酒場【ヴァン】の雰囲気は、この数十分の間に二転三転している。
 そんな中でも、毅然とした態度を見せていたマスターは、バルムンクの
 不遜な笑顔を見て、大きく安堵の息を吐いた。
「思ったより早かったな。助かった」
「褒めるなら、俺を呼びに来た若造だ。かなりムリしてたぜ。まっ、そこまで
 するほどのトラブルじゃなかったようだが……」
 一方、駆けつけるや否や、3人もの土賊の連中を吹き飛ばしたバルムンクは、
 無造作に周囲を見渡し、頭を掻く。
「その分、面白ぇメンツが揃ってるじゃねぇか」
 そして、破顔一笑。
 豪快と言う一言が良く似合う立ち姿に、フェイルは自分の目がいつの間にか
 鋭くなっている事に気付く。
 一度目の邂逅の際に全身で浴びた圧力は、今は影を潜めており、気圧されるような
 迫力は感じない。
 だが、この眼前の男が敵意を示した時、果たしてまともに正対する事が出来るのか。
 そんな心配すらしなくてはならないほど、バルムンクの放つ圧力は常軌を逸していた。
 或いは――――デュランダル以上。
 このエチェベリア国随一の剣士を比較対象にしなければならない程の
 戦闘能力を有していると、フェイルは踏んでいた。
「……ようやくお出まし、ね」
 そんな悪魔のような男の出現を待ち望んでいた女性剣士が、ポツリと呟く。
 それは、歓喜――――とは程遠い声色だった。
 フランベルジュは、冷や汗で顔中を濡らしていると言う表現が過剰でない程、
 平常心を失くしている。
「さて。残りはテメェ一人だが……どうする?」
 その視線の先にいるバルムンクは、悠然と自分が叩き倒した三つの背中を
 見下ろし、次に視線を土賊の弓使いへと移した。
「当然、降参だ。一介の弓使いが世界有数の剣豪相手に出来る事など、何もない」
「一介……ね。とてもそうは見えねぇが、な。少なくとも、そこに転がってる
 連中よりは使えそうだぜ?」
「買い被りだ」
 降伏宣言を受け、バルムンクは視線を弓使いから外す。
 そして、次に向かう先は――――
「で、こっちにも弓使いか。どうだ? ウチのギルドに入る気になったか?」
 残りのバケモノやオカマでも、そして勇者一行でもなく、フェイルだった。
 その事実に、そして言葉の内容に、フランベルジュの顔色が変わる。
「どう言う事?」
「……」
 答えに困窮するフェイルに対し、勇者一行の残り二人の視線も重なる。
 そんな中、巨体を揺すり、バケモノとオカマは全力疾走を開始。
 慌てふためきながら逃げ去った。
「アイツ等、偽紳士野郎の弟じゃねぇか。何でこんなトコいんだ?
 ま、別に良いケドよ……弱ぇヤツにゃ、用はねぇしな」
「つまり、私もあの連中と同じような扱い……って事?」
 俯きながら、フランベルジュが呟く。
 その声は、聞かせるつもりだったのか、独り言だったのか、判断が難しい音量。
 ただ、バルムンクには聞こえたらしく、そこで初めてフランベルジュに視線を向けた。
「ンなこたぁ言ってねぇけどよ。俺は、ビビったヤツにゃもう用はねぇのよ」
「!」
 それは逆鱗に触れる言葉。
 長い金髪が逆立ちそうな程、フランベルジュの身体から怒気が溢れ出す。
 その様子は、長い付き合いの筈のリオグランテやファルシオンすらも驚かせる程
 異様な空気を醸していた。
 しかし――――
「止めときな。粋がる分にゃ幾らでも見逃してやる。が……」
 バルムンクは眉一つ動かさず、その様子を寧ろ愛でるような眼差しで眺めている。
 そして、刹那。
「飛び込んでくる相手にゃ加減は出来ねぇ性質だ、俺は」
 本当に、一瞬の事。
 膨張した圧力が恐ろしい速度で周囲を取り囲み、まるで海の中に沈んだような
 重苦しさを生んだ。
 ただの殺気。
 それが、一つの表現手段どころか、攻撃手段として成立している。
「……!」
 我を忘れそうな程の怒りを覚えていたフランベルジュが、身を竦ませる程の。
「フランさん……ダメです。この人は怖い……怖いです」
 そして、良くも悪くもお気楽さが取り得だったリオグランテすら、
 首を何度も降り、停戦を促す。
 ファルシオンも、呼吸を乱して戦慄を顕にしていた。
「それで良い。怖がるのは、正しい危機管理能力と生存本能を持ってる証拠だ。
 それが麻痺してりゃ、生き残れねぇ。そこのバカみてぇにな」
 笑みながら、バルムンクは視線で一人の男を指す。
 その先にあるのは――――目を血走らせて立ち上がるアドゥリスの姿。
「バルムンクゥ……」
「まだこんな事してやがるのか」
「うるせぇ! 卑怯だぞテメー! 後ろから不意打ちしやがって!
 クソが! クソが! クソが! テメーはいつもそうだ! いつもそうやって、
 美味しい所だけを取っていきやがる!」
 それは、先刻のフランベルジュに匹敵する、或いはそれ以上の取り乱し様だった。
「まだ、そんな事を言ってやがるのか……?」
「うるせぇ喋るなクソボケカスがぁ! 見てろ! 貴族のガキ捕まえて、
 オレぁ成り上がってやる! テメーを越える為にな! おい、いつまで寝てんだ!
 ここにゃガキはいねぇ! 別のトコ探すぞ!」
 そして、その勢いのまま、魔術士二人をムリヤリ引き起こし、弓使いに
 視線を向ける。
「……行くぞ」
「わかった」
 そのやり取りだけを残し、土賊は全員、酒場から退散した。
 それを見送り、マスターは巨顔を揺らしてバルムンクに向け肩を竦める。
「いつも済まないな」
「ここは良い酒場だ。上にゃロクなトコがねぇ。潰されたらこっちが困んだよ」
 そして、再び高笑い。
 その様子を、フェイルは意外な心持ちで眺めていた。
 相変わらず、覇王のような気を発してはいるが、上で感じたような
 禍々しさは、ここではまだ発揮していない。
 単に抑えているのか、それとも【メトロ・ノーム】だからなのか。
 その答えは、直ぐに明らかになった。
「……お、おお。誰かと思えば、管理人ちゃんじゃねぇか。ひ、久し振りだな」
 突然、予告もなしにバルムンクの語調が変わる。
 何処か緊張したような、はにかむような声。
 フェイルや勇者一行は、彼の登場時以上に驚愕を覚えたが、その一方で
 マスターや客、そしてその声を向けられたアルマは特に驚く様子もなく、
 そんな変化を自然体で眺めていた。
「そうだね。最近、見てなかったよ。元気にしてた?」
「お、おうっ。そりゃもう、アレだ。アレ……アレだ」
 言葉すら出てこず、情緒不安定な様子で首を小刻みに動かす姿は、
 小鳥のようにさえ見える。
 そしてその顔は、アルコールを大量に摂取したかのように、紅い。
 誰が見ても、明らか。
 これ以上わかりやすい事はないと言うくらい――――バルムンクは
 アルマに対して好意を示していた。
「道理で、【ラファイエット】の大隊長が全力で駆けつけてくる訳だ」
 フェイルは嘆息を禁じえず、思わず最寄の椅子に腰を下ろした。 
 何の事はない。
 カッコ付けたかったのだろう。
 呼びに行った若者に『アルマさんが来ています。チャンスですよ』とでも
 言われたのは明白だった。
「ところで、キュピリエさん」
「"バルムンク"、って呼んでくれって言ってるだろ? いや、それより
 "バルちゃん"の方が……いや、すまねぇ。今のは忘れてくれ」
「本当に、ここにスコールズ家のお嬢様が来てるの?」
 バルムンクの提案を無視し、アルマが聞いた質問に――――
 それまで沈黙したまま事態を見守っていたハイトが口を開く。
「本当です。どうやら、何者かがリッツ様をこの【メトロ・ノーム】へ誘ったようです。
 ムリヤリ連れ出したのか、彼女のリクエストで連れて来たのかは、定かではありませんが」
「あ、テメー。俺の台詞盗んじゃねえよ」
 アルマの質問に自分で答えたかったのか、バルムンクが気持ち悪い非難をする中、
 そのアルマは肯定されたことを受け、思案顔を作り始めた。
「やっぱり、本当にここに来てたんですねー」
「どうやら、そのようです」
 そして、情報が不十分だったのか、リオグランテとファルシオンはここでようやく
 それを確認したらしく、ホッと胸を撫で下ろしている。
 その隣で、フランベルジュは未だ歯痒さと格闘していた。
 傷つけられた誇りは、更にその深度を増していた。
「ウチの連中も捜査中だぜ。俺等だけじゃなく、他所もな。あの家に貸しを作るのは、
 この街で伸し上がるにゃ一番手っ取り早ぇからな」
 他所。
 それが【ウォレス】や【ウエスト】と言った、他のギルドを指しているのは明白だった。
 尤も、フェイルが【ウエスト】に依頼されている事は知る由もないが――――
「って訳で、俺等の捜索の邪魔をするってんなら、容赦はしねぇ。覚悟しておくんだな。
 そこの優男も、そしてテメーも、な」
 バルムンクはハイトと、そしてフェイルにそう告げ、最後にアルマに別れの言葉を
 述べ、揚々と引き上げて行った。
 残された面々は、荒らされた酒場にそれぞれ視線を向ける。
 台風一過――――まさにその言葉が相応しい。
「……何処までも無視してくれたじゃない」
 そんな中、フランベルジュだけは、バルムンクの大きな背中をいつまでも睨んでいた。
「余り気に病む事はない。あの男はこの国においても最高峰の使い手だ。
 目標にはしても、敵視すべきではない」
 その背後から、客の剣士が話しかける。
 この男も、フランベルジュ同様、この場においては殆ど存在感を示せずにいた事に
 少なからず屈辱感を抱いているらしく、諦観した物言いとは裏腹に、渋い顔をしていた。
「闘り合う前から白旗なんて、冗談じゃないってのよ」
「強気だな。が、あの男に睨まれてそう言えるのは、大したものだ。
 俺の名はフライ=エンロール。機会があれば、一度剣を合わせよう」
 それでも、最後には口の端を無理矢理釣り上げ、フライと名乗った男は
 酒場を後にした。
「悪いが、お前さん等も今日はお開きにしてくれ。後片付けをしなくてはならん」
 それを合図に、マスターが巨体を揺すりながら入り口の札を『準備中』へと変える。
 その巨体で、一人で片付ける事が出来るのかは大いに疑問だったが、マスターが
 助力を固辞した為、フェイル、アルマ、勇者一行、そしてハイトと客の弓使いは
 酒場【ヴァン】をゾロゾロと退出した。
「弓矢、ありがとうございました。助かりました」
「いや……君はスゴいな。同じ弓使いとして尊敬するよ。あのような真似はとても出来ない」
 最大限の賛美を受け、フェイルは頬を指で掻きながら、逆の手で握手を交わす。
「僕はクロイツ。また会う機会があれば、弓について語り合おう」
「ええ」
 一足先に、弓使いクロイツが去る。
 それを見送るフェイルの傍に、いつの間にかハイトが立っていた。
「驚きましたよ。まさかフェイルさんが凄腕の弓使いだったなんて」
「アレは偶然ですって。あんなの、狙って出来る人はいませんよ」
 実際――――矢に矢を当てると言うのは、不可能に近い。
 限りなく狭い的、すなわち『点』を狙うのは、弓をある程度極めた人間であれば可能。
 だが、動く点を、それも迫り来る点を狙う行為は、その難易度を遥か上へと設定
 しなくてはならない。
 狙っていはいた。
 しかし、上手く行ったのは偶然と呼んで差し支えないくらいの確率を
 偶々引き当てただけだった。
「それは兎も角……ハイト司祭も、貴族の子を探しに来たんですか?」
「ええ。迷える羊を導くのは教会の使命ですから。では、私はこれで」
 ここでは司祭ではない――――そう言った筈のハイトが、教会と言う言葉を
 使った意味は、決して無視出来ない。
 教会に属しつつ、司祭と言う身分を破棄していると言う事になる。 
 教会の中には、『聖輦軍』と呼ばれる臨戦や工作を得意とした特殊部隊もある――――
 弓兵時代に聞いた話を、フェイルは遠い記憶の中から引っ張り出し、嘆息した。
 ハイトも去り、酒場の前には勇者一行とフェイル、そしてアルマのみが残る。
「あ、えーと、はじめまして。リオグランテ・ラ・デル・レイ・フライブール・
 クストディオ・パパドプーロス・ディ・コンスタンティン=レイネルです」
「……長いね」
 そのアルマと勇者一行が挨拶を交わしている様子を見て、もう一つ溜息。
 同時に、これからどうするかをフェイルは一人静かに考えていた。
【ウエスト】からの依頼がある以上、スコールズ家の娘リッツはどうしても
 自分が見つけ、身柄を確保しなくてはならない。
 だが、勇者一行と共に行動し、見つけた場合、話はややこしくなる。
 弓の使い手としての自分を見せたのは、流れ上致し方なし。 
 だが、裏の仕事まで知られる訳にはいかない。 
(……待てよ)
 そこまで思案したところで、フェイルはデルに告げられた依頼内容を改めて思い出した。
『その娘をどの組織より早く身柄確保して、スコールズ家に帰す。それが依頼だヨ』
 つまり、身柄を【ウエスト】に引き渡す必要はない。
 フェイルがスコールズ家に引き渡した時点で、【ウエスト】の手柄である事は
 ギルド側で証明するのだろう。
 それならば――――勇者一行と協力する事に支障はない。
「考えはまとまりましたか?」
 そんな頭の中を見透かしている訳ではないのだろうが――――
 思案に耽っていたフェイルの隣に、いつの間にかファルシオンが立っていた。
「一応、ね。そっちは?」
「恐らく、同じ結論だと思います。複数のギルドが競合する中、私達が個別に
 動いていては、余りにも旗色が悪いですから」
 ファルシオンは、笑顔こそ見せないが、声をやや強くして同調を示す。
「これは、千載一遇の好機です。貴族の御令嬢を私達が見つけて家に返せば、
 借金返済は勿論、【デ・ラ・ペーニャ】への旅費も確保出来ると確信します」
「あ、そういう動機だったんだ」
「リオだけは別みたいですけど。勇者として、年齢の近い女性を助けるのは
 当然の事、なんだそうです」
「立派な志だけど……」
 それを実現出来るだけの地力は、まだまだ付いていない。
 尤も、それはここにいる全員に言える事。
 そして、その不足を最も嘆いているフランベルジュは、ムスッとした顔で
 腕組みしながら遠くを見ていた。
「フェイルさーん! 今日はアルマさんの家に泊まって行って良い、って
 言ってくれてますけど、どうしますー?」
「え……良いの?」
 管理人と言う立場の手前、特定の住民に対してそこまで親身になると言うのは、
 意外だった。
 尤も、この酒場までわざわざ足を運んだ時点で、その理論は破壊しているのだが――――
「別に良いよ。家に他人を泊めるなんて凄く久し振りだから、ちょっと楽しそうだし」
 実際、アルマは薄く笑み、その美しい容貌を小さく揺らしていた。
 斯くして。
 フェイルと勇者一行は、アルマの家で世話になりつつ、今後の方針を練る事となった。





 

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