「早速だけど、本題に入らせてネ。失礼かもしれないけど、俺も忙しい身なんだヨ」
 デル=グランラインと名乗った男の口調は、飄々とはしているものの、
 眼前のアウロスへの最低限の敬意は保っていた。
 その目尻の沈んだ目は、人を嘲弄する類の光を発してはいない。
 実際、諜報ギルド【ウエスト】の支隊長代理であれば、時間に追われる
 生活は寧ろ必然だ。
 ただ、フェイルには解せない事があった。
「本題……?」
 ここへ連れて来られたのは、紹介という名目。
 それがただの顔見世であれば、もう本題は終わっている。
 つまり――――ここで連行された理由が他にある、と言う事だ。
 例えば、【メトロ・ノーム】の住人となる為には、何らかの条件が必要で、
 これからその条件を提示される、等と言う――――
「あれ? 聞かされてない?」
「いや、何も話してくれないんで」
 困り顔でアルマの方に視線を送るフェイルに対し、デルは大きく
 噴出する直前のような顔で苦笑を作っていた。
「今のアルマちゃんは話さないよ。そちらさんを【地下】に案内した人」
「香水店の代表の女性ですか? そっちも特に何も……」
「ん〜……そ。聞かされてない。んじゃ仕方ない。手短に説明しようか」
 特に不満を顔に出す事なく、デルは早口で捲くし立てて来る。
 一方のフェイルは、全く話が見えず、ただ困惑していた。
 確かに――――ここまでの展開には、不自然な点が散見している。
 その違和感が満たされる事を祈り、耳を傾ける事にした。
「【地下】……あ、【メトロ・ノーム】の事ネ。この【地下】では、基本的に
 何やってもいいし、それを咎める官憲や法律は存在していない。
 何故なら、【メトロ・ノーム】はこのヴァレロンとは独立した、独自の国だからサ。
 尤も、国王もいないし、代表者すら存在してない、バラバラの国だけどネ」
「国……ですか」
 デルの言葉に、退屈そうなアルマから目を離し、フェイルは暫し絶句する。
 国内に別国から領有権を主張されている地域はある。
 だが、この【メトロ・ノーム】は全くそれらの地域とは意味合いが異なる。
 領有権を主張する存在がない。
 それは、事情を全く解さないフェイルでも直ぐにわかった。
 そのような土地は、世界の何処にもない――――筈だった。
 しかし、現実として既に目にしている以上、その存在を感じざるを得ない。
 デルが国と呼ぶのにも、頷かざるを得ない。
「そ。んで、国である以上は秩序が必要なんだけど、皆面倒臭がりでサ。
 表で抑制されてる分、裏では開放的って言うか、そんなカンジなんだネ。
 仕方なく、若造の俺がこうやって、審査なんかしてるってワケ」
 審査と言う言葉は、先程の『本題』と掛かっていた。
 そう。
 もう本題は始まっていた。
「ま、危険人物じゃなさそうだし、問題ないかナ。もう登録は
 済ませちゃってるんだよネ? アルマちゃん」
 そして、フェイルは知らない間にその審査を通過していた。
 かなり緩い審査らしい。
「……」
 未だ首を傾げたい心境のフェイルを尻目に、アルマはコクリと頷く。
 ちなみに、実際には登録は終わっていない。
 それを隠す必要性がわからない事もまた、フェイルを混乱させた。
「はい、了解。それじゃ、こっちでも処理しとくヨ。と、言う訳で……
 あ、その前に鍵見せて。貰ってるよネ?」
「一応」
 先程マロウから受け取った、【118】と書かれた鍵を差し出す。
 そして――――その際にフェイルはようやく、この一連の流れの
 不自然さを具体的に察した。

 ――――何故、この鍵をアルマでもデルでもなく、マロウが差し出したのか?

「はい、了解。118ネ。んじゃ、もういいよ。お疲れ。アルマちゃん、
 今度はプライベートで遊びに来てヨ。夜にでも」
 フェイルの疑問は、デルの軽口の間も、頭の中を彷徨っていた。
 そして、既に答えは出ている。
 以前マロウに対する疑惑を感じた時から、考えていた事。
 最初から仕組まれていたのだ。
 フェイルが【メトロ・ノーム】の住人となる事は。
 ただ、その場合、新たな二つの疑問が発生する。
 この状況の発端は、『香水店との共同制作のお伺い』と言う、自発的な行動。
 そこに外部からのコントロールはない――――筈だった。
 何故、それが他者から仕組まれた展開と合致するのか。
 そしてもう一つは、意図。
 フェイルを【メトロ・ノーム】に引き込む事に、誰が何の利を生むのか。
「わかりました。それじゃ、失礼します」
 まるで状況が読めない中、フェイルはそれらの思考を取り敢えず
 外へと置き、軽く一礼した。
「あー、ちょっと待って。フェイル君はもう少しお話があるんだヨネ。アルマちゃんは
 もういいよ。お勤めご苦労さん」
「……」
 時間がない、と言う割に、デルはフェイルを引き止めた。
 それも不自然ではあるが――――アルマはコクリと頷き、マイペースな足取りで
 フェイルへと近付く。
「羽根ペン」
 そして、それだけを発し、扉を開いて部屋を出た。
 つまり、羽根ペンを借りてきて、もう一度家に来い、と言う事らしい。
 或いは――――先程の嘘は、只の見栄だったのかもしれないとフェイルは
 邪推し、若干緊迫感を失った。
 しかし、次の瞬間――――緊迫感は逆に完全に消える。
 代わりに噴き出てくるのは、警戒心。
「へえ。噂は本当みたいだネ」
 デルの顔は、それまでと一切変わっていない。
 口調も。
 にも拘らず、フェイルの中に標準装備された警鐘が、その音を鳴らし続けている。
「そんな、虫も殺さないような顔して……しっかりと実戦派なんだネ。
 驚いちゃったヨ」
 諜報ギルド【ウエスト】の幹部は、半ば呆れ気味に呟く。
 一方で、何処か楽しげに。
「……話って、何?」
 フェイルは自然と、敬語を止めていた。
「単刀直入に言うと、君に働いて欲しいんだヨ。要はお仕事の依頼」
 そんなフェイルの口調の変化に一切触れる事なく、デルは
 不躾にそんな事を要求して来た。
「少し前の話になるんだケド、この【ウエスト】で、ちょーっと看過出来ない
 事態が起こってたんだよネ。今後悪い意味で語り草になりかねないような」
 その言葉に――――フェイルは嫌な予感を覚えずにはいられなかった。
「何者かが寄越した間者が、紛れ込んでいた」
 刹那。
 これまで常に友好的だったデルの目が、不穏な揺らめきを見せる。
 もし事前に警戒していなければ、思わず驚嘆したかもしれない――――
 フェイルは冷や汗を頬に感じながら、思わず眉間に皺を寄せた。
「諜報ギルドが間者の生息を許すなんて、末代までの恥だよネ。
 幸い、致命的な問題が生じる前に処理出来たケド、このままだと
 メンツが瞑れたまま、なんだ」
 デルが何の事を言っているのか――――フェイルは即座に理解した。
 以前、ビューグラスの依頼を受けに彼の館を訪れた際に聞いた話。

『【ウエスト】は知っているな。その中に一人、儂の子飼いの者がいる。
 しかしここ一週間連絡が取れない』

 その事を、デルは話している。
 何故それをフェイルに――――それは言うまでもない。
 これは、脅迫だった。
「現在、【ウエスト】は主犯の男をどうするか、でちょっと意見が割れててサ。何だかんだで
 この街のお偉いさんで、影響力の強い彼を始末するのは、ちょっとリスクが高い。
 でも、このまま放置って言うのは、他所の手前、難しい。で、折衷案として、
 彼に楔を打ちつつ、【ウエスト】の権威を回復したい、と思ってるんだよネ」
「……」
 フェイルは、眉間に刻んだ皺をそのままに、思考に耽る。
 以前――――ビューグラスから受けた依頼。
 それは、この【ウエスト】に間者として送り込まれたビューグラス子飼いの
 人物を、内密に生け捕りとする、と言う内容だった。
 その間者はビューグラスを裏切り、何者かにビューグラスの情報を高額で
 売るつもりでいたらしいが、結果としてその人物は【ウォレス】の代表、
 クラウ=ソラスの手によって殺害された。
 それを依頼したのは、【ウエスト】。
 フェイルにとっては、依頼の失敗と言う結果に終わったこの件は、
 忘れたくても忘れられない過去だ。
 現在の迷走も、裏の仕事の依頼先がなくなった事に由来する。
 何より――――恩人の依頼をこなせなかったと言う悔恨。
 思わず、拳に力が入る。
 ただ、今は自分を責める時ではない。
 何故、【ウエスト】が今フェイルを脅しているのか――――それは想像に難くなかった。
 フェイルとビューグラスの関係性を、【ウエスト】が把握していると言う事。
 同時に、デルの発言から察するに、間者の主がビューグラスだったと言う事も。
 権力者のビューグラスであっても、世界屈指の諜報ギルド相手に情報戦で
 勝利すると言う事は、困難だったようだ。
 その皺寄せが、フェイルに今来ている。
「僕は、何をすればいい?」
 フェイルは、思わず笑みを零した。
 意図的なものではない。
 まして、皮肉など込めてもいない。
 心からの歓喜。
 ようやく、尻拭いが出来る――――その一心だった。
 自分が【メトロ・ノーム】へ呼び込まれた原因は、未だわからない。
 何より、マロウがビューグラスと接点を持っていた以上、彼の関与の
 可能性も否定することは出来ない。
 だが、それを今考えても仕方がない。
 余りに判断材料が少なすぎる。
 今は、過去の失態の挽回が最優先。
 そして――――
「やってくれる、って事で良いんだネ?」
「僕がその依頼をこなせば、間者の主に手出しをしない、って解釈で
 間違っていないんならね」
 何より重要なのは、そこだった。
 恩人。
 そして、幼なじみの父親。
 守らなければ、ならない。
「勿論。言葉遊びや不義理をするつもりはないよ。これでも、世界を相手に
 している諜報ギルドだからネ。君が依頼を果たせば、彼には一切手出しはしない。
 約束するヨ。契約書も発行する」
「……了解。内容は?」
 フェイルの両目に、翼が宿る。
 使う機会が極端に減った、二つの目。
 それが今、役割を帯びようとしている。
「実は今、この街では面白い事が起こってるんだケド、知ってるかな。
 スコールズ家の一人娘の失踪事件」
「話だけなら」
「それなら、話は早い。その捜索依頼がスコールズ家から出てるんだケド、
 中々見つけられなくてネ。その娘をどの組織より早く身柄確保して、
 スコールズ家に帰す。それが依頼だヨ」
 失踪した貴族の娘を見つけ出し、安全を確保する――――それは、諜報ギルドにとって
 この上ない名誉。
 かなりの大役だ。
「かなり色んなトコロとの競合になるから、簡単じゃないケド……ま、ガンバってネ」
 デルの口にした依頼に、フェイルは暫時の間もなく、一つ頷いてみせる。
「で、一つお願いしたいんだけど」
「何かナ? 経済的な支援は受け付けないヨ。情報も自分で……」
「じゃなくて」
 そして、視線を机の方に向け、告げる。
「そこの羽根ペン、一本貰えると助かるんだけど」
「……好きなの持っていっていいケド」
 デルが思わず噴き出す中、フェイルは目を細めて色とりどりの羽根ペンを吟味し始めた。




 

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