その目は、まるで宝石のようにフェイルには思えた。
 とは言え、それは歯の浮くような表現としてしばしば用いられる、
 肯定的な意味合いではない。
 寧ろ、その逆。
 無機質な物質――――血の通っていない、生身の人間の目とは思えない
 不気味さを感じていた。
 そして、その一方で、底冷えする程の美相である事もまた事実。
 アルマ、と呼ばれた女性の目は、眺めるだけでそれが自分の器や度量を測る
 試練のような雰囲気を持っている。
「……」
 そんな視線に暫し晒されながら、フェイルは延々と居心地の悪さを感じていた。
「あの……」
「気にしないで。彼女のいつもの行動だから。貴方に興味があるとか、貴方の容姿が
 好みであるとか、そう言う事ではありません」
 好意的な解釈を、バッタバッタと切り捨てる。
 幾度となく、マロウに、若しくはこのアルマという女性の周囲にいる知人に対して
 向けられた誤解の言葉があったのだろうと推測する事は、余りに容易だった。
「……」
 暫時の後、ようやくアルマはフェイルから目を逸らした。
 束縛の魔術を喰らったかのような錯覚が、フェイルの身体に莫大な疲労感を与える。
 その様子を楽しそうに見つめていたマロウは、何を考えているのか良くわからない表情の
 アルマへと近付いて行った。
 二言三言、言葉を向ける。
 しかし、アルマがそれに言葉で返答する事はない。
 聾唖と言う発想が一瞬フェイルの脳裏を過ぎるが、声は聞こえている様子。
 マロウの話す内容と、微かに見せる反応が一致している。
 聞いても良いものか迷う中、話を切り上げたマロウが視線を向けてきた。
「取り敢えず、彼女の【家】に行きましょうか。ここで立ち話も何ですから」
「……良いんですか?」
 そこには、初対面の男を家に上げても良いのか、と言うアルマに対する問いかけも
 多分に含まれていたが、そのアルマは特に反応を見せず、代わりにマロウが
 頷いてみせた。
 当人の許可を直接取る事は叶わなかったものの、嫌がっている様子もない。
「それじゃ、お邪魔させて貰いますね。ここから近いんですか?」
「ええ。目と鼻の先です。アルマ、行きましょう」
 未だ一声も発していない絶世の美女は、宙を彷徨っていた視線をマロウに向け、
 コクリと頷く。
 やはり、声は聞こえている。
 では、何故声を発しないのか。
「無口なだけですから、気になさらないでね」
 疑問はあっという間に解けた。
 初対面の相手に対して、自ら名乗る事もせず、何一つ言葉を発しないと言うのは、
 無口の範疇で収めていいものなのか――――と言う釈然としない心持ちを
 持ちつつ、フェイルはその視線をアルマへと向ける。
 聾唖者でないのであれば、自己を声で紹介をする事に障害はない。
「自己紹介が遅れました。フェイル=ノートです。薬草店を営んでいます。
 詳しい事はまだ良くわかっていないんですけど、宜しくお願いします」
 丁寧に礼。
 毎日、少ないながらも接客業を勤めてきた事で、多少なりとも初対面の相手に
 接する際の空気は整えられると言う自負がフェイルにはあった。
 だが――――
「……」
 アルマは特に反応を示さず、暫しフェイルの礼を眺めた後、特に何をするでもなく
 アッサリと踵を返した。
「……嫌われてるんでしょうか」
「う、うーん。どうでしょうね」
 マロウのリアクションは、『いつもはここまで無愛想じゃない』と言いたげだった。
 余り他者から嫌われる事のないフェイルは、言いようのない虚無感に見舞われ、
 暫くその場を動けずにいた。
 とは言え、動かなければ始まらないので――――移動。
 マロウの言葉通り、アルマの【家】は、石煉瓦で出来た展望台のような、
 或いは瓦礫のような山の直ぐ傍にあった。
 驚いた事に――――そこは、本当に家だった。
 石造りの家。
 ただし、地上にあるような民間の様式ではなく、直方体に入り口用と思しき
 石扉があると言う、かなりシンプルな造りだ。
 その石扉は、とても女性が動かせるような物には見えない。
 そんな扉に対し、アルマはその前に立ち、しゃがみ込む。
「……?」
「【解術】ですよ。戸締りした家に入る為の」
 そんなマロウの説明が終わるのとほぼ同時に――――アルマの周囲に薄い
 光が、まるで煙のように発生して、視界を遮る。
 だが、次の瞬間にはその光は音もなく消えた。
「……」
 それを確認し、アルマは扉の接合点となっている中央に手を置き、
 殆ど力を込める様子もなく、ただ静かに押す。
 それだけで――――重量感溢れる石扉は木造のような質感であっさりと開いた。
「凄……」
 思わず、フェイルは唸る。
 解術と言うのは、封術と対になる魔術。
 封術を施した場合、この解術を使用して封を解く。
 つまり、今アルマは自分がした戸締りを解除した、と言う事だ。
 ただ、それだけでは石扉を簡単に開ける理由にはならない。
 あくまで、解術は封術の解除。
 物質を軽くするような効果はない。
 つまり、アルマは他に何かをした、と言う事だ。
 フェイルはその疑問を、目だけでマロウに向けた。
「この【メトロ・ノーム】には、地上ではお目に掛かれないような技術が
 多数あります。その中の一つですよ」
 具体的な説明こそなかったが、その言葉はフェイルにとってはかなりの衝撃だった。
 つまり――――この地下では、独自の技術が開発されている、と言う事になる。 
 それは、異文化。
 この地下街【メトロ・ノーム】は、レカルテ商店街などがあるヴァレロン新市街地とは
 全く別の発展を遂げている事になる。
 国の地下に別の国がある、と言う訳だ。
「取り敢えず、上がって頂戴……って私が言うのはお門違いですけど」
「いえ、お邪魔します」
 当人が何も言わないままにズカズカ自宅を入っていく様を眺めつつ、フェイルは
 驚きとやるせなさを同時に抱えつつ、アルマの自宅へと入った。
 その室内は、一言で言い表すと――――質素。
 家具も最小限のものしかなく、客間と思しき空間にも椅子とテーブルがあるのみ。
 唯一、その客間にあるタペストリーだけが異彩を放っている。
 草花を表していると思しき模様が、緑色と黄色で表現されている厚手の布は、
 まるで砂漠に咲く可憐な花のような存在感があった。
「……」
 その家の主は、特にお茶を入れたりもてなしをしたりする素振りは見せず、
 収納カゴの中をゴソゴソと漁っていた。
 とてつもない美貌を供えた女性だが、態度や行動はどうにも庶民的。
 マロウはそんなアルマを笑顔で眺めながら、椅子に腰掛けた。
「貴方も座って。これから登録をして貰いますから」
「……登録って、この地下の会員か何かになる、って事ですか?」
 イマイチ一連の行動を把握し切れていないフェイルは、言われた通り
 マロウの正面に腰掛け、殆ど確信に近い答えを添えて問う。
「ええ。この【メトロ・ノーム】は彼女の許可がないと入れないんです。物理的にね」
「物理的……?」
「正確には、封術的に、なんですけれど。この地下街に誰かが侵入すると、
 彼女にはそれがわかる。封術が一部解かれた時点で、それを感じ取る事が出来るんです」
 魔術に対してはある程度の造詣しかないフェイルにとって、そのような技能は
 全くの初耳だった。
 つまり――――この地下街【メトロ・ノーム】に誰かが侵入する度に、アルマは
 それを感知し、対処が必要ならそれを行う、という事になる。
 まさに管理人。
 これ以上ない管理体制だ。
「ここに入る前、二つの扉を通過したでしょう? その内の最初の扉は、
 通常の封術で封印されている扉。そして、階段を下りた所にあった扉が、
 彼女……アルマ=ローランの封術によって閉じられているんです。そして、
 その錠前に使ったこの鍵が、封術を解く為のアイテム」
 マロウは得意げに鍵を掲げてみせる。
 何の変哲もない、何処にでもありそうな鍵。
 それはごく普通の、銅製の鍵のようにフェイルには見えた。
「……」
 それを暫し眺めていたフェイルに、いつの間にかアルマが隣接していた。
 全く思考が読めない表情。
 無――――ではないが、それが何の感情を示しているか、まるでわからない。
 勿論笑ってはいないが、怒っている様子もなく、どちらかと言えば不機嫌に見えるが、
 険が表に出ている訳でもない。
 人間が何も考えず人と接すると、このような表情になるのかもしれない――――
 フェイルはふと、そんな事を思ったりした。
「……」
 そんなフェイルに、アルマは鍵を差し出す。
 マロウが持っていた物と、全く同じ。
 ただ、よく見ると――――鍵の胴の部分に【118】と言う数字が刻まれている。
「その鍵にはシリアルナンバーが記されています。それが、貴方の番号。
 この【メトロ・ノーム】に出入りする事を許された順番なんです」
 管理人であるアルマは、その頭数には入らないだろう。
 つまり――――この地下街には、最大で119人の人間がいる、と言う事らしい。
「……これで登録は完了、なんですか?」
「後は、名前を名簿に記すだけ。よね? アルマ」
 名を呼ばれた婉美なる女性は、コクリと頷いてみせた。
 その手には、既に名簿と思しき帳簿が持たれている。
 自分で記帳しろ、と言う事なのかとフェイルは思ったものの、それを促す
 挙動が一切見られないので、若干混乱を来していた。
「取り敢えず、今日出来るのはここまでですね。契約は詳細が煮詰まった後、
 正式にここで行いましょう」
「あの、その件なんですが……どうして、ここで? と言うか、トントン拍子で
 事が進んでますけど、僕がこの地下街に出入りする事に問題はないんでしょうか……?」
 何か巨大な流れに巻き込まれているような感覚が、ずっとフェイルの中にはある。
 同時に、ここへ自分を連れて来た女性に対しても、少なからず疑惑の念を抱いている。
 それを暗に仄めかしたフェイルに対し、マロウは静かに微笑んだ。
「ここで契約をするのは、私の都合です。先程の重複になりますが、この地は
 表の世界のあらゆる立場を放棄出来る場所。そこで契約を交わす事は、お互いの
 立場に関係なく、人間同士で約束を交わすと言う事を意味します。それを
 私が望んでいるからです」
 その回答は、フェイルを満足させるには至らない。
 聞こえは良い。
 フラットな関係で契約を交わしたいと言うのは、一見誠実とも取れる。
 ただ、人間同士であるのならば、そこには必ず序列が生まれる。
 人気香水店と、不人気薬草店と言うお互いのステータスを除外しても、
 そこには提案をしたもの、受けたものの序列がある。
 ならば、フラットとは言い難い。
 マロウの言葉には、余り説得力はなかった。
 ただ――――個人的な理由と言われてしまった以上、フェイルもそれ以上
 食い下がる事は出来ない。
 ある意味、上手い躱し方だった。
「そして、貴方が登録される事が問題となるか否か、ですが……それを決めるのは
 私ではなく、アルマです。登録に関しては、管理人である彼女にのみその権限が
 あります。私は紹介しただけに過ぎません」
 その回答を受け、フェイルは視線をアルマに移す。
「……」
 特に目立った反応はなし。
 非常に厄介な女性だと、フェイルは嘆息しそうな心持ちになりながらも、どうにか
 その衝動を抑えた。
「わかりました。それじゃ、その登録をさせて下さい」
 得体の知れない地下街の会員のようなものになる事に対し、抵抗がない訳ではない。
 とは言え、それを断れば、この契約は当然なかった事になる。
 そうなれば、薬草店【ノート】に未来はない。
 頷くしかなかった。
「……」
 ようやく、アルマが動く。
 テーブルに帳簿を広げ、そして――――
「……」
 固まる。
 凝固時間は、10秒を越えた。
「羽ペン、なくしたの?」
 コクリと、アルマは頷く。
 何気に頬を紅潮させていた。
「私も持ってないのよね……誰かに借りてくるしかないんじゃないかしら」
「誰か近くにいるんですか?」
 フェイルの問いに、マロウは首を傾げる。
「この【メトロ・ノーム】は基本的に居住地はないのよね。管理人の彼女が
 家を構えている以外では、殆ど決まった家はないんじゃないでしょうか」
「それじゃ、記帳できないですね」
「……」
 ここは地下なので風が吹く筈もないのだが、三人は野ざらしの中で
 寒風に晒されているような心持ちを共有した。
「そ、それじゃ後は若い二人に任せて、私は退散しましょうかね。お仕事もある事だし。
 フェイルさん、取り敢えずアイディアがまとまったらもう一度訪ねて来て下さい」
 逃げるように――――と言うより明らかに逃避の様相を呈し、マロウが
 家を出て行く。
「ちょっ、マロウさ……!」
 帰り道をハッキリ覚えていないフェイルは必死に呼び止めようとしたが、
 既にその対象は視界から消えていた。
 心境としては、知らない街の広場に捨てられた仔犬。
「……」
 そして、その広場には毛並みの抜群に良い猫がいる。
 そんな感覚だった。
「あの、どうすれば良いんでしょう」
「……」
 困り果てたフェイルに対し――――アルマは帳簿を閉じ、いそいそとそれを仕舞いだした。
 押し寄せてくるのは当然、猛烈な不安。
 勇者一行に一晩店を任せるのと同じくらいの規模の不安だった。
 そもそも、喋れない事はないと言うマロウの説明もかなり怪しい。
 フェイルはいまだ、アルマの声すら聞いていない。
 ただ、視線や行動を見る限り、嫌われているような素振りはない。
 香水店【パルファン】を訪れて以降、不可解な事ばかり。
 ストレスは溜まる一方だ。
「……フェイル=ノート」
 しかし、それは突然訪れた。
 一言も発していなかったアルマが、前触れなくその第一声を発した。
 非常にか弱い、小さな声。
 ただ、それはとても澄んだ声だった。
「う、うん。僕の名前はそれで合ってるよ」
 何となく得した気分になり、フェイルは少し高揚した心持ちで声を張る。
 ただ、後続がない。
 とは言え、このまま沈黙する訳には行かず――――
「えっと、もしかして『後で記録しとくから大丈夫』って事、だったりする?」
 推測に基づく発言で、対応を待つ事にした。
「……」
 結果、コクリと首を縦に振ると言う、とてもわかりやすい反応を観測。
 そして同時に、これが彼女と接する際の方法なのだと悟った。
「……」
 少し満足感が生まれて自然と苦笑するフェイルに対し、アルマは
 表現し辛い表情のまま、じっと顔を眺めている。
「な、何? もう用は済んだんだから出て行け、って事かな」
「……」
 今度は横への首振り。
 まだ何か用件がある、と言う事らしい。
 そして、今度は別の部屋へと移動し、またゴソゴソと棚を漁りだす。
 その様子を眺めながら、フェイルは――――幼少期の事を思い出していた。
 子供の頃、シュロスベリー家で遊んでいた時の事。
 アニスは良く、色んなモノを拾って来ては、自室の豪華な箱にそれらの物を入れていた。
 曰く――――
『これ、全部私の宝物なんだから! 勝手に見たら緑色の果実を食べさせるからね!』
 緑色の果物なんてこの世にあるとは思えないだけに、かなり怖いお仕置き。
 フェイルは結局、その中身を知る事なく、一旦街を離れた。
 あの箱には、一体何が入っていたのか――――
「……」
「わっ!?」
 回想、強制終了。
 気付けば、アルマが再接近していた。
 そして、今度は――――妙な杖を手にしている。
 やけに長い。
 杖と言うと、その役割上、通常は人間の背丈よりは少し短いくらいの長さなのだが、
 アルマの持ってきた杖はその倍近くはある。
 天井に届く位の長さだ。
 そして、その先端には何らかの紋様を施した装飾がなされていた。
 よく見ると――――それは、タペストリーと同じく、草花をモチーフにしている。
「これを……どうするの?」
 そう問い掛けたフェイルは、それが誤りだと直ぐに気付き、質問を変える。
「これ、天井裏に入る入り口を開けたりする道具……とか?」
 具体的な質問をし、その反応で行動を知る。
 アルマに対する接し方は、それしかない。
「……」
 斯くして、アルマは首を横に振った。
 だが、推測が誤りだった事は特に問題はない。
 何かを問い掛ければ、彼女は次の行動を見せる。
 まるで、ヒントを与えているかのように。
「……」
 案の定、長い杖を抱えたまま、アルマは次の行動に移った。
 それは――――移動。
 家を出て行くアルマを、フェイルはほんの少しの好奇心を原動力にし、追った。






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