【メトロ・ノーム】二度目の来訪は、一度目の意図しない離脱から僅か30分後。
 諜報ギルド【ウエスト】の倉庫の扉まで戻った所で、一人静かに待っていた
 アルマと合流し、一旦そのアルマの家まで戻った。
 その間、会話は一切なし。
 ただ、この状態が気まずさを生み出すと言うのは、もうなくなっていた。
 アルマ=ローランと言う女性は、この一言も発さない状態が自然であり、
 それを敢えてどうにかしようとする必要はない。
 そう理解し、フェイルも考え事に没頭しながら歩行するようにした。
 実際、考える事はたくさんある。
 状況を整理すると――――現段階において、フェイルは二つの目的を達成する必要がある。
 まず、そもそもこの地へ赴く要因となった、香水店【パルファン】との商品共同制作。
 その契約を、この【メトロ・ノーム】で行う事で、現在の困窮した経済状況を
 改善すると言うのが、第一の目標だ。
 これに関しては、既に進展を果たしており、どのような商品を作るかと言う
 具体案を考え、それをマロウに伝えれば良い。
 期日は指定されていないが、待たせる訳には行かないので、数日中に
 案を出し、考えをまとめて、草案の書類を作る必要があるだろう。
 ただ、これに関しては、勇者一行――――正確にはファルシオンとも話をして、
 どのような商品が良いか熟考する形になる。
 今から直ぐに、と言う訳には行かない。
 何故なら、その勇者一行は今、別件で動いているからだ。
 そして――――フェイルもまた、その件に関与する事になった。
 貴族として、レカルテ商店街を含むヴァレロン新市街地全土に強大な影響力を
 持つスコールズ家の一人娘、リッツ=スコールズの身柄確保。
 これが、第二の目的であり、最優先事項だ。
 よって、場合によっては勇者一行と敵対する事になる。
 それだけではない。
 競合相手が多い――――そうデルは言っていた。
【ウォレス】や【ラファイエット】と言った傭兵ギルドも動いている可能性が高い。
 そして、それは同時に、事態の深刻さ、緊急性を示していた。
 勇者一行の話では、家出による失踪と言う事だったが――――それならば
 とうに居場所は判明しているだろう。
 少なくとも、諜報ギルド【ウエスト】が、外部の人間にまで依頼をする
 事態には発展しない。
 貴族の娘の行動力など、高が知れているのだから。
 そうなっていないのは、何らかの問題が発生したか、元々家出以外の理由で
 失踪したか。
 いずれにせよ、身の安全が保証されていない状態だ。
 いかにも、勇者がお使いの途中に遭遇しそうなイベントだと、フェイルは
 心中で苦笑を禁じえずにいた。
 そして、それだけに厄介な問題。
 この目的の達成は、以前の仕事の失敗の尻拭いであると同時に、ビューグラスの
 身の安全を確保する事に繋がる。
 逆に言えば、今回の依頼を失敗すれば、その保証がなくなると言う事だ。
 仮に、フェイルではない【ウエスト】の諜報員の誰かがリッツ=スコールズの確保に
 成功した場合であっても、失敗と言う事になる。
 ギルドは依頼に過程を求めない。
 結果が全て。
 陳腐な表現ではあるが、それが絶対であり、正義。
 よって、例えクラウ=ソラスやバルムンク、そしてリオグランテ達と争ってでも、
 リッツ=スコールズを自らの手で救わなくてはならない。
 フェイルは苦笑していた心が次第に笑みを止め、俯いていくのを感じていた。
「……あ」
 そして、実際に視線を下げていた事に気付き、ふと見上げると――――
 そこにはアルマの家があった。
 考え事をしながら歩くと、移動が苦にならない代わりに道を覚えられない。
 何かを得れば、何かを失う。
 当たり前の事ではあったが、フェイルは再び心中で苦笑した。
「羽根ペン」
 そんなフェイルに、家に入りながらアルマが声を向ける。
「あ、そうだった。はい」
 目的を一つ思い出し、フェイルは懐に忍ばせていた金色の羽根ペンを
 取り出し、それを差し出す。
「……」
 特に感想もなく、アルマはそれを受け取り、足音もなく家へ入って行った。
 そして――――その後、無事登録終了。
 フェイル=ノートの名は、【メトロ・ノーム】の住人を記した帳簿に
 無事刻まれる事となった。
 これで、この家で行う事は全て完了。
 後は帰るだけなのだが――――
「……えっと、この辺りの地図って、持ってます?」
 フェイルは帰り道を完全に忘れてしまっていた!
「……」
 無情の左右首振り。
【ウエスト】へ続く塔を使うにも、そっちの道も完全には覚えていない。
「じゃ、じゃあ……最寄の地上へ帰る道を教えて貰って良いでしょうか。
 地図を描いてくれると助かるんですけど」
「……」
 今度は首肯。
 フェイルは安堵しつつ、羊皮紙に羽根ペンを走らせるアルマの姿を
 見守り――――ながら、徐々に表情を曇らせた。
 結果、完成したそれは、地図と言うより川のせせらぎを模写した
 幼児の落書きのようだった。
「……」
 アルマとしても痛恨の出来だったのか、その紙は瞬時にゴミと化し、
 新たな紙が机に敷かれる。
 これまでで一番真剣な表情で、仕切り直し。
「……」
 結果、完成したそれは、地図と言うより風にたなびく洗濯物を模写した
 嬰児の傑作のようだった。
「……」
 再び紙が丸められ、ゴミ箱へと投じられる。
 そんな繰り返しが延々と続き――――無駄に出来ない筈の時間が
 延々と磨耗して行く事となった。
「あ、あの。地図は良いから、案内して貰えないでしょうか?」
「……」
 ブルンブルンと首が横に振られる。
 意地でも地図で報せたいらしい。
 とは言え、このままでは一晩かけても終わりそうにない――――
 そう考えたところで、フェイルの頭には全く別の疑問が湧いてきた。
「話は変わるけど、この地下世界って夜は存在したりします?」
 時間帯としての夜は、存在するだろう。
 しかし、地上のような、日中の明るさが失われ、闇に包まれる――――
 と言う変貌があるかと言うと、疑問を持たざるを得ない。
 地下であるにも拘らず、ここには灯りが存在している。
 それは、魔術学と生物学、そして薬草学の粋を集めた技術だと
 マロウは言っていた。
 自然とは異なる照明。
 とは言え、ランプのように、簡単に消せるものなのかと言うと、
 その光景は想像出来ない。
 ふと湧いたフェイルの知的好奇心に対し、疲労の見え始めたアルマは
 若干の間の後、コクリと頷いた。
「……」
 そして、突然何かに気付いたような顔になり、椅子から腰を上げ、隣室へ向かう。
 視線で追うと、その部屋にはランプ時計が見えた。
 時間を刻む道具が開発されてかなり経つが、一般家庭に時計がある事はまずなく、
 大抵は時刻は教会、修道院等の鐘の音で判断する。
 当然、薬草店【ノート】にもランプ時計のような高級品はない。
 ただ、フェイルは城やシュロスベリー家で何度も目にしていたので、
 驚く事はなかった。
 そんなフェイルの視線を背に、アルマは時計を確認した後、慌てて
 杖を取り、外へと向かう。
 その行動の意図がわからず、フェイルが後を追うと――――
 アルマは最初に見かけた際に下りてきたあの石畳の山を上っていた。
 長い杖を引きずり、音を立てながら。
 そして、頂上に着くと直ぐ、その杖を掲げ、宙に文字を綴った。
 僅か数文字。
 しかし、その文字の後ろに、自動的にその何十倍もの数の文字が並ぶ。
 高速の文字の羅列は、まるでこの世のものとは思えないような
 異質な光景となり、フェイルの視界を蹂躙した。
 そんな景色が消え――――同時に、少しずつ【メトロ・ノーム】の様子にも
 変化が訪れる。
 微かに、暗くなっていた。
「……危なかった」
 その様子を確認し、アルマが呟く。
 明らかに、これまでとは違う、躍動感のある声。
 思わず怪訝な目をするフェイルに対し、アルマはダランと杖を持った
 左手を下げつつ、見下げてきた。
「この【メトロ・ノーム】の夜は、此方が管理しているんだよね。
 もし遅れたら、また文句言われるところだったよ」
 そして、これまでとは打って変わって饒舌に話し始める。
 その変化に戸惑いと言うより唖然としつつ、フェイルは悠然と石畳を下りる
 美しい女性に暫し目を奪われていた。
「驚くのも無理はないよ。今までの此方は、ほぼ全ての魔力を【メトロ・ノーム】の
 管理に費やしていたから、最低限の言語以外は話せずにいたからね。
 今は照明を解除したから、多少の余裕はあるけど」
「そ、そうなんですか……驚いた」
「でも、貴方は落ち着いている方だよ。さっきまで一緒にいたマロウ女史は、
 最初、暫く混乱してたからね」
 意外な褒め言葉を受けても、フェイルは照れる事も出来ず、
 現状を受け入れるので精一杯だった。
「さて、帰ろうか。今なら少しは頭が働くから、地図も書けるよ」
「は、はい」
 まるで突然別人を相手にしているような状態になったフェイルが
 慌てて後を追う中、アルマは淡々と歩を進める。
 その後姿は、全く変わらない。
「……魔術を使うと、話せなくなるものなんですか?」
「此方の場合は、ね。普通の魔術士は、自分の魔力量の中で使える範囲の
 魔術士か使えないから、魔力を使い果たしても、せいぜい極度の疲労感で
 動けなくなるくらいだけど、『封術士』の場合はちょっと違うから」
 封術士――――その言葉もまた、フェイルにとっては初耳だった。
 封術は、魔術士が使う魔術の一種。
 その術に特化した者と言う事は容易に想像出来るが、そのような存在は
 聞いた事がない。
「封術士は、自分の魔力以上の力を使って封術を使う。だから、人格にまで
 影響が出るんだよ」
 サラッと説明したその内容は、かなり恐ろしいものだった。
 人格に影響を及ぼす魔術――――もはやそれは、魔術と呼んでいいシロモノではない。
 呪術や禁術の範疇。
 或いは、命すら縮めている可能性もある。
 しかし、その後姿には悲壮感はない。
「デル君とは何を話してたの?」
 不意に、今度はアルマが質問を投げ掛けてくる。
「ちょっとしたお願いをされました。行方不明の女の子を捜すって言う」
 先に質問した手前、沈黙する訳にも行かず、フェイルは話せる範囲で
 正直に答えた。
「ああ、スコールズ家のお嬢様だね。リッツちゃんだっけ」
 しかし、アルマは既に核心を知っていたらしく、固有名詞まで出して来る。
「大変みたいだね。誘拐でもされたのかな」
「そうかもしれませんね」
 それは、最も可能性の高い推測。
 貴族の令嬢が行方不明になる理由としては最も適切だ。
「情報を集めたいのなら、この【メトロ・ノーム】にある酒場に行くといいよ。
 地上ではきっと詳しい事は教えて貰えないからね。場所を教えてあげる」
「あ、ありがとうございます。って言うか、酒場もあるんですね……」
 二つの意外な事実に、フェイルは思わず感嘆の声を漏らした。
 とりわけ、アルマから道を切り開いて貰えると言うのは、全く頭にない事態。
 これは幸運なのか、必然なのか――――そんな事を考えている間にも 
 アルマの家に到着。
 その家の主は長い杖を家の玄関先に置き、微かに微笑んだ顔をフェイルに向ける。
「酒場に行くのは久し振りかな。少し緊張するね」
「え……? 一緒に行くんですか?」
「あ、そうそう。敬語は使わなくていいよ。同じくらいの歳みたいだから」
 意外な発言に驚くフェイルを置き去りにする勢いで、アルマは石造りの家を
 悠々と出て行った。




 

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