メトロ・ノーム――――そう呼ばれる地下空間を形成するのは、地上を
 遥かに上回る建設技術によって施工された、人工の壁と道、そして天然の天井だ。
 特に目を惹くのが、石造りの地面。
 ある程度の規模の街であれば、街路は大抵石によって舗装されているが、
 それでも所々傷んでいる事が多く、実際フェイルの住むレカルテ商店街も
 穴の開いた箇所は多数見受けられる。
 にも拘らず、このメトロ・ノーム内の地面には、そう言った形跡が
 殆ど見られない。
 尤も、それは人の行き来、或いはそれ以上の重量の馬車等がいない事が
 大きな要因と思われる。
 フェイルはアルマの後ろを歩きながら、この奇妙な空間の理解に努めていた。
「……」 
 一方、アルマは一切の言葉を発せず、ただ淡々と歩を進めていく。
 彼女の家があった場所から、既に10分以上の歩行を沈黙のままで行っていた。
 尚、方角も全くわからない。
 未知の都市を目的地もわからず歩き続けるのは、かなりの疲労を生み出すと共に、
 まるで少年の頃に戻ったかのような躍動感を心の中に芽生えさせる。
 とは言え――――初対面の相手との沈黙の時間は、耐え難いもの。
「まるで、神殿の中を歩いてるみたいですね」
 フェイルはコミュニケーションを図るべく、自身の素直な感想を述べ、
 アルマが食いつくのを待った。
 結果、沈黙の維持。
「……」
 頭を抱えたい心境で、歩を進める事態になった。
 ただ、このメトロ・ノームと言う空間は、そんな心境であっても知的好奇心を
 いたずらに刺激してくる。
 あくまで地下であるこの空間には、所々柱が見受けられるが、その柱はそれぞれ
 貴族の屋敷のような彫刻が施されている。
 実際、神殿そのものと言ったような空間だ。
 彫刻からは宗教色は窺えず、芸術性を突き詰めたかのような、得体の知れない
 紋様が刻まれている。
 そして、それらの柱の間隙を縫うように、幾つかの建物が散見された。
「紹介」
 突然――――本当に唐突に、アルマが呟く。
 思わず身を縮ませて驚きを表現したフェイルは、慌てて視線をアルマの背中に移した。
 特に振り向くでも立ち止まるでもなく、ゆったりとした歩調にも変化はない。
 つまり、コミュニケーションの続きを行うには、『紹介』と言う言葉しか
 取っ掛かりがない、と言う事。
 それから、この一連の行動に関する情報を連想しなくてはならない。
「えっと……つまり、僕をここの偉い人とかに紹介してくれる、とか?」
 フェイルは熟考した結果、最も妥当な見解を示してみた。
「……」
 結果、首肯。
 しかも、心なしか今までより首の振りが鋭かった。
「……その偉い人って、誰なんですか?」
 恐る恐る、フェイルは次の質問を投げ掛ける。
 しかし、返答は帰ってこない。
 首振りだけで答えられる質問以外は、余り対応が素早く出来ないのかもしれない――――
 なんとなく、フェイルはそう結論付けてみた。
「その人に紹介しないと、登録して貰えない、とか?」
 コクリと、振り向かないまま眼前の女性が首肯する。
 取り敢えず、意思疎通の方向性は見えてきた。
「それは、いつも貴女が紹介してるんですか?」
 コクリ。
「紹介をするのが、貴女の仕事?」
 フルフル。
 フェイルの矢継ぎ早の質問に対し、アルマは首振りだけで応対してくる。
 ただ、反応速度は中々素早い。
 先程抱いた懸念の一つである『嫌われている』は、当て嵌まりそうにない事がわかり、
 何となくフェイルは安堵した。
「えっと、それじゃ……」
 そして、新たな疑問を告げようとした刹那――――アルマの歩が止まる。
 同時に、質問に夢中になっていたので、周囲の視覚的情報処理を怠っていた事にフェイルは
 ようやく気付く。
 いつの間にか、巨大な柱の前に辿り着いていた。
 柱と言っても、寧ろそれは塔に近い造り。
 人が中に入って三人ほど並べる太さの円柱だ。
「……」
 そこで、アルマは持ってきた巨大な杖を振りかざし、空中に何らかの文字を描いた。
 文字とフェイルが判断できたのは、光の帯がそれを形成したからだ。
 ただ、それは日常の中で使う文字ではない。
「ルーン……?」
 魔術文字と呼ばれる、魔術士が魔術を施行する際に綴る文字。
 それが一文字だけ、杖を包む光によって空中に描かれた。
 そして、その後――――その文字の横に、自動的に幾つもの文字が連なって行く。
 以前、ファルシオンが言っていた『オートルーリング』と言う、魔術士の新技術。
 これによって、大掛かりな魔術を使う際も、いちいち何文字も自分で綴る必要が
 なくなったと言う。
 フェイルはその技術を、ファルシオンの行使した魔術を通して見た事があった。
 ただ、その時に自動的に編綴された文字は、僅か数文字。
 今、目の前に並び、徐々に塔の周囲を取り囲むように紡がれていく文字は、
 ゆうに100を超えていた。
「凄……」
 思わず感嘆の声を漏らすフェイルの五感が、続けて刺激される。
 今度は、聴覚。
 何かが大きく崩れる音。
 その音は、ついさっき回想した、昔ビューグラス家でガラス彫刻を落とした時の
 それに良く似ていた。
「……」
 その音がした瞬間、アルマは杖を下ろす。
 そして、柱に近付き――――蹴った。
「え?」
 すると、その箇所が扉に変わる。 
「……第一級幻覚指定、解除」
 そう言う事らしい。
 何故蹴ったのかは不明だが、つい先刻まで柱だった筈の円柱は、印象通り
 塔へと変わっている。
 アルマは扉を開き――――フェイルに視線を向けた。
「入れ、って事?」
 コクリ。
 その首肯に思わず苦笑しそうになるのをこらえ、フェイルは従った。
 知的好奇心もあるが、何より眼前の女性に逆らうのは、この状況では得策とは言い難いからだ。
 フェイルにとって、マロウとの契約は死活問題。
 ここでアルマに対して悪い印象を与えてしまうと、マロウの心象まで悪くしかねない。
 初対面の無口な女性の心象を気にかけなくてはならない生き方に辟易しつつ、フェイルは
 扉を潜り、塔の中へ入った。
 そして、その瞬間、塔と言う表現が誤りだった事に気付く。
 そこには――――天へ向かって長く伸びた壁と、それに等間隔で取り付けられた格だけがあった。
 つまり、天井へ向かう梯子。
「これを……上れと」
 無表情でコクリと頷くアルマから視線を戻し、フェイルは天を仰いだ。
 視認する限り、天井までの距離そのままの高さ。
 尤も、弓兵時代、こう言う梯子の上り下りは何度も行っていたので、問題はない。
 弓兵は高い場所を確保するのも仕事の内。
 その頃を思い出し、格に手をかける。
 幸いにも、かなりしっかりと接着しているようで、落下する心配はなさそうだった。
「……この先に、紹介する人がいる、って事ですよね?」
 フェイルは首肯するアルマを確認し、嘆息交じりに本格的に上り始めた。
 一つ、また一つ。
 格を足蹴にして行く度に、腕が疲労していく。
 明らかに筋力は衰えていた。
 元々、弓兵には一定の腕力は必要だが、その必要性は背筋、胸筋には大きく劣る。
 腕の力は、ある程度で良い。
 それより、弓を引っ張る上で重要なのは、背筋と胸筋、そして下半身。
 特にフェイルは、一対一で敵を制圧できる弓兵を目指していたので、鍛錬の中心は
 主に機動力の向上だった。
 それが一番、今後に向けて必要だと信じて行ってきた。
 その結果が現状の苦痛と言う現実に、落胆すら覚えながら、フェイルは一つ、
 また一つと上へ進む。
 不思議な事に――――肉体、精神共に磨耗していく中、少しずつ、だが確実に上昇している
 この移動環境は、中々の充足感を有していた。
 そして、上り始めてから五分が経過した頃、ようやく天井へと辿り着いた。
 周囲のような天然の岩石ではなく、整備された石造りのもの。
 特に取っ手は付いていない。
 こう言う場合、出来る行動は一つ。
 押す。
 それがダメなら、ここまで上った意味が全くないが――――幸いにも、浮いた感触が
 腕を通して確認できた。
 片手でも割と楽に持ち上がる石板で、穴を塞いでいる状態らしい。
 フェイルは落ちないよう注意しながら、右手で少しずつ石板と思しき天井を
 横へとずらし、身体が通るくらいの空間を作った。
 そして、頭から侵入――――と同時に、目が合う。
 何かと。
「……」
 暗闇の中で光る二つの目に、フェイルの顔から汗が噴き出る。
 一方、その目の持ち主は、鼻息荒くフェイルの顔を凝視し――――
「ピキーッ!」
 敵と判断したのか、奇声を発して飛び付いて来た!
「わわわっ!?」
 慌てて首を引っ込め、辛うじてその突進を回避するも、身体のバランスが
 著しく崩れ、左手が格から外れる。
 そのまま体重が大きく左に傾き――――左足まで滑り落ちる。
「うわわわわっ!」
 そして、右手に掛かる負荷が限界値を超え、ついには右足だけが
 格に引っかかった状態になり、必然的に身体が後ろ側に傾いて行く。
「……だーーーーーーーっ!」
 英断。
 右足が離れる前に、フェイルは足に力をこめ、格を蹴り――――後ろへ跳んだ。
 もし、これが崖だったら、自殺行為。
 しかしここは、崖ではなく塔の中。
 フェイルの後ろには、壁が存在している。
 その壁が背中に触れる刹那、今度は左足の裏と両手で思い切り壁を押す。
 当然、壁に叩き付けられた格好なので、くまなく衝撃が走るが、少し落ちながらも
 前進する力が加わり、フェイルの身体は格の並ぶ壁の方へと突っ込み――――
 どうにか格を手で掴む事に成功した。
「……あっ……ぶな」
 全身が冷える中、肩で息をしながら、今度は右目を瞑りながら頭を侵入させる。
 先程とは打って変わり、明るい視界が広がる中には――――ネズミがいた。
 先程の経験である程度は想定していたのだが、その数は想定外。
 足の踏み場もない程の、ネズミの集団。
 フェイルの頭は、掌大ほどの大きさの齧歯類に包囲されていた。
「……ふかーっ!」
 猫の物真似で威嚇すると、一目散に逃げていく。
 所詮は小動物。
 フェイルは寿命が一年ほど縮んだような心持ちで、身体を上部へと引き上げた。
 そこは――――倉庫だった。
 場所の特定は不可能だが、高さを考慮すると、地上の施設である可能性が高い。
 この塔は、幾つかある地上と地下、ヴァレロンとメトロ・ノームを繋ぐ階段の
 一つと言う事になる。
「……」
 そんなフェイルの大騒動を尻目に、アルマはスッと上がって来た。
 杖は持ってきていない。
 何度も行き来しているのか、涼しい顔で身体を持ち上げ、倉庫内へ入り、
 フェイルが除けた石板で入り口を塞ぐ。
「つ、疲れてないの?」
 首肯。
 か細い身体の女性に驚愕を禁じえず、フェイルは半眼で嘆息した。
 そんな虚弱な男性を不思議そうな顔で暫く眺めていたアルマは、不意に視線を切り、
 倉庫の奥にある扉を開く。
 その足元でネズミやそれ以外の何かがカサコソ動き回っているが、当の本人は
 特に気にする様子もなく、歩を進めていた。
 扉の先は、また階段。
 ただし、今回は螺旋階段になっており、フェイルがメトロ・ノームへと訪れた際の
 階段とは異なっている。
「……ここ、何処なんですか?」
 思わず口にした質問。
 しかし、それに対する回答はない。
 フェイルは階段を上りながら暫し考え、別の質問を試みた。
「ここ、公共の施設?」
 アルマは歩きながら、首をブンブン横に振る。
 つまり、個人の所有と言う事らしい。
 質問を絞る事は出来るが、あと少し階段を上れば答えが明らかになるので、
 フェイルは口を閉ざし、歩く事に集中した。
 そして、暫く階段を上った後、階段の終点へと到着。
 何もない、階段の入り口だけの部屋。
 その入り口となる扉の前に立ち、アルマは左手の指をかざす。
 先程の杖とは違う魔具らしい。
 今度はオートルーリングではなく、幾つかの文字を全部自分の手で綴っていた。
 その速度は、お世辞にも早いとは言えないが、細く長い指がしなやかに宙を踊る様は、
 芸術然とした美しさがあった。
「……」
 程なく、扉が開く。
 今度は階段はなく、同じ高さのフロアに出た。
 そこは――――廊下だった。
 石造りの壁と、赤い絨毯が敷かれた床。
 置物や絵画などはなく、無骨な印象を受ける。
 窓はあるが、ガラスではなく、山羊の角で作った板で覆われている。
 そして、壁の到るところに、剣と槍を交差したエンブレムのようなものが
 飾られていた。
 フェイルの頭の中には、その光景は記録されていない。
 ただ、そこが何の施設なのかは、ある程度理解できた。
「ギルド……?」
 フェイルの問いに、アルマはしっかりと頷いてみせる。
 ここは、ヴァレロンの何処かにあるギルドのようだ。
 地下では方角もわからずに歩き回っていたので、どのギルドに該当するかは
 わからない。
 緊張の面持ちで辺りを見回すフェイルに対し、アルマは視線で行き先を促し、
 その方向へと向かう。
 通常、ギルドには多くのギルド員が闊歩しているのだが、この廊下には
 全く人気がない。
 つまり、このフロアは一般のギルド員が立ち入り出来ない、特別なフロアと言う事。
 メトロ・ノーム内における『お偉いさん』は、ギルドにおいて高い地位にいる者
 と言う事になる。
「……」
 嫌な予感を覚えるフェイルを背に、平素の歩行速度で身を進めていたアルマは、
 突き当たりにある扉の前で足を止め、フェイルがそこまで着くのを待ち、
 控えめにノックをした。
「や、どうぞどうぞ」
 その返事が聞こえた瞬間、フェイルは嫌な予感が的中した事を確信し、顔を覆う。
 そんなフェイルの様子に小首を傾げつつ、アルマは静かに扉を開けた。
「おろ? アルマちゃんじゃないの。久し振りだネー。元気だった?」
 余りに気さくな声が軽やかに舞う中、アルマに続いてフェイルも入室。
 そこには――――タレ目の男がいた。
 三白眼で、髪の毛がボサボサなその姿は、とても高い地位にいる人間には見えない。
 しかし、室内を見れば、それが誤りであるのは一目瞭然。
 無駄に高級な大理石造りの机や、壁を飾る鹿の剥製などが、それを主張していた。
「……」
 アルマはそんな部屋を見渡す事もなく、半眼で部屋の主を一瞥し、フェイルの
 入室にあわせて身体を横へずらした。
「ああ、紹介? また『あそこ』の住人が増えたの。なんだ、どうせなら理由もなく
 遊びに来てくれた、って方が嬉しかったのにナー、俺としては」
 軽薄な言葉が宙を舞う中、フェイルも訝しげな目を向ける。
 そんなフェイルと、部屋主の男の視線が合い――――男が不敵に笑む。
「あれ? もしかして君、フェイル=ノート?」
「ええ。ったく……どいつもこいつも」
 後半は声を抑え、悪態を吐く。
 自分の知らない人間が、自分の名前や素性を知っているというのは、余り
 気持ちの良いものではない。
「あー、やっぱり。最近君、結構話題になってるよ。ほー、君がネー。
 ま、いいや。取り敢えず、挨拶しておこうか」
 部屋の主は笑みをそのままに、腰掛けていた椅子から身体を離し、
 ゆっくりと立ち上がり、近付いて来た。
 かなりの高身長。
 フェイルが今まで見てきたどんな人間より。
 フェイルより、頭一つ以上大きい。
 その一方で、身体は驚くほど細身だった。
「諜報ギルド【ウエスト】ヴァレロン支部、支隊長代理のデル=グランライン。
 宜しくネ、フェイル君」
 緩やかな動作で握手を求めてくるその細い手に、フェイルは愛想笑いを浮かべるのも
 忘れ、暫し呆然としていた。




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