぁ、久々だ。
 それが弓使いなんて、誰が信じるだろうな。でも、ま……」
 どうにか体勢を整えるフェイルに対し、バルムンクは追撃を行わず、
 その場に留まり、仁王立ちする。
 それは、温情でもなければ、一息吐いた訳でもない。
「次で終わりだ」
 気を入れ替えた――――そう表現するのが最も相応しい、如実な変化が現れる。
 以前、フェイルが見張り塔の上で浴びた、膨大な殺気。
 それすらも凌駕する、まるで暴風でも巻き起こったかのような錯覚に、
 フェイルは思わず息を呑む。
 一瞬、そこにいるのが本当に人間なのかを疑いたくなるほど。
 身体も、間違いなく一回り大きくなっていた。
 筋肉が軋む音が聞こえてきそうなくらいに膨張し――――
 デストリュクシオンを握る手が、数多の血管を浮かび上がらせている。
 その刹那。
 フェイルは、師の姿を思い出していた。
 似ても似つかない、剣士としてのタイプもまるで異なるそのフォルムが、
 今目の前にある殺気の塊と重なる。
 エチェベリア国随一の実力を有した騎士と。
 フェイルは――――
「……何を笑ってやがる?」
 そう指摘されるまで、自分の表情の変化に気付いていなかった。
 無自覚の笑みは、懐古の念――――ではなく、純粋な歓喜。
 ただ、これから始まる戦闘に対する期待や悦楽ではない。
 かつて叶わなかった夢の残骸が、心の奥底で薄く、鈍く、それでも
 確かに輝いている。
 その光が、フェイルの右目に宿った。
「面白ぇ。そのクソ度胸……買った!」
 瞬間、バルムンクの身体が弾けた。
 それまでの動きとは全く異質の速度。
 フェイルは――――反応出来ない。
 だが、動いていた。
 バルムンクの突進に対応した訳ではない。
 殺気の感覚が変化した事で、危機を察知し、右へと跳んだ。
 その身体が僅かに右へズレたその時――――その場で『爆発』が起こる。
 魔術の類ではない。
 鞘に収まったデストリュクシオンが、地面に叩き付けられた事で発生した
 地面の崩壊。
 それが巨大な衝突音と衝撃波、そして砂煙を生んだ。
「……っ」
 弾け跳ぶ無数の『地面の欠片』とも言うべき飛礫が、フェイルの身体、更には
 顔面を襲う。
 反射運動の発動――――二つの目を瞼が覆った。
 その隙を、バルムンクは見逃さない。
 時間にして、果たしてどの程度のものなのか。
 フェイルの目が再び開いたその時には、バルムンクは既に上段に構え、
 振り下ろす体勢を完全に整えていた。
 その時点で、まるで巨大な鋼鉄の塊が天から降ってきたかのような
 とてつもない圧力が、身体に言いようもない圧迫感を与える。
 誰もが、それを傍観するしかない――――そんな、致命的な光景。
 それを視界に納め、フェイルは。
「!」
 半ば反射的に、踏み込んでいた。





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