空のない、独立した最小国家【メトロ・ノーム】。
 その夜は深く狡猾な闇に覆われ、そして驚くほどの静寂に包まれていた。
 当然の話ではある。
 ここには星もなければ草木もない。
 つまり、月明かりも虫の鳴き声も存在しない。
 それだけで、地上の夜とは余りに異なっていた。
「では、これより第一回『貴族令嬢囲い込み作戦会議』を行います」
 そんな深淵の闇をまとう石造りの家で、家主のアルマが淡々とお茶を沸かす中、
 ファルシオンが普段と何ら変わらない口調で会議開始を宣言した。
「と言っても、手掛かりはこの【メトロ・ノーム】に囲い込み対象のリッツ嬢が
 いる、と言う事くらいですが」
「ほぼ手詰まりだよね……」
 部屋の居間で、固まるでもなく点在するでもなく、微妙な距離を取って
 それぞれが寝転んだり座ったりする中で、フェイルは悲観を口にした。
「余りに情報が不足している状態です。リッツ嬢の身柄を確保しようとする
 勢力はかなり多いのですが、その勢力も完全には把握出来ていません」
「競争相手の事より、リッツって女の子が何処にいるのか調べるのが先でしょ?」
 まだ少し険の残る顔で、フランベルジュが異議を唱えるが――――それに対して
 フェイルとファルシオンは同時に首を横へ振った。
「事態はそんなに単純じゃない、みたいだね」
 そこへ、アルマがトレイを持って現れる。
「昨日の段階で、各ギルドと教会、個人の賞金稼ぎが忙しなく動いてるよ。
 こんなにココが騒がしいのは、久し振りなんじゃないかな」
「各ギルド……ね。ここって、地上での柵がなくなる場所じゃなかったの?
 ギルドの連中は、ここでもギルドの所属員として動いてるって事?」
 そのアルマに、フランベルジュはお茶を受け取りながら問う。
「そうだね。柵がないって事は、柵を持ち込んではいけない、って
 事じゃないから」
 つまり――――ギルド員である事を無理に破棄する必要がない人間は、
 この【メトロ・ノーム】において、地上と同じ身の振り方をしても
 全く問題ない、と言う事。
 それは、教会の司祭、ハイト=トマーシュに対してフェイルが行った推測を
 根底から覆す意見だった。
「そっか……自由って言うのは、確かにそう言う事だよね」
 地上の柵を持ち込まずに過ごす事を許される場所――――
 それを耳にした時、フェイルには『柵を嫌う人間が集う場所』と言う
 先入観が生まれた。
 立場や人間関係を破棄して、自分が本当にしたい事、すべき事をすると言う目的で、
 この地下を訪れると。
 だが、実際にはそうとは限らない。
 例えば、先程酒場に現れたバルムンク。
【ラファイエット】の大隊長と言う立場にいながら、彼が先程この地下を訪れた
 目的は、間違いなく――――アルマに対して良い格好をしたかったからだ。
 これほどの立場の人間が、極めて私的な事で動いている。
 スコールズ家のお嬢様が失踪していて、それを追っているギルドの代表が。
 こうなってくると、この【メトロ・ノーム】にいる人間の行動理念を、
 その立場から推測する事はかなり難しくなってくる。
「手掛かりがない事以上に厄介な問題です」
 それを理解し、ファルシオンは半眼で嘆息を落とした。
「あんまり、複雑に考えすぎじゃない? 要は、迷子の女の子を見つけて
 家に連れて行けば良いんでしょ?」
 一方、フランベルジュは単純論を繰り返す。
 尚、本来はその方向性を支持すると思われるリオグランテは、ぐーぐー寝ていた。
「うん。それで何も問題はないよ。もし、貴女が誰にでも勝てるのなら、ね」
「……」
 あまりに毒気のないアルマの物言い。
 だが、宿敵と位置づけた相手に気圧され何も出来なかった今日のフランベルジュには
 かなり堪えたらしく、眉間を押さえて俯いてしまった。
「此方、何か悪い事言ったかな?」
「いえ。私が言い難い事実を軽快に発言してくれたので、寧ろ感謝しています」
 そして、割とフランベルジュに厳しいファルシオンは、こっそり親指を立てて
 アルマの発言を歓迎した。
 実際――――これだけ競合相手がいる状況で、単純に目標を追うだけでは
 到底上手くいかない。
 情報収集能力、地の利、戦闘能力、経済力、人員数……あらゆる面で劣っているのだから。
「もし、この状況で私達に優位性を見出すとすれば……」
 その言葉を続ける前に、ファルシオンはアルマに視線を向けた。
 つまり、その視線の先がそのまま答えに当て嵌まると言う事だ。
「力添え、して貰えますでしょうか。御礼はします」
「良いよ」
 二つ返事。
 フェイルは、余りに話がわかり過ぎる管理人に対し、疑念の眼差しを
 向けざるを得なかった。
「だ、大丈夫なの? 一応、この地下を管理してる立場なんでしょ?」
「此方の意思で、ね。ここはそういう場所だから」
 ――――そう。
 管理する立場が、平等を保つ必要はない。
 それはフェイルも十分に理解している。
「でも、それで他の人から糾弾されたり、アルマさんの印象を悪化させたりする事に
 なったら、ダメだよ」
 ただ、それはあくまでもこの地下の風習。
 自由である事が前提である事と、個人の行動に対し周囲が抱く感情は、全くの無関係だ。
 もしアルマが勇者一行に手を貸し、それによって別の住人がアルマに負の印象を
 持つ事に繋がれば、それはフェイルにとって本意ではない。
 それはアルマ個人に対する感情ではなく、もっと原始的な事。
 他人に迷惑をかけるな――――そんな恩師の教えに基づく基本理念だ。
「心配ないよ。此方の事は」
 それが何の根拠に基づくものかはフェイルにはわからないが、当人が
 あっけらかんとそう言っている以上、二の句を繋ぎようがない。
「そもそも、この界隈に来る人達は、此方に助力を求めるほど困ってないしね。
 良くも悪くも、地に足がついた人達だから」
「……それは、そうかもしれないけど」
「当人が良いと言っているんですから、良いと思いますよ」
 煮え切らないフェイルを、ファルシオンが柔らかい口調で諭す。
 実際、それしか手はない――――その双眸には、そんな切迫した色が見えた。
「フラン、それで良い?」
「……不本意だけど、言い返す材料もないしね。力添え、お願い」
 若干拗ねた目をしていたものの、フランベルジュも自分の希望を優先させることが
 できる状況にない事を自覚しているようで、小さく頭を下げる。
 それを、アルマは少し落ち着かない様子で眺めていた。
 余り頭を下げられた経験がないらしい。
「それじゃ取り敢えず、この件に関与してる組織の勢力を確認しよっか」
 アルマは管理人と言う性質上、非常に多くの人間と接する。
 その為、情報提供者は少なくない。
 夜も更けてくる中、アルマは先刻フェイルから受け取った羽根ペンと 
 新たな羊皮紙を持ってきて、勢力図を描き始めた。
「……」
 結果、世にも不気味な蜘蛛を俯瞰して見ているような絵が完成した。
「地図どころか図もダメなのか……」
「そ、そんな事ないよ。これはその、下書きだよ。ちょっと失敗したけどね」
 明らかに強力な毒を持ってると思われる蜘蛛が丸められ、ゴミ箱へ投げられる。
 そして、顔を引き締めて再度羊皮紙と格闘。
 結果――――
「……」
 蜘蛛の巣に引っかかったマンドラゴラが断末魔の声をあげている光景が
 克明に描写された絵が完成した。
「ど、どうして……こうなるの?」
「確か、勢力図を書いていた筈ですが……これが歪みの力……?」
 流石にフランベルジュとファルシオンの両名も、冷汗を禁じえない。
「……酷いよ」
 流石に拗ねた。
 徐々に、その目に涙が溜まる。
 余りに美しい拗ね顔は、フェイルは勿論、同性の二人すら戸惑わせた。
「い、いや、その……良く見れば、ちゃんと纏まってる気がする。ね!」
「そ、そうね。良く良く眺めてみると、芸術が爆発してる気がしない?」
「はい。この字の跳ね具合など、一見紋様の一部に見えなくもない
 上品さとか荘厳さがない事もありませんし」
 フォローは殆ど抽象的だったが、アルマはなんとか泣かずに済んだ。
「口で説明するよ」
 ただ、わかり難さは自覚したらしく、建設的な意見を力なく述べる。
 結局、説明は口頭にて行われた。
 現在――――貴族令嬢の身柄確保に尽力している組織は、傭兵ギルド【ウォレス】と
【ラファイエット】、諜報ギルド【ウエスト】、アランテス教会の4つ。
 地上では官憲が必死に捜索しているが、この【メトロ・ノーム】に官憲の存在は
 確認されていない。
 ただ、組織ではなく個人の賞金稼ぎが、スコールズ家からの報奨金と
 街を支配する貴族への貸しを目的に、数人ほど動いている。
 しかし――――ここで厄介なのが、ギルドの内外における相関。
 地上であれば、それは非常にわかりやすい構図となっている。
【ウォレス】と【ラファイエット】は敵対し、【ウエスト】はその双方に対して
 情報を提供している。
 教会は名目上、ギルドと密接な関係を築く事は許されていないが、
 魔術士のギルド派遣は珍しくなく、蜜月の仲である事は周知の事実。
 ただ、魔術国家である隣国デ・ラ・ペーニャほど魔術士の権力や質が
 高くないこのエチェベリアにおいて、教会の影響力もまた、それほど強くはない。
 信者の数も、ヴァレロン新市街地においては然程多くはなく、その普及活動として
 ギルドをプロパガンダに利用する一方、各ギルドに対して上納金を収めたり、
 デ・ラ・ペーニャの各勢力との仲を取り持つ等して、一定の地位を守っている。
 よって、敵対する【ウォレス】と【ラファイエット】を軸に、それぞれの組織が
 それぞれに持ちつ持たれつの関係を築いている、と言う事だ。
 だが、この図式は必ずしも【メトロ・ノーム】内では適用出来ない。
 例えば、利害が一致していれば、【ウォレス】のギルド員と【ラファイエット】の
 ギルド員が手を組んでいる場合もあるし、教会の人間がギルド員を部下にしている
 場合もある。
 アルマは、【メトロ・ノーム】内における相関を、数十人の名前を挙げて説明した。
「最大勢力は、キュピリエさんが中心の部隊だね。彼を慕う人は多いんだよ。
【ラファイエット】の中隊長二人と【ウォレス】の副隊長、あと【ウエスト】の諜報員、
 フリーランスの魔術士も加担してるかな。それに次ぐのが【ウォレス】のアロンソ隊隊長
 アロンソ=カーライルさん。ギルド員とは懇意にしてなくて、独自に人員を集めて
 動いてるみたい。そして、土賊。さっき酒場を襲った連中だね」
「彼らも侮れませんね。【ラファイエット】の大隊長に一蹴されたとは言え、
 リーダー格の男はかなりの使い手でした」
「大した事ないんじゃない? あんなヤツ」
 半眼で呟くフランベルジュに対し、フェイルは思わず苦笑を漏らす。
 それに目聡く気付いた女性剣士は、その目を鋭くして怒りを顕にしたが、
 思う所があるのか、敢えて何かを言う事はしなかった。
「【ウォレス】の隊長はここの住民ではないのですか?」
「いるよ。ただ、彼は単独でしか動かないみたいだね。だから、動きが把握し難いみだいだよ」
「成程……厄介ですね」
 ファルシオンは、アルマの発言を逐一メモし、綺麗な相関図を描いていた。
 その様子に何処か嫉妬のようなものを抱いているのか、アルマの顔が少し曇る中――――
 取り敢えず、競合相手の最低限の情報は入手する事が出来た。
「重要なのは、この人達から有益な情報を引き出す事。各勢力とも何の進展もない、
 って事はないだろうし、ね」
「はい。恐らく、鍵を握っているのは……この二人です」
 ファルシオンは、自ら書いた相関図の中の二つの名前を円で囲んだ。
【ウォレス】代表クラウ=ソラス。
 そして、もう一人――――
「この人なら、割と頻繁に酒場にいるから、そこで待ってると会えると思うよ。
 話を聞いてみれば良いんじゃないかな」
「ええ、そうしてみます」
 実のある会議が出来た事に、ファルシオンは満足げだ。
「終わった? それじゃ、次の話題に移っても良いかしら」
 そんな納得顔を視界に納め、フランベルジュが突然切り出す。
 そして、その視線をフェイルの方へと移した。
「それじゃ、説明して貰いましょうか。貴方の素性を」





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