フランベルジュの眼差しは、意外な事に――――鋭さは余りなかった。
 訝しさや疑念より、寧ろ好奇心すら窺わせるような熱視線。
 それまで、一度としてフェイルに向けた事のない目をしていた。
「……素性、って言うほどのものでもないんだけどな」
 その目に、少しだけ不快感を覚えたフェイルは、視線を逸らしながら
 小さく嘆息した。
 ここまで来て、過去を隠すつもりはない。 
 だが、全てを話す気もない。
 その境界線を頭の中で引きながら、暫し視線を泳がせる。
「……?」
 ふと――――天井を見上げた刹那、その視界がぼやけた。
 疲労からか、或いは体調が悪いのか。
 そんな事を頭に浮かべた頃には、通常通りの天井が広がっていた。
「で、どうなの? もう薬草採る時の護身用、なんてヘタな嘘は通用しないからね」
 答えを促すフランベルジュに、フェイルは視線を向ける。
 そして、もう一度息を吐き、首筋を指で掻きながら口を開いた。
「大した事じゃないよ。ただ、ちょっと前に国に仕えてただけ」
「国……弓兵だった、って事?」
 首肯。
 しかし、フランベルジュは満足した顔を全く見せなかった。
「ただの弓兵、じゃないんでしょ? 少なくとも、さっき見せたあの芸当は、
 その辺にいる弓の使い手が出来る事じゃない筈よ」
「誰も出来ないよ。飛んで来る矢を矢で迎撃する――――それを確信を持って
 実行出来る弓使いは、この世には存在しない。あれは偶然上手く行っただけ」
「偶然、ね……奇跡って言わない辺り、確信はなくても狙ってはいた、って
 事じゃないの?」
 その指摘は、意外と鋭かった。
 思わず感嘆の表情を作るフェイルに、フランベルジュはこめかみに感情を
 浮かび上がらせ、眉間にも皺を寄せる。
「前々から思ってたけど、どうも貴方は私を頭の悪い戦闘狂の女って思ってる
 節があるみたいね……」
「それは仕方ないでしょ。あの第一印象じゃ」
「う……」
 多少自覚があったのか、二の句を繋げず、フランベルジュは立ち上がろうと
 していたその姿勢を元に戻し、お茶を一杯すすった。
「う……」
 同時に、先刻痛い所を突かれた時と全く同じリアクションで、陶器を置く。
 そして一瞬口元に手を寄せようとして、アルマの方に視線を向けようとしたが、
 直ぐにその二つの行動を抑制し、何かを我慢するかのように口に含んだ液体を
 喉へと通した。
「……美味しくなかったのかな」
「そ、そうじゃないの。偶々、咳き込みそうになっただけよ」
「……美味しくなかったんだね」
 アルマはすごすごと奥へ引っ込んだ。
 一方、その背中を暫し眺めていたフランベルジュは、罪悪感タップリの顔を
 フェイルの方に再度向ける。
「で、話を戻すけど。弓兵って言っても色々よね。どの部隊に所属してたの?」
「そこまで話す必要あるのかな……ま、良いけど。宮廷弓兵団の一員だったんだよ」
 まだ境界線内。
 既に腕前を見せてしまっている以上、特に勿体ぶる理由もなく、フェイルはさりげに答える。
 だが、それを受けたフランベルジュの顔は、明らかにその表情を変えた。
「宮廷弓兵団に……? 嘘でしょ? いや、でもあの矢の鋭さは、それくらいじゃないと
 納得出来ないし……でも、うーん……」
 そして、驚愕と混沌の中で、不条理な自己問答を繰り返す。
 理論と感覚の狭間で苦悩しているようだ。
「宮廷弓兵団、ですか」
 一方――――ファルシオンの方は落ち着いた様子でフェイルの発言を
 あっさりと受け入れていた。
「国内の選りすぐりの弓使いの方々が集うエリート集団。ですが、昨年に
 解散したと聞いています」
「うん、そうみたい。僕はその頃にはもういなかったんだけど」
 宮廷弓兵団――――王宮において、一つのブランドとして確立していた
 その部隊は、昨年その役目を終え、消滅と相成った。
 フェイルはそれを、風の噂で知った。
 流石にその日は、仕事に手が付かなかった。
 もう帰る場所でもなく、ただ思い出し、懐かしむだけの場所。
 それでも、なくなると言う事は言葉に出来ない程の寂寞感を生んだものだった。
「成程、ね。なんとなくわかった」
 一方、ようやく自分なりの回答を見つけたのか、フランベルジュは納得顔で
 苦笑しながら、フェイルに視線を向ける。
「ここ数年、お隣の国から魔術士が沢山流れてきたから、弓兵、って言うか
 弓って武器自体が需要をなくしてるのよね。最近、弓を置かない武器屋も
 増えてきてるみたいだし。だから、将来を悲観して、弓を置いたんでしょ?
 それで、次の食扶持稼ぎの為に薬草屋を営んだ。どう? 良い線行って……」
 鋭い指摘――――を目指したフランベルジュは、自身の発言の最中、
 その顔を先程以上に変化させた。
 それは、更なる驚愕。
 フェイルの目が、瞬時に鋭利さを帯びたからだ。
「違う。訂正して」
「な……何よ」
「僕は、弓を見捨てたつもりはない。薬草屋を始めたのも、そんな動機じゃない。
 取り消して」
 自身の頭に血が上っている事を自覚したのは、いつ以来だったか――――
 そんな事を考える余裕はあった。
 ただ、表情まで抑えるほど冷静でもなかった。
 そのフェイルに対し、フランベルジュは明らかに怯んでいる。
 誰より好戦的でありながら、誰より精神が弱い。
 それが、美しい金髪を腰まで伸ばした女性剣士の最大の特徴でもあった。
「フラン、失言」
 戸惑いを見せるフランベルジュに、ファルシオンが謝罪を促す。
 それは、気の強さと弱さを併せ持った人間には、救い。
「……怒らせるつもりはなかったのよ。違うんだったら、それで別に良いし」
 そっぽを向きつつ、フランベルジュはポツリと呟いた。
「や、僕もちょっと大人気なかった。ゴメン」
「な、何が大人気ないよ。同世代か、私の方が少し年上かくらいでしょ? ったく……」
 悪態は吐きつつも、明らかに安堵をしているその姿にフェイルは思わず
 苦笑しそうになるのを堪えながら、ふと真顔に戻る。
「それに、そう言われるのも無理はないし、ね」
 これから話す事は、笑顔で語る気にはなれなかった。
「実際、弓は時代遅れの武器になりつつある。魔術の台頭でね」
 そして、ファルシオンの方に視線を向ける。
 生粋の魔術士。
 その攻撃は、弓矢以上に射程が遠く、そして正確。
 更には、高レベルの術式であれば、広範囲にまでその威力を向けられる。
「特に最近、隣の国で開発された技術で、殆ど『溜め』が必要となくなってから
 それは一層顕著になった」
「オートルーリング、ですね」
 その技術は、ファルシオンが崇める魔術士、アウロス=エルガーデンが
 開発した、魔術士にとっては悲願とも言える『自動編綴術』。
 だが、それは弓兵にとっては、数少ない利点を奪われる最悪の技術だった。
 オートルーリングの普及に伴い、戦場における魔術と魔術士の地位が飛躍的に
 上昇し、相対的に同じ遠距離攻撃主体の弓兵の需要は急激に降下した。
 結果――――宮廷弓兵団は解散。
 実際にそれが主因だったかどうかは、その場にいなかったフェイルにはわからない。
 だが、その解散は国内の弓矢の需要低下を更に促進した事は、言うまでもない。
 時代の流れは確実に、弓矢を追い詰めている。
「元々、素早く動く動物を狩る為の道具だった。もしかしたら……そう遠くない将来、
 その役割に戻るのかもしれない。もう戦場に、弓矢の居場所はないのかも……しれない」
 今、フェイルの手に弓はない。
 かつで、何時いかなる時もそれを持ち、そして極めようとした史上最年少の
 宮廷弓兵の手に、その武器はない。
 その事に不自然さを感じる事も――――今は、ない。
「弓には弓の良さがあると、此方は思うよ」
 そんなフェイルを見かねてか、或いは本音か――――明らかに魔術士よりの筈の
 アルマが、そう告げる。
 いつの間にか、居間へと戻っていた。
「弓の事を良く知らない此方が言っても、説得力はないけどね」
 淡々と。
 ただ、温かく。
 アルマの口調は、常に柔らかかった。
「……そう、信じてた」
 そんなアルマに謝礼の意味を込め、フェイルは微笑みかける。
 アルマは笑わない。
 ただ、静かにその視線を傍観していた。
「僕の育ての親は、弓を作ってたんだ。その弓を守りたかった。その為に、
 出来る努力はした……つもりでいた。でも、成果は何も挙げられないまま、
 何も出来ないまま、僕はその目標から降りた。何を言われても仕方ないのかもしれない」
「……」
 ファルシオンも、フランベルジュも、そしてアルマも。
 フェイルの短い言葉を、口を挟まずに聞いていた。
 何故、宮廷弓兵を辞めたのか。
 何故、薬草士になったのか。
 それを聞く事もなく、静かにその余韻を消化していた。


 その後――――寝たまま起きる気配のないリオグランテを玄関に投げ棄て、
 残りの勇者一行は居間で就寝。
【メトロ・ノーム】の深夜は、まさに深い闇に包まれていた。
 その闇の中、フェイルは一人、家の外の瓦礫の上で天を眺めていた。
 梟の目は、僅かな光しかない場所でも、その空間を視認出来る。
 だが、光のない場所では、その役割を果たす事は叶わない。
 そんなフェイルの左目は、確かにその世界を認識していた。
 光はあるのだ。
 岸壁に囲まれた、この【メトロ・ノーム】の夜にも。
「凄いね。こんなに暗いのに、外に出られるなんて」
 そこに、その光を微かに残している張本人が現れる。
 アルマ=ローラン。
 この世界の調整を行う、管理人。
 僅かに光を残しているのは、彼女の意思に他ならない。
「隣、座るね」
 特に同意を求めるでもなく、アルマは瓦礫に腰掛けた。
 その手には、ランプが握られている。
 暫し感傷に浸っていたフェイルは、淡い炎の光に包まれた
 その美麗な女性に、一瞬目を奪われた。
 ただ、その外見以上に、気になる事がある。
「君は……空を見た事、あるの?」
 以前、アルマは地上へ行った事がないかのような発言をしていた。
 それが気に掛かっていた。
【ウエスト】のギルド内に一緒に上った事はあったが、あの建物も、
 この【メトロ・ノーム】に足を踏み入れている以上、この世界の一部。
 そこから出ない限りは、地上とは言えない。
「ないよ」
 やはり――――そう言う感想を、フェイルは得た。
 生まれた時からずっと、何かに囲まれて生きている。
 それはまるで、監獄の中で暮らす囚人のようだと、そう思った。
「見たいと思った事は?」
「あるよ。でも此方には、ここでやる事があるから」
 それは、自由のない生活を示唆する言葉。
 やはりここは、牢屋の中のようなもの。
 荒野の牢獄――――そんな言葉が、フェイルの頭の中に浮かんだ。
「元気ないね。やっぱり、さっきの事が原因なのかな」
「……うん。でも、悲観的になってる訳じゃないんだ」
 ふと、思考の網に何も引っかかる事のない原石のような言葉が漏れる。
 そんな事は、滅多にない。
 一瞬考え、フェイルは特に自戒する事なく、次の言葉を編んだ。
「今、やる事がある。やりたい事だし、やるべき事。だから、後ろに置いた物を
 悔やんだり、惜しんだりする暇はないんだ。でも、少し思い出すくらいは
 別に良いかなって」
「色々抽象的だね」
「あんまり、言葉にしたくないんだよね。過去の事は」
 本音だった。
 言葉は容を作り出すから。
「大変だね」
 アルマのその言葉は――――恐ろしいほどに的確な一言だった。
 ただ、それを言う女性の方が、遥かに大変である事は想像に難くなく、
 フェイルは素直に頷く事は出来ずに、間を持て余した。
 何を言うべきか。
 何を、伝えるべきか。
「……実は、ちょっと迷ってたんだ。協力して行動するか、単独で動くか。
 どっちが良いのかな、って」
 出てきた言葉は、描いていたものではなかった。
「結論は出たんだね」
「うん。彼等と一緒に、目的を果たす」
「それが良いと思うよ。良い人達だと思うしね。此方のお茶は口に合わなかったみたいだけど」
「それは……いや、何でもない」
 薬草士であるフェイルは、お茶の淹れ方にはかなり煩い。
 そんな専門家の評価は、どれだけ好意的な解釈をしても、口に出来るものではなかった。
「……」
 だが、空気は伝わったらしく、ランプの炎に揺れるアルマの顔が、しゅーんとなる。
「あ、いや、えっと……アルマさん、星空って、見たくない?」
 話題を摩り替えるべく、フェイルは一案を唱える。
 そして、返事を待たず、アルマの手からランプを拝借し、懐に仕舞っていた
 小袋を取り出し、その炎で炙った。
「?」
 幸いにもネガティブな思考から気が逸れたらしく、不思議そうに眺めているアルマに
 安堵しながら、フェイルは暫く袋を炙り続け、そして――――その袋を徐に
 天へ向けて全力で放った。
 袋は暫く宙を舞い――――そして、途中で形を失う。
 閉じるのに使っていた紐が、焼き切れた為だ。
 そして、中身が漏れ出す。
 その中には、破片が入っていた。
 粉々になった、ガラスの破片。
 こっそり大切に持っていた物。
 それが、炎を宿し、霧散する。
 闇の中にそれらが舞うその光景は――――少しだけ、星空と似ていた。
「……」
 アルマは、それを黙って見上げていた。
 ただ、見ていた。
 身動きもせず、凝視していた。
 そして、その傍らで、フェイルも同じ方向を仰いでいた。
 ただ、見ている景色は違っているだろうと、確信しながら。
 それを眺めながら、ずっと――――探してたのだと、そう自覚した。
 この機会を。
 いつまでも女々しく閉じ込めていた思い出を後ろに置く、その口実を。
「ありがとう」
 最高の理由を得たフェイルは、素直にそう呟く。
「お礼を言うのは此方だと思うよ。とっても綺麗だったからね。星空って、
 あんなに綺麗だったんだね」
「いや、実物はあれよりずっと綺麗だよ。君もいつか、見られるよ」
「そうかな」
「見られるよ」
 火は、やがて消える。
 あっという間に、天は闇に帰した。
 一瞬の煌き。
 フェイルは、そんな視界を見納め、地下の地上へと戻した。
「いつか、そう言う日が来るのなら、それはとっても嬉しい事だよ」
 アルマは、笑った。
 人懐っこい笑顔だった。
 何処か、寂しげでもあった。
「その時は、フェイル君が呼びに来てくれると良いな。お礼はその時まで
 とっておくから」
「わかった。約束する。泊めて貰ったお礼もある事だし」
「約束だよ」
 何もなくなった天を、アルマはいつまでも眺めていた。
 或いは――――先程の光景をまだ見ているのかもしれないと、
 そう思わせる顔で。
 過去が散り、未来が約束された日の事。
 フェイルは静かに、それを歓迎した。




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