例えば、そこに重厚な扉があるとする。
 その扉は、鍵を使えば簡単に開くのかと言うと、必ずしもそうではない。
 鍵を掛けずとも、その扉には『そこにある』と言うだけで、大きな存在感が生まれる。
 まるで、その扉の向こうに『仰々しい何か』があると、そう暗示しているように。
 そうなってくると、その扉を潜る事に対して、少なからず抵抗が発生すると言うもの。
 本当に、踏み込んでいいのか?
 この中へ入って、果たして無事でいられるのか?
 そんな懸念、不安、そして恐怖が、自然と発生する。
 今、ここに在るバルムンクを何かに例えるとすれば――――そんな表現なのかもしれないと、
 フェイルは階段を下りながら考えていた。
「随分と品の良い拠点じゃねーか。羨ましい限りだぜ」
 そのバルムンクは、機嫌の良さそうな顔で、ロッジの全方位を眺めている。
 獰猛な肉食動物が迷い込んできたような違和感――――は、今のところない。
 フェイルがその訪問に気付かない程、バルムンクは気配を抑えていた。
「……用件は?」
 そんな来訪者にではなく、ファルシオンに問う。
 が、首を横に振るのみの回答。
 今しがた訪れたばかりらしく、女性魔術士もまた、その意図を掴めずに
 困惑の色を隠せない。
 表情に出ずとも、その感情はフェイルにはハッキリと感じ取れた。
「おう。まさかテメェがアロンソ隊に加入するたぁな。あの偽紳士野郎の片腕に
 与するってこたぁ、【ウォレス】に加入するも同然――――」
 バルムンクの手が、腰の剣の柄に手を添える。
 その剣は、以前フェイルを襲った物とは、まるで違っていた。
 禍々しいほどに巨大な鞘は、そのまま剣身のサイズを示している。
 普通なら、模型としか認識出来ないような、巨大な剣。
 が、このバルムンクならば、それを容易に操る事は想像に難くない。
 そして、それを抜くとなれば、最早フェイルやファルシオンに太刀打ちする術もない。
 ところが――――やはり殺気はない。
 あの周囲の人間をも巻き込む、暴風のような圧迫感は鳴りを潜めていた。
「――――ってコトにならねぇのが、ココの流儀だからな。ま、いずれにせよ、
 俺はここじゃ人は殺さねぇって決めてる」
 まるで二人を値踏みするかのように、バルムンクは一度柄に添えた手を下げた。
「デストリュクシオン、ってんだ。特注のシロモノよ。どうだ? 俺に
 似合ってるだろ? この姿見たら、管理人ちゃんも俺の事ちったぁ見直すに
 違えねぇと思わねぇか?」
「……まさか、それが目的って言うんじゃないよね」
 猛獣相手に白い目を向ける事に違和感を覚えつつ、それでもフェイルは
 半眼でそんな事を呟く。
 一方、ファルシオンは緊張状態を崩さず、全身に力を入れたまま直立していた。
「そのまさか、に決まってんだろ。何でも、テメェらと同行してるらしいじゃねぇか。
 どうなってんだよ。管理人ちゃん、滅多に家の周りから離れねぇってのに。
 どうなってんだよ!」
「いや、知らないけど……泣かれても困るし」
「で、慌てふためいて参上したってのに、不在ときたもんだ。泣きたくもならぁ。
 一世一代の好機だったんだがなぁ……」
 仄かに漂う、バラの香り。
 明らかに、高級な香水の匂いだった。
 フェイルはおぞましさより微笑ましさを覚えたものの、それ以上に疑念を抱き、
 思わず首を捻った。
「彼女へのアプローチなら、直接彼女の家へ行けば良いんじゃないの?」
「阿呆ッ!」
 咆哮。
 余りの声に、フェイルは思わず顔をしかめた。
「い、家なんてテメェ、家に直接なんて、そんなコタぁダメだろ!
 こう言うのはだ、順番ってのがあんだよ! それすっ飛ばしたら
 嫌われるじゃねぇか! そしたらどうすんだ、俺の生きる意味がなくなっちまう」
「……」
 ここで苦笑したら人生が終わりかねないと言う状況で、フェイルはなんとか耐えた。
 居心地の悪さが尋常ではない。
 ファルシオンもまた、余り見せない疲労感を目元に滲ませている。
「ま、いねぇ以上は仕方ねぇ。『ついで』の用事をこなしとくか」
 刹那。
 ロッジ内の空気が、一変する。
 森林の奥、巨大な洞窟に一歩足を踏み入れた時のような――――感覚の激動。
 それが、全く風貌を変えないバルムンクによって、施行された。
「アロンソは何処にいる」
 問いは極めて質素。
 が、その言動には、これまでにはない『背景』が刻まれていた。
 正確に、そして慎重に。
 さもなくば、命こそ取らないが――――そんな強迫観念。
「施療院へ向かいました」
 それを察知し、素直に答えたのは、ファルシオンの慄然とした声だった。
 それでも震えてはいない。
 言い淀みもない。
「良い胆してるぜ、嬢ちゃん。せいぜい頑張りな」
 そんなファルシオンに対し、バルムンクは激励の句を告げた。
 勇者一行としての役回りに対してのものなのか、他の何かなのか――――
「そう言えば」
 その回答はさておき、フェイルには踵を返そうとするバルムンクを
 足止めする必要があった。
 二階にあったメッセージ通りならば、もしバルムンクが今施療院へ向かえば、
 かなり厄介な局面が生まれる。
 時間を稼ぐ。
 協力体制を築いた以上、その役目は果たさねばならなかった。
「貴族令嬢失踪事件、あんたも追ってるらしいね。首尾はどう? 一番勢力が強いって
 もっぱらの評判みたいだけど」
 その極めてフランクな発言に、ファルシオンが思わず視線をフェイルへと向ける。
 一方、バルムンクは――――動かしかけた足を止め、口の端を大きく釣り上げた。
「そうでもねぇさ。無駄に俺の周りをウロチョロする奴等が多いってだけよ。
 意外と、別の隊の方が先に行ってるんじゃねぇか?」
「得てして、そう言うものなのかもね。それに、僕には皆、真剣に探してるようには見えない」
 フェイルの答えは、バルムンクの関心を引きつけるには――――十分だった。
「そりゃ、どう言う意味だ? 小僧」
「確かに、貴族令嬢を保護したとなれば、名誉は得られる。謝礼も相当なものだろうね。
 でも、少し大げさ過ぎる。二大ギルドの代表が揃って動く類の事件とは思えない」
 それは――――ずっとフェイルが感じていた違和感だった。
 ギルドが動く、それ自体はわかる。
 競合相手から一歩先んじる上で、自分達の界隈内で強大な権力を誇る貴族に
 恩を売るのは、大きな利であり、必要な事だ。
 が、それでも、実際にやる事と言えば、少女の捜索。
 わざわざギルドの長が自ら動く必要性は何処にもない。
 人捜しに長けた特殊能力を有しているならまだしも、そう言った理由がないのであれば、
 大物が動くのは寧ろ負債にしかならないだろう。
「アロンソからは何も聞いてねぇのか?」
「生憎、隊に与した訳じゃないんだ。協力を依頼して、受理されたばかりだよ」
 それは事実。
 敢えて話したのは、更なる時間稼ぎの為であると同時に、情報交換の可能性を探る為だ。
 バルムンク隊も、まだ事件の解決には到っていない以上、何かしらの情報を
 欲している筈。
 与したのではなく、協力体制を築いたと言う事は――――つまり、アロンソ隊が
 それに値するメリットをフェイル達に見出した事を意味する。
 バルムンクが興味を抱くのは、必然だった。
「小僧、自分なりの回答を持ち合わせてんなら、言いな。特別だ。採点してやるぜ」
 その笑みが、更に深くなる。
 比例して、空気が重くなる。
 その中で、フェイルはファルシオンに視線を向けた。
 実のところ――――フェイルは明確な回答を持ち合わせてはいない。
 時間稼ぎの為の放言なので、当然と言えば当然だ。
 フェイルは、助けを請う為にファルシオンに視線を向けた。
 が、それは――――ファルシオンに回答を掲示して欲しいから、と言う訳ではない。
 協力を願う為の目配り。
 その意図をファルシオンは、汲んだ。
「一つ推論を組み立ててみるとすれば、着目すべき点は『実力者が動いている』
 と言う点だと思います」
 ごく自然に、ファルシオンは唱えた。
 回答がある訳ではない。
 ただ、先の見えない筋道を、乱暴ながら立てている。
「実力者が動いている。それはつまり……直接的な戦いが起こる事が前提の争い、
 って事になる。論戦じゃなくて、物理的な」
「そうなりますね。でなければ、二大ギルドの実力者が少数精鋭の隊を組む訳がありません。
 そして、それが意味するところは――――捜索ではない、と言う事になります」
 ファルシオンは、断言する。
 それ自体にも大きな意味はあった。
 今、二人がしているのは、即興の編成。
 発言しながら、思考を組み立てて行く作業。
 だが、それを行っている事を悟られてはならない。
 あくまで、『元々こう言う考えを持っている』と言う体を取る必要がある。
 バルムンクは、自分なりの回答を持ち合わせてるならば、と前置きした。
 そこに反故があるからと言って、激昂するとは限らないが――――この化物の
 何処に沸点があるかはわからない。
 わからない以上は、筋道通りに事を運ぶ必要がある。
 今、フェイル達に要求されているのは、『極めて高度な辻褄合わせ』だった。
「捜索じゃないなら、貴族令嬢失踪事件と何も関係がない事で動いているのか。
 それもないだろうね。失踪事件に合わせて各勢力が動いている。少なくとも、
 関連がある事は間違いない」
「ですが、スコールズ家のお嬢様と各ギルドに他の接点があるとは考え難いです。
 例えば、リッツお嬢様が何処かのギルドに幽閉されているなど、彼女の失踪が
 ギルド同士の軋轢を生み出す事由となり得るならば、或いは現状の状況も
 納得出来ますが、それは考えられません」
「ギルドの中にスコールズ家と密接な関わりがある幹部がいる……って言う仮説も、
 複数のギルドが動いている時点で、少し考え難いかな」
 少しずつ、答えまでの道のりを歩む。
 可能性を狭めて行き、照準を絞るその作業は、少しだけ弓術と似ていた。
 或いは、魔術とも。
「となると、彼女が直接関与していると言うより、別の何かに起因しているのでは
 ないか、と考える事が出来ます」
「例えば、貴族令嬢を失踪に導いた存在が、各ギルドにとっての火種である場合」
「或いは、このメトロ・ノームにとっての」
 ファルシオンのその言葉の直後。
 バルムンクの顔が、更なる笑顔で歪んだ。
「ほう……そこまで辿り着いたとなると、ちっと認識変えにゃならねぇな」
 それは、フェイル達の推考がある程度の成功を収めた事を意味する。
 全力で安堵の溜息を落としたい心境の中、フェイルはこっそり奥歯を噛んだ。
「シナウト。これを知ってるか?」
「一応」
 先程ハルから聞いた言葉に、フェイルは肯定を掲げる。
 メトロ・ノームの住民を間引く、保守派。
 その連中が、今回の件と関連している――――バルムンクはそう告げた。
「表向きは、令嬢のケツを追っかける長閑な事件ってなもんだが……
 実のところは、そうじゃねぇ。シナウトとギルドの、メトロ・ノーム内での抗争だ」
 バルムンクの言葉に、フェイルは瞼を落とす。
 それは、最悪の事態だった。
 血生臭い争いに巻き込まれかねない事態だ。
「そこまで対立構造がはっきりしていると言う事は、リッツ嬢を失踪に導いた
 人間をギルドは把握している、と言う事なんですか?」
 ファルシオンの指摘は、ほぼ確信を帯びていた。
 でなければ、その構造は成立しない。
「そう言うコトになるな。ま、そんなワケだから、もしテメェらがこれ以上
 ヤバイ橋を渡る気がねぇなら、とっとと退散しな。シナウトとギルドの抗争に
 これ以上首をツッコむなら、遠慮なくハネるぜ。殺しはしなくても、
 二度と足腰立てなくするくらいは出来るんだぜ?」
 淡々とそう言い残し――――バルムンクはロッジを後にした。
 次にこのメトロ・ノームで会う時は敵と見做すと、目で語って。
 時間稼ぎは十分に行った。
 重大なヒントも得た。
 が、フェイルの心と視界は晴れない。
 霞がかったような風景に、何度も瞬きをする。
 今後の行動に大きな制限が生まれたのも、また事実だった。




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